☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
エンコーまがいの女子高生も、愛を向けられたら震え出す
度も見てきたことだ、エンコーまがいの女子高生でも、愛を向けられたら震え出す、震えだして怯え始める。
エンコーまがいの女子高生が、おっさんと寝て割と平気でいられるのは、そこに何の愛もないからだ、それなりに楽しくカルマ肉のぐっちょんをやりあう、そんなことなら割と平気だ。
だが、マジに胸に何かが突き刺さり、世界のことや、お前は生きてるんだということ、マジに正面から向かってくるもの、そんなものに直面させられると、女子高生なんかまだがきんちょだから、震え出す/これまで余裕をぶっこいていたものが全部フェイクの嘘っぱちだということが明らかになる。
これまでに何度も見てきた、女子高生だってバカじゃないのだ、愛のないセックスだけで頭がパーになったりはしない、むしろ逆だ、本当に愛の力を帯びたセックスを向けられたとき、精神がやられてしまう、それは明らかに愛のほうが切実だからだ、笑って忘れられない(永遠に残ってしまう)ものを向けられたとき、精神が崩壊の危機に陥る、途端に「この世界にずっと住んでいたかった」と真相の叫びがやまなくなるから。

まともな男の、愛を向けられて、まともな男の、声があって、まともな男の、胴体がそばにあるとき、エンコーまがいの女子高生は、身体が凍りついてゆく、<<むしろ愛の中で金縛りになる>>のだ、それはこれまでずっとウソをしてきたから。
これまでに何度も見てきた、愛の中で停止してしまう女のこと、そこで停止してはいけないのだが、これまでに積み重ねてきたものが大きすぎてどうしても動くことができなくなる。
そのときになって気づくのだ、愛の中で動こうとすると、何もかもが崩壊して叫び始めてしまう予感があること、これまで実はまったく好きではないものの中で、得意ぶって動き回っていたにすぎないこと、自分の身がそのような見当ハズレばかりを得意に育ってきてしまったこと。
セックスには慣れているはずの、イケイケで生きてきた女の子が、いざ裸身になると凍えて身を震わせるのを何度も見てきた、愛の中で裸になって、しかも身近となると、ブッ倒れて眠ってしまいたくなるだろ、そういうもんだ、でも開き直ったりしてはいけない/あなたはまったく壮絶でもなんでもないことに、慣れてきたというだけでしかない、あなたがこれまでまったく震えずにきたことは、あなたが強かったからではなくて、あなたがマガイモノで時間を潰してきたにすぎなかったからだ。

いかなるヘンタイプレイも弱虫にすぎず、マジの愛には精神が決壊する。

もう何度も見てきて、率直にいえば飽きているのだ、ヘンタイプレイで性的な精神力が強くなったと誤解してきた薄弱女たち、ごく当たり前の愛に直撃されると、マジで精神が決壊していく感触の、大いなる恐怖にさらされる、これまでに積み重ねてきたエセの強がりがすべて裏目に出ることになるが、その中でどうしたら決壊が防げるものか、正直なところ僕にもわからない。
初めから震えていればよかったのにな……その結果、あなたは「弱いつもりはまったくない」のに、自分で「まったく頼りにならない自分」になっているだろう、感受性自慢なんて虚しい逃避はやめな、嵐の中で冷静に動ける愛の女なんてこれまでほとんど見たことがないよ。
正しく見ないとな | comments(0) |
継続する土下座主義
朧としているので、まあいいか。
「どうしてこんなにやさしくしてくださるの?」「わたしなんかに、ここまでしてくださって、あなたはわたしなんかにはもったいない人なのに」「わたしにとってはぜんぶ、信じられないようなことなの」「あなたはどこまでやさしい人なの、ケタちがいで、ちょっともうまともにはお話しできないわ」と、すぐれた女性からはこぞって言われる。
事実なのだからしゃーない、朦朧として隠す気にもなれねぇわ、僕はその称賛を無視して「知るか〜ぼけ〜」と生きているだけだ。
断定していいが、「どうしてこんなにやさしくしてくださるの?」という視点が天然で生じる人は、<<作り笑顔をしないで生きている人>>だけだ/どう取り繕っても、現代人のこころに及んだ闇はすでにとてつもなく深いのだった。

朦朧としているので、まあいいだろう、ほとんどの人は、<<自分の調子を整えるために、僕の愛を無視する>>ということを、ずっと続ける。
これは、僕の側からはずっとわからないままの事情だったが、どうやら、自分が根こそぎ愛のない生き方をしてきたことが、思ったより「罪深い」と感じられて、目を伏せずにはいられなくなるようだ、僕はそれが罪なのかどうなのかは知らないが、とにかく当人としては直視しがたいヤバさを伴うらしい。
それで、ものすごく簡単化して言うと、「九折さん基準にすると自分の身がガチでヤバい」と直面させられるので、慌てていつもの「自分基準」に戻すという作業をするようだ、「自分基準」というのはつまり「自己感情はどんな具合か」ということだから、「わたしたのしい」「わたしさびしい」だけが燦然と輝く至上命題になる、ということになる。
救われる道はただひとつ、「九折さん基準がクズのニセモノ」という説に立ち、その説を立証することのみだ、僕自身、僕なんぞがクズのニセモノであったなら、これ以上気楽でよろこばしいことはないと思っている、僕一人が方途を失って死滅するだけなら、僕としては何の異論も不服もなく、このきれいな世界をどこまでも見上げてくたばってゆくことができる。

けっきょく、僕が土下座してまわるというやり方から、次のideaが成り立たない。

今のところ、やはり引き続き、僕が無条件で土下座してまわるというやり方が、唯一安定する方法なのだ、僕としてはこのやり方に回帰してラクになりたいという衝動がどうしてもあるが、このやり方は、表面上はすべてのことを愉快円満に成り立たせても、なぜかその後、キョーレツな地獄落ちの夢を人々が見るというレポートが上がっている、僕がその夢を見るわけではないので僕はかまわないのだが、僕だけ平気だからそれでいこうというのも今や無責任で無慈悲にすぎるのかもしれない。
仮にここにAさんがいたとして、僕のいかなる意思も、Aさんの自己感情より優位・優先されることはけっきょくないので、Aさんの自己感情の手当に向けて、最大の効果を及ぼしうる無条件土下座を振る舞うのが最適解になる、<<僕を足蹴にすれば自己感情がパーフェクト回復する>>という生理レベルの事実が残されている以上、かつての土下座主義から進歩はしていないのだった、あるいは進歩がありうるという仮定じたいが誤っているのかもしれない。
正しく見ないとな | comments(0) |
1/1000の美女
しぶりにがっつり風邪をやらかして、意識が朦朧としている。
たまにはこうして余裕のない中で書き話すことにも値打ちがあるかもしれない。
「どうしてやさしくしてくれないの?」と言われることがよくある、特に、他の女にやさしくしていたりすると、しょっちゅう言われる/しばらく責める気持ちで爆撃しないと女性の気は収まらないので、僕は一定時間責められる必要がある。
一方、ごくまれに、1/1000ぐらいの確率だが、「どうしてこんなにやさしくしてくださるの?」と、逆のことを言われることもある/ごくまれに、こうして本当にまともで、本当にきれいな女性が存在する。

