☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
まともに生きるのには常にキアイがいるものだ

っとコラムが書きあがった。(→(六日目)怒りの日、疑う胴体が失ったすべてのもの
原稿用紙450枚分もあるそれを「コラム」と言い張るのはどうかと思うが……
165,790字だから文庫本で230頁ぐらい? 普通に考えてウェブブラウザで読む分量ではないな。
まあそこはキアイで読んでくれ、あとはUSBメモリにpdfファイルを入れて持っていけばコンビニでも印刷できるし、その他ネットプリントとかの方法も最近はある、まあそういったことのすべてはめんどうくさく、まともに生きるのには常にキアイがいるものだ。

こういったことには二つの考え方があると思う。
こんなクソ長い文章、読むのは正気の沙汰じゃない、という考え方がある一方、「読まないのは正気の沙汰じゃない」という考え方もある。
僕は、大学生がまとまった読書をしないことや、社会人が日常的に大きな情報を仕入れないことのほうを、「正気じゃない」と捉えるたちだ、どうしてマンガと動画を漁るだけのほうが「まとも」なのか? それはただのすりかえだろう。
このごろは、「生きることを諦めた人から順に威張っていく」というよくわからないスタイルがあり、そのスタイルの感覚は僕にだってわかるのだが、やはりそれは「正気の沙汰じゃない」と僕は思っているのだった、僕は卑怯者だからな。

「何の勉強にもならなかった一年」は、わりと人生を破綻させる。

誰でも思い返してみるとわかるが、5歳から15歳まで、勉強の要らなかった一年なんかなかったわけで、そしてまともな青春なら、15歳から25歳まで、勉強の要らなかった一年なんてやはりなかったのだ、遊ぶことも含めてまともな生命は学びつづける。
しかしいつからか人は、「勉強の要らなかった一年」をこっそり過ごし、そこからパタッと自分の生きることを終えてしまう、そういうのはコワイことだからみんなゴリゴリ勉強しようね、まともに生きるのには常にキアイがいるものだ。

恋女のマインドね | comments(0) |
アップロード:(六日目)怒りの日、疑う胴体が失ったすべてのもの

本体サイトにて掲題の記事アップしました。ご笑読ください。

→「(六日目)怒りの日、疑う胴体が失ったすべてのもの」
(pdfファイル、A4サイズ94頁)

→本体サイトはこちら

九折

そのほか | comments(0) |
消費者の矢印

れまでに三千兆回ぐらい、「本気出します」と聞いてきた気がする。
いいかげん気づけよ、と言いたいのだが、ハズレのパターンは必ず、「やることが見つかったら本気が出せる」というドデカイ誤解に基づいている。
これが逆だということに、いいかげん気づけよ、「やることが見つかる→本気を出せる」じゃなくて、「本気出す→やることが見つかる」なの。
読みたい本があるから購読意欲が湧く、のじゃなくて、そもそも購読意欲があるから読みたい本が見つかるんだよ、あなたは書店で札束を投げつけるほど本気になる前提がないんじゃないか。

「やることが見つかる→本気を出せる」という、この向きの矢印を、「消費者の矢印」と呼ぶ。
消費者のマインドは実にクリアで、「余が本気にならざるを得ない製品およびサービスを、まず余の前に示せ」ということに尽きている、「そうしたら余は本気出すし、余の本気出したい願望は大満足するもん」と傲然と申しつけている。
「超いい女がいたら超本気出す」「超いい男がいたら超本気出す」という両サイドが投石しあうこの悲惨なコロシアムをいいかげんにやめなくてはならない。
あなたが消費できるものなんてこの世に一つもないのです、教会か神社かお寺に行って、「どーしてわたしの消費するものが与えられないの!?」と聞いてきてみんしゃい。

