☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
パーティ報告73(5)
かしいな、今回のパーティは、正直僕の体調が低迷していて、いまいちキレがなかったと思ったのだが、今回に限って振り返るとやたらに書き話すことが多いぞ、本当はグラセフ4のニコ・ベリックについても話さないといかんのに。
まだまだこんなもんじゃないんだが、いいかげんキリがないのでこのへんにしておこう、これってアレかね、まーた何か知らん現象で、密度が上昇してるってことなのかね(それとも単なる気のせいかね)。
今思っていることは、なぜか今さらになってだが、パーティはこれからもぐいぐいやっていこうということ、もっと前向き&前のめりにやっていいということが、なぜか今回確認された。
ワークショップの需要も、今さらだがやはりあるねえ……今回は青年一名の根本的な成長が確認された、今になって去年のワークショップはずばり正しくてテキメンだったことが証明されているのだった、これぐらいはたまには自慢させていただく(当該青年は、大学卒業と就職内定おめでとう)。

ぐちゃぐちゃに報告すると、やはり僕の身体動作は、断然速くなっているらしく、動作はそろそろ「見えない」「消えている」というあたりに近づいてきたようだ、まあ店内の照明が暗かったからというのもあるとは思うが。
文学志望の人間が、月ごとに身体動作が速くなるというのはどうなの……とも思うが、まあしゃあない、あとそういえば、一人の女性のネックレスをいじくって「おしゃれ」を実現して歓声が上がるというシーンもあった。
「彼女は、このニットじゃ胸元がさびしいから、ネックレスをしているわけだけど、このネットはもともと胸元がルーズなものだから、そこにネックレスを垂らすとルーズにルーズが重なって、ややだらしなさが出てしまうの」と説明して、ネックレスを垂らすのではなく首元に二重巻きにした。
そうすると、そういうことに対しては、女性陣の反応は早いな、「あ!」「ああっ!」とソッコーだ、「絶対そっちのほうがいい!!」「九折さんすごい!!」、こういった鮮やかな称賛は、僕がどんなスゴイ小説を書いても頂けないものであった(お前らみたいなモンはホントなぁ……)。

パーティを続けるのは、みんなの大好きなものがあるからだ。

ようやく、ひとつのことがわかりかけている、厚かましい僕にはわかりにくいことだったのだが、どうやら多くのまっとうな人は、「大好き」ということに、そのまま虚心で乗っかれるわけじゃない、「大好き」ということに向けて突然放り込める態度を持たずこれまでを生きてきたから。
参加者のみなさまへ、これはひとつのコンセンサスです、僕はほとんどの範囲で人が持つ「躊躇」のシステムをどうやらわかっていません、僕は人のありようを穿って見る性癖はないので、あなたが内心で「躊躇」をしているとき、「躊躇」は何ら九折さんには伝わっていないと覚悟しましょう、だっておれそういうのホントわかんないからね、ごめんね。
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パーティ報告73(4)

「人が、『話す』ってことはな、話の内容やないで、みんな話の内容やなく、その『人』を見よるで」
「たとえばおれが、こう……『おれは京都でいうと、中心地じゃなく、宇治川のあたりが好きなんだよな』、と話すわな。この声でな。そうしたら、誰も別に宇治川のことなんかわからへんやろ、そうやなくて、それを話している『こいつ』のことがわかるやないか」
「はい。たしかに、何か安心しますね」
「そう。人が話すということは、内容じゃなく、『こいつ』が『こいつ』に伝わるということ、そうやって『人と人とのあいだ』に起こることを指して、人間世界というの、人が閉じこもってその内側に人間世界があるわけじゃない、人間ってもともとは『ジンカン』って読んだんだから」

「内容はなんでもええねん。人に、相手に、目の前の『こいつ』に伝えることやねん。それで、話の内容なんかようわからんけど、目の前の『こいつ』のことがわかるねん。『こいつ』が伝わるんやな」
「はい、そういえば僕、九折さんが話すことのなかで、『九折さんの話すまともなことシリーズ』っていうのを持っていて。温泉とか旅行とか食べ物の話とかされるじゃないですか。僕それが好きなんですよ」
「www お前、まるでおれの話すことの大半が、まともじゃないといわんばかりの……まあたしかにそうかもしれんが」
「まあそれはいいとして。とにかく、人が人に話すということは、話の内容以前に、『こいつ』が伝わるということ、自分がそうしているように、人は自分が話しているとき、話じゃなくて『人』を見よるで」

