☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
パーティ報告72(2)

「自信、というけれど、そもそも『信』という字はシグナルの意味を指している、信号とか通信とかいうでしょ」
「だから『自信』というのも、本来は"own signal"の意味にすぎない、『自信がある』というのは、自己の信号、own signalに基づいて行動するってだけだよ」
「仮にここで、英才教育を受け、成績優秀スポーツ万能、いいところに勤めて家族を持ち財を為したという人がいたとして、でもよくよく見ると、その人は『周囲に言われるがままにしてきただけ』ということがよくある、own signalで行動したことが一度も無い、ってことがよくあるんだ」
「そういう人を目の前にすると、『あれ? この人立派な人のはずなのに、なぜこんな自信がないんだ?』って不思議に感じるものだよ。自信というのはもともとそういう性質のものだ」

「喉が渇けばジュースを飲みたいし、腹が減ればメシを食いたいじゃない。お金が欲しいし、女ならいいオスを捕まえたいし……でもこれらはすべて遺伝子(gene)のなせるわざで、何もown signalじゃない、遺伝子に乗っかって生きてりゃ誰だってそうだっつーのという話でしかない。遺伝子が興奮するというアホの話を聴きたくはないのは、それが不当だからじゃなくて陳腐だからだ」
「own signalには『性質』がある、この性質に基づいたメソッドを持たないと努力なんて不毛だ、この『性質』に基づいたとき、正当なメソッドは『自信をもって、未来に向かわないといけない』となる/(切り離された未来ではなく、現在とつながった未来に)」。
たとえば豆を掴むべく箸を動かすとき、狙うのは箸の先だろ? でも実際に動いているのは手であり指だ、箸先を見失って自分の手や指にこだわったら、逆に手も指も力んで、動かし方が行方不明になってしまうだろう。
実際にあるのは「今」で、しかし狙っているのは箸先、「未来」なんだ、この未来に向けて現在が動くんだよ、この箸先=未来が見えたとき、自身から自分を動かすsignalが発される、そのとき初めてown signalに基づいて行動することができるんだ、これが「性質」だよ。

検出結果:No own signal.

どれだけ遺伝子に駆り立てられていても、またどれだけ表面上を取り繕っていても、もしそういう検査装置にかければNo own signalで、それではもう誰が生きているのかわからない、自身の信号に頼らずヨソの信号に操作されているだけならロボットだ。
我の強い人はたいてい、本当の自信がないだろ? それは「我の強さ」が「利己的遺伝子」から生じているからだ、塩基配列が沸騰しているだけで、本人のsignalなんてどこにもないんだよ/自信をもって、未来に向かわないといけない。

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パーティ報告72
んというか、まじめに生きましょう。
まじめに生きるといって、それは、とことんふざけて生き抜いてやるという気概が必要なわけだが……
投げやりに生きるのはよくない、なぜかといって、「地獄」は割とフツーにあるからだ、投げやりに生きられるつもりでも、そうは問屋が卸さないように出来ているのだ、おっかねえなあ。
一度きりの人生なんだから(この人生は一回しかねーじゃん)、本当に正しいと思えるように生きること、すくなくともそういう「部分」が必要になるのだ、妥当さの中を生きているだけではやがてとんでもない窮状にぶつかったりしてしまうぜと、こういう脅かし方はあまり好きじゃないのだが、実際そうなのだからしょうがないのだった。

「求めること、求め続けて生きることで、手に入れることじゃない、求めるってことは欲しているということとは違うから」と僕は言った。
すると揃って、「かっこいい」と言われた、「へ?」と僕が答えたのは別に芝居ではなく、本当に意外だったからだ、「これってかっこいいのか、ふーん」と僕は大急ぎでこころのメモを取った(草)。
「求めるってのは、異常なことだよ、でも『異常』でなかったら、その人は自分の『常』から離脱できないじゃないか」と、このあたりは誰でも理解できることで、しかし誰でも実行できることではない。
「人は求めるというとき、他のことが耳に入らなくなる、それでおれなんか、正直これまで他人の話なんか一度もまともに聞いたことがないんだ」(この言い方はどうせ発狂志向のアホに誤解されるが、その誤解はもうしょうがないのだ)。

バスケットプレイヤーは、運動をしているのじゃない、点を取っているんだ。

点を求めるということ、それは0点の状況から2点を取るということで、いわば0点の現状を否定するということ、この「現状を否定して未来を求める」ということが、案外だれでもできそうで出来ない。
0点からシュートを決めたら2点で、100点からシュートを決めたら102点だ、そこに「現在の点数」なんて関係があるか? 他のことが耳に入らなくなるというのはその状態だ。
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第72回Quali's Party[9月16日(土)]無事正解!

