☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
パーティ報告86(4)/基礎教育のコーナー「仁」

「それでは、ヴェジ青年をターゲットに、基礎教育のコーナーを始めまーす、みんなヴェジ青年を当て馬に、勉強するよろし」
「こんなことね、本来は、理屈で伝えるようなことじゃないんだけどね、ジンギレイチシンって知っているか、なんとなく聞いたことはあるかね、モッカドコンスイと同じような記憶で」
「儒教の基本、五徳ってやつだな、仁義礼智信、さてじゃあ一つ目の『仁』はわかりますか、『仁』ってなんじゃらほい」
「わからんか、そうだな、そういうもんだと思う、『仁義なき戦い』とかのタイトルは有名だけどな、じゃあ仁義ってなんぞやと言われると、実は誰もよくわかっとらんもんだな」

「仁というのは、単純には『思いやりのこころ』だ、自分の損得や感情とは関係なく、誰かのことを『かわいそうやん』と思うようなこころだ」
「義というのは、正義うんぬんでわかりやすいように、自分の損得や感情とは関係なく、人として『やらなあかんことがあるやろ』と見つけるこころのことだ」
「たとえば、電車で優先席というのがあるよな、ご老人や身体のお悪い人に席を譲るというやつ、あんなもんな、アホの話だぞ、優先席であろうがなかろうが、電車の座席なんか全部優先席じゃ、目の前にしんどそうなババアが立っていたら、『かわいそうやん』と感じ、『人としてやらなあかんことがあるやろ』と見つけないといけない、そうでなきゃ頭がパーだよ、これ基礎教育ね、とにかく理屈だけでも頭に叩きこんでおけ、仁と義だ」
「電車では、高齢者に席を譲るのが『マナー』とか言われているけれどね、こんなもんアホの発想であって、地獄行きの発想なの、何がマナーなものか、マナーって『方法』ってことだぞ、そんなもん、マナーであろうがなかろうが、目の前にババアがしんどそうに立っていたら、かわいそうだから『どうぞどうぞ』って席に座らせるだろ、マナーなんか要らんのじゃ、人々に思いやりの機能が失せたことを、マナー強制で補ったフリをしても無駄だ、諦めて地獄に落ちろ、いいかヴェジ青年、思いやりがない奴はクソだ、どれだけマナーがある善人のふりをしても、内部で思いやりのこころが機能していないものならクソなんだ、クソなものはクソと断じろ、自分がクソになる可能性も引き受けてクソはクソだと堂々と断じろ/いいか、おれは少なくともそう『教えた』ぞ」

「仁のこころを、言われてみると、持っていないだろ? それを持っていないってことは、自分が仁のこころを向けられたときにも、向けられたそれをすべて見落としているってことなんだ、それが一番まずいんだよ、見落としてきた分だけ、帳簿は真っ赤っかになっているぞ」

「ここしばらくで、己の仁のこころが発揮されたのはいつだ、どのときだ、思い出してみろ/って、こうして具体的に言われてみると、特に『ない』だろ、それがないってことは、仁のこころがないってことなんだ、こんなもの自然発生はしないんだよ、どこかでしつこく教育されないと、仁のこころなんて学べないんだ、そしてそれを教わってきていないってことは、思いやりのない世界を生き続けるってことなんだよ」
「半年かかった商談が、ようやくまとまって、金曜日におめでとーってなって、酔っ払って帰ってくるおっさんが、歩き煙草もできないのはカワイソーだろ、ガム噛んで帰れってのか? それが『カワイソーだけれども、どうかここは……』と、痛ましく思いやりながら、なおも言い渡すというのであれば、まだ歩行喫煙禁止区域というのもわからんではない、けれども、それを『正論』と思って言い放っている奴は、もう気が狂っているんだ、おれが狂っているか向こうが狂っているかのどちらかだよ/善悪と仁、善悪と思いやりは、まったく関係ないからね、おれは一ミリも善人ではないが、仁のこころがないのは単に性能の低いアホだと思っている、お前らも、別に悪い奴になってもいいから、仁のこころを学んで持てよ、いいか覚えておけ、いくら善人ぶったって、それで仁の代用はできないからな、今世の中には、仁義礼智信をことごとく持っていないポンコツが、己の低性能をごまかすために、必死で善人ぶっているというパターンがあふれかえっているんだ、そういう奴になってごまかしで生きるのはやめろよ」