『お前、唐辛子を触った手で、目とか鼻とかこするなよ』

「たとえば料理をしているときに、そうはっきり『伝える』わな。伝えておかんとやってまいよるやろ。で、それをはっきり『伝える』ことで、『こいつ』がどんな奴か伝わるんや」
「ゆゆしき問題ですよ、これ、どうしましょう」と、そのことの不得手を自覚した誰かが青ざめて言った、「ほんとに、どうしような」と僕は答えた。

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パーティ報告73(3)
「割り箸、ジョッキ、セックス。これ、言葉だね。同じように言ってみて。割り箸、ジョッキ、セックス」
「割り箸、ジョッキ、セッk……あっダメだwwww」
「な、割り箸とジョッキには反応しないのに、セックスにはメラつくだろ。同じただの言葉なのに。こんな単純なことなんだ」
「これって、その、封印しているやつがけっきょく反応しているってことですか。そりゃそうですよね」

「みんなで揃って、おれに『バーカバーカ』って言ってみて」
「バーカ、バーカ」
「な、何も起きないだろ。じゃあ同じことを、彼女に向けてやってみよう」
「バー……あっ、ダメだwww 何かできない雰囲気がすでにあるwwww これってつまり滅却できてなくて、封印したもの同士が反応しあっているってことですよね。すごいわかる」

「こんなん不自由すぎるやろ」

「メラメラ、ウルウル、ワーの爆弾を、封印して埋めたとしても、そりゃ『地雷』になるだけで、そんなんぜんぜん平和な街ちゃうやろ、平和なふりしてちょっと脇道に入ると係員が出てきてピピーッて笛吹くような世界やで」
「たしかにwwwwww」
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パーティ報告73(2)
「え、じゃあ、九折さんは何一つ『我慢』はしていないってことですよね。封印しているわけじゃなくて、滅却してるってことですから」
「そりゃそうだよ、見りゃわかるだろ」
「じゃあ、めっちゃラクってことじゃないですか」
「そりゃそうだよ、見りゃわかるだろ」

「『立場』が、人にキャラをやらせるっていうか、我慢を強いるところがありますよね?」
「あるねえ。友人関係でも往々にしてそうだし、特に身内はね。身内はあるていど、そういう安全装置というか避難場所みたいな機能もあるから、しょうがないところだけど」
「アホな質問ですけど、どうやったらその滅却ってできるんでしょう」
「それについて、ここ数ヶ月で重要な発見をした。つまり、人間としてやるべきことが上位にあるから、他のしょーもないことが滅却されていくということ。その上位のものが見つからないかぎり、根性で滅却とかできることは決してないよ」

「あなたは何をしにこの世に生まれてきたの」

「少なくとも、メラメラしたり、ウルウルしたり、ワーッてなったり、そんなことをするために生まれてきたわけはないよな。でもいつのまにかそうなっちゃうの。生後六ヶ月以降は」
「この世界があって、自分が生まれ落ちてきている。でもこのことを本当に識ってしまうことは、一種の恐怖でもあるんだ。いろいろ生活上の事情もあるから、うまくやりくりしていかなきゃいかんしね。でも結果的に、ごくありふれた言い分に行き着いたんだ、つまり『あなたは何のために生きているの』っていう、ずっと昔からある定番の言い分でよかったんだ」
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パーティ報告73

「滅却」と「封印」は違う。
人は邪(よこしま)なこころを持つ。
とんでもないスケベごころや、プライド、嫉妬心、憎悪や不満、傲慢や反発など、下卑たこころをいくらでも持つ。
人はその邪(よこしま)なこころを、ふだんは封印している、我慢しているし抑圧している、それで一般的な「いい人」になるのだが/それは邪なこころを埋めてあるだけであって、邪なこころが「ある」か「ない」かといえば、バリバリに「ある」のだ、われわれはそれをなぜか「いい人」と呼ばされている。

「滅却と封印は違うだろ」と僕は言った。
「え、じゃあ、いくら封印していても、それは実際『ある』ってことで、けっきょく表に出てくるということですか」と問われ、「そう」と僕は答えた。
「今ここで、お前らが全員下着姿になっても、おれは変わらないし、おれが小説を書いているとき、アイドルグループの全員が裸でやってきても、おれは変わらん、それは我慢とか抑圧とかじゃなくて滅却ってことだろ」と僕は話した。
「それって、めっちゃ難しいっていうか、こうして実際にできる人がいるのは可能性としてわかるけど、自分でやれって言われたら絶対無理」と誰かが話した、僕は「うん、むつかしすぎて無理だ、と引き受けて生きていくのも正当な一手だと思う」と答えた。

「滅却」にはメソッドがある。

誰よりも僕が一番、これまでのスケベ「行為」は多くしてきたと思うが、必ずしも「行為」は「スケベごころ」を必要とはしていない/「行為」に必要なのは「識」だけだからだ、そして僕はスケベ行為は好きだがスケベごころは好きではない、スケベごころは正直キモチワルイ。
滅却するということは、無気力になるということではないし、関心がないフリをするということでもない、滅却するということは、「識」と「行為」に純化するということ/逆に滅却されていないということはただ「駆り立てられている」ということであって、実はそこには何の行為も発生していないのだった。

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第73回Quali's Party[10月14日(土)]無事盛会!

