☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
ワークショップおよびパーティのご案内

足 Quali's 身体操作ワークショップ 9/24更新
「ちゃんとできるよーになりましょーよー教室」
【第二十五回】10月7日(金)19時〜@世田谷公園噴水付近 参加費無料
【第二十六回】
10月8日(土)19時〜@世田谷公園噴水付近 参加費無料
【第二十七回】
10月14日(金)19時〜@世田谷公園噴水付近 参加費無料
【第二十八回】
10月21日(金)19時〜@世田谷公園噴水付近 参加費無料
【第二十九回】
10月22日(土)19時〜@世田谷公園噴水付近 参加費無料


(服装は自由です、仕事上がりも可。ただなるべく平たい靴でどうぞ)
(雨天時は基本的に延期です)

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酒Quali's Party
「ちゃんとするのやめましょーよー集会」
【第61回】10月15日(土)19時〜23時@原宿DinningBar CLIMB
♂5000yen ♀3000yen
(ほんのり合コン的な格好でよろしく。そしたら点数アップ)

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どうしてこうなった……まあいいや。
「ちゃんとする」と「ちゃんとできる」はまったくの別物だ。
ちゃんとできていれば、ちゃんとする必要はない。

(だからおれはちゃんとしないのだと強弁)

みなさまのご参加をお待ちしております。 九折

(ワークショップの各カリキュラムは以下続きをご参照ください)

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そのほか | comments(0) |
秘密を持ちながら生きている少女たちへ

ロー! 僕は大気の深い底にいて、うつくしい街とうつくしい空を愛している。
秘密を持ちながら生きている少女たちへ! あなたが秘密に持ち続けている[無力であり続けよう]とする決心が、けっきょく最後にあなたを救うだろう、これは年の功から申し上げられることだ。
人と人が触れ合うことはそんなに簡単ではない、あなたがこっそり気づいているように、もし人と触れ合うことがあったら、それは秘密を増やし続けるということだ、自分しか知らないその秘密を。
わずかも顔をあげてはいけない、ごもっともの弾丸に身をさらされる、甘えと依存の大攻勢、彼らは単なる騒々しさを戦いと誤解しているのだ。

ちらつく親の顔、教師の顔、友達の顔、上司の顔、そこには何の世界もない。
ごもっともの弾丸が飛び交うごまかされた百鬼夜行に、いつか気づくだろう、いくら探してもその中には肝心の「あなた」がいない。
誰もが助けてほしいと請い、誰かが助けてやろうと申し出る、それらは需給の噛み合った憐れな欺瞞で、正しくは元々助かっている奴しか生きられない。
もしあなたが勇敢なら、僕といくらでも秘密を膨らませよう、あなたが秘密を持ちながら生きている少女であれば、あなたは今も手紙の書き方を知っているはずだ。

依存心の三つの表れ、[尊敬、軽蔑、助けてもらう]

秘密を持ちながら生きている少女たちへ、あなたはどこかで知っているだろう、尊敬も軽蔑もまるで貴重な感情ではないことを、それよりも手紙の書き方を忘れないほうが大切だということを。
そのままでいい、そのまま顔をあげないでいて、そして誰かのところで秘密を膨らましておいで、やがて疑問だった秘密は確信の秘密に変わるだろう。

恋女のマインドね | comments(0) |
美人の想い出
人に愛されると想い出になる。
不美人はだいたい依存心しか持っていないので、あまりいいことにはならない。
美人はいつも僕に「なんでも言って」「なんでも話して」と言ってくれる。
不美人は何か、僕の言おうとすることを抑圧したり強制したりする気配がある、それで顔つきが不美人独特のものになっている。

美人は唐突に愛してくれるからびっくりする。
「なんで? 初めからずっと大好きよ」と言ってくれてびっくりする。
それを見ていると、ああ僕も、気づけば彼女に何でも話させているんだなあ、という感じがする。
美人のいいところは、「わたし美人よ?」ということを、問われる以前から表現しているところだ、あとはもう何も問いただす必要がない。

美人とはつまり、説得力が歩いているということ。

ああ僕も、そのようでありたい、僕は美人とは違うけれど、歩いているだけでオモシロイ人でなければ。
不美人がダメということではまったくない、ただここでいう不美人は、何かずっと「答えに詰まっている」のだ、それに付き合わされると誰だって息が詰まってしまう。
正しく見ないとな | comments(0) |
まったく別のことが存在する
ったく別のことが存在する。
心臓がドクンドクンするが、それ自体「うるせえな」と感じられる静かで厳かなもの。
それはきっとファンキーなものだが、追いかけて得られるものではない。
何も追いかけないからそれは存在する、魂の底を抜いて心音がどうでもよくなる感覚のものだ。