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パーティ報告86(3)/都(みやこ)にはすべてがある
の他いろいろ……「お前は、やさしさに目をつけていたよな、やさしさというのは堂々としたひとつのジャンルで、それだけですべてを解決するぐらいの光を含んでいる、やさしさに目をつけるのはいいセンスだと思うよ」
「力が掛かると、物事はバラバラになる、今目の前で見たとおりだ、よく知っておかないとね/感受性は、必ず『力』に帰依して生じている、だからバラバラになる」
「そういえば、わたしは、初めて来たときから、不思議だったんです、 "ふつうこれぐらいの人数になると、各所のグループに分かれてそれぞれが好き勝手に話すものなのに" って/ずっとこの、一体感が続いているのは本当に不思議です」
「なぜだろうな? おれの中には、なぜかずっと、一つの街のヴィジョンがあるんだ、今になってわかるけれど、これは『都(みやこ)』なんだ、さまざまなものが死に絶えてきたけれど、都には何もかもがあるんだよ、青春戦士説も自己の超完成説も、都には残っているんだ」

「おれは、人口の流動があるというか、文化の流路がある街が好きなんだ、港町なんか典型的だね、そして、ご神体というか本尊というか、そういう山や、おっかない大きさのものを、背後に抱えている街で、人はやさしく、うつくしくなると思う、おれはそういう街が好きなんだ、ずっとそういう街を探しているような気がするよ」
「わけのわからないものを、わけのわからないままブッ込むんだ、認識(観測)したら、もう間に合っていないからね、おれがおれの認識の内から、『見上げてごらん、夜の星を』とか言い出したら、そんなのキモチワルイだけでしかないだろ」
「わけのわからないものを、わけのわからないままブッ込んでいるはずなのに、なぜか成り立ってしまう、なぜか支離滅裂の荒唐無稽にならないということ、それが本当に "何かとつながっている" ってことだね、おそらくはそれが時間軸上の『現在』とつながっているってことなんだ、そのレベルで(認識未然の自分で)何かが成り立っていないと、けっきょく何もモノにはなっていないんだよ、キビシーけれどしょうがないわな、どうせやるならそうしてホントのところに向かっていかないと」
「ガンガンガンガンガン」「どっ、どうした!?」「いや、あの」「なんや急に、こんなん乱射事件やないか」←これが今回最大の笑いだったかな。

都にはすべてがある/よっておそらく、パーティの最中は、われわれはその都につながっている。

「横隔膜を代筆するというかね、正しい言葉遣いをブッ込んでみると、こういう……ドエライ空気になってしまうわけだけれどね。でもいっそ、この神妙の気配にまみえるをもって当夜会の醍醐味の本とするは如何? おい誰か何か言えや、オメーらはそもそも当代一流の文学者をだなあ(以下略」「ワイはその気になれば、なんJ語と淫夢語録だけで小説を書くことも可能やで〜お前らはbiimシステムも知らんのか、まあ戻ってこれなくなるのはやめてクレメンス、おれは流行っているものには一通り手をつけてみるからね」
今回のパーティは、僕自身にとって、客観的な収穫がたくさんあった、やはり「言葉の獲得」を大目標に進んでいるのは、大前提としてナイスだったようだ、とってもよくなってきたんだろうね、これからもどーぞよろしくお願いします。
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パーティ報告86(2)/「のめり込めないようにデザインされている」
の大戦の中で、日本は「君が代戦士説」という思想で戦った、けれどもこれは物理的には敗北したので、矛を収めねばならなかった。
その後、「革命戦士説」という思想が出現したのだが、これは連合赤軍の同士討ちリンチや、親玉であるソビエトのアフガン侵攻やソビエト連邦そのものの解体によってポシャり、「革命戦士説」も引き下がらねばならなかった。
一方、そうした世俗から離脱して、解脱に至るのだという「自己の超完成説」を元に、カルト宗教が流行したのだが、これはオウム真理教の暴走とクラッシュによって、「危険だ、論外だ」という烙印を押されることになった。
あるいは、高度経済成長からバブル景気の中、「24時間戦えますか」のCMに象徴されるように、「モーレツ社員説」「ジャパニーズビジネスマン説」が掲げられた、これはバブルの破綻でダメージを負いつつも、しばらくはモノづくり日本の中で生き続けた、けれども今日になって、製造業が中国・台湾・韓国に対して競争力を失っていくと、この説では戦えないということになり、戦旗は引き下ろされた。