10/13 Quali tweet> 急に冷え込むなよ〜体調崩れるだろオイ pls entry



(ポスターはなかった、でもそんなことは
問題じゃなかった。いいね?)


joined: ひろみ、あきら、ゆか、まいこ、ゆうさく、くおり
日時:2017年10月14日(土)19時〜23時
場所:原宿竹下口交差点DinningBar CLIMB



おかげさまで無事盛会でした! 次回もよろしくお願いします。
鉄板揚げギョーザをサービスされちゃったぜ〜 九折


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パーティ報告72(2)

「自信、というけれど、そもそも『信』という字はシグナルの意味を指している、信号とか通信とかいうでしょ」
「だから『自信』というのも、本来は"own signal"の意味にすぎない、『自信がある』というのは、自己の信号、own signalに基づいて行動するってだけだよ」
「仮にここで、英才教育を受け、成績優秀スポーツ万能、いいところに勤めて家族を持ち財を為したという人がいたとして、でもよくよく見ると、その人は『周囲に言われるがままにしてきただけ』ということがよくある、own signalで行動したことが一度も無い、ってことがよくあるんだ」
「そういう人を目の前にすると、『あれ? この人立派な人のはずなのに、なぜこんな自信がないんだ?』って不思議に感じるものだよ。自信というのはもともとそういう性質のものだ」

「喉が渇けばジュースを飲みたいし、腹が減ればメシを食いたいじゃない。お金が欲しいし、女ならいいオスを捕まえたいし……でもこれらはすべて遺伝子(gene)のなせるわざで、何もown signalじゃない、遺伝子に乗っかって生きてりゃ誰だってそうだっつーのという話でしかない。遺伝子が興奮するというアホの話を聴きたくはないのは、それが不当だからじゃなくて陳腐だからだ」
「own signalには『性質』がある、この性質に基づいたメソッドを持たないと努力なんて不毛だ、この『性質』に基づいたとき、正当なメソッドは『自信をもって、未来に向かわないといけない』となる/(切り離された未来ではなく、現在とつながった未来に)」。
たとえば豆を掴むべく箸を動かすとき、狙うのは箸の先だろ? でも実際に動いているのは手であり指だ、箸先を見失って自分の手や指にこだわったら、逆に手も指も力んで、動かし方が行方不明になってしまうだろう。
実際にあるのは「今」で、しかし狙っているのは箸先、「未来」なんだ、この未来に向けて現在が動くんだよ、この箸先=未来が見えたとき、自身から自分を動かすsignalが発される、そのとき初めてown signalに基づいて行動することができるんだ、これが「性質」だよ。

検出結果:No own signal.

どれだけ遺伝子に駆り立てられていても、またどれだけ表面上を取り繕っていても、もしそういう検査装置にかければNo own signalで、それではもう誰が生きているのかわからない、自身の信号に頼らずヨソの信号に操作されているだけならロボットだ。
我の強い人はたいてい、本当の自信がないだろ? それは「我の強さ」が「利己的遺伝子」から生じているからだ、塩基配列が沸騰しているだけで、本人のsignalなんてどこにもないんだよ/自信をもって、未来に向かわないといけない。

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パーティ報告72
んというか、まじめに生きましょう。
まじめに生きるといって、それは、とことんふざけて生き抜いてやるという気概が必要なわけだが……
投げやりに生きるのはよくない、なぜかといって、「地獄」は割とフツーにあるからだ、投げやりに生きられるつもりでも、そうは問屋が卸さないように出来ているのだ、おっかねえなあ。
一度きりの人生なんだから(この人生は一回しかねーじゃん)、本当に正しいと思えるように生きること、すくなくともそういう「部分」が必要になるのだ、妥当さの中を生きているだけではやがてとんでもない窮状にぶつかったりしてしまうぜと、こういう脅かし方はあまり好きじゃないのだが、実際そうなのだからしょうがないのだった。

