☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
愛されたいあなたへ

愛への願望は誰にでもある。
愛への尊敬はきわめて少ない。

僕は勇敢な自分の友人たちを尊敬してきた。
あるいは、手を差し出して僕を慰めようとしてくれる女性のやさしさに震えてきた。
僕にとって、僕が愛されないことより、目の前に実現されている誰かの愛のほうが偉大だった。
愛はあまりに偉大であるため、僕の身などに与えられず、世の中に栄えるほうがよいものだと思ってきた。

幼児はそもそも、「尊敬」というこころの現象を持たない。
幼児はただ憧れ、願望を持ち、駄々をこねれば与えられると信じ、やがて「ダメなんだ」と理解するのみ。
どうして愛への尊敬も持たない者に、愛が与えられてやらねばならない理由があるだろう?
愛は偉大であり、僕は矮小だ、よって僕が愛を尊敬する、この序列はたとえ僕が灰になっても逆転はしない。

どれだけ自分を磨いても、愛そのものの輝きには及ぶべくもない。

幼児性の精神のまま大人になった人は数多くいるものだ、彼らは尊敬を知らず、駄々をこねて求めれば与えられると信じている。
僕がこのことを6時間女性に話したとき、「どうしてこんなにお話してくださるの」と震える女性もあったが、「わかりました、がんばります、愛されたいですから」と幼児性に居直る女性もあった。
正しく見ないとな | comments(0) |
学ぶ人の性質

あなたは学べないのではない。
あなたは驚けないのだ。

僕はよく「こころは胴体にある」という話をする。
それを聞いた途端、「えっ!?」と驚く人がいる。
「ど、どういうこと!?」と胸に手を当てて驚く人は、すでに本質を掴んでいる。
彼女が中世に生きていたら、彼女はコペルニクスの話を聞いたときも、「えっ!? 地面のほうが動いているの!?」と驚いたことだろう。

僕は「こころは胴体にある」という話をよくする。
受けて、「それってどういうことですか」と疑問を持つ人、「へえー」と感心する人、「わかりました」と記憶を増やす人、色々ある。
その中で「えっ!?」と驚く人はとても少ない。
「こころは胴体にある」と聞いて、驚きがない場合、その後にいくら説明を足しても本質は掴まれない。

一冊を読む中で、百回驚く人がいる。

あなたはこの話を聞いて、「そっか、そこが違うんだ」と内容を理解しただろうか。
それとも、「えっ!? 学ぶ人って、勉強しているんじゃなくて『驚いて』いるの!?」と驚いただろうか。

視点変えてこ | comments(0) |
未来のことはわからない
バマ大統領が「ヒロシマ」の平和記念公園に来訪した。
ニュースに興味ないわ、と普段思っている僕でさえ、それは到底無関心でありえない映像に見えた。
かといって、このときに限り急に筋金入りの日本男児になる、というのもおかしいので、そういう気分にはならない。
オバマ大統領は、五十代の半ばだったか、見栄えもするが華美でもない、節度もあればユーモアもある、理知的で精悍な男に見えた。

僕は頭がパーなので、最も知性のない形で、オバマ大統領のスピーチするところに賛同する気持ちになった。
「そう、未来に向かわなきゃならないんだよな」という、最もどうでもよいところに僕は賛同した。
今から七年前のこと、僕は深夜に中継された、オバマ新大統領の所信表明演説を、友人とテレビ前に並んで座りこみ真面目に聴いていた、真冬のことだったと思う。
「黒人が大統領になるなんてな」、とそのとき話していた、今僕は「アメリカ大統領がヒロシマに来るなんてな」と思っている、つまり、未来のことはわからない。

ヒロシマに来たのがあの人でよかった。

男前だったものね。
「この人でよかった」としみじみ感じた、さすがアメリカ史上初、黒人で大統領になった男だ。

(以下、産経ニュースサイトよりオバマ大統領演説全文)
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恋女のマインドね | comments(0) |
ドン・ファンとスーパー・マザコン
は女に近寄らないほうがいいし、「強引にイケよ」みたいなことは完全なウソだとつくづく思う。
本当に、何を勘違いしているのか、これは首相談話として公式に発表されてもいいと思えるぐらい、蔓延する男どもの誤解だ。
男が女に近寄ったとき、女性にとってはただ「怖い」だけで、それは魅力的なことでも何でもない。
男が女にしてやれることなど、女性のくつろいでいる時間を妨害しないでやることだけだ、女性が男に近寄られてうれしいことなど、100%と言い切っていいほど存在しない。

サイテーなナンパだな、とよく見かけるのは、たとえば男二人で女一人を引っかけているような場合だ。
当人らはイケイケのつもりかもしれないが、それはけっきょく徒党を組まないと何もできない典型的なスーパー・マザコンでしかない、女の子側は怖いだけだ。
僕などは昔、単独で女の子の四人組をナンパしたことがあるが、これは別にいいだろう、笑われるとしても僕だけで、女の子のほうは怖くないはずだ。
今周囲を見渡すと、徒党を組んで力関係で恫喝しているだけの「リア充」というのがあまりに多くある、こんなもの撤廃されたらいいな、どうか諦めてくれ、どれだけ糊塗しても本質的に魅力がないものは魅力がないのだ。