80年代あたりは、「青春」に生の肯定たる光を見いだす「青春戦士説」が台頭し、その青春は、多く「スポーツ戦士説」と「アムール戦士説」に二分された、スポーツの戦いの中で、越えられない壁を越えるのが青春だとされ、また、少年は少女への恋の中で、越えられない壁を越えるのだ、それが青春だとされた。
けれどもこの説も、現在すでに絶滅したとみなされてよい、このアムールとスポーツの青春戦士説は、「ねるとん紅鯨団」あたりから顕著になり、マンガ「スラムダンク」あたりをピークとし、その後もB'zやミスチルやユーミンやサザンや槇原敬之に支えられながらも、東日本大震災あたりでバッサリと死に絶えている、なぜ震災と青春が関係あるのかはわからないが、原発の安全神話が虚構だったと思い知らされることの中で、重大な人間不信・世の中不信を負ったということは有為にありうる。
青春戦士説には、「ちっちゃなころから悪ガキで」「盗んだバイクで走り出す」「ビー・バップ・ハイスクール」のように、「不良青春説」の戦士(カウンターカルチャーの戦士)もあったが、これもすでにDQN産業に食い込まれて死滅した、一方でファミコン文化やアニメ文化に代表されるサブカルチャー戦士も、ユーモラスな存在としてありえたが、これはオタク文化に変質し、オタク文化がオタク産業になって収益を狙われる段になって、戦士としての力は失われ、ただ搾取される対象になった。
「こうやって、さまざまなものが否定され、ある意味、殺されてきたんだな、こうしてすべてのことに対して、"のめり込めない自分" が作られてきたんだよ、国粋もダメ、宇宙船地球号もダメ、個の解脱もダメ、仕事人間もダメ、青春もダメ、スポ根もダメ、恋あいもダメ、不良もダメ、オタクもダメ、何にも "のめり込めない自分" が、時代の趨勢を経てデザインされてきたんだ、だからそんなものを自分の自然体と思い込まされちゃいけない、ある意味、オウム真理教なんかに対しても、 "のめり込んでいた" という一点については見習うべきなんだ、あとはのめり込んだ自分自身に対して、どれだけ軽薄で居続けられるかなんだよ」

「前のめりで生きないと、逆に危険だ」と、僕は何度も言った。

「ついこのあいだまで、イチロー・ナカタ説と、ジョブズ説が力を持っていたけれども、それもすでに力を失ったね、じゃああとには何が残っているかというと、本当に残っていないんだ、もう自分の部屋でずーっと好きなものだけつまんで暮らしていたいってことしか残っていないんだ、いわば『健康と快適説』だけれど、こんなのもう戦士じゃないし、もはや説でさえないよ」
「前のめりで生きないと、逆に危険だ」と、僕は何度も言った、その後もずっと話し続け、本当の意味が伝わったのは二十四時間後だった、本当の意味が理解されると、理解した人は顔色を失って、「こんなのめっちゃ危険じゃないですか!」と戦慄した、ある女性は「そんなの本当に死んだほうがマシよ」と言った/「ある種の死は、突然やってくるんだ、なぜかその日の夜から、これまで大切だったものが、急に『大切に見えない、大切に感じられない』ってなるんだよ、そうなるともう大半は戻ってこられない、だからわれわれは相当な覚悟をして、戦わないといけないんだよ、まったく厄介なことになってしまったわけだ」。
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パーティ報告86(1)/恋あいと女の子のフェイク
回の特徴は、フハハハもちろん、このおれの聖誕祭であった。
と、吹聴するつもりだったのだが、本当に大量にプレゼント群をブッこまれてしまい、逆にビビらされてしまった。
ふつう、みんなからプレゼントというと、こういう場合、一人あたり500円ずつ出し合って……という感じになるじゃないか、それがオメー、本当に一人ずつからブッこまれると、本当に抱えきれない量になるじゃん、まさかこんなことになるとはな、ちょっとスターの気分がわかった気がするぜ。
そういうので、いちいち感動感激するとかいうのは、おれの立場上ダサいと思うので、いちいち感動感激はしないが、とにかく何かがスゴかったぜ、こんなフルスロットルで誕生日を祝われる奴っているのかね、これなら毎月聖誕祭でいいやと思ったのだが、それだと人の十二倍年齢が進んでしまうのでやめておこうということにした。