「どうしてこんなにやさしくしてくださるの?」という視点で疑問が呈される確率は、二十年前なら、1/3ぐらいだったような気がする。
現代ではこれが1/1000まで下がってしまった。
現代の女性にとって、自分がやさしくされないときには、疑問度999ポイントなのだが、自分がやさしくされるときには、納得度999ポイント(疑問度ゼロ)なのだろう。
つまり、現代女性というのは、ひたすら自己感情だけの生きものであって、目の前の僕がどういう感情を持っているかなど、関心はゼロに等しいのだ、僕は女性を責めているのではなく、ただ疫学的な事実をレポートしている/実際、「どうしてこんなにやさしくしてくださるの?」という視点の疑問が呈される可能性は、このところ「ゼロ」と断定して差し支えないという事実がある。

あなたの感情が攪乱する、僕の意識が朦朧としていることは忘れ去られる。

「自己感情だけの生きもの」と、まず定義するしか先行きはないのだ、僕は今ノドが腫れて意識が朦朧とする中、なおも書き話そうとしているのだが、この僕の側の意思や感情については、関心は一ミリ(1/1000)も向けられない、僕の意思や感情はあなたの自己感情ではないからだ、自己感情の側が1000倍にブーストされているので、僕の側の何がどうだろうが、僕の意思や感情を捉えることがあなたの主題になる瞬間は一秒も来ない。
自分がやさしくされないとき、その不満感情は1000倍にブーストされて、「どうしてやさしくしてくれないの?」という疑問と不満が至上命題として燦然と輝き始める、一方、「どうしてこんなにやさしくしてくださるの?」「どうしてそんなに人にやさしくできるの」という疑問は、一ミリも呈されないという事実があり、これからこの偏向はさらに拡大する一途なのだ、僕はもはや自分の感情について話したいのではなく、この疫学的事象を学門的に究明したいとのみ考えている、僕自身が感情的に救われるなどという話はもうとっくの昔に廃棄してしまった、もうそんな甘チャンな状況ではないのだ。
視点変えてこ | comments(0) |
第一のカルマ、「自己の死」についての恐怖2
じパターンが繰り返されるのは、不毛な上にダサいので、ここにササッとまとめてしまいたい。
僕のオモシロ話には、真理が含まれるので、聴いていると正気に返るのだが、正気に返るということは、同時に「自己の死」も見えてきてしまう、ということでもある。
カルマから離脱した話アンド声を聴くということは、「世界を視る」ということにつながってくるが、世界が視えたらそのぶん、「自己の死」というアタリマエのやつも視えてきてしまうということだ。
それで、これまでに何度も、「僕のことを慕ってくれていたはずが、途中で反転し、泥をかけて遁走する」というパターンが出現している、それは別にかまわんのだが、自分のビビリをほっかむったぶん、反動としてよくない運を引き込むから、ほっかむりはやめたほうがいい/「自己の死」という基本中の基本に実はめっちゃビビっていますという人が、やたらとそのことをほっかむろうとするのはなぜなのだろう、最悪に運が悪くなるからこのほっかむりはおすすめしない。

世の中の色んなところで、別に楽しくもないはずの、「何やってんの」という騒動が、過熱的に生じている。
それらの騒動は、ほとんどすべてと言ってよいが、「自己の死」という第一のカルマから眼を背けるために生じている。
騒動のすべてはシリアスなのだが、そのシリアスさの根源は、騒動そのものにあるのではなく、「自己の死」という第一のカルマの恐怖にあるのだ、あまりにも多くの人が、この恐怖から逃れるために何かをガンバっているふりをしている。
誰だって、せっかくの人生だから、正気で生きていくべきなのだが、本当に正気に至ってしまうと、「自己の死」が視えてきてしまうのだ、それでアワワワとなって、わざわざ騒動の種を探す、騒動の種を探してきて、わざわざ大火事に拡大しようとする/すべて、最も根源たる恐怖から眼を逸らすための一時的な工作にすぎない、われわれはこうして態度の割に実際にはまったくご立派な身分ではないのだった。

怖がりのツケはほどほどに。

ほどほどにしておかないと、本当にもう償却不可能な量になってしまう、人は己の怖がりによって本当のこと(アンド本当のもの)をキックしてしまうのだ、キックすればそのときは気楽になれるが、そのぶんまた余計なカルマが溜まってしまう。
かといって、まあ、本当のこと(アンド本当のもの)をモロに摂取し続けると、「自己の死」を含めたガチで怖いものに生身で直面することになるので、それでは身がもたないという現実問題も出てくる、だからまあところどころに気休めも挟んでだな、なるべく本当のことアンド本当のものをキックしないようにこころがける、そのために年をとっていくというならまあ加齢というのも悪くないんじゃないか。
正しく見ないとな | comments(0) |
第一のカルマ、「自己の死」についての恐怖

べての生きものは、死を避けるように作られている。
人間の場合、「自己の死」を最も根源的な恐怖と捉えるように作られている/これは「第一のカルマ」だと捉えられてよい。
街中で見るオラつきの兄さんもイケイケのねーちゃんも、「自己の死」というやがて不可避のものをまざまざ見せられると、全然強くなくて動転するというのが実態のようだ。
僕は「マジかいな」と、正直なところ呆れている、自己の死なんて子供でも気づくようなことから、ずっと目を逸らして強がっているだけとか、フツーに情けないと言わざるをえない/そのあげく、そんなオラついた態度が出ているようでは、あべこべすぎて救いがない、とんだインチキの「怖い物知らず」もあったものだな。

「自己の死」に対する恐怖とは、生命活動が終わってしまうということへの恐怖ではない。
これまで何十年間も執着していたすべてのものが、<<まるで元から存在していなかったかのように、すべて消えてしまう>>ということへの恐怖だ。
そりゃ生きているあいだ、何に爆発しようが、何にヒステリーを起こそうが、そりゃあなたが生きていてあなたがキーキーしていただけなので、死んでしまえば何もかもなくなってしまう、なくなってしまうというより「元から何もなかった」ことになってしまう/自分の生きたことに意味があるとか無いとか、そういったことが全部否定されてしまうのだ。
しかし、そりゃアタリマエでしょということで、僕としてはサルトルがいちいちそんなことに嘔吐したというようなことに、とてもガッカリなのだ、こんなアタリマエのことに気づかずに生きていけるやつがいるのかと……/「死を忘れるな」という警句として一時期流行った「メメント・モリ」という言い方があるが、僕としては「死を忘れるなんて低レベルなやつがいるのか、信じらんね〜」というのが正直なところだ、もしこんなテーマの手前でフフンしているのだったら、われわれはレベル低すぎじゃね? なぜこんなレベルの低さで誰もが「自己実現」とか言い出したのか、僕としては神経がわからんのだった。