「求めること、求め続けて生きることで、手に入れることじゃない、求めるってことは欲しているということとは違うから」と僕は言った。
すると揃って、「かっこいい」と言われた、「へ?」と僕が答えたのは別に芝居ではなく、本当に意外だったからだ、「これってかっこいいのか、ふーん」と僕は大急ぎでこころのメモを取った(草)。
「求めるってのは、異常なことだよ、でも『異常』でなかったら、その人は自分の『常』から離脱できないじゃないか」と、このあたりは誰でも理解できることで、しかし誰でも実行できることではない。
「人は求めるというとき、他のことが耳に入らなくなる、それでおれなんか、正直これまで他人の話なんか一度もまともに聞いたことがないんだ」(この言い方はどうせ発狂志向のアホに誤解されるが、その誤解はもうしょうがないのだ)。

バスケットプレイヤーは、運動をしているのじゃない、点を取っているんだ。

点を求めるということ、それは0点の状況から2点を取るということで、いわば0点の現状を否定するということ、この「現状を否定して未来を求める」ということが、案外だれでもできそうで出来ない。
0点からシュートを決めたら2点で、100点からシュートを決めたら102点だ、そこに「現在の点数」なんて関係があるか? 他のことが耳に入らなくなるというのはその状態だ。
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第72回Quali's Party[9月16日(土)]無事正解!

9/18 Quali tweet>やっと落ち着いた。プレステやりた〜い。 pls entry

joined: ひろみ、りさ、かなみ、ゆか、しおん、くおり 
2017年9月16日(土)原宿竹下口交差点DinningBar CLIMB


おかげさまで無事盛会でした! 次回もよろしくお願いします!
九折

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祝第71回Quali's Party(四周年)盛会追想


第71回Quali's Party(四周年)盛会追想コラムアップしました。

今後ともどうぞよろしく。九折

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パーティ報告71(2)

「にくしみ(肉染み)派」と「肉抜き派」という言い方は、心当たりがあってよくわかるらしい、「肉を洒脱するほうがいい」、そりゃそうかとパーティで話した、洒脱はイケてるに決まっている。
肉に[1.情念が染みる/2.霊が宿る]という二種類があって、これは特に女性にとってはよくわかるみたいだ、女性は柔肌の生きものだからな、[1.情念が染みたら霊は宿らない/2.霊が宿れば情念は染みない]。
加山雄三の唄う「海、その愛」という歌があるが、「♪海に〜抱かれて〜男ならば〜」というのは、「大いなる海の霊が男の肉に宿る」というステキ状態のことを指しており、それは「オレぜってー勝ち組になりたいんだよね」という大学生情念が染みた肉の状態と違うよね、ということなのだった(雑な説明)。
一部、オカルト界隈では、むしろその「情念」のほうを霊と呼んでいる気配があるが、少なくとも僕はそういう捉え方はしない、陰気オカルト界隈の人の肉がスッキリさわやかだったことは古今東西に一度もない、情念漬け黒ロース肉には今後とも用事がないのである。

どうして人は、天地自然の聖霊をないがしろにし、「芸能人の○○が不倫、骨肉の争い!!」というような情念事象ばかりに注目するのだろうか、そんなん肉が泡立って真っ黒プツプツになりまっせ。
たとえば「月」といって、それは「岩石を主成分とした衛星」だろうか? われわれはその岩石衛星の反射光を見ながら、デンプンとグルテンで出来た団子を摂取して「風流」とのたまうのか、それは逆にマックス不自然すぎる生き方ではないだろうか。
まあ、情念が染みてしまったら、もう肉には月の霊なんて映りこまんけども……「わたし、とある情念に駆られて、筋トレしてたんです、その直後にあの記事を見ました、『ハードトレーニングは誰でもできる』という、つまりあああああ(A子談)」。
力でギュウギュウしたら、肉に染みるよ、そうでなく震わせて、舞って、流れて、情念を振り払う、キレーなもんじゃないか、女性の白い柔肌に情念が染みをつくるなんてライオン石鹸の精神が許さないだろう。

「四年間、いろいろあったけど、ここまでずっと来てくれた人は、とりあえず老いさらばえはしなかったね」と僕は言った。

あ、これでようやくパーティ報告になったな、四年間というのはけっこうな時間で、いくらでもゴリゴリに老いさらばえるということがありうる、そのことが防がれただけでも大収穫というべきじゃないか。
最近割と冗談でなく綺麗になった大阪Yさんは、「去年の七月一日にわたしの人生始まったんですよ〜」と言った、「そりゃまあ、そうか」と今になって思い返せる、ただし綺麗になったといってもしょせん頭打ちのモンだと明言しておかないと大阪Yさんはマックス調子に乗るので釘を(五寸釘を)刺しておこう、おれたちみたいなモンはこんなモンである。