恋あいのことについて、少し話した、男性陣がググッと寄ってきて笑、まあでも割とまじめに話した/「女性は、チヤホヤされることに弱く、チヤホヤしてやると、女性はそれなりに浮かれる、それによって男性は好感度をゲットすることができる、けれどもこれは負け筋なんだ」。
「というのは、なぜかというと、女性はチヤホヤされると浮かれてしまうのだが、そうして浮かれる自分のことを――自分を含めたそういう女のことを――、あまりよく思っていないんだ、特に賢明な女性ほど、そうした "アホ女" である自分をやめたいとこころのどこかで思っている」
「この矛盾が、恋あいを背後から支配しているんだ、女性はチヤホヤしていやるとアガるのだが、そうしてアガることを自分で軽蔑もしているんだよ、それでいてたいてい、チヤホヤされるとアガることを、女性はやめられないのでもある、だからこちらの戦法を採ると負け筋なんだ、チヤホヤでアゲる戦法は、急速に好感度をゲットしていくけれど、そうして盛り上がっていった先、最後は断絶の谷で『ゴメンナサイ』となってしまう、あるいはそのまま付き合っても、半年とまたずクラッシュしてしまうだろうな、もう二ヶ月ぐらいで盛り下がってしまって、『なんか超めんどくさい』ってなってしまうんだよ」
「男性は、何かに打ち込んでいたほうがいいということですかね」「そうだな、それはもちろんそうで、しかしより本質的には、男性は感受性から離脱して何かに驀進しているべきなんだよ、<<女性は多く感受性の支配から逃れられないから>>、自分を感受性から引きちぎって別のところへ連れて行ってくれる人を探しているんだ/感受性で昂ぶる男性は、女性からみて "共感しやすい" 存在なんだけれど、女性はそういう男性を "付き合いやすい" "絡みやすい" とは感じたとして、特別に尊ぶ存在には感じられないんだ、女性は男性に共感したいのではなく、呆然としたいんだよ」

女の子の夢見る恋愛を、蹴っ飛ばしてくれる男が恋あい対象だ。

女性は多く、感受性の支配から独力で脱せないし、またそれが感受性による支配なのだという仕組みも知らない、そんなことを知っているわけがない。
女性は、自分が感受性に支配されているなんてことは知らないのだが、そのくせ、自分が感受性の中で見る理想の夢を、「何か違う」「たぶんこうじゃない」とも思っているのだ、男性から見ればひどいフェイクということでもある、それはしょうがない、女の子は男をだましたくてだましているわけじゃない、そもそも女の子が男をだまさないなんて、前提に希望する男がアホなのだ。
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WS報告018(1)/
ずお詫びとして、先に言っておくが、「月刊ワーQ第三号」の編集、間に合わなかったよ! パーティに持っていけないや、ついさっきまでガンバっていたんだが、ムリムリ、今回はすまんがフツーに飲ませてくれやあああ(すいません……)。
後半のスタジオでは「余韻手渡し法」をやった、ここまでの集大成の感じはある(誰もできねーがおれは超できる)。
金魚法は、なんかところどころ上手なのがあったな。
うーんワークショップ報告といっても、眠いのだよ!! また後日でいいかな!!

命令法における「命」、「Yes」というのは、究極的には「わからない」ものだ、わからないものをブチこんで初めて本当に面白くなる。
ああああ、ワークショップと関係ないが、両極の座標ではなくて、原点Oが……(意味不明)、とにかく本当の到達点はまだ先だ、もうはっきり見えているから安心しろ、見せることはできるがまず誰もできないであろう。
もっと基礎的なレベルでは、「一緒にモノを運ぶ」ということさえ、きちんとできていなかった、相手のズッシリ感をちゃんと見ようね。
最後になって、生まれて初めての「言葉」の獲得に至った人がいた、そりゃポロポロ泣くのもわかるぜ、そして言葉を正しく得て使うと、やはり何か悪霊的なものがスカッと軽減されるな、すんげえ威力だと改めて思った。

