☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
ワークショップおよびパーティのご案内

足 Quali's 身体操作ワークショップ 8/24更新
「ちゃんとできるよーになりましょーよー教室」
【第十六回】8月26日(金)19時〜@世田谷公園噴水付近 参加費無料

【第十七回】8月27日(土)19時〜@世田谷公園噴水付近 参加費無料
【第十八回】9月2日(金)19時〜@世田谷公園噴水付近 参加費無料
【第十九回】9月3日(土)19時〜@世田谷公園噴水付近 参加費無料
【第二十回】9月8日(木)19時〜@世田谷公園噴水付近 参加費無料
【第二十一回】9月9日(金)19時〜@世田谷公園噴水付近 参加費無料
【第二十一回】9月16日(金)19時〜@世田谷公園噴水付近 参加費無料

(服装は自由です、仕事上がりも可。ただなるべく平たい靴でどうぞ)
(雨天時は基本的に延期です)

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酒Quali's Party
「ちゃんとするのやめましょーよー集会」
【第60回】9月17日(土)19時〜23時@原宿DinningBar CLIMB
♂5000yen ♀3000yen
(ほんのり合コン的な格好でよろしく。そしたら点数アップ)

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どうしてこうなった……まあいいや。
「ちゃんとする」と「ちゃんとできる」はまったくの別物だ。
ちゃんとできていれば、ちゃんとする必要はない。

(だからおれはちゃんとしないのだと強弁)

みなさまのご参加をお待ちしております。 九折

(ワークショップの各カリキュラムは以下続きをご参照ください)

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そのほか | comments(0) |
傲慢証書は単独に
は傲慢にいこうと思うので、あなたもどうぞ傲慢にいってみよう、それでこそフェアというものだ。
まあ僕などは、異様な幸運さだけで生きており、異性に特別な愛され方をする、そして知能も人並みでなく高いし、最近明らかになったこととしては身体操作能力まで優れている。
そして数えきれないだけ多くの想い出があって、あげくに本人はこれまで何の努力もしていないのだ、ずっと幸運の中で遊んできただけだという。
僕はそうして傲慢にいこうと思うので、あなたもどうぞ傲慢にいってみよう、それでこそフェアというものだ。

あなたはどことなく謙虚なところがあるが、それは本当の謙虚というのとは違うじゃない。
違うでしょ、それはそのとき突如として謙虚ぶることで、同じ土俵で向き合わされることを避けているだけじゃないか。
あなたはつまり、「出遅れているのではなくて、謙虚なんですわたしは」と言い張ろうとしているだけで、そんなものはよくよく見たら一番卑怯でアンフェアじゃないか、人にだけ傲慢さを期待しておいて、自分だけサッと身を翻すなんて。
そんな卑怯なことをせず、堂々、自分が神様にどれだけ近いか見せつけてやりなよ、それができない恥から逃れるために途端に「謙虚さに転向する!」なんて姑息も極まることじゃないか。

さあ傲慢に胸を張れ、ただし傲慢証書は単独に。

「傲慢」なのだから、引きこもっていてはいけない、ましてや徒党を組むことに頼ってはいけない、それは最も自信のない人間が用いるやり方だ、まさかそんな奴がこの世にいるとは思えないが念のため。
「傲慢にいこう」とは、何も難しいことじゃない、今あなたが見ているとおりだ、僕は単独で、ごらんのとおり傲慢だ、あとはこいつがあなたを「がっかりさせるか/させないか」ということだけだ。
できるオンナだね | comments(0) |
八月のアイスティー
「親が」というと、まず暗い話に聞こえる。
親子というシステムがとっくに破綻していることの証拠だ。
「今週は土曜日も仕事だ」と、明るく言う人はほとんどない。
「こないだ、カレに話聞いたんだけど」というと、たいていその「話」はロクでもない暗い内容のものだ。

「先週、ある人とセックスして」という話も、まず暗い話として聞こえる。
何もかもを誤解している、こんな状態で何をどう工夫してみても全てが無理だ。
「親が最近忙しくて、ほとんど行方不明らしい」「土曜日もみんなで仕事やっちまおうって話になって」「あいつに話聞くと、もうジッとしていられなくなってな」「先週、あの人と寝たけど、あの夜はもう何もかもうつくしくてね」。
現状、暗いものがあるのはしょうがないけれど、そんなの信じていたら阿呆だぞ、暗いものがあなたのお好みというだけで、本当はそれ自体が暗いというわけではまったくない。