女を誘惑できない男は、やがて女を恫喝することを覚える。

「リア充」や「オラつき」にはものすごいマザコン臭がするし、マザコンというのは本人の意志で脱却はできないから、つらいのはわかる、しかしそれによって女性のくつろぐ時間を妨害することは許されない。
古くから、女を誘惑する洒脱な男のことをドン・ファンとなぞらえて言う、では今「リア充」や「オラつき」のどこが洒脱なドン・ファンだと言うのだろうか?
正しく見ないとな | comments(0) |
あなたが自分で思うより、ずっとこころの人であるあなたへ
れまでに何百人と、何千時間遊んできただろう。
僕の場合、その遊び相手のほとんどが、「縁もゆかりもない」「誰の紹介でもない」という特徴がある。
たぶん、何の共同体にも趣味にも紹介の縁にも属さず、単独で出会って遊んだという数に関しては、僕は異常に多い人間のはずだ。
だからほとんどの場合、僕しか知らないことがある、僕だけがしてきた経験があるからだ、僕はそのことをずっと話して聞いてもらいたがっている。

これまでに何度も、本当に何度も、「僕のことを好いてくれて」「でも近づいてくれない」という現象に出くわしてきた。
どうか僕の話を聞いてくれ、あなたが僕に近づけないのは、あなたが「人と近づく」ということを元々知らないからだ。
学校とか職場とか知り合い関係とかの「共同体」の中でだけ、人と近づくと思ってきただろ、だからそのことしか知らないんだ、知らなくて当たり前だ。
あなたが僕を好いてくれる場合、その「好き」をあなたが「知らない」ことがいくらでもある、どうか混乱しないで、あなたは僕のことを好いてくれるのに、それをどう扱ったらいいか知らないだけなんだ。

あなたが思うより、あなたはずっとこころの人だ。

だからあなたは混乱する、僕はあなたのこころに触れている、でもあなたが自分のこころにうといから、あなたは自分で何が起こっているのかわからなくて混乱する。
あなたは今のままで十分うつくしい、何の問題もないすてきな人だ、ただその先に自分のこころに一歩だけ殉じてみて、その先に起こることって、何も大したことではないんだよ。
正しく見ないとな | comments(0) |
「攻撃的」な人の秘密
の中には雰囲気からして「攻撃的」な人がいる。
会社の上司がそうであったり、いわゆる「オラついている人」がそうであったり、「母が」「祖父が」というような場合もある。
ふと気づいたのだが、そういう「攻撃的」な人というのは、過去にまともな恋あい経験がないのだ。
「攻撃的」な人が身近にいると、とても災難だが、その背後に「そうか、この人はまともな恋あい経験がないんだ」ということが見えると、少し冷静に見えてくると思う。

まともな恋あい経験がない人は攻撃的になる、というのは、これはもうどうしようもないことだ。
誰かを自分より大切に思ったり、大切に思われたり、したことがないのだ、それはとてもさびしいことになる。
たぶんずっと昔から、その「大切なもの」というのが本当にこころの底から「わからない」ので、ずっと苛立っているのだろう。
「攻撃的」な人を、おそれるなかれ、愛し合うことに確信を持っている人が攻撃的になることはありえない。

まともな恋あい経験のない上司が、部下を攻撃する。

奇妙なことだが、ことごとくそうだ、「攻撃的」に振る舞う人は、必ず恋あい経験がないという性質がある。
恋あい経験というのは本来、それぐらい人間にとって重要なものなのだろう、現代においては人々の恋あい離れが進んでいると言われている。
視点変えてこ | comments(0) |
疑問を持つな、覚えるな
くの人は、強い向上心を持っている。
が、向上力はそんなに強くない。
向上心と向上力が釣り合わないので行方不明になる。
「それって、こういうことですか?」「〜だよ」「わかりました」と、行方不明になる、疑問を持って正しく覚えるたびに行方不明になっていく。

疑問を持つな、覚えるな。
それが「体験する」ということだから。
ただ体験すれば、自分の「できない」「知らない」「わからない」が身をもって知られてくる。
その先に、自分がどうしてゆけばいいかは、身をもって勝手に知られてくるのだ、そのときはじめて「体験が足りない」とはっきり知られてくる。