9/18 Quali tweet>やっと落ち着いた。プレステやりた〜い。 pls entry

joined: ひろみ、りさ、かなみ、ゆか、しおん、くおり 
2017年9月16日(土)原宿竹下口交差点DinningBar CLIMB


おかげさまで無事盛会でした! 次回もよろしくお願いします!
九折

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祝第71回Quali's Party(四周年)盛会追想


第71回Quali's Party(四周年)盛会追想コラムアップしました。

今後ともどうぞよろしく。九折

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パーティ報告71(2)

「にくしみ(肉染み)派」と「肉抜き派」という言い方は、心当たりがあってよくわかるらしい、「肉を洒脱するほうがいい」、そりゃそうかとパーティで話した、洒脱はイケてるに決まっている。
肉に[1.情念が染みる/2.霊が宿る]という二種類があって、これは特に女性にとってはよくわかるみたいだ、女性は柔肌の生きものだからな、[1.情念が染みたら霊は宿らない/2.霊が宿れば情念は染みない]。
加山雄三の唄う「海、その愛」という歌があるが、「♪海に〜抱かれて〜男ならば〜」というのは、「大いなる海の霊が男の肉に宿る」というステキ状態のことを指しており、それは「オレぜってー勝ち組になりたいんだよね」という大学生情念が染みた肉の状態と違うよね、ということなのだった(雑な説明)。
一部、オカルト界隈では、むしろその「情念」のほうを霊と呼んでいる気配があるが、少なくとも僕はそういう捉え方はしない、陰気オカルト界隈の人の肉がスッキリさわやかだったことは古今東西に一度もない、情念漬け黒ロース肉には今後とも用事がないのである。

どうして人は、天地自然の聖霊をないがしろにし、「芸能人の○○が不倫、骨肉の争い!!」というような情念事象ばかりに注目するのだろうか、そんなん肉が泡立って真っ黒プツプツになりまっせ。
たとえば「月」といって、それは「岩石を主成分とした衛星」だろうか? われわれはその岩石衛星の反射光を見ながら、デンプンとグルテンで出来た団子を摂取して「風流」とのたまうのか、それは逆にマックス不自然すぎる生き方ではないだろうか。
まあ、情念が染みてしまったら、もう肉には月の霊なんて映りこまんけども……「わたし、とある情念に駆られて、筋トレしてたんです、その直後にあの記事を見ました、『ハードトレーニングは誰でもできる』という、つまりあああああ(A子談)」。
力でギュウギュウしたら、肉に染みるよ、そうでなく震わせて、舞って、流れて、情念を振り払う、キレーなもんじゃないか、女性の白い柔肌に情念が染みをつくるなんてライオン石鹸の精神が許さないだろう。

「四年間、いろいろあったけど、ここまでずっと来てくれた人は、とりあえず老いさらばえはしなかったね」と僕は言った。

あ、これでようやくパーティ報告になったな、四年間というのはけっこうな時間で、いくらでもゴリゴリに老いさらばえるということがありうる、そのことが防がれただけでも大収穫というべきじゃないか。
最近割と冗談でなく綺麗になった大阪Yさんは、「去年の七月一日にわたしの人生始まったんですよ〜」と言った、「そりゃまあ、そうか」と今になって思い返せる、ただし綺麗になったといってもしょせん頭打ちのモンだと明言しておかないと大阪Yさんはマックス調子に乗るので釘を(五寸釘を)刺しておこう、おれたちみたいなモンはこんなモンである。

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パーティ報告71
あ……飲みすぎた……
いつのまにか、パーティのときには異様な能力を長時間使うので、月曜日の夜ぐらいまで人心地が回復しないのが定例になった。
今回は本当に飲みすぎてしまったので、朝5時には散会して早退(はやび)けさせてもらったのだが、よくよく考えれば朝5時が「早退け」というのは元がすでにおかしいかもしれない。
今回で四周年(復活四周年)ということだったのだが、それで何か特別なことがあるかというと、特になくて、ただ奇縁といえば小林アニキが店長に復帰していたし(きっと儲かっているに違いない)、そのとき店内にはviva la vidaが流れていた、「こんなことはよくある」と僕は投げやりに言った。