横隔膜の代筆をしてやる。

自分の得ている体験、空間、世界、慈愛、学門、感謝、感動、等々、言葉に出来ると思ったら大間違い、ものすごい量の勉強をしないと、言葉って獲得されないのだ、さしあたりおれが代筆代弁をしてやるが、まあこの先は勉強につぐ勉強だな。
命令法は本質的に、人に触れているのではなく空間に触れている、わからないものをわからないものにわからないままブチこんでいるのだ、うーんもう今日は酔っ払って全部忘れてしまおう、みんな今夜はよろしくね。
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ワークショップ業務連絡(19時〜世田谷公園 23時〜三軒茶屋スタジオ)
天候不安定ですが

19時〜世田谷公園
23時〜マイレッスン三軒茶屋スタジオ

でやる予定です
まあダマシダマシやりましょう
よろしくお願いします
九折
 
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第86回Quali's Party[11月10日(土)]無事盛会!

11/12 Quali tweet> 洪水のように祝福されて草 pls entry



(またポスター作れんかった、しゃーない切り替えていけ)



joined: ひろみ、りさ、あきら、ゆか、ともこ、かなみ、やじー、かず、ゆうさく、マナセ、つかごん、くおり
日時:2018年11月10日(土)19時〜23時
場所:原宿竹下口交差点DinningBar CLIMB


今回も無事盛会でした、ありがとうございます!
めちゃくちゃ祝福されて恐懼のきわみでした、うーん、恐懼とかいうのはウソだけどな、お前らよかったな!! この偉大なるおれを祝f(ry
次回もよろしくお願いいたします! 九折


キラキラ次回(12月8日[土])加エントリはこちらから!キラキラキラキラキラキラ


費用男性5000円 女性3000円
参加資格ブログorサイトのファンであること
→その他詳細はこちらから

皆様のご参加を心よりお待ち申し上げております! どうぞお気軽にご参加くださいませ。九折

宣伝コラム「パーティへの誘い その1」はこちらから!
宣伝コラム「パーティへの誘い その2」はこちらから!
宣伝コラム「パーティへの誘い その3」はこちらから!
宣伝コラム「パーティへの誘い その4」はこちらから!
宣伝コラム「パーティへの誘い その5」はこちらから!

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ワークショップおよびパーティのご案内

足 Quali's 身体操作とコミュニケートと存在のワークショップ 11/7更新
「世界のボトムを見せたりまっせ教室」
【第三十四回】11月9日(金)19時〜@寒くなければ世田谷公園
【パーティ日】11月10日(土)19時〜23時@原宿DinningBar CLIMB
【第三十五回】11月16日(金)19時〜@寒くなければ世田谷公園
【第三十六回】
11月17日(土)19時〜@寒くなければ世田谷公園
【第三十七回】
11月23日(金)19時〜@世田谷公……いや多分スタジオ
【第三十八回】
11月24日(土)19時〜@世田谷公……いや多分スタジオ


(教室名が変更されていますがやることは同じです)
(服装自由、仕事上がりも可。参加費無料。世田谷公園では青空教室です)
(ハイヒールはさすがにキツいかもです)
(場所:世田谷公園正門(デニーズ向かい)から階段を上り右手前方に見えるベンチのあたり)
(雨天時・寒冷期はスタジオを使用します、随時ブログ記事でご連絡いたします)

(ワークの性質上、性格や挙動の不穏な方には参加をご遠慮いただいております)
→ワークショップ参加エントリはこちらからメール


酒Quali's Party
「世界のボトムまでは行けませんわ集会」
【第84回】11月10日(土)19時〜23時@原宿DinningBar CLIMB
【第84回】
12月8日(土)19時〜23時@原宿DinningBar CLIMB

♂5000yen ♀3000yen
(ほんのり合コン的な格好でよろしく。そしたら点数アップ)

→パーティ参加エントリはこちらからメール


自分がパワーアップするという発想は
ドエライ罠でっせ〜 余計に苦しむじゃん〜



みなさまのご参加をお待ちしております。 九折

(ワークショップの各カリキュラムは以下続きをご参照ください)