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パーティ報告71
あ……飲みすぎた……
いつのまにか、パーティのときには異様な能力を長時間使うので、月曜日の夜ぐらいまで人心地が回復しないのが定例になった。
今回は本当に飲みすぎてしまったので、朝5時には散会して早退(はやび)けさせてもらったのだが、よくよく考えれば朝5時が「早退け」というのは元がすでにおかしいかもしれない。
今回で四周年(復活四周年)ということだったのだが、それで何か特別なことがあるかというと、特になくて、ただ奇縁といえば小林アニキが店長に復帰していたし(きっと儲かっているに違いない)、そのとき店内にはviva la vidaが流れていた、「こんなことはよくある」と僕は投げやりに言った。

四年間、ということは48回ぐらいやってきているわけだが、すげえなと思いつつ、まあもう酔っ払っていたのでわけがわからん。
朝5時が早退けというのはおかしいと思いながら、しかし終電で帰る人にとっては、19時から23時半なんて、本当に「あっという間」だと思う、居心地が悪いと時間は長く感じるものだが、ゲラゲラ笑っていると四時間なんてあっという間だ。
ん? これ、パーティ報告になってない?
まあいいじゃないか、とりあえず報告するとすれば、「特に何もありませんでした」、何かあれだねえ、ちょっとは何か真面目に話せよということになると、いっそ別の飲み会を新たにセッティングしたほうがいいな(いやそれは負担が増える)。

今後とも、どうぞ、よろしく。

「第100回の開催に現実味が出てきましたね」「まあそうだな」、僕は「始めた理由がないのでやめる理由も見つからん」と言った。
うーん、特になし、特になしだが、僕はこの「特になし」に到達したかった、その意味では計画通りともいえる(ただし飲みすぎを除いては)。
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第71回Quali's Party[8月19日(土)]無事盛会!

8/19 Quali tweet> パーティ前、先に酒を飲みたくなる問題。耐えろ。 pls entry

joined: (新)いく、ひろみ、あきら、ゆか、こりん、かなみ、りさ、くおり
日時:2017年8月19日(土)19時〜23時
場所:原宿竹下口交差点DinningBar CLIMB


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パーティ報告70(4)

回は報告が多いな、しかしこのことも忘れないうちに報告しておきたい(忘れる気マンマンかよ、という指摘もある)。
「高貴、高貴!」という揶揄の仕方もして遊んだのだが、これは実に重要なことだった/実は「高貴な人は何も身につかない」という法則があるのだ。
法則というか、性質というべきなのかもしれないが……たとえば料理は料理人の業(わざ)だし、武術はサムライの業だ、ここで気づかれねばならないのは、「高貴な人は料理人になんかならない」し、「殿様はサムライにならない、むしろ殿様に『仕える』からサムライなんだろ」ということだ。
「たとえばバイオリンなんかが、いかにも高貴なイメージがあるけれど、気づかなきゃいけないのはここだ、『高貴な人』はバイオリンの演奏を聴きに来る側の人であって、バイオリンを演奏する人の側が高貴なのじゃないよ」と僕は話した。

これは我ながら、重要な指摘をブチ込めたと、よろこんで自負している、実は能力や努力うんぬんでなく、「高貴さ」がすべてを支配しているところがある。
たとえばあなたが、「学門はわからんし、仕事もいまいち、料理も運転もへたくそだし、歌や踊りやおしゃべりや笑いもモッサリで、文武両道? 武術なんか一番身につかないだろうね」という人の場合、それは能力が低いのではなく、気質が「高貴」だからなのだ、「高貴」だから身につかないという鉄則がある。
高貴な人というのは本来、身支度も食事も執事や家令がやってくれるもので、「仕事」なんてもってのほか、自分でするべきことはせいぜい頬に高級な粉をはたくことだけだ、高貴な人は本能的に「自分は何一つやる必要はないし、何一つやるべきではない」と知っているので、何かが出来るようには絶対にならない。
問題は、家に執事も家令もいないのに、その「高貴」がどこまで維持できるかだ、「高貴」が自分で検索してアンジエイジングをしているのでは目も当てられないだろう/「どうすればいい?」と訊かれて、「うーん、カリブ海の船上パーティで石油王に見初められて婚姻し、執事と家令にかしずかれる暮らしを手に入れるしかない」と、めちゃくちゃな話をした。