四年間、ということは48回ぐらいやってきているわけだが、すげえなと思いつつ、まあもう酔っ払っていたのでわけがわからん。
朝5時が早退けというのはおかしいと思いながら、しかし終電で帰る人にとっては、19時から23時半なんて、本当に「あっという間」だと思う、居心地が悪いと時間は長く感じるものだが、ゲラゲラ笑っていると四時間なんてあっという間だ。
ん? これ、パーティ報告になってない?
まあいいじゃないか、とりあえず報告するとすれば、「特に何もありませんでした」、何かあれだねえ、ちょっとは何か真面目に話せよということになると、いっそ別の飲み会を新たにセッティングしたほうがいいな(いやそれは負担が増える)。

今後とも、どうぞ、よろしく。

「第100回の開催に現実味が出てきましたね」「まあそうだな」、僕は「始めた理由がないのでやめる理由も見つからん」と言った。
うーん、特になし、特になしだが、僕はこの「特になし」に到達したかった、その意味では計画通りともいえる(ただし飲みすぎを除いては)。
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第71回Quali's Party[8月19日(土)]無事盛会!

8/19 Quali tweet> パーティ前、先に酒を飲みたくなる問題。耐えろ。 pls entry

joined: (新)いく、ひろみ、あきら、ゆか、こりん、かなみ、りさ、くおり
日時:2017年8月19日(土)19時〜23時
場所:原宿竹下口交差点DinningBar CLIMB


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パーティ報告70(4)

回は報告が多いな、しかしこのことも忘れないうちに報告しておきたい(忘れる気マンマンかよ、という指摘もある)。
「高貴、高貴!」という揶揄の仕方もして遊んだのだが、これは実に重要なことだった/実は「高貴な人は何も身につかない」という法則があるのだ。
法則というか、性質というべきなのかもしれないが……たとえば料理は料理人の業(わざ)だし、武術はサムライの業だ、ここで気づかれねばならないのは、「高貴な人は料理人になんかならない」し、「殿様はサムライにならない、むしろ殿様に『仕える』からサムライなんだろ」ということだ。
「たとえばバイオリンなんかが、いかにも高貴なイメージがあるけれど、気づかなきゃいけないのはここだ、『高貴な人』はバイオリンの演奏を聴きに来る側の人であって、バイオリンを演奏する人の側が高貴なのじゃないよ」と僕は話した。

これは我ながら、重要な指摘をブチ込めたと、よろこんで自負している、実は能力や努力うんぬんでなく、「高貴さ」がすべてを支配しているところがある。
たとえばあなたが、「学門はわからんし、仕事もいまいち、料理も運転もへたくそだし、歌や踊りやおしゃべりや笑いもモッサリで、文武両道? 武術なんか一番身につかないだろうね」という人の場合、それは能力が低いのではなく、気質が「高貴」だからなのだ、「高貴」だから身につかないという鉄則がある。
高貴な人というのは本来、身支度も食事も執事や家令がやってくれるもので、「仕事」なんてもってのほか、自分でするべきことはせいぜい頬に高級な粉をはたくことだけだ、高貴な人は本能的に「自分は何一つやる必要はないし、何一つやるべきではない」と知っているので、何かが出来るようには絶対にならない。
問題は、家に執事も家令もいないのに、その「高貴」がどこまで維持できるかだ、「高貴」が自分で検索してアンジエイジングをしているのでは目も当てられないだろう/「どうすればいい?」と訊かれて、「うーん、カリブ海の船上パーティで石油王に見初められて婚姻し、執事と家令にかしずかれる暮らしを手に入れるしかない」と、めちゃくちゃな話をした。

「あっしみたいな下賤は、いろいろできるようにならにゃいかんかったんです」と僕は話した。

みんなゲラゲラ笑ってくれたし、「高貴、高貴!」と囃すと、「やめて、助けて〜」と笑うようだったから、みんなマトモだ、それでいて「たしかにどこかで高貴ぶってるよ」「カマトトぶってるもん」とみんな自戒するようであったから、これから先は何か新天地があるかもしれない。
現代にはスターシステムというものがあって、芸達者を「スター」に仕立てる仕組みがある、それによって人々は「スター」に憧れ、「向上心」はいつの間にか「高貴さ」に向かうようになるのだが、本来は逆だ、気質が高貴さに向けて加熱していくようでは、本人の芸は勢いよく下落していくのみだと、僕のような河原者はお話ししておきます。

