☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
完璧な「静寂」のバランス
のごろ記事が私的な文脈に偏って申し訳ない、近いうちに修正されるだろう。
いやあ、この一か月半ほどは、完全に無理をしすぎた。
と言いながら、実はこれから四日間ほど、やはり悲惨なスケジュールが続くのだが、もうどうなろうが僕の知ったことではない。
大人なのだから、バランスを崩すのは恥だ、そしてさらに言うなら、バランスは完璧なら別の力を持つのでもある。

前後左右に一切の偏りを持たない、精神的にも身体的にも。
そうして初めて見えてくるものがあるし、そうして初めて得られてくる集中力や上昇というものがある。
だいたい自分というのが暴れ回るとロクなことにならないのだ、自分が暴れ回ると「自分」は必ずゴールにシュートを決めに行こうと画策する。
完全なバランスの中、初めて見えてくるものがある、それは"何一つとっても実はたいしたことがない"ということだ、これが見えていて初めてその人間は大人だと言える。

ここぞというとき、武器になるのは静寂だけだ。

優れたミュージシャンは、音楽を奏でることで逆に「静寂」を作りだす、その姿勢はゴールにシュートを決めに行こうとする傾きとまったく相反する。
完璧なバランスで、動かないということ、動かないのが一番速い、最重要なのは脳みそのスピードだから、そのためには完璧な「静寂」のバランスを保て。
できるオンナだね | comments(0) |
"安心できる人に会ったことがない"
がせいぜい誇れるとしたら、僕を慕ってきてくれた女性をすべて、笑わせてはいるはずだ、ということぐらいか。
僕がメシを作ると、みんな胃の底が抜けたみたいに勢いよく食ってくれ、自分で驚いてなお「もっと食わせろ」と要求してくるが、このことも理由はすでに判明している。
簡単に言って、"安心できる人に会ったことがない"からだ、人は安心できる人に会えば大いに笑うし、ものすごくメシを食うし、女の子なんか特にぽろぽろ泣くのだ。
僕は安全な人間ではないが、女の子に「やらせろ」と言えばそれ以上は特にないので、それがまあ安心といえば安心かもしれない、何しろ遠巻きに女を酔わせて追い込んで徐々に……というような面倒をする気力がないのだ、「やらせろ」としか言う気にならないしそれで弾切れである。

だいたいみんな、泣いて、笑って、大量にメシを食って、ものすごく話して、聞いて、「素敵」「あったかい」と言い残して、恢復していってくれる。
それもこれも、別に僕が優秀だからではなく、単に"安心できる人"だからだ、「安全な人」と「安心できる人」はまったく違う。
僕は単純に、犬や猫をかわいがらない奴は殺す、とか、女の子の足の間を覗きたい、とか、それだけの人間なので、最悪でもせいぜいゴムつきのセックスをされてしまうだけだ、その後に「依存」「闇」などを頑張るようなヒマな気力は持ち合わせていない。
つまり、どうほじくっても表面上の人格以外のものが出てくるわけではないので、見たまんまで安心といえば安心だ、僕はこころから泣いたり笑ったりしている女性に茶碗蒸しを食わせる等が大好きで、それを否定する奴は殺すと思っているだけの人間だ。

別に笑わせるつもりはないのだが。

実際、何か知らんが僕の胸にひっついてきて、それだけでニタニタし、ケラケラ笑い出す奴もいるのだ、そんなもん僕の知ったこっちゃない、ただ安心できる人のところで人は勝手に笑うものなのだろう。
勝手に隣で泣いている女の子もいるし、耳元で「大好きです」と言い残していってくれた女性もいたが、僕は何かをしたつもりはない、勝手に腹が減れば勝手にガツガツ食うように、みんなが勝手に好き放題にしていくだけだ。
正しく見ないとな | comments(0) |
誰にでも持ちうる「集中力」という方針
とつ、誰にでも持ちえる方針を決めておこう。
「集中力」だ、集中力だけは老若男女、貧乏だろうが金持ちだろうが、IQが高かろうが低かろうが関係ない。
僕にはきっと人より多くの経験と友人があろうが、それらもすべて集中力を向けてきた結果にすぎない。
人並み外れた「集中力」を実際に持っているか/いないかで、その人の生きる内容はずいぶん変わるし、体験することも持ちうる友人も変わってくる。