魂の底を抜くこと、それはなんでもない。
「いろんなものが大好きさ」と、とんでもないホラをへっちゃらでのたまうことだ。
いろんなものが大好きというのは、ウソではなかろうし、かといって本当のことでもない。
いろんなものが大好きというのは、心音がドクンドクン鳴ることと同じで、どうでもいいことなのだ、そういったまったく別のことが存在する。

あきらめろ、わたしたちは天才だ。

魂の底を抜いて、落下する心地、するとその下には天国が広がっている、「まったくどうでもいいな」と感じられるだけの天国が。
重要な碑文やらは、すべて天国の水に溶けたよ、引き続きまったく別のことが存在する。
恋女のマインドね | comments(1) |
甘えの解決
どい甘えが横行している。
「ひどい甘えってどんな状態ですか?」と平気で訊いてくるような甘えの横行だ。
対抗策はまるでなく、顔を伏して距離を取って関わらないようにするしかない。
ひどい甘えが横行する中、人は気になったことはなんでも訊いてくるが、それに答えて話しても何一つ聞かない、ものすごいバカの顔をしているが、これはもう解決のしようがない。

どこかで何かが間違ったのだろうが、これはもう振り返ってもしょうがない。
たとえ「お前はバカだ」と叱られて「はい」と答えたとしても、神経の具合からその言われたことを七秒後には忘れるのだ。
ちょうど薬物中毒者がそんな感じだと話に聞いたことがある、だとしたら薬物中毒と同じで根本的に治らないのかもしれない。
ごまかしは利かないと思うが、それにしても誰も暗くはならないでほしいものだ、何も解決が求められていると決まった話でもない。

甘えを解決したければ、触れられないほどかっこよくなれ。

とっくに、心理療法的なアプローチが有効なレヴェルではない、もはや「触れられないほどかっこよくなる」という以外に有効な方法はない。
いい歳をして寂しがっている場合ではないというか、すべての時間を無駄にしてしまうよりはるかにマシじゃないか?
恋女のマインドね | comments(0) |
優秀さへ向かう秋
温は二十度に近く下がり、空気は天高くまで澄み渡っている。
この中で人々は、優秀さへ向かう、そのための場所が大学であったり、新宿であったり丸の内であったりする。
優秀さに向かうのが当たり前だ、胸を張って……ではなく、頭を掻きながら。
静かな、静かな、秋の日がやってくる、人々は澄み切って優秀さに向かい始める。

他人と比較競争する上での優秀さではない。
真に優秀な人間は、一目見て、二言、三言話してみればすぐわかる。
おだやかで、理知的で、機知にすぐれ、愉快で痛快で、思いやりにあふれており、秋の日に馴染んでごく静かだ。
どれだけ大きな声であっても、それが真に優秀な人の「声」であったなら、その声は天高く抜けてゆき、鼓膜を汚染しない、そのとき声は音でなく世界になる。

真に優秀な人に向かう、それ以外に勇敢さがあるか。

胸を張って……ではなく、頭を掻きながら、優秀さへ向かう秋、けっきょくはこれだけが何もかもを可能にする。
それは向上心ではなく――「上」に行こうなどと、あさましいかぎりだから――ただただ本能、秋の日の澄み切った大気の中、人は静かに優秀さに向かって歩き始める。
できるオンナだね | comments(0) |
男性性について、オカマ野郎から

島由紀夫が念入りに自殺した理由がよくわかる。
自分のオカマぶりに耐えきれなかったのだ、それがどれだけ苦しいことかよくわかる。
ダンスの振付師や、メイクアップアーティスト、華道家や文学者など、そちらの方面にはオカマ男しかいない。
そして僕自身は、あくまで個人的な価値観だが、オカマが芸術性を発揮して生きることに値打ちなど一ミリもないと感じる、我ながら生きる値打ちが最もない類がそれだ。

最近は、文学志向のオカマ野郎である僕でさえ、何かの間違いで「男らしい」と言われる。
それは大いに間違っているので、冬の海にドボンして反省したらいい。
僕はきっと、人を殺すのが得意だろうが、それは女性でも出来る殺し方なので男らしくない。
力と力を激突させて勝つとか、競争するとか、そちらでないと男らしくない、女はすべからくそうしたまともな男とだけ出会うべきだ。