「自己の死」にビビるあまりに「ツッパる」とか、低レベルすぎて鼻水が出る。

別カルマを盛(さか)らせているあいだは、「自己の死」イコール「何もかもが無かったことになってしまう」という恐怖から逃れられる、しかしまさか、そんなガキみたいな理由からカルマお盛(さか)りモードを発動させるとか、大人のやることとして信じたくない/みんな、「そんなこと、とっくに悟っていますよ」って顔をして何十年も歩いているのだ、今さら純朴ぶることなど許されるわけがねえぜ。
「人はみな、いつかは老いて死んでいくのだ、だからこそ、それまでを精一杯生きよう」とかいう、見るからにスカの結論にスカ笑顔を示して生きているわけではあるまいね? どうも、<<自分にわからないことは存在しない>>という顔つきで歩いている人が多いように思えてならないが、まさかその顔つきが、内心でビビっていることの反動形成だというような、本当のガキみたいな話ではありませんように。

正しく見ないとな | comments(0) |
あなたがこれまでに謗(そし)ってきたもの

ベルの高低なんてどうでもよくて、必要なのはただ、それぞれの段階の「門」をくぐれるかどうかだ、その中でも第一の門をくぐれるかどうか。
おしゃれ女を謗ってきた人は、おしゃれの門はくぐれないし、ビジネスマンを謗ったきた人は、ビジネスの門はくぐれない。
数学や哲学を「意味なくね?」と謗ってきた人は、その学門をくぐれないので、一生数学や哲学の恩恵を受けることはできないし、仮に一念発起して「勉強する!」と志しても、その勉強は決して身に入らないのだ、門をくぐらせてもらえない=門外漢としてしか勉強させてもらえないから。
つまりわれわれは、今さら一念発起しても、かつて泥をかけた門はもうくぐれないようにできているのだ、そういう体質に仕上がるようにできている/こうして自分の過去の行いで自分の体質が仕上がることを「カルマ」という、何を称えて何を謗るも人それぞれの自由だが、謗った者は基本的に永遠にその門を閉ざされるので要注意だ、その場限りの快感で謗って永遠にその門がダメになるというのはバランス的にも不利益すぎる。

いわゆるキモメンや喪女というのも、過去にイケメンやリア充を謗ってきているだろうので、もうダメだ、性愛も含めて充実して暮らすという門は、もう閉ざされてしまっている、代わりに別の門がパックリ口を開けているので、強制的にその門に吸い込まれていくしかない。
単純に、学門とカルマ門があると捉えてよろしい、学門に泥をかけてきたならばその門は閉ざされ、その代わりにパックリ開いたカルマ門のほうへ自動的に吸い込まれていく。
僕の場合、たとえば僕よりもずっとモテる男がいたとしたら、僕としてはうらやましいことだから、その男をけなしたり否定したり、disったり侮辱したりすることで、心理的安定を得るという方法がある、それによって確かに僕の心理は安定を得るが、代わりにその門は閉ざされ、僕は別のカルマ門へ吸い込まれていく体質になる、この体質からはもう基本的には逃げられない。
あなたがこれまでに、謗ってきたもの、けなしたり否定したり、disったり侮辱したりしてきたものは何だろうか、その過去の行為によってその門は閉ざされ、代わりに別の門がパックリ開いてあなたを吸い込んでいくはずだ/よってあなたがこれまでに謗ってきたものをリストアップすると、あなたが現在およびこれから、体質的にどこに行き着いてゆく者なのかを推定することができる。

「○○は最高」と言える、その○○にだけ、あなたの道が残っている。

「勉強は最高」と言えるなら、あなたはまだ勉強ができるし、「恋あいは最高」と言えるなら、あなたにはまだ恋あいの可能性がある、「仕事は最高」と言えるなら、あなたは仕事の世界に立つ見込みがあるし、「セックスは最高」「おしゃれは最高」「食事は最高」「友人は最高」「旅行は最高」「酒は最高」、すべて「最高」と言い得るものにのみあなたの可能性が残されている/「最高」と言えるものがなくなった場合、その人はもうすべての可能性を失っている。
人は、望んだものを手に入れるのではなく、称えたものを手に入れるのだ、もし誤ったものを称えた場合でさえ、その誤ったものが手に入ってしまう/最高に欲しかったものが手に入るのではなく、最高に称えたものが手に入るのだ、本人が「何を称えているか」をよくわかっていなかったとしても、結果的に称えていたものだけを手に入れることになる。

正しく見ないとな | comments(0) |
パーティ報告80(4)

4時間超えのパーティ、その最後で、僕は一時間ほど眠りこけてしまったが、これは僕にしては珍しいことだ。
そういえば、パーティの前日も、やたら長時間寝たしな、それも僕にしては珍しいことだ。
昨日から今日にかけて、牛肉を大量に食べている、何か妙にハラが減っているのでな……と、ここまで来てようやく気づいたが、わかりました、僕は風邪をひいています!! 計ってみたら微熱あるじゃん!!
みなさん夏風邪に気をつけてね、「ここしばらく夏風邪が流行っているらしいね〜」と堂々と話していたのに、今気づいたよ、「オメーのことだよ」だった!! どおりで何かどこか支配力が不十分な感じがしていたのだ!!!!

「自分が三階にいて、四階に行きたい、という話はとてもわかりやすい、でも、三階にも四階にも自分がいる、という話はとてもわかりにくい、三階にも四階にも、屋上にも、地下にも『わたし』がいる」。
この、何の役にも立たない話が、最終的に役に立つ、最終的には逆にこの話しか役に立たない。
夢多き麗しき佳人たちから、「あなたっていつも明るいわよね」と呆れたように言っていただく、その身分に到達するまでにどれだけの苦労をしたか/僕にだって人には言えない苦労があるのです、しくしく、まあ全部ウソっちゃウソですけど……
さしあたり報告できることとして、パーティは、次回もあるし、次々回もあるし、その先もまだずーっとあるぜということなのだった、そりゃおれがやめねー限りは続くよ、どうだ恐れ入ったか。

話が終わらねーから続けている、つまり、ずーっと続くだろう。

あなた’sパーティがないのは、あなたがゼロ回目からあきらめたからだが、ゼロ回目から話が終わっているということはよくあるだろう、つまりゼロ回目から「すべてママの言ったとおり」なら、確かに初めから話は終わっている。
これは、何の話だったかというと、よくよく考えてみたらおれは風邪を引いていたという話だった、そしてまた次回のパーティもよろしくということで、しかもそれはパーティのみならず、僕の話そのものがずーーーーーーっと続いているということなのだった、さしあたりこの先の八百年ぐらいは、一段落という意味でさえ終わる見込みはない/さしあたり八百年をメドにするなら、第9681回パーティまでよろしく!! そこまでいけば一つの値打ちにはなるだろ。