安定した暮らしや仕事や人間関係の中で、一見すべてのことは何の問題もないように見える。
けれども確実に、「集中力の要らない暮らしは怖い」とだけは言いうる。
集中力がなければ人間はあっという間に老け込み、何もかもを見失うからだ。
かといって、何の対象も持たなければ、集中力なんて発揮のしようがない、さしあたり目の前のすべてのことに集中力を向けるべきだ、そのことは決してあなたを裏切らないだろう。

集中しているあなたは軽蔑されない。

自分の暮らし、自分の生きている時間に、本当に集中力は必要とされているかを見直せ、そして集中力が要らない暮らしをしていたらそのことには恐怖を覚えるべきだ。
集中力、本当に集中力、これだけが赤の他人を握手に結びつける。
できるオンナだね | comments(0) |
すべての自己愛を懺悔しな!!2

「女としてまともでありたい」のでしょう、そして何であれば、「女として一流でありたい」のでもあるでしょう。
それがそもそも間違っている、どうしてそうすべてを"自尊心"の高まりにしか向けられないのか。
そのことについては、今やはっきりと「アホか」と言ってやるべきときが来たようです、何をどういじくっても自尊心方向しか出てこない「アホ」、それは致命的な「アホ」であり、アホじゃないと思っているのは自分だけです。
少なくとも僕自身は、「男としてまともでありたい」とか「男として一流でありたい」とか、アホまるだしのことを思って空を見上げるような恥ずかしいことは決してしたことがありません、さあこんな提示で反論に詰まるようではいささか思想がお粗末すぎるのではないでしょうか。

自・尊・心!! 自・己・愛!! 見よこのアホまるだしのポリシーを、いいかげんこの幼児性には愛想を尽かしましょう。
自分をベベーンとデッカくすること以外に何か貴重な意志をひとつも見つけられないのか……もはや「ぐうの音も出ない」とか笑っていられる状況ではないのです。
さあここでただちに、「自分は親から愛情を受けられなかったから……」という抗弁が出現します、でもそれも「いいかげんにしたまえ」と言われて終わりです、未成年のうちにそのへんはケリをつけておきましょう。
どうしてあなたはいつまでも、「自尊心と自己愛はクソだ」と肝腎な台詞を自分の口から言わないのですか、断言しますがあなたのうっとりした誠実風味を救ってくれる外部の手などいつまで待っても存在せず、あなたはやがてヒステリーを起こすだけになってしまいます。

あなたは何も超えてないってば。

自尊心と自己愛に、うっとり誠実風味に沈黙してみたところで、それはすべて糊塗にすぎず、周囲に気を使わせるだけで何の尊厳もありません、「アホか」と言われたらそれで終わってしまいます。
まして、自分が自尊心と自己愛にしか居座れないことについて、外部にクレームを申し立てるなどもってのほかです、なぜあなたは自分のことについては帰属責任ゼロ感覚なのですか。

恋女のマインドね | comments(0) |
すべての自己愛を懺悔しな!!
代の状況が破綻しているのはわかっている。
でもそれだからこそまっとうなことが言われ続けねばならない。
いくら時代の現実にそぐわなくてもだ、誰かが言い続けないと本当に消え去ってしまう。
マジメでシリアスで誠実なフリをした……それでいて自己愛のカタマリでしかないというパターンにはいいかげん愛想を尽かそうではないか。

「射精のおかげん、大丈夫? 溜まっていて苦しくない?」
そうして気にかけてペニスに手を差し伸べてくれる女性は激減した。
女が悪いのではなく時代が悪い、誰も彼も壮絶な痛みの中をひたすら耐えて生きているのだから。
だが女性が自分のヴァギナとおしゃれだけを猛烈に気にかけ、男性は男性で自分のペニスと自尊心だけを猛烈に気にかけているという状況では、何をどう工夫しても悲惨な結末しか得られないのも事実だ。