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パーティ報告70(3)

回、パーティの最中、わずかだけ声を荒げてしまうシーンがあった。
それは、僕自身こんなに強い尊厳を覚えていたのかと、今になって自分で驚きもするのだが、学門(学問)が嘲弄されたからだ、もちろんそのことの発話者においては、そんな嘲弄をする意図があったわけではない。
だが僕は、血相を変えてねじ込んだと思う、「学門は"趣味"じゃないぞ、『学門』というジャンルだぞ」と/なぜ血相を変えてまでそう言わなくてはならなかったか? 今になってその理由がわかるようになった。
「学門」というのは、「知識」ではないのだ、「学門」というのは「この世界とお話すること」そのものなのだ、僕はこれを「知識」にごまかそうとすることに、やってはいけない歪曲の気配を確信する、それはたとえば神学のすべてに向けて「つまり祈ってればいいんですよね!」と総括するようなことで、必ず罰の下るような凶相の行為なのだ。

「学門」は「知識」ではないのだ、このことがわかっていない人は、学校に通っていた時間のすべて本質的に無意味な時間と感じていただろう。
「学門」とは、「この世界の声を聞くこと」、つまり「重力があるからリンゴが落ちるんでしょ?」という「知識」が学門なのではなくて、「質量をもった物体は力を受けると加速を生じ」「地球の質量から生じている引力に引かれた物体は9.8m/s^2で加速し続ける」というこの世界の性質を聞き遂げるのが「学門」だ。
僕はあなたに、「救いがたい愚者」になってほしくはない/「救いがたい愚者」はここで、「むつかしい計算はわかりませんけれど、つまりその加速し続けるっていうのが重力っていうことですよね?」と自分で言い直す、必ず「学門」を「知識」にすり替える、この決してやってはいけない禁忌をどうしてもやってしまう。
現時点のレベルで、その学門の内容がわからないのはいいのだ、それはまだ勉強不足で「そのレベルの世界の声は聞き取れない」ということなのだから/しかしこれを嘲弄して「知識」にすり替えてしまうと、この世界には「声」などないということになってしまう、その行為だけは絶対にやってはいけない、あなたの「知識」がこの世界を席巻して超越するなんてことは絶対にありえないのだから。

百姓は、「農作業」をしているのではなく、「作物が実る」という学門をしている。

もしあなたが百姓になり、死ぬまで「農作業」を繰り返すだけだったとしたら、あなたの暮らしは生き地獄じゃないか/農作のノウハウのすべてを暗記しているということは、「作物がどう実るかを知っている」ということではない、人工知能が「作物の実り」を学門することは決してない。
あなたが人間のこころについての「知識」をすべて持っていたとしても、あなたは自分の「こころ」に何の手出しもできないし、何の解決にも向かえず、どこに進むこともできないだろう、それはこころについての「知識」を持っているだけで、「学門」を得ているわけではないからだ、「知識」はペラペラの紙に書かれた何かを暗記していますというだけのヒマなことにすぎず、それはこの世界の声を聞き取りながら生きているということにはならない。

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パーティ報告70(2)

ーティでは「天地自然」ということを話した。
「天地自然」というと、これまたやべー奴が話題にしそうではある、が、これはどうしたらいいか……
「天地自然」というのは、われわれが生きている世界のアタリマエのやつのことを指しているのだが、なぜか現代ではこれをバカにしなくてはならないという風潮があり、この風潮にしたがって「天地自然」をバカにしたものは、生き地獄に陥るという性質がある。
「天地自然」というのは、風が吹いたり雨が降ったり、夏が来たり秋が訪れたり、木々が茂って海が凪ぎ、空が晴れわたり雲が光ったりすることのすべてを言うのだが、現代人はこれを嘲笑することによって自ら生き地獄を選ぶのがブームになっているのだ、おっかねえなあ。