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パーティ報告80(3)「カルマを超えた夜」
ういえば、珍しく就業中に小林ニキ(マスター)が、厨房で泥酔していた、揺り起こしても起きなかった(それでわれわれはコンビニにウーロン茶を買いに行った)。
「カルマを超えた夜」をずっと探している、生まれたときからずっとだ、カルマの内側で楽しい夜なんかむさぼってもしょうがない。
「バドワイザーのネオン看板が光っているだろ、あれらは全部『カルマを超えた夜』だ、わかったか」と僕はメチャクチャを話した、だいたい正しいことというのはメチャクチャだ。
女の子が両脇に寄り添う、「あんなんうらやましいじゃないですか」と誰かが言った/僕は「ただしこんなことでカルマが盛(さか)るなら、絶対にやめといたほうがいい、カルマを盛(さか)らせるならキャバクラに行きゃあいいんだ」と言った、実際僕は女なんかよりカルマを超えた夜のほうがよっぽど大事だ。

「カルマを超えた夜」のことを、空想しなくていい、だって「夜」は目の前にあるからな/ここにありもしないヨソのことへ話をすり替える必要はない。
矛盾するようだが、「極意は、ここにあるものなんか見ないってことだ、カルマを超えるってことは、つまり『何もしない』ってことなんだから」と僕は話した。
「何も起こりませんでした、っていうのがベストなんだ」。
目の前にあるものに引きずられるということは、世界が見えなくなることなんだ、「またワークショップでもやろうかなあ」なんて話をして、一同が「おっ」と反応した、それで「えっ、そんな反応なん、そんな反応されたら、マジでやらなあかんことになるやん、そんなのイヤーン」と、まあ僕はまともに考えていないのだった、見失わないためにはそれが必要だから。

われわれの空間は、カルマ vs 世界だ。

われわれみたいなモンには、悪魔もわからないしカミサマも目に見えたりしない、実際にどういう形で得られてくるかというと、悪魔はカルマとして得られてくるし、カミサマは「世界」として得られてくる、実際的にはカルマディスクが回転し始めると世界が見えなくなるというだけだ/「な? 今こうされると、原宿とか五月とかを忘れたろ? われわれは原宿の五月に居るのに」と僕は話した、それは何度実験しても毎回同じようになるカルマ vs 世界の現象だ。
「世界なしでセックスなんかしちゃいかんぜ、まあしゃーないけど」と僕は話した、「われわれはなかなか、自前で世界にはつながれないもんだよ、だから誰かの『国』を通して、世界につながるというのが現実的みたいだな」/「お前の称える名前は何だ、並べててみろよ」と僕は話した、「どうしてもアインシュタインは、プルシェンコのように近くないわ、記号みたい」と誰かが言った。
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パーティ報告80(2)
マジメな話、人間の心身やカルマについて、本当に正しい知識がいる。
正しい知識がないと、なぜかヤベー感情が湧いてきて、ヤベー不安に取り憑かれて、ヤベー目つきや声になって、ヤベー挙動が出てきて、ヤベー運勢になるのだが、それらが「なぜ」なのか、本当にわからないのだ。
このブログにしたって、どうやら多くの人が、もはや日々の精神安定のために摂取しているという向きさえある(だから毎日更新しないといかんと思ってガンバっているのでもある、褒めよ)。
なぜか勉強が頭に入らないとか、なぜか仕事が異様にダルいとか、なぜか万事にキョーレツなモチベーションを意識しないと動けないとか、なぜか自ら人間関係に毒を撒いてしまうとか、わけのわからない大ピンチに、人は陥るのだ/誰か心身とカルマについて正しい知識を教えろよと僕は思っており、別に僕が教えて回りたいわけではないのであり、僕はただいい気分でヘイヘイ飲んでいたいだけなのだった、一日も早くその日よカモン、誰か優秀なヤツがゴリゴリ教えたらそれで全部済むだろ。

心身とカルマについての、正しい知識は、基礎レベルにおいてさえ、「んな発想になるわけあるかw」というような意外さだ、こんなもん教わるまでぜってー気づかねえよというたぐいだ。
第一に、まともに(一般的な頻度で)神社や仏閣や教会に参詣していること(初詣とか)、第二に「おかげ」という理を知っていることだ、すでにこの二つで過半数が脱落しかねない情勢なのだが、第三はもっと奇想天外だ、第三の方法は「イケイケの人をさらにいい気分にしてさしあげる」なのだ。
自分が大ピンチや大不調だと、誰だって当然自分が助かりたいと発想するし、自分の気分を恢復したいと発想する、また、自分が誰かを助けるというときも、ピンチや不調の人を助けると発想するはずだ、イケイケの人を助けるという発想はしない/しかし本当に必要なことはイケイケの人をさらに助けることなのだ、これはふつうどうしても発想の枠外になる。
仮に、橋本環奈ちゃん(仮名)が不調だったとする、そのとき僕が環奈ちゃんを助けても、環奈ちゃんは恢復しないのだ、で、不調の環奈ちゃんが好調の僕を助けると、環奈ちゃんが恢復するのだ/極端にいえば<<救われないヤツが救われているヤツに奉仕する>>ことが必要なのだが、これはいわばカウンターチャリティだと考えればいい、世間に居させてもらうにはチャリティが不可欠だが、世界に居させてもらうにはカウンターチャリティーが不可欠なのだ。

人が神像を掃除するのであり、神像が人を浄化はしない。

ご存じのとおり、田舎の広い家なら仏間ぐらいどこにでもあるだろうが、そうした家の住人が必ず救われているなんてことは決してない、救われる者があるとすればその仏間と仏壇をなんとなく掃除しているヤツだけだ、救われないヤツが救われているヤツ(ホトケサマ)に奉仕するとはそういうことだ/人はカルマディスクが回転し始めると必ずこの逆の発想をする、「誰かがわたしを助けてくれないと絶対無理」という発想に必ず陥る。
僕だって、血も涙もない冷血漢というわけではないので、ややピンチに陥っているところの女性に、「お前のことはどーでもいいからオレに気分よく酒を飲ませろ、オメーはそのためのツマミでありオプションでしかない」などと言い放つのは、それなりに心苦しいのだ、平気の平左で言っているわけじゃねえよと、この場を借りて全力弁解しておこう。
そのほか | comments(0) |
パーティ報告80