セックスを暗いものだと思っている。

セックスを暗いものだと思い、人間関係を暗いものだと取り扱い、仕事を暗いものとして努力し、家族を暗いものとして順応する。
暗く生きるのは個人の自由だが、生きるのが暗いことだと誤解されては近所迷惑だ、憂鬱合戦がそんなに肌に合うか? 僕はセックスなんて八月のアイスティーのように穢れなく明るいものだと思っているけれども。
えっちはいいよな | comments(0) |
やりたいことがあるというウソ

ういえば、僕が主催するいかれぽんちワークショップでは、武術風味のことも教えている。
が、これを武術だとは、僕は決して言わない、「武術なんかまったく関係ない」と僕は言い張る、何しろ僕は武術なんか習ったことがないのだ、知識ゼロである。
世の中には、武術に強い「興味」があり、その結果なかなかにヘンテコな人になった方もたくさんいるように感じるが、そういう方に積極的にお話しできることはたぶん僕にはない。
僕がいかれぽんちワークショップで教えているのは、もっと単純なよろこびのことだ、朝起きるのが爽快で、メシを喰うのがバツグンに旨く、酒を飲むのが世界で一番楽しくて、恋や歌や映画なんかに毎日「震えるわ」というふうになろうという、そういう単純なことだ。

なんだろうね、たとえば単純に、「お前めっちゃ歌うまいな!」とか、驚かれたいとは思わないだろうか。
あるいは「お前めっちゃ頭いいよな」「なんかところどころ、立ち姿がめっちゃカッコいいよな」「お前がいると本当に面白くて、やばいぐらい楽しいわ」とか、言われたくないだろうか。
さらにたとえば男性であれば、女性から、「あなたのそばにいると本当にメロメロになっちゃう、なにこれ」とか「あなたの腕の中ってすごく安らいでしまうの、やばい」とか、言われたくないだろうか、むろん女性でも……
もちろんそんなことができるようになる方法があるなら、僕がダッシュで習いにいくのだが、むろんそんな方法はないのである、方法はないのだが……まあとにかく僕は武術やボディワークに「興味」があるのではない、むしろ「興味」に引き起こされるひどいマイナスを指摘しようとしているのだ。

やりたいことがあるというのはウソで、また、やりたいことがないというのもウソだ。

「お前めっちゃ頭いいよな」「本当の天才だと思うわ」と、まるで言われたくないなんて人がいるとは思えない、だからやりたいことがないというのはただのウソだと僕は思う。
一方、「○○にすごく興味があって」という形で、メシが旨くなったという話を僕は聞いたことがない、人はしょせん「あなたって本当にステキね」と言ってもらえないとメシが旨くないものだ、そんな当然のことから逃げ回ってどーする。

正しく見ないとな | comments(0) |
とにもかくにも「速さ」、こころの速さ
ッと動けること、フッと切り替えられること。
それが「こころの速さ」だ、これは間違いない。
この「速さ」が、一般に思われているよりもえげつなく速いので、そこの固定概念を切り離して研究するしかない、「こころの速さ」はとてつもなく速い。
「こころの速さ」とは、「AからBに見えないうちに到達する」ということで、この「速さ」が自信になる、おぞましいものに殺されないという確かな自信は唯一この「速さ」のみから得られる。

「スッ」「フッ」の反対は「ドタバタ」「ぐいっ」になる。
人は何かを速く動かそうとすると力を入れてしまうが、力を入れて発生するのは「加速」でしかない、そして"加速が掛かる"ということは"元々が遅い"ということに他ならない。
加速・減速はつまり、「調子が変わる」ということになるが、この調子変化は「特に力みを持たせよう」「停止をかけよう」という意図以外のときには必要のない、ほとんど禁則と言っていい。
加速・減速をしない、つまり一調子でフッと動く、その「こころの速さ」は思われているよりとてつもなく速い、この速さを使えるということが単純で確かな自信になるのだ、まったく思いがけないことではあるが。

ネバーアクション、ネバーリアクション。

岡本太郎は「芸術は爆発だ」と言った、そして「この爆発には音が無いんだ」と言った、この場合「音がない」というのは芸術の挙動が"アクション"ではないことを示している。
人は力を入れて止まる、そして力が抜けて動く、思われているのとまったく逆だ、人はこだわりに力を入れることで自由を失い動けなくなり無理な加速をしようとしてドタバタするのだ。
できるオンナだね | comments(0) |
あるそば屋とラーメン屋の勝負