われわれは自分にこだわりすぎで、ひいては「人」にこだわりすぎだ。
自己愛や承認欲求、自意識過剰や「怨み」が肥大していて、それらは次第に破裂に向かっているのだが、実はこの「人」についてのこだわりは、「人」についての根性では修正が利かないようにできている。
自己愛や承認欲求、自意識過剰や「怨み」は、「天地自然」によって慰められ、「天地自然」に諫められることでしか、解決しないのだ、この解決をゼロにするというのはもちろんおそろしいことになる。
風が吹いたり雨が降ったり、夏が来たり秋が訪れたり、木々が茂って海が凪ぎ、空が晴れわたり雲が光ったりする、そのことに「こんな大きなものがあったんだ」と包まれることでしか、われわれは「人」についてのこだわりをやめられないのだ/僕はこの天地自然の中、街があり、「人」はちっぽけなものだと思っている。

かつてこういう歌があった、「菜の花畑に入日薄れ見わたす山の端霞ふかし」。

加山雄三が「海よ、おれの海よ」と唄うし、桑田佳祐も「稲村ヶ崎は今日も雨」と唄う、「白樺青空南風」にこぶしが咲いていたり、あるいは「川の流れのように」であったり、はるばる函館に来たり襟裳の春は何もなかったり伊勢崎町がシュビドゥバだったりするが、われわれはこういう歌を聴かなくなり、失っている、これはもったいないことだ。
何もかもが、「キミとボクが会いたくてドカーン」ばかりではないのだ、「天地自然」/うーん申し訳ないが、僕はあなたより天地自然のほうが大きくてうつくしいと思うよ。

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パーティ報告70
まで快適に過ごせたが、内容はえらく濃密だったのかもしれない、今思えば。
今回のような安定感はこれまでになかったし、同時に、密度もこれまでに最高のものがあったのかもしれない、ただ、原宿の夜更けに集まって「チャクラ! チャクラ!」とか言っているのはどうなんですかね……(ドン引き)
しかもその「チャクラ!」とか言っているのが、マジに効果を発揮するのだからタチが悪い、体力はみるみる恢復し、隣の部屋の喧噪まで鎮めるというのは、さすがにいよいよどーなの、といってもおれが犯人なのだから言えた立場ではないが、なんかもっとこうフツーにオシャレな感じにならんかね(ならない)。
そういえば、女子大生ちゃんに向けて、いちおうフツーの就職活動の話もしたな、企業就職というのはつまり「モノを作るか」「サービスを売るか」なのだが、そういった堅実でステキな話をもっとしようねと思うのだった。

例によって九折さんの霊的リーディング()が炸裂し、「あなた大学時代に、毛羽だった白いニットを着て、黒いチノ? のズボンを履いて、図書館で窓際に座って黒縁メガネで本を読んでいて、そのとき好きな人がいた? そして最近は何か転機があって、問題が解決して『軽く』なり、それは買いたい靴の趣味が変わるほどで、デニム生地のスニーカーとか買っちゃう感じになった? あとあなたは今日Mちゃんを見て自分の学生時代を思い出し、Aちゃんを見て自分と似てるって内心思ったんだよね?」という、この当てずっぽうがことごとく的中するというほどで、こんなんマジでヤベー奴やんとわれながら思うが、まあ酒のアテになるからしょうがないだろう、こんな超能力があっても酒の肴にする以外はまったく何の役にも立たない。
あと、隣の部屋で飲んでいたグループの女の子ちゃんが、ヒジョーに泣きそうな顔で僕を見つめていたが(おれがトイレに立ったときね)、あれはどうしてやればよかったんだ、何か今も胸に突き刺さるものが残っていて僕としても困っている。
パーティにしてもワークショップにしてもどうだが、遠巻きに「これって何の集まりなんですか」とヨソの人に訊かれることがよくある(とてもよくある)、たぶん何かを見つけているのだろうが、これを拡大する方法がねぇんだよ、誰か何かいい方法を教えてくれ。

当パーティでは、一切のオカルトおよび宗教、神秘主義、またマルチ商法等への勧誘を禁止しております。

朝まで健啖に飲まねばならないので、僕はつい何かしらの術みたいなものを使ってしまうが、それは魔法ではなくただの人間の力で、おれが獲得したのではなくみんなが失っただけだ(といいつつも、「明らかそんなことないでしょ」とみなさんには呆れて言われるので、最近は少々自戒することにしている、まあこっそりそういう術を使うこともあるけど、別にいいだろ!)。
そういえば、誰しも新天地にゆかねばならないが、「無為無策は一番まずい」とみんなで合意したな、何か自分なりに筋道を考えていかねばならない、それは誰しものことなのであった。
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第70回Quali's Party[7月15日(土)]無事盛会!