主体性がないのじゃなく、消費者性が超ある。

いいか、まずなあ、テレビモニタやPCモニタ、スマートフォンのモニタにな、お前の消費するモンがパッと必ず現れてくれるはずだという、そのとんでもない習慣をやめろ、それ「モニタ」っていうただの機械だぞ、光るようにできた板だぞ。
いいか、次になあ、身の回りの「紙」を見てみろ、印刷物ばっかりで白紙がぜんぜんないだろ、でももともとの「紙」って「白紙」なんだぜ、そのことをもうあなたは何年も忘れているんじゃないか。

恋女のマインドね | comments(0) |
「可能性」こそ「現実そのもの」ということ

しも未来に向けては「可能性」がある。
「いや、お前だけは例外で可能性がない。スーパーゼロ」と言いたくなるようなケースもあるが、それだって理論的にみれば間違っている。
人は誰しも未来に向けては可能性があるわけで、ただ人によってはその「可能性」を自らの手ですりつぶしていくということがあるものだ。
「可能性、ですか……」という人がまさにそれであって、「可能性」なんて自分で考えなくても理論的にあるっちゅうねん、ということ、それがわかっていない人は自分で可能性をすりつぶすのだ。

可能性が「ある」ということと、それに「手をつける」ということは別だ。
誰しも未来に向けて可能性は「ある」が、それに「手をつける」という人はごく少ない。
僕は一年前、「速球を投げたい」というわけのわからん未来を所望し、そのとき練習したら背中がグキッとなったのでタクシーで帰ってもうやめたのだったが、実はしつこく考えてはいて、ついに昨日、はじめて自分の投げる球がホップして伸びる、という状態を獲得した、むろん僕の野球経験はゼロだ。
人は誰しも可能性を持ちながら、それに「手をつける」のはいやがるものだ、なぜなら「可能性」は「現実そのもの」だからだ、「可能性」は「かもしれない」ではなく現実そのものだという、この思いがけない真実にヒントがある。

可能性に手をつけるということは、現実と握手するということ。

現実と握手するとなると、いろいろとコワイわけで、だから人は可能性を「かもしれない」という封印に閉じ込めておきたがる、そうしたら現実のコワさを無視していられる。
よくよく冷静に考えてみてね、「可能性」に「手をつけた」ら、そのとたんそれはもう現実でしょ、それがコワイから人は永遠にそれをしないでおくんだよ。

正しく見ないとな | comments(0) |
ヒサンな待遇を受けている人が、自分の待遇改善にマックスフルパワーが止まらなくなるということ
ーパーマルチ言い訳マシンになるのをやめよう。
自分から誰かへ愛のアタックをかけていないのは明らかだ。
ホントーに「自分の待遇改善」のことしか考えなくなっているし、ホントーにそのことにしか努力する気なくなっているだろ?
おおっと、ここでスーパーマルチ言い訳システムの発動は禁止だ、だって「マジにそう」なんだからしょうがないじゃん、マジに自分の待遇にしかキョーミないんだから今さら言い訳なんかしなくていいじゃん。

自分の待遇改善にしかキョーミが持てないということは、つまり、えー……、まずそれだけヒサンな境遇にいるということなのだろう、誰も自分によくしてくれず、ヒサンな待遇の中にいる、と。
そういうことは、すごくよくわかる、なぜなら僕も、そういうヒサンな境遇でヒサンな待遇を受けている奴をたくさん見てきたからだ。
一方僕自身は、なぜかこれまでに、自分の境遇や、地位や待遇ということに、そもそもキョーミを持ったことがなかった、「待遇」という概念を忘れてしまっていたほどだ、なぜか一度も考えたことがない。
まあなんであれ、実際のところ、自分の待遇改善にだけマックスフルパワーが止まりませんという状態で、その無節操さについてはスーパーマルチ言い訳システムがバッチリはたらきますという状態では、それはたぶんあなたがかつて「こうなりたい」と思っていた自分の像とはまったく違うのだろう、少なくともおれのせいじゃねえ。