続きを読む >>
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WS報告017(3)/「空間のYes」
「命令法」をやっていて、自分の技術レベルにびっくりしてしまった。
別に自慢話をしたいわけではなく、自分でやっていて「えぇ……」と、いっそビビってしまったのだ、我ながら「誰がここまでやれと言った」と、ツッコミたくなってくる、毎回何か超常現象みたいになるじゃねーかよ、まあ技術的に厳密にやるとそうなるのだからしょうがないけれども。
われわれの身の内には「No」の機能しかなく、「Yes」の機能は、空間から引っ張ってくるしかないということ、このことは当ワークショップの目玉理論のひとつであり、これだけで世に訴えるべき値打ちがバリバリにあると思う/誰かもっと偉くて知名度のある奴がガツーンと広めてくれたらいいのにと思う、本来はおれなんぞがチマチマ教えてまわる必要はないのだ。
どれだけ善意に満ちたつもりでも、どれだけ人に対して肯定のキモチを持っているつもりでも、われわれ自身の身の内から「Yes」は出現しませんよと、こんな恐ろしい知識が誰にも知られていないなんてヤバい話じゃないか、われわれはこの原理を獲得するまで、自分から人へ何をどうやっても「No」しか仕掛けられないんだぜ、僕はこういった構造的不毛が放置されている状況がたいへんニガテなのだった、至急誰か偉い人がなんとかするように(投げやり)。

この原理を知り、何かしら体得していないと、自分の意志とは関係なく、人に対して「No」ばかり仕掛けることになる、自分が人を一切「肯定」できなくなるのだ、すると根本的に「しんどい人」であることから逃れられなくなる。
われわれの身は、魂魄のうち「魄」であり、魄とは「気魄」であり、陰陽でいえば陰であり、Noであり、血であり、光ではなく「力・重さ」であり、言葉ではなく呪であるから、何をどうしたって、自分と人を「動けない、重い、呪縛」のほうへ押し出すことになるのだ/「空間」からの作用に気づくまで、このことの解決は不可能で、何をどうやったって力尽くの、重い、陰気、血走っているということを解決することはできない。
「命令法」と呼ぶのは、実際に命令を出すから命令法と言うのだし、われわれの身の内(生きもの)から「命」が発されるのではなく、空間(世界)から「命」が発されるので、わざわざそれを「命令」と呼ぶのだ、それは命のディールであり、霊魂であり、横隔膜をやわらか〜くであり、エコーであり、さざなみだ、しかしこんなことは実際にやられるまで何のこっちゃわかりっこない。
参加者が多かったので、二人ずつをプレイヤーとマスターに組ませて、僕がマスター全員に命令を発する「大マスター」をやってみた、やってみるとただちに、「ナゾの一体感www」が生じてみんな笑った、僕がそういうことをできるのはそりゃ当たり前なので、みんなさっさと身につけるように、この「Yesは空間にしかない」という原理はまったく当ワークショップの輝かしい目玉であります。