日時:2017年7月15日(土)19時〜23時
場所:原宿竹下口交差点DinningBar CLIMB
Joined: ひろみ、あきら、りさ、こりん、ゆか、まなみ、くおり
7/17 Quali tweet> もう何曜日なのか何時なのかわからん〜 pls entry


おかげさまで無事盛会でした!
次回もよろしくお願いします。九折

(ん? ポスター作ってない? そんなことは忘れたのでオマエらも忘れろ次回はちゃんとやる)


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パーティ報告69(2)
回のパーティはなぜか特にごきげんで快適だった。
僕はアドバイス的な発想はやめてしまった、それは新しい関係のためでもある。
「関係」ということが話され、その話はみんなに心地よく、また単純に重要なこととして滲みていったふうだった。
「成り立っている関係というのは、見ているだけで気分のいいものじゃないか、そのみんな大好きなものが、枯渇しているってわけだ」と僕は話した。

昔話などをして、僕と友人がどういう「関係」だったか、僕と先輩が、僕と後輩が、僕と恋人が、どういう「関係」だったかを話した。
成り立っている関係というのは、見ているだけで気分のいいものだ。
僕が先輩にコキ使われるのは、そういう「関係」として、(大変ではあったけど)気分のいいものだったし、僕も後輩をコキ使うときには、そういう「関係」として気分のいいものでなくてはならない。
今多くの女性はきっと、女性という「立場」と「役割」を、「我慢」して引き受けているのだと思う、しかし「我慢」して家事を担当している奥さんは数ヶ月で旦那を投げ飛ばしたく思うだろう、それは当たり前のことだ。

「おいハイボールがねえわ」と僕が言うと、彼女は「あ、はい」と腰を浮かせた/戻ってきて彼女は、「このほうがずっと楽」と言った。

もし僕が、「ハイボール注文してくれない?」「あ、はい」「ありがとう」なんてやっていたら、必ず彼女を疲れさせただろう、そんな厚かましい「お願い」をするぐらいなら自分で立ち上がって注文しに行けばいいのだ。
「自分から"関係"を持ちかけていく、そういう仕手をする、得意なやり方を持つべきだ」と僕は話した、それぞれの納得と共に、「でもすごく勇気が要る」と彼女らは畏れて話していた。
そのほか | comments(0) |
パーティ報告69

「まとも」に生きていこう、ということを話した。
「かといって、今世間で言われている"まとも"をなぞろうとすると、われわれはブッ壊れて、まともではなくなってしまうので……」
「ありとあらゆる手段を駆使して、いろいろインチキをしてもいいから、われわれは"こころある"まともな生き方をしていこう」
「自分が生きていくのに、怨恨を残すのはイヤだもの」……まともに生きていこうねという繰り返しの話は、そのたび滲みとおるように受け取られた。

「環境、はヨソの誰かが影響する、この世界は陰謀に満ちているかもしれないし、放っておいてもイージス艦をコンテナ船にぶっつけるというようなヘマをやらかす、そんなもんはわれわれはどうしようもない」
「しかし、その環境の中でわれわれが何を発するか、それは完全に自分の責任なんだ、100%自分の責任として、われわれは自分の声を発し、自分の振る舞いを発している」
「この、100%自分の責任というのは、何かを背負わせようとしているのではなくて、一種の快楽なんだ、100%自分の責任ということがわかると、自動的に腹の全体にフツフツ湧き出るものがあるんだよ、これがスゲー便利なんだ」
「そもそもおれは、誰に対してもシンドイことなんか勧めないものな、おれは必ず楽なほう、解放のほうを勧めているよ、100%自分の責任ってことは、100%""自らに由る"ってことなんだ、それを字義通り"自由"というんだね」

ありとあらゆる手段を駆使して、「まとも」に生きていこう。

ある女性は、その翌日に就職面接があったのだが、面接を済ませてきて「案外悪い気分じゃなかった」「自分は一生身内でブツブツ文句を言いながら暮らしていくのだといつの間にか"思い込んで"いた」と連絡をくれた。
僕はヴェーダ哲学におけるウパニシャッドが説く梵我一如のことについて話したが、同時に「かといって、それでおれのブラッドボーンの腕前が上がるわけではないしな」とも話した、「まとも」という奥深い中庸が人間を一番健全に満たすのだと僕は思う。

そのほか | comments(0) |
第69回Quali's Party[6月17日(土)]無事盛会!