お前には自己愛しかないが、世界にも自己愛しかないと思うな。

幸い僕は今さら女を使わなくてもとっくに男性としての性的自信を得ている者だ、自己愛なんてヒマなことに耽るほど幼稚ではなく、紙飛行機の飛ぶ距離に声援できるぐらい純粋にはなった。
僕は僕を使って女性が何かを見てくれたらハッピーというだけだ、あなたはどうしてもあなたという女を自分のために目撃したいだけでしかないのか。
恋女のマインドね | comments(0) |
精一杯生きるというくだらない結論
間が生きているということはけっきょくわけがわからない。
特に、「自分」「わたし」が生きている――しかもやがて死んでいく――というのは、まったくわけがわからないのだ。
僕の友人にはトヨタ勤めの人間や、役人、医者、何だっているが、そうして社会的に上位職についていたからといって、やはりふと考えれば自分が生きているということはよくわからない。
老人が孤独死したら「孤独死」だが、トヨタ勤めがトヨタ勤めのまま死んだら「トヨタ死」になり、やっぱり何のために生きたのかはよくわからないのだ/誰だって「こんなことのために生きているのか?」ということの中を生きている。

自分が生きているということが、どういうことなのか、けっきょくよくわからないのだから……
結論は畢竟、「精一杯生きる」というところへ行きつかざるを得ない。
実にくだらない結論だが、これが結論だからしょうがないのだ、「精一杯生きろ」、自分が誰であるかに係らず。
この結論は、くだらないが有益でかつ有効だ、なぜなら「精一杯」ということが生きるという事象に主観的な変化をもたらす可能性が有為にあるからだ。

「精一杯」が我欲に勝るとき。

誰だって、自分の人生を豊かで意味あるものにしたいと望んでいて、それこそが人間の最大の我欲なのだ、この我欲のせいで逆に生きている時間が何にも満ちないまま過ぎていく。
生きた時間を振り返ったとき、「もうカンベン」「もう二度とやれない」と、ゾッとして笑えるほどの……それが本当の精一杯だと思う/いついかなるとき誰だって肩を叩きあい吼えろ「精一杯生きよう」。
恋女のマインドね | comments(0) |
恥の文化と、意志の文化
本は、「恥の文化」の国だ。
対極に、「意志の文化」が存在する。
あなたの「意志」は、「恥」という文化に屈服し、ことごとくただの願望になって沈殿していく。
「こういう人間でありたい」とかつて描いた夢は、「でも恥ずかしい」というだけのことに屈服させられ、永遠に叶うことのない願望となって沈下するのだ。

たとえば出川哲郎さんは、恥の文化を突破することによって、あのような姿になった、彼はすでに「意志の文化」に属する人であり、だからこそ出川イングリッシュで外国人セレブにも突撃してゆける。
恥の文化の中に棲むかぎり、意志を持つことは不可能で、その中で暴れてもただの「恥知らず」ができあがってしまう。
僕はあなたに向けて平気でバンザイをできるが、あなたは僕に向けて平気でバンザイはできないだろう、「恥ずかしい」から。
もちろん、「バンザイをしなさい」と、"やらされる"ならできる、なぜなら人に"やらされる"ことは自分の恥ではないからだ、そうして意志のない人間が何もかもを"やらされる"だけという文化が出来上がっていく。

あなたは試験勉強をやらされたり、仕事をやらされたり、婚姻生活をやらされたりするが、バンザイひとつもできなくなっている。

僕はすべての人に問いたい、すべてを"やらされる"のみで生きていくというのが、果たして生の真実だろうか? それを真実と取る人へ反論があるわけじゃなく、ただ確かめるために問い直したい。
バンザイひとつでさえ、あなたは"やらされる"ならできるが、自分の意志においてはできないのだ、意志のすべてはただの願望になって沈殿していく、この構造で本当にいいか。
正しく見ないとな | comments(0) |
その汗にまみれること