実際、僕といるとき「早く帰りたい」と感じる人はいない。

例外的に、信仰の違う人は、急に体温が低下したり、精神がクラッシュしたりするから別だけれども、そんなシッチャカメッチャカな人を除いては、基本僕のそばは居心地がいいじゃないか、そうじゃなきゃ二十四時間耐久みたいにみんなファミレスで粘ってないだろ、その居心地のよさ(=心身の疲れなさ、むしろ恢復する)が、漠然としたものではなくて、原理があるということなのだ/原理を知ったところで獲得できるというわけでもないが、原理を知らないとさらに獲得はむつかしくなるだろう、ありとあらゆる交友関係や職場や家族や恋人が内心で「しんどい」と感じられているブラックな現状を、誰かさっさと解決するように、原理なんかおれがタダで教えているんだから本当に誰かさっさと解決してくれ。
僕はタダで教えているのだが、このところ、ひょっとしたら、タダで教えることはできても、タダで獲得することはできないのかもしれない、という可能性が浮上してきた、まあ天才ならタダで獲得できるので、タダで獲得できるのが一番いい、逆にタダで獲得できない人は、裏で何かヘンなことしてきているでしょ、ヘンなことのほうを有償でしてきているでしょということ/とにかく原理に依拠してやれば混乱する余地のないことだ、空間に「Yes」があるのであって、僕から「Yes」の作用が飛んでいるわけではない、僕が偉いのではなく空間が偉い、だからこのことは偉くない人でもできるということだ(逆に自分が偉いと思っている人にはどうしたってできないことだ)。
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WS報告017(2)/「言葉」につながるハンドサイン
「言葉」の獲得に向かって、ワーク群は組み立てられている、まさかそのことを見通せる者はいないが、僕はきっちり把握してやっており、最終的に「全部ここに来るのか」とおどろくべき瞬間に到達するように設計してある。
すべては、「言葉」と「呪い」を分離するためにやっている/われわれが現在、言語を「パワーコミュニケート」に用い、言語を「呪」とし、実は「言葉」はまったく使えていない(し、得てもいない)という状況がある、これを鑑み、決定的な脱却をはかるために、ワークショップを敢行している、そして言葉は世界であり愛であるから、言葉を取り戻したとき、世界そのものと愛そのものを取り戻すだろう。
「言葉」を得ようとし、「言葉」に正しく向かおうとするとき、窓からはなぜか、いつも特定の春の匂いがやってくる、秋のはずなのに春の匂いというのは奇妙なことだ、そしてこの特定の春の匂いを、ほとんどの人が知らない、きっとこの春の匂いに直撃されたら、初めての人はしばらく泣き崩れるのではないだろうか、僕でさえいつも引き返せないほどこころが震えるのだから。
現在われわれのあいだに、「言葉」は交わされていない、だから記憶の中に「○○さんの言葉」というのが残っていないはずだ、たとえ両親であろうが教師であろうが/にもかかわらず、日々「グッとくる」とようなことが、言われたり聴かれたりしているように思えるのは、その「グッとくる」というのが、語感のとおり実は「力」であり「重さ」だからだ、言葉ではなく重さと力でコミュニケートしているのだ、だからこれをパワーコミュニケートと呼んでいる、言語をパワーコミュニケートに使う以上、これがカルマ創出の源泉になってしまって、身が軽くなること・光を帯びることからは遠ざかり続けてしまう、そうするとやがて行き着く先は、重大なことを追いかけて生きたはずが、「重大」という重さのものはすべて消えてしまったというゴールなのだ、この悲劇を否定するために、われわれは言葉に到達するワークショップの只中にいる。

いきなり言語そのものを「言葉」にするのはむつかしいものだ、それで初めは紙コップを使ったりする、そして紙コップをピースやらサムアップやらハイファイブやらの、「ハンドサイン」に換えていく/この手続きの中に、実は「言葉」の本質が隠れている。
Aさんがマスター側、Bさんその他がプレイヤー側に立ち、Aマスターからハンドサインが正しく示されるとき、事象の風向きはAからBたちに流れているのではない、風向きはBからAに流れ込んでおり、続きAからハンドサインに流れ込み、ハンドサインからBたちに流れているのだ、つまりAさんとBさんたちの二者がいるのではなく、もう一人ナゾの登場人物がある、それが「言葉」だ。
いわば、「AさんBさん言葉さん」の三者がある、そしてそれぞれは孤立した個人ではなく、風向く先の従僕なのだ、こうすることでわれわれは虚しい孤立吾我をやめることができる、このことをトリニティと呼んでおり、正しくこれに接続すると、自分が「生きる」ということの大前提からひっくり返り、感覚も観点もすべてのものが別モノになる/われわれは、己自身が「言葉」に仕えるものになるか、そうでなくとも、「言葉に仕えるもの」の存在を見分けられるようにならねばならない、そのことでしか孤立したパワー個人をやめることはできず、孤立したパワー個人はそのままパワーに帰依して滅んでいくだけになるのだ。
一部の人は気づき始めたが、実は常時のこととして、僕からみんなに向けて、一般的ではありえない膨大な量の「言葉」が飛んで出ている、それはつまり、ハンドサインの昇華したものが無数の群となり、一連の脈をもってひとつの体となり(文脈・文体)、降り注いでいるということだ/僕から降り注いでいるわけじゃない、僕が「降り注ぐ元」に接続する方法を知っているというだけだ、その意味で僕は何も偉くないが、「降り注ぐ元」そのものは、きっと誰にとっても偉い何かだ、誰だって死後、この偉い「降り注ぐ元」のところへ行きたくないか、その逆の「重力の根」に吸い込まれていくよりは。