「あっしみたいな下賤は、いろいろできるようにならにゃいかんかったんです」と僕は話した。

みんなゲラゲラ笑ってくれたし、「高貴、高貴!」と囃すと、「やめて、助けて〜」と笑うようだったから、みんなマトモだ、それでいて「たしかにどこかで高貴ぶってるよ」「カマトトぶってるもん」とみんな自戒するようであったから、これから先は何か新天地があるかもしれない。
現代にはスターシステムというものがあって、芸達者を「スター」に仕立てる仕組みがある、それによって人々は「スター」に憧れ、「向上心」はいつの間にか「高貴さ」に向かうようになるのだが、本来は逆だ、気質が高貴さに向けて加熱していくようでは、本人の芸は勢いよく下落していくのみだと、僕のような河原者はお話ししておきます。

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パーティ報告70(3)

回、パーティの最中、わずかだけ声を荒げてしまうシーンがあった。
それは、僕自身こんなに強い尊厳を覚えていたのかと、今になって自分で驚きもするのだが、学門(学問)が嘲弄されたからだ、もちろんそのことの発話者においては、そんな嘲弄をする意図があったわけではない。
だが僕は、血相を変えてねじ込んだと思う、「学門は"趣味"じゃないぞ、『学門』というジャンルだぞ」と/なぜ血相を変えてまでそう言わなくてはならなかったか? 今になってその理由がわかるようになった。
「学門」というのは、「知識」ではないのだ、「学門」というのは「この世界とお話すること」そのものなのだ、僕はこれを「知識」にごまかそうとすることに、やってはいけない歪曲の気配を確信する、それはたとえば神学のすべてに向けて「つまり祈ってればいいんですよね!」と総括するようなことで、必ず罰の下るような凶相の行為なのだ。

「学門」は「知識」ではないのだ、このことがわかっていない人は、学校に通っていた時間のすべて本質的に無意味な時間と感じていただろう。
「学門」とは、「この世界の声を聞くこと」、つまり「重力があるからリンゴが落ちるんでしょ?」という「知識」が学門なのではなくて、「質量をもった物体は力を受けると加速を生じ」「地球の質量から生じている引力に引かれた物体は9.8m/s^2で加速し続ける」というこの世界の性質を聞き遂げるのが「学門」だ。
僕はあなたに、「救いがたい愚者」になってほしくはない/「救いがたい愚者」はここで、「むつかしい計算はわかりませんけれど、つまりその加速し続けるっていうのが重力っていうことですよね?」と自分で言い直す、必ず「学門」を「知識」にすり替える、この決してやってはいけない禁忌をどうしてもやってしまう。
現時点のレベルで、その学門の内容がわからないのはいいのだ、それはまだ勉強不足で「そのレベルの世界の声は聞き取れない」ということなのだから/しかしこれを嘲弄して「知識」にすり替えてしまうと、この世界には「声」などないということになってしまう、その行為だけは絶対にやってはいけない、あなたの「知識」がこの世界を席巻して超越するなんてことは絶対にありえないのだから。

百姓は、「農作業」をしているのではなく、「作物が実る」という学門をしている。

もしあなたが百姓になり、死ぬまで「農作業」を繰り返すだけだったとしたら、あなたの暮らしは生き地獄じゃないか/農作のノウハウのすべてを暗記しているということは、「作物がどう実るかを知っている」ということではない、人工知能が「作物の実り」を学門することは決してない。
あなたが人間のこころについての「知識」をすべて持っていたとしても、あなたは自分の「こころ」に何の手出しもできないし、何の解決にも向かえず、どこに進むこともできないだろう、それはこころについての「知識」を持っているだけで、「学門」を得ているわけではないからだ、「知識」はペラペラの紙に書かれた何かを暗記していますというだけのヒマなことにすぎず、それはこの世界の声を聞き取りながら生きているということにはならない。

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パーティ報告70(2)

ーティでは「天地自然」ということを話した。
「天地自然」というと、これまたやべー奴が話題にしそうではある、が、これはどうしたらいいか……
「天地自然」というのは、われわれが生きている世界のアタリマエのやつのことを指しているのだが、なぜか現代ではこれをバカにしなくてはならないという風潮があり、この風潮にしたがって「天地自然」をバカにしたものは、生き地獄に陥るという性質がある。
「天地自然」というのは、風が吹いたり雨が降ったり、夏が来たり秋が訪れたり、木々が茂って海が凪ぎ、空が晴れわたり雲が光ったりすることのすべてを言うのだが、現代人はこれを嘲笑することによって自ら生き地獄を選ぶのがブームになっているのだ、おっかねえなあ。