「あのとき、わたしは、ある人のことをこころの底から愛していたの」
「二度とないような、本当に狂おしいほど好きで、何もかもがあの人というような時間だったわ」
そう思い返せる時間がある、そういう生き方ができたらいいな。
そう思い返せる時間が無い、そういう生き方も悪くないな。

本当に人を好きになるとか、愛するとか、愛されるとかいうことは、実際にある。
自分がそれを体験できるかどうかは別にして、まあ体験しないのがふつうだろうが、実際にあるのかないのかでいうと、実際にある。
実際にそれを体験した人は、他人にそれを「おすすめしない」と言うだろう、何しろ体験がデカすぎるから。
映画を観て、ライブを観て、涙を流すのは意外に簡単だ、問題は汗にまみれるかどうか、それも運動ではない「体験」による汗にまみれるかどうか。

どう生きていたかではなく、どう斃れていたかを聞きたい。

本当に誰かを愛したとき、その時間は、生きていた以上に斃れていた記憶に埋め尽くされているはず。
僕はよく神戸の街を思い出し、今もバラナシや東京のあちこちのことを思い出すが、それはそこで僕が斃れていたからだ、例の汗にまみれたときのこと。

恋女のマインドね | comments(0) |
新しさへ
に新しさに向かっていなくてはならない。
新しさとは、古いものへ否定やそこからの離脱を意味するものではない。
新しさはただ新しさであり、古いものからの審査など受けずただそれのみで成り立つ。
「人間の心象(プシシズム)においては、想像力とはまさに開示の経験であり、新しさの経験に他ならぬ」と手元に本に書かれてある。

まるで、カート・コバーンのような……
と書いてはみたものの、カート・コバーンというのがどういう人なのか僕はまったく知らない。
僕がカート・コバーンを知ってしまったら、僕にとってカート・コバーンは重要なものではなくなってしまうだろう。
新しさのないものは、すべて当然に既知のものであり、既知のものに広がりはなく、想像力の出番はない、既知のものは閉じてあるのでただ手元に残しやすいというだけだ、想像力のすべては開かれて逃れやすいものであるから。

親愛なるカート・コバーン様、およびその他すべてのもの。

何もかもをグーグルで検索できてしまうという現状が、人々のイマジネールの機能をどれほど死滅させてきたことだろう?
それを観て、ざまあみろと思うのだ、ただし服を脱いでくれるカワイイ女の子は別だ。
恋女のマインドね | comments(0) |
いいかげん自己愛をやめろ
いかげん自己愛から離脱しろ。
女性は誰だって自分のヴァギナを気にして生きている。
自分のヴァギナを気にする一方で、男性のペニスと射精を気にしていない。
だから逆に、ヴァギナが損傷する進みゆきになる、男性が自分のペニスと射精しか気にかけないなら自己愛であるように、女性が自分のヴァギナしか気にかけないなら自己愛にしかならない。

信号のない交差点に入るとき、どうして自分の進行方向だけを見る? 交差側の通行を気にかけないから事故を起こすのだ。
女性が男性のペニスおよび射精にこころを配ればそれだけで多くのことが解決するし、悲惨な事故など起こらなくなる。
男性が女性のヴァギナを気にし、女性が男性のペニスと射精を気にしていれば、交差点での走行がそうであるように、マナーは保たれ事故は未然に防がれる。
また人間の身体は、自分の向き合う「対象」の側に応じて機能するようにできているので、「対象」に向き合わずに振り回すとケガをするのだ、人間はそもそも自己愛で活動可能なように作られていない。

自己愛をやめるか、さもなくばセックスをやめろ。

だいたい、自己愛を満たすなら自己のみで満たせ、自己愛を満たすのに他人の性器を無償で借りようとするからおぞましい騒動が起こる。
他人も自分と同じように「生きている」ということがどうしてもわからないのか。
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