「自分の待遇改善にしかキョーミのない人」に、どういう待遇を与えるべきか。

もちろん、与える待遇は、下の下、つまり「ボッタクリの着色料でも食ってろ」ってあたりになるわなあ、僕はラブリーな女の子を膝に乗せてシーチキンごはんを食べていたいもの。
あなたは自他ともに認める「愛のアタックをかけまくりやがるすげえ人」では、ないのじゃないか、そのままハイクラス待遇を待ち続けるというのは、まるでマリアナ海溝の沈没船の中で市バスが来るのを待ち続けているような状態だと思うのだがどうか。
視点変えてこ | comments(0) |
頭蓋骨野郎
く考えたものはだめだ。
センスとかインスピレーションとか、ネタとかアイディアとかもしょせん使い物にならない。
噴き出してきた熱湯しか使えん。
わけのわからんところまで煮詰まったものしか使えん。

僕はだいたい、芸術的なモンが好きじゃない。
いわゆる「楽しい」のも好きじゃないし、「情熱的」なモンも好きじゃない。
あとになって「何やってんたんだ」「もう二度とやらんぞ」と、ののしりあってゲラゲラ笑っているぐらいが正常だ。
ああ、熱気よ、もう一度。

青春なんかしたことない。

同じく、芸術なんかしたことないし、「楽しい」とか「情熱」とかもしたことがない、そういった立派なモンのすべては本当にわからん。
今考えたら、熱気に取り込まれていたんだな、取り込まれたらダメだってわかりながらずるずると、ありゃ頭蓋骨が割れていたのかね。
バカをやろうかあ | comments(0) |
熱い夜
い夜をすごすのがいいなあ。
別にセックスのことではなくってね。
何か値打ちのあるもんじゃないよ。
しょーもないことにずぶずぶ行ってしまう夜のことだよ。

現代で言われている「アツい」というやつは、絶対に熱くはないだろう。
熱い夜って、一晩中いっちゃうやつだからね、そもそもそんな瞬間的なものじゃない。
別にマージャンでも議論でもアイドルでも映画でもいいんだと思うが、ずぶずぶいってしまう夜だ。
何か値打ちのあるもんじゃないが、だからこそでね、人間にとって値打ちを追いかけるのは寒いことだから。

ぐりんぐりんの熱の夜。

熱い夜にしようぜ、なんて誰も思わない、そんなことを企む奴はぜったい一番寒いだろ……
もともと放っておいたら、勝手に熱い夜になってしまうものだと思うが、上を向いている奴は無理なんだ、これは腹の底からのものだから。
バカをやろうかあ | comments(0) |
デカいサイズ
ホみたいな話だが、割とデカいものが好きだ。
豪華客船とか恐竜とか。
スマートフォンは、手のひらサイズだからあまり好きではない。
なんというか、サイズの合っていない服を着ていると疲れる、みたいなことはあると思う、そりゃあるだろ。

だから僕は、何かにリアクションしたり、注目したりということが苦手だ。
デカいものが好き、というのではアホみたいだが、本当に好きなのでしょうがない。
あの梢にメジロが留まっているよ、というようなことが、割とどうでもいいのかもしれない(文学志望なのに)。
男が女に注目してエッサホイサするデートは害悪だと思っている、もっと砂漠とか大ホールとかに注目してデートしよう。

小さいと夢が死ぬ。

元々そうだったよなあ、と、完全に僕個人の思い入れのようなことを話すが、実際そんなものなのだ、凝った小皿とかに注目し始めると人は死ぬ(暴論)。
サイズの問題をこのところ忘れていた、落ち着くサイズって誰にでもあるものね。
視点変えてこ | comments(0) |
なぜか永遠にグッドモーニング
白いことに気がついた。
どうやら、笑えば豊かになる、と思われている向きがあるらしい。
でもたぶん逆だな、豊かだから笑うのだ。
別に笑っていなくてもいいが、笑うのは豊かだからだ、豊かでないものが笑ったって豊かにはならない。