曜日の19時から始まって、帰宅したら日曜日の23時だった。
もうこの報告はいいかげん飽きたぞ! だからやっぱりこれはただの一泊二日じゃねえかという話。
何はともあれ、面白かったし楽しかったのではないかと思うが、まあさらなる充実はありえるのかもしれない……と思いながら、これ以上の充実というと「いやいやいや」と否定されそうな気もする。
新しい人も来てくれたし、新しい人は二名とも素敵な方だったし、まあ途中飲み過ぎてダウンする人もあって、もっとお話を聴いたほうがよかったかなとか、あれこれ思わんでもないが、まあなんというか、万事おれが悪いわけではまったくないと勝手に思うことにしよう、世の中が悪いのであっておれさまは超絶ステキである、特に根拠はないがこれまで物事に根拠などあったためしはない。

「げっ、こいつマジで見抜いてやがる」という感じだったが、特に新しい人にとっては、僕が何の情報もなく「この人は○○で〜」「この人は○○だわな〜」と見抜くと、やっぱりけっこう驚かれる様子だ。
僕は何も超能力を使っているのではなく、その人の優れたところや、トラブルの起こりがちなところを、目の前の姿や身や声や眼差しから判断しているだけで、本当は何も特殊なことはしていない、むしろこの場合はアタリマエの性質をそのまま観るためには、立場や経歴などの情報は視力を妨害するノイズになってしまう。
初めっから見抜いているというのは、単純に便利だ、なぜなら「打ち明ける」という必要がない、打ち明ける以前に「初めっから見えてまっせ」ということなら、まあ話が早くて済む/それはなんというか、ある種の技師がエンジン音を聴いただけで、そのおおよそのエンジンの性能とタイプと順調・不調のありようを看破できるということにすぎず、何も珍しいことではない。
「男にちやほやされて、その瞬間はオッと盛り上がるが、その後は三週間もせず飽きるというか、逆にイライラしてくると笑」ということを、わざわざ打ち明けてもらう必要がないのはラクでいい/「なんでわかるんですか笑」と、驚いてくれるのは愉快だが、実はおれがホントに観ているのはそんな浅いところじゃなかったりするヨーと言い出すと、もっと驚いてくれるのだろうか、僕は趣味でそんな観察をしているのではまったくない、わりとまじめに、僕に何ができるかということを考えるため、視力を全開にして考えている。

肉で吸収すべし、筋を通すべし。

「筋肉」という言い方があって、人間の身には「筋」と「肉」があるのだが、筋はつらぬくもの、肉は吸収するものだ、筋が通っていなければ人は愚かになってしまうし、肉が吸収しないと人はアホでありつづけてしまう/筋は粗暴さへの危険を持っており、肉は犯されることの危険を持っている。
筋は精神的で、肉は霊的だ、人は霊的に学ばないといけないし、同時に精神的に伸びないといけない、まあわりとアタリマエのことなのだが/筋に偏る人は霊的に学ぶことが不得手になる、肉に偏る人は精神的に伸びることが不得手になる、これを自覚的に捉えてケアすることは単純にとても有効なのだった、僕はこうして学門をもって人の幸福に寄与することしか念頭にない(それ以外に僕のできるまともなことが何一つない)。

そのほか | comments(0) |
第80回Quali's Party[5月19日(土)]参加者募集!

5/21 Quali tweet> ♪どこまでもいける〜。 pls entry

Recent entry: ゆき(新)、しおり(新)、ひろみ、こりん、りさ、ゆか、あきら、ともこ、しおん、ゆうさく、かず、つかごん、くおり
日時:2018年5月19日(土)
場所:原宿竹下口交差点DinningBar CLIMB


おかげさまで無事盛会でした!! 次回もよろしく、さらに盛り上がっていきましょうぜええええ。九折


キラキラ次回[6月16日(土)]加エントリはこちらから!キラキラキラキラキラキラ

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宣伝コラム「パーティへの誘い その1」はこちらから!
宣伝コラム「パーティへの誘い その2」はこちらから!
宣伝コラム「パーティへの誘い その3」はこちらから!
宣伝コラム「パーティへの誘い その4」はこちらから!
宣伝コラム「パーティへの誘い その5」はこちらから!

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カルマと視覚の性質――「突き刺さる」3

る人は、かつて芸能人として「目立とう」とし、そのことに全力を注いだ/その後、わずかでも「目立とう」とする人や看板が己の視覚に「突き刺さる」ようになった。
ある人は、人を見下すクセがあり、その優越感を生きる活力にしていた/その後、自分がわずかでも見下されることがあると、そのわずかな蔑視が己に「突き刺さる」ようになった。
ある人は、内心で人を罵り、空想で傷つけることをやめず、その空想を慰めにしていた/その後、自分より強い人が真正面に立つと、そのわずかな殺気が己に「突き刺さる」ようになった。
ある人は、人のセックスやスキャンダルを笑いものにし、自分は清潔ぶって生きていた/その後、自分がセックスを問われると、笑いものにされるわずかな気配が己に「突き刺さる」ようになった。

このようにして、かつての自分の行いXが、現在の自分の体質Xを形成している/かつてのひどい行いが、現在の自分の体質における、致命的な弱点を形成していると捉えていい。
基本的に、取り返しはつかないことだが、それにしてもまずは正しい知識を得ることだ、自分が目立とうとし、人を見下し、人を内心で罵って傷つけ、人を笑いものにしようとするとき、当然だが己の「身」をその方向へ燃やさねばならない。
そのとき燃やした「身」が、現在まで続いて、現在の体質を形成しているということなのだ、だから人によって「いまいちかわいくねえな」とか「いまいち面白くねえな」とか言われることが、なんでもないという場合がある一方、「死にたくなるほど突き刺さる」という場合が出てくる。
外道行為Xをしているとき、その最中は表面上楽しいのだが、その行為蓄積は外道体質Xを形成していっているのだ、それがいわゆる「カルマ」形成だとみなして間違いない/それでいざ、「ちゃんとやらんかい」と強く言われたとき、自分の体質が99%の正道を受け取らず、1%の外道をブーストして「焼きつく」「突き刺さる」という反応を起こすようになるのだ、大真面目に本人の見ている世界はそのブーストされた1%の世界なのであって、このことは他人にはわかりようがなく苦しみは孤独だ。

インチキの「わたし」を押し出して生きた者は、その後、世界のインチキ成分のみが感受性に突き刺さる体質になる。

現代、私的にも公的にも、「インチキでしょ」と見える作り物が横行している感があるが、このインチキものこそ商用的には成功という場合が少なからずあるのだ、なぜなら今多くの人のカルマステータスにおいては、そうしたインチキものこそ「視覚に突き刺さり」「脳に焼きつく」ということがあるからだ/カルマの深い人はインチキものをこそ買わずにいられなくなるという性質があることを、現代のわれわれはすべからく知っておくべきだ。
外道行為Xと、インチキの「わたし」を押し出す行為Xを積み重ねてきた人が、非ハラスメントの眼差しを持つことはもう体質的に不可能だ、その眼はこの世界をまともに見ておらず、自身のカルマに応じて偏執的にブーストされた歪曲情報をしか受け取っていない/<<カルマを深めた身にはこの世界なんかまともに見させてもらえない>>ということで、その証拠は眼差しそのものに現れている、視野深度のまったくない迷妄の眼だ、蒙の昧きに閉ざされた眼、あらゆる公正な情報も歪めてしか受け取れない者の眼がそこにはある。