6/19 Quali tweet> えっ? パーティが終わってからポスター制作を!? Pls entry.

joined: ひろみ、りさ、こりん、あきら、まなみ、まいこ、くおり
date:2017.06.17(Sat) in Harajuku

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パーティ報告68(2)
ーティが終わるたび、もっとたくさんの人が来てくれたらいいのにな、と思うが、人を呼ぶナイスな方法なんて特にないので、まあしょうがない。
もっと気楽に来てくれたらいいのな、と思いつつ、僕が読む側の立場だったら、行かねーんじゃねえかなとも思うので、まあこれといって打つ手はないのだった。
完全にヒマだったら行くかな? と考えたが、そうでもない、行くかどうかは当人次第というか、当人の「活気状態」によると思う。
僕自身に置き換えて考えた場合、そもそも土曜日の夜に新しい場所に行ってみるということ自体、相当な「活気状態」になければ発想しないのだった、まあ全体的にそういうムードになったらいいのになあと、とりあえず夢想している。

思うに、当パーティは、「休日はわりと一人でこっそり美術館に行く」というような人に向いていると思われる。
人間のタイプは大別すると、エンジョイ派と感動派に分かれると思うが、完全なエンジョイ派の人はさすがに合わないだろう、当パーティはまったく大騒ぎするための催しではない。
異性にモテるくせに、デートの誘いを断って休日はこっそり一人で美術館に行ってしまうというような人は、芸術のもつナゾの力に「ううむ? んんん?」と引き寄せられたままなのだから、そういう人には向いているだろう。
袖すり合うも多生の縁だと、冗談でなく思うので、ダサい言い方だが出会いの交差点は必要だ、「あのときあの人とすれちがった」ということはしばしばかけがえのないものになる、そういうのがとってもいいよね。

わかっているくせにこない奴は、考え方を変えるように。

もちろん、ややこしい奴というか、万事がちゃんとしていない奴は来るなよ、そんな奴は来たって叩き出すだけだからな/なんだってフツーの充実から始めようじゃないか、フツーの充実を否定する奴には用事はないぞ。
本当の問題があるとすれば、人々が活気状態でなく断片状態に向かっていることが本質的問題であって、僕はできたら活気状態へ寄与するほうに属したいのだ、というわけでまた来月もやりましょう(よろしく)。
 
そのほか | comments(0) |
パーティ報告68
"本性"を知ってガッカリした、ということがよくあるらしい(おれのことじゃないぞ)。
女性が男性の誰かに対して、その"本性"を知ってガッカリしてしまった、ということがよくあるそうだが……
とはいえそういうとき、「じゃあ自分の側の"本性"はどうなんだろうな」と訊かれてみると、そちらはそちらで「たいがいだ」ということがよくある。
僕はさしあたり、「"本性"で付き合うとかいうのは、思われているよりカンタンなことじゃねーよ」と、年長者ぶって言うしかないのであった。

セックスが原因で男と別れるということもよくある(よくあるそうだ)。
それについても僕は、「そーゆーのはむつかしい、セックスとかは思われているよりむつかしい」とでも話すしかない。
何もかも、つまり仕事も生活も、恋あいもセックスも、学問も技術も、あるいは料理や車の運転でさえ、すべては「思われているよりずっとむつかしい」だろう。
それらを、一応できている「ふう」にすることは誰でもできる、でも本当にそれを会得して営むのはとてもむつかしいことだ/いいじゃないか、むつかしいのだから難儀してあたりまえだ。

計画的に難儀しろ。

バーッと一気にいけるときは、一気にいけ、諸事情からじっくりいかねばならないときは、じっくりいくべきだ、それを無計画にするのはただのクラッシュにしかならず、勇敢な足取りとは言えない。
哀しい話の逆、「セックスで付き合ってしまい、本性を知って感動した」なんてストーリーがあれば一番いいな。
そのほか | comments(0) |
第68回Quali's Party[5月20日(土)]無事盛会!