それで、豊かとは何かということを考えるけれども……まあ考えていないけれども。
246号線の高速道路を見上げたりすると、おお豊かだ、という感じがする、ああいうものは好きだ。
豊か、というのは、ただ当たり前に豊かなのであって、「価値」とか「所有する」とかいうこととは関係がない。
空とか海とかを自前で作った人はいないものね、そして僕は豊かだからつい笑ってしまうし、話すことがあるのだった。

朝、起きたときから豊かだ。

たぶん僕はすごくバカなところがあって、朝起きたときからはっきりと豊かなのだ、何が豊かかと言われたらわからない。
豊かさのない人は、朝起きたらまず焦って豊かさを探しにいくような気がするが、僕は生まれてこのかた一日たりとも豊かでない起床をしたことがない。
正しく見ないとな | comments(0) |
注目のない、ひたすらいい時間を
は女性に、怨まれたり好かれたりしているが……
こんなドサンピンに怨んだり好いたりする価値はさほどない。
価値がないか、もしくは、こんな図体のデカい奴にそういった感情はよくあてはまらないのだ。
僕は女の子が好きだが、それは好きに決まっているので、何なら会ったことのない女の子さえ大好きだ。

誰でも、いい時間を過ごせばいい。
いい時間というのはきっと、何にも注目しなくてすむという時間だろう。
豊かで、満ちて、夜景も森も潮の香りも押し寄せるようなら、何にも注目せずにすむし、立ち止まらなくてすむ。
図体のデカい僕は、情報なしに女の子が好きだし、誰かのことを軽蔑したりとか、そんなことができるほど脳が活発ではないので安心してくれ、何しろカレンダーの升目もよく見えていない。

注目は、するのもされるのも、たぶん地獄だ。

人気があればよいのであって、注目されるというのはたぶん地獄だ、母親が息子の小テストに注目することぐらい殺意の湧く地獄だ。
注目されたらうれしい、とあなたは思っているかもだけど、たぶんウソだよ、僕があなたに注目したら七分ぐらいで帰りたくなるよ。
視点変えてこ | comments(0) |
パーティ報告66(2)
大していけたらいいな、次回は四月だし……
拡大していく、ことはできるのだが、なにぶん僕一人のエネルギーや労力では制限がある。
いや、エネルギーはいくらでもあるのだが、どうしても、費やせる時間が足りなくてな、まあそこはidea次第なのかもしれないが。
拡大していくということは、有益でなくてはならないが、有益性を追求することは、しばしばひどい無益を生む、有益というのはもっと穏やかなモンだからな。

人は楽しくないといけないし、それ以上に穏やかでないといけない。
周囲を見れば誰にでもわかるように、人は、真に楽しくない人ほど、穏やかでない、という状態になっている(身もふたもないな)。
人は楽しくないときに、助けてほしくて誰かに頼ろうとするのだが、それはタチの悪い甘え型の「暴れまわる」だということに、ハッとして気づかないといけない。
周囲を見れば誰にでもわかるように、真に楽しくない人ほど、暴れまわっているのだ、だから穏やかでない、穏やかでないから有益でない、それで有益性を求めて暴れまわるという悪い循環に陥るのであった。

そーっとすれば、拡大できる。

これはいかにも発想の転換だが、真実だ、人は暴れまわって縮小していく、まあ縮小も別に悪いモンではないが。
暴れまわるのはけっきょく、自信がないからなのだろう、自信がない人が拡大されちゃそこそこに迷惑だわな、まあそんなわけでこの春もそーっとおいしい時間を拡げていってしまおう。
そのほか | comments(0) |
パーティ報告66

だって真剣で熱意のある奴が好きだ。
真面目で深刻な奴のことは好きじゃない。
この違いは何なのか、といって、解明するとわりと身もふたもないところがある。
三月の下旬は本当にあったかくて、春なのでやけにお腹がすくな。