われわれは自分にこだわりすぎで、ひいては「人」にこだわりすぎだ。
自己愛や承認欲求、自意識過剰や「怨み」が肥大していて、それらは次第に破裂に向かっているのだが、実はこの「人」についてのこだわりは、「人」についての根性では修正が利かないようにできている。
自己愛や承認欲求、自意識過剰や「怨み」は、「天地自然」によって慰められ、「天地自然」に諫められることでしか、解決しないのだ、この解決をゼロにするというのはもちろんおそろしいことになる。
風が吹いたり雨が降ったり、夏が来たり秋が訪れたり、木々が茂って海が凪ぎ、空が晴れわたり雲が光ったりする、そのことに「こんな大きなものがあったんだ」と包まれることでしか、われわれは「人」についてのこだわりをやめられないのだ/僕はこの天地自然の中、街があり、「人」はちっぽけなものだと思っている。

かつてこういう歌があった、「菜の花畑に入日薄れ見わたす山の端霞ふかし」。

加山雄三が「海よ、おれの海よ」と唄うし、桑田佳祐も「稲村ヶ崎は今日も雨」と唄う、「白樺青空南風」にこぶしが咲いていたり、あるいは「川の流れのように」であったり、はるばる函館に来たり襟裳の春は何もなかったり伊勢崎町がシュビドゥバだったりするが、われわれはこういう歌を聴かなくなり、失っている、これはもったいないことだ。
何もかもが、「キミとボクが会いたくてドカーン」ばかりではないのだ、「天地自然」/うーん申し訳ないが、僕はあなたより天地自然のほうが大きくてうつくしいと思うよ。

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パーティ報告70
まで快適に過ごせたが、内容はえらく濃密だったのかもしれない、今思えば。
今回のような安定感はこれまでになかったし、同時に、密度もこれまでに最高のものがあったのかもしれない、ただ、原宿の夜更けに集まって「チャクラ! チャクラ!」とか言っているのはどうなんですかね……(ドン引き)
しかもその「チャクラ!」とか言っているのが、マジに効果を発揮するのだからタチが悪い、体力はみるみる恢復し、隣の部屋の喧噪まで鎮めるというのは、さすがにいよいよどーなの、といってもおれが犯人なのだから言えた立場ではないが、なんかもっとこうフツーにオシャレな感じにならんかね(ならない)。
そういえば、女子大生ちゃんに向けて、いちおうフツーの就職活動の話もしたな、企業就職というのはつまり「モノを作るか」「サービスを売るか」なのだが、そういった堅実でステキな話をもっとしようねと思うのだった。

例によって九折さんの霊的リーディング()が炸裂し、「あなた大学時代に、毛羽だった白いニットを着て、黒いチノ? のズボンを履いて、図書館で窓際に座って黒縁メガネで本を読んでいて、そのとき好きな人がいた? そして最近は何か転機があって、問題が解決して『軽く』なり、それは買いたい靴の趣味が変わるほどで、デニム生地のスニーカーとか買っちゃう感じになった? あとあなたは今日Mちゃんを見て自分の学生時代を思い出し、Aちゃんを見て自分と似てるって内心思ったんだよね?」という、この当てずっぽうがことごとく的中するというほどで、こんなんマジでヤベー奴やんとわれながら思うが、まあ酒のアテになるからしょうがないだろう、こんな超能力があっても酒の肴にする以外はまったく何の役にも立たない。
あと、隣の部屋で飲んでいたグループの女の子ちゃんが、ヒジョーに泣きそうな顔で僕を見つめていたが(おれがトイレに立ったときね)、あれはどうしてやればよかったんだ、何か今も胸に突き刺さるものが残っていて僕としても困っている。
パーティにしてもワークショップにしてもどうだが、遠巻きに「これって何の集まりなんですか」とヨソの人に訊かれることがよくある(とてもよくある)、たぶん何かを見つけているのだろうが、これを拡大する方法がねぇんだよ、誰か何かいい方法を教えてくれ。

当パーティでは、一切のオカルトおよび宗教、神秘主義、またマルチ商法等への勧誘を禁止しております。

朝まで健啖に飲まねばならないので、僕はつい何かしらの術みたいなものを使ってしまうが、それは魔法ではなくただの人間の力で、おれが獲得したのではなくみんなが失っただけだ(といいつつも、「明らかそんなことないでしょ」とみなさんには呆れて言われるので、最近は少々自戒することにしている、まあこっそりそういう術を使うこともあるけど、別にいいだろ!)。
そういえば、誰しも新天地にゆかねばならないが、「無為無策は一番まずい」とみんなで合意したな、何か自分なりに筋道を考えていかねばならない、それは誰しものことなのであった。
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第70回Quali's Party[7月15日(土)]無事盛会!