じいさんみたいなことを言うが、何よりちゃんと人のことを考えることだ。
おじいさんの口ぶりをやめて言えば、あなたの知らないところで、「とっくに勝負はついているよ」ということなんだ、それもおおっぴらに。
だって眼差しが違うもの、言葉が違うもの、動きが、振る舞いが、表情が違うもの、僕に向かってまっすぐ来るばかりのその姿が。
「わたしなんかたいしたことないよ」と、心配そうに手が伸びてきて、僕の額の汗を拭いてくれる、こんなのにどうやって勝つつもりなんだ、とっくに勝負はついているよ。

あるそば屋さんは考えました、「お客さんにとって、そばって何だろうね」「おれはそれを作らなきゃならんのだからね」。
あるラーメン屋さんは考えました、「おれにとって、ラーメンとは何なのか」「おれは何を作りたいんだろうな」。
このそば屋さんにとっては、お客さんの座るテーブルが大事で、このラーメン屋さんにとっては、自分の立つ厨房が大事だった。
「わたしなんかたいしたことないよ」とつぶやくその瞳の向こう側に、僕のことを大事に考えてくれるこころがあった、だからとっくに勝負はついている、彼女は正しい自分を考えさえしなかった。

ラーメン屋は看板を堂々と新品に買い替えた/そば屋はエアコンをそっと新品に買い替えた。

このラーメン屋は、新しい看板の前で腕組みをして思った、「よし、ウチはこれで勝負する」、そのときのいかめしい顔。
このそば屋は、新しいエアコンに手をかざして思った、「よし、これでお客さんはくつろげるね」、そのときのほころんだ顔。

視点変えてこ | comments(0) |
バランス

れにしてもまあ、次から次に、色んなことがあるものだ。
大切なものはバランス……と言いたいところだが、バランスなんかどうでもよろしい、さっさと崩してもいい、何が正しいということはない。
だいたいの人は勉強不足なので、「足りてない!」とガツガツ勉強したらいいし、でも別に勉強したからといって何になるわけでもない。
フオオオオオ、と雄たけびを上げられるのはよいことだ、なぜなら雄たけびを上げられるということは、バランスが取れているということの証拠だからだ、バランスが取れていないとただの大声になってしまう。

僕は無類の女好きで、男性にとって女好きというのはすばらしいことだが、このすばらしいことを、誇ろうという気持ちは僕にはわずかもない。
なぜといって、すばらしいことを誇って胸を張るということぐらい、疲れることはこの世に他にないのではないだろうか。
この世で最も疲れることは、そうしてガンバルことがひとつで、もうひとつには、何もしない、ということがある、何もしないというのはものすごい勢いで疲れる。
人間にとって、空を見上げているような時間が、一番虚しく時間の無駄だが、それだって充実させようというヒサンな思いにくらべたら「ずっといいよね」と言いえる、言いえるからといっていちいち言わないけれども。

つまり、息を吸うのが正しいわけではなく、息を吐くのが正しいわけでもない。

何か正しいと思う人は、そのどちらかだけを徹底的にやればいいのだ、そして病院に担ぎ込まれてしまえ、その間に僕はフィルターのない煙草をどんどん吸って鼻からぶうぶうニコチンを吐こう。
バランス! そうら、ひどいウソをついてやった。

視点変えてこ | comments(0) |
人は奇跡にしか満足しない
術の上位に「奇跡」がある。
いかなる高級な技術があったとして、技術そのものは「そこに向かおう」という動機にはならない。
人は「奇跡の人」になりたいとは願えても、「技術の人」になりたいとは願えないからだ。
ただ、その奇跡も何かしらの技術を土台にして成り立っているわけだから、技術は必要なものではある、にもかかわらず、技術はそれ自体は動機にならない"野暮"の類として、同時に「要らない」とも感じられるものであるわけだ。

逆に言うと、「奇跡」に触れることが叶ったならば、そのときは何かしらの技術を自動的に獲得しているということでもある。
僕がこれまでに獲得してきたいくつかの技術などはすべてそれであって、僕の持ついくつかの技術はすべて努力や執心なしに身につけてきたものだ。
技術の上位に「奇跡」があって、人は奇跡を目指すことはできても、技術を目指すことはできない、「人は奇跡にしか満足しないからだ」と、今あらためて確信を覚える。
技術と奇跡の違いは何かというと、技術というのは再現性があるのだ、つまり繰り返し使えるのが「技術」であり、一方「奇跡」は「もう二度と無理」「あのとき限り」と再現性が決定的に否定されるものだ。