「プライベートヘコみ」と「ワークヘコみ」があって……
このことがまったく重要なのだ、プライベートヘコみをする奴はどうしたって「許されない」という憂き目に遭う。
なぜかといって、関心の向いている先が違うもの、関心が「自分」に向かっているので、ミスやチョンボや無能について「自分」がヘコむ、これは許されない。
プライベートヘコみをする人は、実はまるで真剣でなくて、目の前のワークの出来栄えなんかどうでもいいのだ、「自分の出来栄え」にしか関心がない、だから「ふざけんな」と攻撃を受ける。

「おれはダメな奴だ」という、その関心の方向が許されない。

これ、正当なアドバイスなのさ、気づいてね、「ダメなおれ」で困るのはおれ一人が困るのだけど、「ダメな仕事」だと困るのはみんなが困るわけよ、そのことに関心が向いていないと周囲は激怒を覚えるわけ。
全部バレているわけ、目の前のワークについて本心で「どうでもいい」と思っているその本音がバレている、だから許されないわけだ、みんなワークを成り立たせたくて真剣なのに、一人だけ自分を成り立たせたくて真剣というのじゃ、そりゃあシバかれて当然だよ。

そのほか | comments(0) |
この世でもっともつまらない仕事
きな仕事をしたい、という欲求が誰にでもある。
これは正当な欲求で、大きな仕事はまるで本当の深呼吸みたいに気が晴れるものだ。
小さい仕事はどうしても息がつまるものだ、やだなあ。
大きな仕事ができるかどうかは誰にもわからないけれど、大きな仕事をする準備は誰だってしていたらよいと思う。

大きな仕事というと、自己顕示欲とか承認欲求とかの対象かもしれない。
でも、そんなものがどうでもよくなるからこそ、それは「大きな仕事」だ。
大きなベッドに寝転がりたい、というのは、理屈ではなく欲求だ。
大きなベッドや大きな仕事に乗っかる体勢になると、それ専用の身体になって、気が晴れるのだ、それはとっても落ち着くものなのだった。

大きな仕事に必要なのは、能力ではなく大きさ。

パワーショベルはデカいからパワーショベルなのであって、そのエンジン音は理屈でなく気が晴れるのだった。
そしてこの世でもっとも小さいのは「自分」だ、よって自分を解決するということほど小さくてつまらん仕事はこの世にない。
視点変えてこ | comments(0) |
第66回Quali's Party[3月18日(土)]無事盛会!

3/20 Quali tweet> 鶏ガラスープの材料を買いに行くぜ。 pls entry

joined: ひろみ、りさ、ゆか、つかごん、くおり
日時:2017年3月18日(土)19時〜23時
場所:原宿竹下口交差点DinningBar CLIMB


キラキラ次回(4月15日[土])加エントリはこちらから!キラキラキラキラキラキラ


おかげさまで今回も無事正解でした! 次回もよろしくお願いします!
全然関係ないけど、春って異様にお腹すくよね。 九折


宣伝コラム「パーティへの誘い その1」はこちらから!
宣伝コラム「パーティへの誘い その2」はこちらから!
宣伝コラム「パーティへの誘い その3」はこちらから!
宣伝コラム「パーティへの誘い その4」はこちらから!
宣伝コラム「パーティへの誘い その5」はこちらから!

そのほか | comments(0) |
質問豪族
合に前後して、スボーツ選手に「今の心境を」とレポーターが訊く。
それを見ていて、「なんでこいつにこんなことを訊く権利があるんだ?」と不思議に感じている。
そういう仕事なんだからしょうがないのだろうが、「こういう仕事をさせられるのはつらいな」と同情する。
しかもスポーツ選手の「心境」などというものに、わずかでも興味を持つ人がこの世に一人でもいるのかあやしいし、しかも絶対そんな心境の話なんて聞いたって誰も覚えていないのだ、これはただの時間と労力のロスでしかないと思う。