正しく見ないとな | comments(0) |
どーでもいい話
れはまったくどうでもいい話なのだが、今日、たまたまちょっと鍵盤に触れる機会があって、ふとためしてみたのだが、いつのまにか僕の声域が、低音側にぐっと伸びていた。
いつのまにか、低音域がLow Aぐらいまで伸びていたのだが、これ、詳しい人にとってはわかることだが、「えー!?」と驚くようなたぐいだ、だって以前はDぐらいまでしか出ていなかったのだから。
合唱団にいたことがある人ならわかると思うが、だいたい男性の場合、「低い方のミ」がきっちり出ていれば、まあベースパートでもいけるだろう、というような判断だ/そしていわゆるローツェー(Low C)がきっちり出る男性というのは、日本人ではあまりいないのだ、どこの合唱団でもLow Cがきっちり出るベース男性は「選ばれし者w」という扱いを受けていると思う。
僕はひさしぶりに、鍵盤の低いドを叩いてみたのだが、そのLow Cが自分の声帯からあっさり出たので、「あれ!?」と、冗談でなく三十分ぐらい困惑していたのだ/僕はもともとバリトン寄りのベースだったので、Low Cなんか絶対出ないはずだったのに、いつのまにかその下のB、さらにAまで出るようになっていた。

なぜこんなことになったのかわからないし、いつの間にこんなことになっていたのか知らないが、とりあえず驚いた、なぜなら基本的に人の声域というのは、特に低音側に向けては広がらないからだ/四年間も合唱団にいてDが精一杯ならそれより下にはまず広がらんでしょというのがそっち方面の一般常識ではないだろうか。
僕にもその常識があるので「んなアホな」と思い、どこぞの外国の合唱団で低音がバキバキ出る奴に重ねて発声してみたのだが、どうやら僕も本当に出ているらしい(と、これぐらい確認を重ねてもどーも自分で信じられないのだ)。
だって、そもそも、男声の合唱曲なんか、低い方のミより下はほぼ使わないのが暗黙のルールだからな、それぐらい「ミ」より下の音は選ばれし者だけの領域なんだよ、それがオメー唐突に、Low Cより下まで出るようになっているとか、「なんじゃこりゃ」と困惑するしかないのだった、今でも何かの間違いの気がしてならない。
そして、この話は、だから何だということはまったくないのだが、えーとな、おれはふだんカラオケでサザンを歌ったり、一部のジューダスプリーストを歌ったりしているが、実は声域的にはものすげえ「フツー無理でしょ」を突破してやっているのだということを、この際はアピールしておきたい、本来は「宇宙戦艦ヤマト」がらくらく歌える声域なんだよ! そういうヤツがhi Aの付近で小回りを利かせたりしているのは、実はスゲーがんばっているなということを見抜くように/hi A付近って、つまり最低音の三オクターブ上じゃねえかよ、明らかに無理があんだよ。

具体的に、できることの幅を広げよう。

「具体的」って、そりゃこれ以上に「具体的」なことはないわな、いつの間にか幅が広がっていたわけだし、まあそりゃ確かにわかりやすーい「幅」だわ/いいかげん誰か僕のことを褒めるように、これ以上おれを奇人変人に育てても何の利益もないぞ。
まあ、人間、己の「身」にマジに向き合ってアプローチすると、本当に「具体的」な成果は得られてくるようだな……利益にならんことまで含めて笑/そんなわけで、どうせヒマに生きるなら、「身」にマジで向き合うほうがまだ楽しいらしいよと申し述べたいのだった。
バカをやろうかあ | comments(0) |
カルマと視覚の性質――「突き刺さる」2

組みは、「突き刺さる」「焼きつく」だけではないのだが、それにしてもこの「視覚に突き刺さる」「脳に焼きつく」というのは、すさまじいことだ、なんとまあ恐ろしいもので、とんでもない発見をしたものだと、自分で驚いている。
自分で選択しているのではないのだ、視覚に突き刺さるし、脳に焼きつくのだ/アイドルの作り笑顔が突き刺さり、そのブレザー姿と太ももが突き刺さり、アニメ少女とアニメ声が突き刺さり、女の身体の各箇所と肌の色が突き刺さり、同性愛の幻想が突き刺さり、セレブ幻想や選民幻想が突き刺さり、わざとらしい歌声や奇声が突き刺さり、奇態が突き刺さり、媚びが突き刺さり、ゴールドや宝石が突き刺さり……一方、マイナス方向の、怨嗟や憎悪も突き刺さる、トラウマが突き刺さるし、恐怖も突き刺さる、屈辱が突き刺さり、蔑視や差別が突き刺さる。
カルマによって、<<ありもしないものが突き刺さる>>のだ、正確に言うと、<<ごく微量の成分がブーストされて突き刺さり、主成分は見失われる>>ということになる/人間の視覚(また感受性全体)は、カルマステータスによって好き放題にブーストして変化してしまう。
この、視覚(また感受性全体)の、カルマステータスによる「変容」と突き刺さりについて、それがどのように起こるか、主たるところはすでにおおむね把握できているのだが、今ちょっとそれを説明しきる時間がない、何しろパーティ直前だしな。

たとえば、よく知られているとおり、そばアレルギーの人は、食品にごく微量でもそばが入っていれば、それだけで強いアナフィラキシーショックを起こしてしまう。
99%が小麦粉でも、1%がそばだったらダメなのだ、もっと微量でもダメだろう/そのことと重ねるとわかりやすいように、人の視覚およびすべての感受性は、カルマステータスによっては、ごく微量の成分のみに強烈に反応して、物事の見え方・受け取り方をブーストし、脳に焼きつかせてしまう(説明の簡単化のためアレルギーの形式を例に採った、アレルギーに苦しんでいる方には申し訳ないがどうかご容赦願いたい)。
本当は、「世界」があったり「人」があったりで、それがわれわれの主成分であり99%なのだが、ダメなのだ、カルマステータスによっては残りの微成分、「カネ」とか「セックス」とか「地位」とか、本当にそれだけがブーストされて脳に焼きつき、それしか見えなくなっている人がたくさんいるのだ。
女性を見るときに、「人」や「人となり」や、女性も含めて成り立っている「世界」とか、そんなものはまるで見えていなくて、その目はもう「肌」や「おっぱい」やその他の箇所を、性的な誘因物としてしか見ていないのだ、カルマによってそうした微量成分だけが視覚に突き刺さり脳に焼きつくようになっている/これはもう修正が利くような「セクハラ」うんぬんの話ではない、視覚を代表とした感受性の装置自体がきわめて偏執化しているという状態で、節度教育で修正される種類ではない。