日時:2017年7月15日(土)19時〜23時
場所:原宿竹下口交差点DinningBar CLIMB
Joined: ひろみ、あきら、りさ、こりん、ゆか、まなみ、くおり
7/17 Quali tweet> もう何曜日なのか何時なのかわからん〜 pls entry


おかげさまで無事盛会でした!
次回もよろしくお願いします。九折

(ん? ポスター作ってない? そんなことは忘れたのでオマエらも忘れろ次回はちゃんとやる)


キラキラ次回(8月19日[土])参加エントリはこちらから!キラキラキラキラキラキラ

宣伝コラム「パーティへの誘い その1」はこちらから!
宣伝コラム「パーティへの誘い その2」はこちらから!
宣伝コラム「パーティへの誘い その3」はこちらから!
宣伝コラム「パーティへの誘い その4」はこちらから!
宣伝コラム「パーティへの誘い その5」はこちらから!

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パーティ報告69(2)
回のパーティはなぜか特にごきげんで快適だった。
僕はアドバイス的な発想はやめてしまった、それは新しい関係のためでもある。
「関係」ということが話され、その話はみんなに心地よく、また単純に重要なこととして滲みていったふうだった。
「成り立っている関係というのは、見ているだけで気分のいいものじゃないか、そのみんな大好きなものが、枯渇しているってわけだ」と僕は話した。

昔話などをして、僕と友人がどういう「関係」だったか、僕と先輩が、僕と後輩が、僕と恋人が、どういう「関係」だったかを話した。
成り立っている関係というのは、見ているだけで気分のいいものだ。
僕が先輩にコキ使われるのは、そういう「関係」として、(大変ではあったけど)気分のいいものだったし、僕も後輩をコキ使うときには、そういう「関係」として気分のいいものでなくてはならない。
今多くの女性はきっと、女性という「立場」と「役割」を、「我慢」して引き受けているのだと思う、しかし「我慢」して家事を担当している奥さんは数ヶ月で旦那を投げ飛ばしたく思うだろう、それは当たり前のことだ。

「おいハイボールがねえわ」と僕が言うと、彼女は「あ、はい」と腰を浮かせた/戻ってきて彼女は、「このほうがずっと楽」と言った。

もし僕が、「ハイボール注文してくれない?」「あ、はい」「ありがとう」なんてやっていたら、必ず彼女を疲れさせただろう、そんな厚かましい「お願い」をするぐらいなら自分で立ち上がって注文しに行けばいいのだ。
「自分から"関係"を持ちかけていく、そういう仕手をする、得意なやり方を持つべきだ」と僕は話した、それぞれの納得と共に、「でもすごく勇気が要る」と彼女らは畏れて話していた。
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パーティ報告69

「まとも」に生きていこう、ということを話した。
「かといって、今世間で言われている"まとも"をなぞろうとすると、われわれはブッ壊れて、まともではなくなってしまうので……」
「ありとあらゆる手段を駆使して、いろいろインチキをしてもいいから、われわれは"こころある"まともな生き方をしていこう」
「自分が生きていくのに、怨恨を残すのはイヤだもの」……まともに生きていこうねという繰り返しの話は、そのたび滲みとおるように受け取られた。

「環境、はヨソの誰かが影響する、この世界は陰謀に満ちているかもしれないし、放っておいてもイージス艦をコンテナ船にぶっつけるというようなヘマをやらかす、そんなもんはわれわれはどうしようもない」
「しかし、その環境の中でわれわれが何を発するか、それは完全に自分の責任なんだ、100%自分の責任として、われわれは自分の声を発し、自分の振る舞いを発している」
「この、100%自分の責任というのは、何かを背負わせようとしているのではなくて、一種の快楽なんだ、100%自分の責任ということがわかると、自動的に腹の全体にフツフツ湧き出るものがあるんだよ、これがスゲー便利なんだ」
「そもそもおれは、誰に対してもシンドイことなんか勧めないものな、おれは必ず楽なほう、解放のほうを勧めているよ、100%自分の責任ってことは、100%""自らに由る"ってことなんだ、それを字義通り"自由"というんだね」

ありとあらゆる手段を駆使して、「まとも」に生きていこう。

ある女性は、その翌日に就職面接があったのだが、面接を済ませてきて「案外悪い気分じゃなかった」「自分は一生身内でブツブツ文句を言いながら暮らしていくのだといつの間にか"思い込んで"いた」と連絡をくれた。
僕はヴェーダ哲学におけるウパニシャッドが説く梵我一如のことについて話したが、同時に「かといって、それでおれのブラッドボーンの腕前が上がるわけではないしな」とも話した、「まとも」という奥深い中庸が人間を一番健全に満たすのだと僕は思う。

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