「ヤフー知恵袋」みたいなものもあるが、それを見ると「うわ、訊いてる」と思うし、「うわ、しかも答えてる」と思ってしまう。
もしこの「知恵袋」みたいな文化に触れた青年が就職して、上司になんでも「訊く」ようなことをしたら、青年はただちに張り飛ばされるか、ただちに人事部に「頼むからヨソの部署に飛ばしてくれ」と嘆願が出されるだろう。
人間は「訊く」というときに、最短にまとめる必死の工夫と最精鋭の集中力を発揮していなければならないが、「知恵袋」とか「今の心境を」とかの文化は、それとまったく正反対の人間を生み出すだろう。
すでに今、「質問豪族」みたいな人たちが少なからずいて、「わたしがわずかでも疑問をもったらただちに訊きますから」みたいなことを平気でやっていたりするのだ、上司は三日で「こいつを蹴り殺したい」ともてあますだろう。

「なんで訊いちゃだめなんですか?」とさえ訊きかねない。

おそらく甘えの極致にいて、自我と自意識が全方位に漏れ出しているのだろう、これは現代が生み出したモンスターであって、誰もその処理や処分に責任を持つつもりがない。
質問豪族は、もし「いちいち訊くな」と制されたら、内心で猛烈な不満を持つだろう、それぐらい質問の権利が自我意識において膨張している/誰でもGoogleやSiriを使っているとそうなるのかもしれない、アンサーを求める側が偉いという前提が出来上がって、この基本態度はもう洗滌できなくなる。
正しく見ないとな | comments(0) |
ヤリ捨て要員がいた幸福

「〇〇の仕事をしています」みたいな話を聞くといつも違和感があって首をかしげている。
この世に、二十四歳の男が何の仕事をしているかなんて、わずかでも興味を持つ人がいるだろうか?
でもそんな感じで街中の合コンや学生時代の集いのようなものは進んでいっている、ように見える。
僕が古い人間なんだろうが、僕はデキる男が合コンや何かの集いで女の子と「親しげなトーク」みたいなことをしているのを見たことがない、合コンでも男はほとんど男同士で話していた、髪をアップにしてきた女はそれをややきょとんとして聞いていた。

丸の内のデキる男を何人か見てきたが、基本的にデキる男は、嫁さんとヤリ捨て要員しか女を持たない。
だいたいみんな、嫁さんにはすごくやさしくて、ヤリ捨て要員とまた会うというとからなぜ? と訊くと、「パイオツがたまらんのよ」「ああ、そういうことね」というような理由がほとんどだった。
別にそのことが女を苦しめていたわけではないと思うし、そんな中で「今こんな仕事をしていてさあ」みたいなことを男が話していたことはわずかもなかった、だから今でも違和感がある。
少なくとも、「親が」とか「中学時代の先生が」とか、そんな話はぜったいに出てきたことがなかった、有楽町のビアガーデンでコンパしているのにそんな話はでてくるわけがないだろう、とやはり思うのだが、今はそうではないのかもしれない。

億単位のスリップを通すようになると、女とは話すことがなくなってくる。

実際、いかにもそんな感じだった/たまに新人ながらすでに上司や先輩に完全に諦められている男がいて、そういう男だけが女の子と「親しげなトーク」を展開し、なんとかして少しでも見栄えのするセックスにありつこうとしていた、それを見て「またやってる」とみんな笑っていたのだが、本人はセックスしないわけにもいかないからしょうがないだろう。
別に誰も仕事にヤル気なんか持っていなかったし、合コンはただ好きだったのでやっていたのだが、何もかもが「しょーがないだろ」ということで進んでいたと思う、当時は社長でもないのにジョブズの本を読んでいたら思いっきりバカにされていたような気がする。

できるオンナだね | comments(0) |
最重要の能力(の欠損)6

体性がないと、自分のことが人にわかってもらえない。
そもそも主体性がないと、自分のことが自分にさえわからないだろう。
そして、自分のことが人にわからないということは、人にストレスを与えることになってしまうし、自分にさえわからないということは、自分にもストレスを与えてしまう。
「主体性のない人」は、まったく無害に見えるがそうではなくて、加害はしてこないというだけでストレスにはなってしまうのだ。