趣味としてロリコンなのじゃない、童女の肌が視覚に「突き刺さる」のだ。

いわゆるロリコン変質者を例に採れば、そういうことになる、趣味でロリコンというような状況ではすでになく、童女の肌や股間がその視覚から脳に焼きついて、その焼きついた映像だけが「救済」になるのだ、何からの救済なのかは今説明しきれないが、とにかく何かの「つらさ」「苦しみ」からの救済だ、それは麻薬中毒者が麻薬そのものを「救済」と感じざるを得ない仕組みとまったく同じだ。
カルマと感受性についての、正しい知識を持たないかぎり、この現象には抵抗できない、抵抗できないというか、抵抗する根拠も方法も見当たらないのだ、何しろ本人にとっては「救済」に抵抗する理由なんか見つかるわけがないのだから/これはホンマにあかん、依存症なんてわかりやすい医学用語で済ませられる領域をとっくに超えてしまっている。

正しく見ないとな | comments(0) |
カルマと視覚の性質――「突き刺さる」

れながらパーティの直前にフルスロットルで遊ぶなやと思う。
しかし遊ばないと天啓も叡智も得られないので……徹夜して朝の通勤ラッシュに巻き込まれているとき、ふと人の目(視覚)とカルマがどう関係しているのかがわかった。
もうストレスがどうとかセクハラがどうとか、そんなチャチいことを言っていられる状況ではないのだ、そのことがよくわかった。
これから先の未来、セクハラは爆発的に増大するだろう、地域によって進行度の差はあると思うが、セクハラという厭らしさと苦しさの世界はこれからいよいよ拡大を迎えると思われる。

人の目、視覚、つまり「何がどう見えるか」というのは、カルマによって変動するのだ、カルマによって視界そのものの性質がマジで変わると捉えていい。
実験してみれば、おそらく有為なデータが得られるだろう、たとえば母親が娘にくどくど小言とイヤミを言い続けるとする、それを三十分続けたあと、娘にジャニーズアイドルの映像を見せたら、その映像はパッと脳に焼きつくはずだ/視覚の性質そのものが本当に変化する。
人の視覚というのは、均一なものではまるでないのだ、カルマステータスによって視覚は変わり、視覚のうち「何が突き刺さるか」「何が脳に焼きつくか」はダイナミックに変動する/われわれは、視力検査上では同等の視界を持っているが、その視界がどういう作用を持っているかは、人によってめっちゃバラバラだ。
セクハラおじさんは、もうどう努力しても、そのセクハラ目線をやめることができない、何しろ<<本人が選択したセクハラ目線ではない>>のだ/彼自身のカルマによって、その目の視覚は<<性的カルマが突き刺さる>>という機能しか持ちえず、彼はどう努力してもそこに目を惹かれることおよび、その映像に脳の焼きつきを起こすことから逃れられないのだ。

もしわれわれの身に、猫のカルマが入ったならば、どう努力しても、目がネズミを追うのをやめることはできない。

われわれが街中でネズミを見ても、「あっネズミだ」としか思わないが、もし猫がそれを見たら、途端に全身が粟立って、その眼差しは獲物を捕らえるギラギラした獣のものに変わるだろう、猫の目にはネズミの「獲物情報」がブーストされて映ってしまうのだ、視覚に突き刺さり脳に焼きつくので、猫は叡智を得ないかぎりネズミに対して「捕食者」として振る舞うカルマから逃れられない。
セクハラおじさんも同じで、もう彼の目には「美人」が映っているのではないのだ、別のブーストされた情報が視覚に突き刺さり、脳に焼きついてしまっている、彼は24時間365日その中を生き続けるしかないのだ、彼はネズミの前で「我慢」させられている獣の猫にすぎず、その眼差しが穏やかにこの世界を視ることは決して起こらない。

正しく見ないとな | comments(0) |
あなたの求めた弱い男3
いながら気づいたが、僕は「強い男」が好きだ。
自分が強い男になりたいという以前に、無条件で「強い男」が好きだ。
だから、エヴァンゲリオンの碇シンジくんとか、進撃の巨人のエレンくんとか、そういうのは正直「見たくもねえわ」と感じていて、それよりは孫悟空か、ジョセフ・ジョースターのような男を見ていたい。
「強い男」というと、「でも実はその裏で……」と、なぜか決まってありもしない妄想をする人がけっこういるのだが、僕はそれについても「意味がわからん」と感じている、とにかく「弱い男」に○○○○がムズムズするという人がけっこう少なくないのだ、何がムズムズするのかその伏せ字の中は僕も知らない。

人は自分より弱いものを見ると安心するのだろうか?
まあそういうことはあるのかもしれないが、僕は正直「見たくもねえわ」としか感じない。
現代の女性の求めによって、現代の男は積極的に「弱い男」になっていったが、それこそ女性が「安心できる」ということなのだろうか? あるいは弱い男のほうが、自分から何かを「してあげられる」というようなこともあるのかもしれない/とまあ、僕は女ではないのでわからない(じゃあこんな話するなよ)。
そういえば、現代でも、三島由紀夫のファンという女性はけっこういるが、石原裕次郎のファンという女性はほとんど聞かない/じゃあ僕も、腺病質なところを持てば女にモテるのかなあと考えたりするのだが、僕はその作戦を採れないのだった、なぜならそのときは僕が僕自身を「見たくもねえわ」と感じてしまうからだ(うーん、利益なし)。

カルマを平気で吹っ飛ばしてしまうような男は、カルマ的にはセクシーではない。

弱い男を見ると「キュン」と来るわけだが、それは内在するカルマの未償却レベルが同等程度だから安心できるということで、またカルマによる誘因からセクシーというか、カルマとしてのセックスに誘因される、それが「キュン」とくる、ということなのかもしれない/だとしたらやっぱりおれはキョーミねえな。
しかしそう考えていけば、なるほど、女性にとっては「強い男」と出くわすと、自分の弱みというか、自分のカルマ度だけが浮き彫りになって、追い詰められるということがあるのかもしれない、この捉え方は、僕個人の経験のいくつかを「あ、そうか」と解き明かしてくれるので、僕個人としては満足なのだった/もはや何の話でもないが、現代の男は、女性の要望に応えて多数が「弱い男」になったということ、ほとんどの女性が「強い男」にキュンとこないのだからしゃーない。
視点変えてこ | comments(0) |
あなたの求めた弱い男2
は、揉め事はきらいな人間だが、たぶんそこまで弱い男でもない。
ここでいう「強い男」というのは、競争に優れた男ということではない、競争に優れた男なら羽生結弦が最強だろう。
かといって、オラついている男が「強い男」ということでもない、ストレスで凶暴化したピットブル犬は、ただ凶暴化しているのであって「強い」とは言わない。
「強い男」というのは、すさまじいカルマの受け入れと、それを上回るすさまじい償却の力を持っている男だ、魂のエネルギーが高すぎて、融けるはずのない金属が融けてしまうような男だ、目の前にいるだけで目が覚める男、隣にいるだけで女が気絶しそうになる男のことだ。