奇跡に向かえ、奇跡に尽きろ。

同じ生きるなら、奇跡に尽きよう、と、僕は思っている、そうでないと僕には何をして生きたらいいのかさっぱりわからん、本当の満足に向かわずに生きるというのは僕には明らかな死に体に見える。
奇跡に届かなかったとしたら、そのときは僕が届かない人間だったのだろう、それは公正ですっきりとした話だ、僕はそういうideaを愛している。
恋女のマインドね | comments(0) |
パーティ報告59
んだな……
僕は色んなことを話すのだが、そのとき、まるで「生まれて初めて人が"話す"のを聞いた」みたいな顔をされることがある。
いや、されることがある、というよりは、はっきりそういう顔をされる、と言っていいだろう、今さらごまかしを利かせてもしょうがない。
色んな技術やノウハウについても話すが、うすうす気づいてくれているように、本当はそんなところに技術なんて野暮なものは混入しない、ただ僕は何かを話していただけだ、それを無理に分解すれば技術的な側面も言い張れるというだけで。

「パーティ」を再開してから三年が経った、三周年記念だった(花をくれた人ありがとう)。
最近になって格段に、色んな人が色んなやり方で、僕そのものを尊重してくれるということを、はっきり感じるようになった。
はっきり感じるようになったといって、そりゃあれだけ手厚くかばってくれたら誰だってそう感じるだろという話で……そしてそこにはまた例の「生まれて初めて」という類の戸惑った表情がくっついている。
何も悪いことはない、ただおそらく、自分のこころに何かが起こるということが、本当に「生まれて初めて」という感じで、本人も自分に何が起こって何をしようとしているのかわからないのだろう、僕は強欲なのでそちらがなるべく大きく花開けばいいと思っている。

原始人がインターネットに触れたときの表情と、現代人がこころに触れたときの表情は、似ている。

どちらも「生まれて初めて」という感触で、自分が何を体験しているのかわからず、自分が何を感じているのか、初めてのことなので戸惑っている、そういう表情だ。
原始人が急にインターネットを使いこなしたりはできないように、現代人も急にこころを使いこなしたりはできない、だから……どうする、僕は強欲な人間だ。
 
そのほか | comments(0) |
活躍する脳みそ
とえばストレスをかけると、胃腸の機能が低下し、消化不良を起こす、これは何のトクにもならない。
同様に、脳みそだって臓器なのだから、ストレスをかけたら機能が低下し、理解不良を起こす、これも何のトクにもならない。
「脳みそも臓器なんだから」「脳みそがよろこばないと機能しないでしょ」、これは自明のことのはずなのだが、なぜか脳みそに限っては「脳みそをいじめて賢くしよう」とする人が多い。
なぜこのような誤解が起こるかというと、脳みその性質を、筋肉と同じだと思っているからだ、筋肉をいじめたら筋肉は太くなる、それと同じで脳みそもいじめたら太くなると発想しているのだ、これは単に科学的な誤認だ。

「脳みそが強い」ということは、「胃腸が強い」ということとまったく同じだ。
「よくそんなペースで食えるね」「健啖だねえ」「飲むねえ」「わっはっは」というのと同じ感触で、「よくそんなペースで頭に入るね」「聡明だねえ」「楽しむねえ」「わっはっは」と脳みそが活躍する。
あなたは自分でボソボソっと「こんなんじゃダメだ」と落ち込みながら、自分を責めて、肩にグッと力を入れて、カツ丼の特盛を一気に食い切ったりするだろうか?
カツ丼の特盛さえ食い切れないような状態で、脳みそに何かを詰め込もうとしても無駄だ、消化不良から吐き気がしてくるに決まっている、いかに脳みそをよろこばせるか、いかに脳みそをのびのび活躍させるかを覚えなくてはいけない。

映画館より楽しい場合にのみ、勉強ができる。

映画館で自分を責めているというような変人はさすがにいない、それは映画館で人の脳みそがよろこんでいるということだ。
何を学ぶつもりでも、何を習得するつもりでも、筋トレに見られるストイックな自分いじめでは脳みそは答えてくれない、映画館に入った時にフワッと広がる脳みそのよろこび、あれをヒントにして勉強しよう。
できるオンナだね | comments(0) |
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