5/22 Quali tweet> 夏だぜ〜 pls entry

joined: ひろみ、こりん、まいこ、しおん、あきら、かなみ、はるな、くおり
日時:2017年5月20日(土)19時〜23時 場所:原宿竹下口交差点DinningBar CLIMB


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おかげさまで無事盛会でした! やっぱり夏の夜っていいな!!
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パーティ報告67(2)

ーティにて、ある人は僕のことを、「きわめて強靭な、まともな人」と評した、「実はまともな人で、ただ異様に強靭なだけなのだ」ということで。
その評はたぶん当たっていると思うし、僕もそのようでありたいとしか思っていないし、またその評者が自身のことについて「まともになりたいんです」と自己評価したのも、当たってはいると思う。
僕は、僕の評されたことの逆、「ひどく軟弱で、実はまともでさえない人」という存在を第一に忌む。
では「まとも」とはどういうことなのか? ということになるが、僕は「まとも」ということはすなわち「文化」を所有しているということだと思う、「まとも」ということは単に精神性に根差されはしない、文化がなく自己精神しか持たないものは「まともじゃない」と僕は考える。

「文化」=「まとも」、それはつまり、あいさつや言葉遣い、他人への配慮や思いやり、敬いのこころ、年長者と年少者、男女が互いに向け合う節度を持つ、といったようなことへ結び付く。
落ち着いた声で、わかりやすいように話し、適切な話題を選ぶこと、またそこにジョークやユーモアを挟みこんで和合の足しにすることなど、それらは当然「文化」に属する振る舞いだろう。
この「文化」を、情報として知っているだけで、実はまったく身についていないという人が少なくない、そういう人は「まともじゃない」と僕は感じる。
作り笑顔でウソの声を出している類は、「文化」とはまったく感じないし、かといって思いつめて沈黙したり吐き出したりしているのも、「文化」とはまったく感じない、そうして文化を所有しない者がいくら精神的に加熱しても、それはただ「まともじゃない」という印象しか僕は受けない。

「まとも」であることが、最大かつ最低限の魅力だ。

四年前の八月に、僕は「まとも」なものが保持されることに寄与したくて、パーティ企画を再開した、以来43回にわたって、ひたすら「まとも」ということのありようを、実物として示し続けてきたつもりだ。
「キモチが大事なのよ!」と、誰が言い出したのだろう、人は文化なしにまともにはなれないのに/僕はそういう不毛なキモチ合戦に加担するつもりは一切ない。

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パーティ報告67
ーティの前日あたりから、やや気管支炎の症状があって、パーティ後、体力を恢復するのに時間が掛かってしまった。
現代、日本人はおおよそ無神論の感覚で生きていると思うが、ここ数年は、無神論に加えて「無性論(むせいろん)」の感覚があるのだと思う/「カミサマ」を馬鹿くさいと感じるように、「オトコ」「オンナ」を馬鹿くさいと感じる状態のことだ。
男女という性別が、ノンフィクション上にあるのはやむをえないことだが、それぞれが「男だから」とか「女だから」とかいう性的なストーリーを生きてはいない、これは無神論になぞらえて無性論と呼ぶことができる。
無性論の感覚で生きる人間は、何も悪くないが、どうやら「自己を追求する」という動機そのものも消失してしまうようだ、今回は「無性論者は自己の追求を放棄する」という発見が得られた。

かといって、もちろんこのご時世に「オトコ!」「オンナ!」「セックス!」なんて求めている奴は、気色悪いに決まっている、たいていそこに思い描かれているのは性愛ではなく性癖のセックスだからだ。
とはいえ、自分が生きるのに、カミサマもなければセックスもないとなれば、あとは娯楽と労役と納税しか残らないのだが、娯楽と労役と納税だけであと四十年生きろと言われたら誰だって生きる気をなくすだろう。
「神業にいたる必要はないけれど、神業に至っていないものを"評価"するべきじゃない、"評価"なんかもらわなくても生きていけるだろ? 要りもしないものを求めるのは厚かましいよ」ということを話した。
生きるための業を「生業(なりわい)」といい、それにとどまらない神がかりの業を「神業」というのだが、出来ることなら生業の料理人より神業の料理人に、メシを作ってもらいたい、そういうメシが食いたいんだよな? そこをフェアに行こうぜということを話した。

僕が翌朝まで話し続けるのをやめないのは、そういう強さを自分に追求しているからだ。

たかだか酒の十杯と、十二時間ぐらいで、脳みそがヘバっていてどうする、最初から最後までおれは完全に面白くないといけない、と、僕は自分を追求している、人に勧めるようなことではないが僕自身はそうしている。
十二時間どころか、けっきょくほぼ二十四時間話し込んだわけだが(翌日の18時まで話していた)、ちょっと気管支炎のせいで最後はヘバったところがある、こんなんじゃ弱いなと僕は納得できずにいるのだった。
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