せめて松潤を尊敬しろ。

三島由紀夫は結局オカマでしかなかっただろうが、それ以上に、「あれが"男"だ」と松潤を尊敬するようなことはできなかっただろう、それがやがて致命傷になった。
松潤や櫻井のようになれなかった憐れなオカマ男は、素直に男らしい男を尊敬し、永遠に憧れるしかない、そうすればまだ愉快な美と占いに通じた人間として生きていくことができる。

正しく見ないとな | comments(0) |
女性性について、オカマ野郎から
くの女性が、自分の「女性性」についてうまくいかず、苦しんでいる。
それについて相談されると、なんとかしてやりたく思うが、僕のようなオカマ野郎にはまず無理だ。
僕にはホモセクシャルの気はまったくないが、それでも文学などに志向性を持っている以上、論外というレベルでオカマでしかない。
女性が女性性を獲得するためには、唯一の方法、まともな男に出会うしかない。

女性性というのは男性性と接触するエネルギーの中で生じてくる。
男性性のない男と寝ると、女は女性性が解発されないので、何をどうされても「痛い」としか感じない。
多くの文学者が、この女を痛がらせるだけでしかない自分のオカマぶりに耐えきれなくなり自殺した。
なので、男性性の必要なことについて、僕などに相談しても無駄だ、もっとまともな男に出会うしかない。

役者不足の男を切れ。

女性性は男性性に「呼応」して生じてくるわけだが、その「呼応」を引き出せない男とズルズル過ごしていても何の利益もない、どうせ別れたら七十二時間できっちり忘れるから心配は要らない。
オカマ野郎はオカマ野郎なりに、女性の幸福を願っていないわけではない、女がまともな男に出会えるのは幸福でうつくしいことだ。
正しく見ないとな | comments(0) |
「待つ」人
もしていない人間、などは存在しない。
よほど修行を積んだ僧侶などでないかぎり、「何もしていない」というような状態は存在しない。
「何もしていない」というふうに見える人は、本当には「何もしていない」のではなく、「待っている」のだ。
何かが勝手に起こるのを待っている、ずーっと、「待っている」のだ。

ずっと待っていて、向こうから勝手にやってくることというと、納税とお見合いだ、それらは向こうから勝手に押し付けるようにやってくる。
一方、「文学者の全集を呼んでみようかしら」とか「絵を描いてみようかしら」というようなことは、待っていて向こうからやってくることは決してない。
「待っている」というやり方を、否定するつもりはないが、ただ断言しうることは「絶対に何も起きない」ということだ。
十五歳から二十五歳まで、あるいは二十五歳から三十五歳まで、「何をしていましたか」「何もしていません」ということはない、「何をしていましたか」に答えるのは、「ずーっと待っていました」だ。

もう、昨日は去りましたよ。

「昨日は何をしていましたか」について、「何もしていなかった」と答えるなかれ、正しく「待っていました」と答えよう、「何を?」と訊かれたら突然泣きわめけ。
待っていて、何かの「きっかけ」でも勝手にやってくればいいのだが、残念ながら自分が物事を始めるのに「きっかけ」などという正体不明の現象は存在しない、そのことは三十年待てば身をもって証明されるだろう。
恋女のマインドね | comments(0) |
パーティ報告60
「思っていること」と「見えていること」は違う。
見えていることはやれるが、思っていることはやれない。
たとえば、受験勉強が見えている人は受験勉強ができるが、受験勉強を思っている人は受験勉強ができない。
人は見えているところには向かえるが、思っているものには向かえないものだ。

何も見えていないまま、思っていることだけを滔々とのたまうのをやめよ。
未来に向けて何を見ているかを問われたとき、未来に向けて何を思っているかを答えてごまかすのをやめよ。
「思っていること」はイメージであり、「見えていること」はイマジネールだ。
物事をイメージし、「思っていること」を加熱し、何も見えないまま取り掛かろうとしてすべては義務化したタスクみたいになって、疲弊する、投げ出す……というような、こんな馬鹿げたサイクルはさっさと放棄することだ。

目隠ししてダーツゲームをやらされるように、「見えていない」は不利に尽きる。

目隠しして「見えていない」状態にし、そのままダーツの練習をしたとして、スコアが出るわけがないし上達もするわけがない、その状態で勝っただの負けただのは完全に不毛で時間の無駄だ。
「見えている」という状態を得るためにはどうすればよいか? 目隠しを取ればいい。
そのほか | comments(0) |
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