おかえり、もう一回行ってこい。

映画を観たなら、もう一回、もう一回と繰り返して、三十回は観てこい、そして歴史資料館を一周したら、そのままもう一周、三十周してこい。
三十周してきたら、改めて言おう、「疑問を持つな、覚えるな」、体験してこい、向上心より物事が身近になったとき、ようやく物事の体得は始まる。
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やさしさに秘密がある
拍子もない話をするが、たとえば合気道の道場に通っている人などは、それを護身術に使えるとは思わないほうがいい(護身の最大は「防犯」だ)。
なぜなら、暴漢だってバカではないので、まず合気道のような技術を「使えない」ように仕掛けてくるからだ。
どういうことかというと、つまり暴漢から見ると本能的に、「やさしさ」の状態にある人間はまずいのだ、「やさしさ」の人間は力が出るから、襲うと巻き返されかねないと感じる。
だから暴漢は、まず対象の人間を最も忌み嫌う状況に引き込むのだ、そのときそこは大嫌いな場所になるので、大好きな道場の技は使えなくなる、それが暴漢の側の本能的な技術だ。

驚いたことに、最新のロシア軍の格闘術さえも、その動作技術の洗練は「やさしさ」に行き着いている。
「やさしさ」の動作でないと、相手に反発されるので、けっきょく相手を倒せないのだ。
これは肉体的な闘争に限らず、人間生来のこころのメカニズムだ、人間のこころは「やさしさ」の声は聴いてしまうし、「やさしさ」の話は聞いてしまう性質がある。
もしあなたが暴漢に襲われたとき、その暴漢ともどもその場所が「好きだ」と感じられたら、そこにはあなたの護身術が自然発生する、だがそれこそが一番難しいことだ。

戦うと力が出ない。

残念ながら、この世界はあなたを戦いで勝たせるために作られてはいない、だからあなたの心身は戦いで全力が出るようには作られていない。
やさしさに秘密がある、やさしさのものでなければ対象に作用は及ばず、またその「対象」というのはあなた自身の心身も含まれるのだ、やさしさのものしかあなた自身の心身にも届かない。
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開放芸の僕ら
時期、「引きこもり」という言い方がよくされた。
今はもう注目さえされないので、死語……ではないにせよ、もうとっくに古い単語に感じる。
それはいいとして、もともと「引きこもり」という言い方は正しくなく、正しくは「密室系」と呼ぶべきだと僕は感じている。
いわゆる引きこもりの人は、芸風が密室系気質なのだ、このことは表面上外出していたり、社会生活をしていたりとかいうことには本質的に関係ない。

特に理由はないが、「密室芸はやめよう」と言いたがっている。
本当に理由はなくて、ただなんとなくだ、密室芸しかないというのはなんとなくミジメだ。
たとえば舞台というと、公共性があって開放されている、あの感じがいいのだ、密室でないというただそれだけがイイ。
なんのヒネリもない、ただ気質は密室系より開放系がイイねという、ただそれだけの話だった。

開放系、つまりルーズでいこう。

意外なことかもしれないが、思いつめている度合いで言えば、いわゆる引きこもりの人のほうが「思いつめて」いるのだ、思いつめてなきゃそんなに自室に閉じこもっていられないだろう。
密室系気質は、社会生活の順調さに関係はなくて……僕は開放系が好きだ、他人にとって僕がオオゴトでないように、僕にとっても僕がオオゴトでないのが気分よくていい。
恋女のマインドね | comments(0) |
「できないこと」が好きな人
イケルジャクソンのダンスを見たり、塩田剛三の武術を見たり、ビリージョエルの口笛を聴いたりすると、僕は「うひょおおおお」となる。
どれもこれも、僕には「できないこと」だからだ、僕にとっては「できないことが面白い」となっている。
ところが最近の検証の結果、誰でもそうだとは限らないらしい、人によっては「自分にできないことは面白くない」と感じる人もあるようだ。
他人のことはよくわからないが、とにかく僕は、自分にはできないレベルのことを見ると「うひょおおおお」となる、愉快で胸が躍ってしょうがないというのが正直な実感だ。

しかし僕の場合でも、方向性はあって、たとえばスケートの三回転ジャンプとか、高い跳び箱をとぶとか、そういうことには「うひょおおおお」とはならない。
分類すると、パワー系のあらわれには「うひょおおおお」とならないみたいだ、僕はパワーの信仰者ではないらしい。
だから正確に言うと、僕にとっては、「どうやっているのかわからない!」のが面白いようだ、それに「うひょおおおお」となる。
パワー系やスタミナ系のそれは、強化すればできるようになるのだろうな、と見えるので、僕にとっては面白くない、僕にとってはたとえばモネがどんな感覚であの絵を描いていたものやら、想像するだけで「できるわけねえ! うひょおおおお」となる。

「できないこと」が好きな人は、実は少ない。

少なくとも、「できないこと」に向かう場合は、僕のような性格のほうが有利だ、何しろ「できない」ということにストレスがないし、ストレスどころかよろこびがあるのだから有利に決まっている。
もともと僕にとっては、女の子と親しくなることも「できないこと」だった、だからそれが楽しかった、「できないこと」に向かうとき僕はいつも夢中になれる。
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