「強い男」は、よく響く声を持っており、少し笑うだけで何か創造的だ、「ムードづくり」というようなゴミの発想が自動的に蹴散らされてしまう、ふつうに酒を飲んでいるだけで文化と男がそこに出現する、その他のカッコいい「つもり」のものがすべて破壊されてしまう。
何度も見てきたパターンだが、そうして「強い男」がたまに現れた場合、女はそれに張り合うのだが、どうしても女はそのとき、自分の声が男の声に比べてショボいということがわかってしまうし、周りの人もその女の声がショボいということがわかってしまう/これは強さのレベルでまったく太刀打ちできていないという状態だ。
本来、そうして「強い男」に出会えたことは、女にとっては幸運であり幸福なことのはずだと思っていたのだが、このところはそうでもなく、女にとっては自分が通用しないということが、第一に「腹立たしい」らしい、それで女は自分と同程度に弱い男を求め、それが見つかるとよろこんで付き合うところがある。
単純に、劣等感にさいなまれるということなのだろうか、このところの女性は、強い男に出くわすと「調子を乱す」ということを重視するように思う、目の前の男に「勝てない」とか「及ばない」ということが、決定的に不快なようだ、不快ということならしょうがない/また女性だけでなく男性のほうも、強い男に出会うよりは弱い男とつるむほうが快適で好ましいと選択しているような気がする。

現代人は、何かずっとケンカの前提でいる。

ずっと、全方位にケンカ予定なので、相手のほうが「強い」と、自分が喪失するということになるのだろう、そりゃあケンカということになれば相手が強いとか言っていられない、ケンカなのだから相手が折れないかぎり相手を否定し続けるしかない。
現代の女性は、多くケンカ前提なので、自分が太刀打ちできる男、ないしは自分より弱い男を求めている/そして、何をケンカしているのかは、正直なところ僕にはさっぱりわからない、僕は揉め事はきらいなのでケンカ気配の人は初めからまともに相手しない。
視点変えてこ | comments(0) |
あなたの求めた弱い男
は女が欲しいので、女の求めに合わせる。
どうして女性は、弱い男を求めるようになっちゃったの、そりゃ弱い男が増産されるよ。
ジェームス・ブラウンよりヘナヘナのマッシュルーム頭のほうがそんなに好きか?
どうして弱い男が好きなのかね、後になって嫌気が差すのはミエミエなのに、どうしてそんな選択をしたのか。

太刀打ちできそうな男がそんなに好きか?
あなたが太刀打ちできそうな男ではあんまり意味が無いと思うがな。
女が男を、女々しいワールドに連れて行って、女カルマに付き合うことを強制する権利なんて、どこで得たんだ。
太刀打ちできない男に出会って、メロメロにされて、そのことに「差別だ」というのはおかしいんじゃないか? あなたのママはあなたに何を吹き込んだんだ。

あなたの求めた弱い男は、あなたと同程度にヒステリーを起こすぜ。

なぜそれを、あなたは「付き合いやすい」なんて思ったんだ、まあ付き合いやすいというのはあるのかもしれないが、僕があなたを怒鳴ったらペッシャンコになる程度に、その男もおれが怒鳴ったらペッシャンコになるぜ、あなたの求めた男がそれだ。
あなたは、自分の付き合う男を、女だと思っているのかもしれないな、そのとおりの男が手に入ると思うが、あなたが髪のブローがうまくいかないときにイライラするように、彼もお気に入りの下着が見つからないとき同程度にイライラすると思うぜ、あなたの求めた男なんだからちゃんと一緒に食事してやれよ。
視点変えてこ | comments(0) |
No.377 僕は今日を生きている

掲題のコラム、本サイトにアップしました。
 

No.377 僕は今日を生きている

 

――<<「時間」と「国」が相反する>>





どうぞよろしく。九折

そのほか | comments(0) |
澄み切った上澄みは透明すぎて見えない

たあれこれ書くわな。
ヒマな人が多いと思うが、ヒマな人はパーティなんかに来てもしょうがない。
忙しい奴が来いよ、当たり前だが、忙しいというか、時間がいくらでも欲しいと切望している奴が来い。
今回新しく来てくれるらしいゆきさんは、十年前から僕のファンでいてくれたそうだ、なかなか趣味がいいじゃないかと言いたい、人生のヘンな転機なんか来ないように、ぜひ遊びにおいでよ、いらっしゃいと僕は言いたい。

おれはお前たちにつまんねーことをしてやる。
おれのつまんねーことが、お前にとって真に光り輝いているものでなければ、それはおれがつまんねー奴だということだ、そしておれがつまんねー奴であることなど理論上ありえはしない。
どんな理解も及ばない実物の方法を、とっくに入手しているから遊んでいるんだぜ、鼻先に七万の香りがしたらどうする? そんなものもう勝てっこないじゃないか、そしてそういうものにしか本当の値打ちはないじゃないか/まともに生きるには本質をこっそり生きていくしかない。
絶対及ばない光の次元、その名を呼ぶなら「チャロコホイ」だ、お前らの理解が及ぶものは常に根本からつまらないだろう/濁った沈殿には澄んだ上澄みがつきものだが、澄み切った上澄みは透明すぎて見えないわけだな、だからといって濁った沈殿に認識とテーマを遣るバカがどこにいるか、おれのことが大好きなのは初めから理屈に届かないように作られてある、お前らが沈殿に注目するたびにおれは要らん苦労をさせられるのでもうちょっと正しいほうに歩み出たらどうだ。

パーティなんか、やったうちに入らねえ。

沈殿がカルマで、上澄みが光だよ、街中にひしめくチャロコホイだ、実在の実感以上の生存existenceがある、循環するすべての曜日に原宿は存在している、別に原宿じゃなくてもどこでもよかったのだが、原宿チャロコホイがわかりやすいのでなんとなく原宿で続けている。
鉄アレイをブンブンしていれば筋肉がつくが、そりゃ鉄アレイに合わせて自分も重たくなりましたってことだぜ、そりゃ重たい悩みも発生するだろうな、チャロコホイには重さがないが説明には重さがつく/重たいものばっかり好きな人は沈殿ばかり吸収して上澄みの光から遠ざかるがそれで本当に満足なのか、今週はパーティがあるがおれはいつもどおり何もないよ。

できるオンナだね | comments(0) |
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