就職面接で「万事、主体性を持ってやってきたので」と履歴を披瀝できたら、そこそこ有効な説得力を持つと思う。
主体性は、すべてのまともな仕事の入口であり、すべてのまともな芸術の入口であり、すべてのまともなセックスの入口でもある。
主体性のない人は、自我がないわけではなく、自我を隠し持っているだけなので、たとえば主体性のない子供はものすごく駄々をこねて「わめいたら誰かがなんとかしてくれる」という厚かましい生き方を選択する。
主体性のない男性を、励ましてあげたくて交際した女性は、半年後「なんてタチの悪い男なのかしら」と、それまで与えてきたセックスをやりきれなく後悔するだろう。

本当は名刺を交換しているのではなく、主体性を交換している。

A社はどうする、B社はどうする、というそれぞれの主体性が交換されるのであって、もしそこに主体性がなかった場合、「なんなんですかねこの会社」と、意味不明の烙印を押される。
名刺交換をしたビジネスマンは、ただちに互いが「何を生産しようとしているか」「どういう営みに向かおうとしているか」がわからないといけない、主体性には説得力や一目瞭然性がいるし、またその主体性を第一に読み取れるということが最重要の能力なのだ。

正しく見ないとな | comments(0) |
最重要の能力(の欠損)5
「おれが何を感じているか、何を言いたがっているか、何をしているか、しようとしているか、本当にまるっきりわからないの?」
人のことを「わかる」べし。
人のことをわかり、「呼応」するべし、それだけでまったく別次元のパラダイスDocomo80だ、なんて居心地いいの
Docomo80になる、そのことは保証する。
「そもそも、"人"って何なんですか」「主体性」「えっ」「主体性が"人"です」、その主体性に呼応するのだ、主体性が伝わってきてそれに呼応しちゃうとそれだけでパラダイス
Docomo80なの、そのことは保証する。

「その"主体性"がない人が多いんですがそれは……」「うん、まあ、それはね、うん」、そこはノーコメントでいこう(投げやり)。
たぶんすごくシンプルな話で、主体性のない人の世界を生きてきたせいで、主体性っつーもんを見たことがないんでしょうな(じゃあ呼応できないのもしょーがない)。

ちょっと笑えない問題は、「主体性のない人同士でうまくやれても意味がないぜ」というところ、でもその中でうまくやっていくことばかりに時間を使っちゃうんだよなあ……
僕なんかは主体性「しか」持っていないという奇人の類だが、問題は主体性の人を「好き」と感じてしまう場合だ、主体性のない人のことを好きになれないのに、そっちの人とうまくやる能力だけ育てていたら、そりゃもともと破綻しちゃっている。

おれのことをわかった上で、「あたしをあげるDocomo80」をやってくれ。

そりゃそうだろ、「あたしをあげるDocomo80」っつーのは、明確に「あなたにDocomo80」でないとおかしいだろ、概念上で「あたしをあげる所存ではあります」ではコエーじゃないか。
目の前の「こいつ」はどうしたらよろこぶよ? 「こいつ」が遊歩道で野良猫を撫でているとき「こいつ」は何を感じているんだ、「こいつ」には主体性しかないんだぞ、おれのことわかってね、おれはおれのことをまったく隠していないよDocomo80まあ別におれのことに限らずね、おれがパラダイス以外のことを主張するわけがないんだから。
正しく見ないとな | comments(0) |
最重要の能力(の欠損)4

「おれが何を感じているか、何を言いたがっているか、何をしているか、しようとしているか、本当にまるっきりわからないの?」
整理1.僕のことを好きになってくれてありがとう、そのことははっきりしているね。
整理2.でも好きでいてくれているのに、僕のことが「見えていない」ね、見えていないのに「届いてはいる」から好きになってくれている。
整理3.この届け物が、お中元やお歳暮なら「わかる」のだけれど、「主体性」からなので「わからない」、「お中元やお歳暮ならわかるけど、主体性って何?」ということで、了解不能のままそれを受け取って、了解不能のまま「これ好き」となってくれている、了解不能なのにあなたは「これが一番好き」だ。

整理4.この「整理」の項目も、僕の主体性からの届けものです、届かないと意味がないし、なぜ届けるかといってその理由もおれの主体性からです、「おれが何をしているかわかる?」、たぶん「そこは考えたことがなかった」。
整理5.これまでにこんなにはっきりと「主体性」から何かを届けてくる人に会ったことがない、初めてだ、しかも赤の他人に向けてなのに、だからこれまでの知識では対処のしようがない。
整理6.これまでの「贈り物習慣事典」には、お中元やお歳暮のことは書かれているけれど、「主体性」のことは書かれていない、だからあなたはこの届け物にどう返礼したらいいかわからない、どこを調べても出てこない、動き方がわからない。
整理7.あなたは「主体性」ということはなんとなく「わかる」、が、「あなたに主体性のことを伝えようとしている僕の主体性」については「わからない」、やはり「そこは考えたことがなかった」。

整理8.おれのことがわからないのに、主体性のことだけわかってもしょうがない/目の前の「こいつ」は何ですか。

整理9.すべての事典とグーグルを捨て去って、目の前の人のことが「わかれば」それでいい。
整理10.ただこれまでに、「わかる」べき「主体」を持っている人がゼロだった、だから目の前の人のことが「わかる」という能力が養われてこなかった、十歳児が世界をまったく新しく知っていくように、このことは今ゼロから始めていい、わかるべき主体を持っている誰かに出会え。

正しく見ないとな | comments(0) |
最重要の能力(の欠損)3

「おれが何を感じているか、何を言いたがっているか、何をしているか、しようとしているか、本当にまるっきりわからないの?」
僕がここに何を書き話そうとも、何かを書き話そうとしている「こいつ」のことがわからなければ、どんなノウハウを文面上から拾ったとしても確実に無意味だ。
おれのことが「わからん」のに、おれの言っていることがわかるわけがないじゃないか、目の前のイヌのことが「わからん」のにそのイヌがなぜ吠えているかなんてわからないだろう。
イヌが吠えたり、僕が何かを書き話したりするのは、イヌにも僕にも「自立した主体性」があるからなのだが、そもそもその「自立した主体性」を目撃したことがないので、表面的なワンワンを理解しようとする、そのワンワンの理由なんてググったってわかるわけがないじゃないか、目の前のイヌを「わかれ」よ、なぜイヌじゃなくてグーグルをあてにするのか。

今この瞬間もそう。
今目の前に、ここに何かを書き話そうとしている、「主体」が存在しているのがわかる? ワンワン。
理論上そう言いうるということじゃなくて、「おおっ、書き話そうとしてるねえ!!」「つまりあれだろ!! うまく言えんがわかるよ!!」「来てるよ!!」という感触において、目の前の「こいつ」の主体が存在しているのがわかるか。
最重要の能力というのは、目の前の「こいつ」の主体性に向けて、受け取り、読み取り、呼応する、舌なめずりして「OK」と受けて立つこころが勝手に起こる、そういう読み取りと呼応の能力のことだ、そんなの芝居していてもしょうがないだろう。


少なくとも僕は、何かを感じているし、何かを言いたがっているし、何かをしているし、しようとしている、僕の主体性において。

そんなもんね、「僕の主体性があなたの主体性に直接流入する」ということでしか、「わかる」わけがないわな、今僕が「何をしようとしている」かわかるか。
筋のいい人は、「うん、わからないけど、わかるよ、すっごくわかる」と笑顔でいる、筋の悪い人は「わかるんですけど、すっごくわからないんです、ピンとこないんです」と暗い顔をしている、暗い顔で「つまりこういうことですか」、その差は「自立済み主体性」が前提にあるかないかで分岐している。

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