人前に立つと、緊張・硬くなる・固まるのは、こころの問題じゃない、力のトリニティに所属しているせいだ。

人前に立つと、緊張して硬くなって固まるのが一般的だが、これは単に生理的な問題ではない、むしろそうして「生理的」なことが起こるということが、力(重さ)のトリニティの "具現" なのだ、<<「言葉」が出てこない代わりに「力」が出てきている>>と捉えていい、所属しているトリニティの実体が出てきているのだ、テクニカルな問題ではまったくない。
「AさんBさん言葉さん」の三者、もしくは「AさんBさん力(重さ)さん」の三者が、常にその場にありうるということ、前者のコミュニケートは知性と悟性で為されるが、後者のコミュニケートは力と重さで為される、だから「パワーコミュニケート」となる、パワーコミュニケートは相互に身を「重く」していくので、加齢と共に人はコミュニケートを「しんどいもの」と実感するようになる、それで老人はカネと引き換えにしか人とコミュニケートできなくなる/力のトリニティは力と重さそのものが「グッとくる」という手ごたえで確かめられながら進行していく、一方で光(愛・Yes)のトリニティは、「ハッとなる」・解き放たれる・フッと軽くなる、という手ごたえで確かめられながら進行していく(紙コップやハンドサインを使いながらこんなことに接近していこうとしているのだ)。
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WS報告017(1)/「自分の畑」

をもって「自分の畑」と言いうるか/「所有者として登記されていたとしたら」「ふむ、では人類がまだ役所を持たなかった時代、人々は "自分の畑" を持たなかっただろうか?
「自分が好きにしていい畑」「ふむ、ではガソリンを撒いてもよいだろうか、ガソリンを撒いたときそこはもう "畑" ではないとわたしは考える」「自分がそこの作物を食べて生きている……」「ふむ、では作物の一切を、恵まれない人に分け与えたとき、それはもう "自分の畑" ではないだろうか?」
このようにして考えると、社会的にはともかく、人文的・直観的には、「自分の畑」というのは、「自分が世話した畑」ということになる/自分が世話したことで実った畑、自分が世話しなければ荒廃したであろう畑のことを、われわれは「自分の畑」と呼んでよい。
「だからわれわれは、自分の道を歩むといって、己が "道" をズカズカ歩むつもりでは、それは "自分の道" になんかならないのだ、逆だ、<<自分が道の世話をすること>>、自分が世話したからこそ成り立った道こそが、「自分の道」になるのだ、「自分が客・ゲストとして招かれている状態で、身につけられることは限界があるよ、すぐ頭打ちになって、本当のモノはどうしても身につかないんだ」。

「本当のモノはすべて、努力ではなく "悟性" でしか身につかない、悟性を授かるしかないんだよ、そして悟性というのは、天才でないかぎり、自分が世話をした道から授かるものであって、自分が世話になっている道から授かるものじゃないんだ」
「たとえばここに、客に旨いものを喰わせねばならないという、命を帯びた寿司職人がいたとする、彼は寿司屋という商売で生きながらえているのではなく、客に寿司を喰わせるという使命のために自己の生を費やしている、彼は寿司道の世話をしているんだ、寿司業界に世話になっているわけじゃない、彼は自己生存のために代金をもらっているのではなく、客に旨いものを喰わせる寿司屋をずっとやっていくために代金をもらっている、寿司屋があるから彼が生きていけるのではなく、彼があるから寿司屋が生きていける
「そういう、道の世話をしている人は、道から悟性を授かるんだ、ふとフグの白子を見たとき、『色あい的に、旬はまだかな』ということがパッと見えるようになる、 "悟性" なんだ、そうした悟性を、自分が世話した道から授かるということ、フグの白子の旬の色あいなんて、お勉強して身につくようなことじゃないからね」
「旨いものを喰わせることに、命があるから、次第の彼の目は、パッと見てうまそうな食材とそうでない食材を見分けるようになるんだよ、なぜそんな見分けがつくようになるのかは彼自身もわからない、自分が世話した道から悟性を授かるというのはそういうことなんだ」
「だから、本当のモノを身につけようとしたとき、方法は二種類しかないんだ、自分が道の世話をして悟性を授かるか、そうでなければさっさと天才であるかだよ、天才というのは例外的に、授かる前から悟性をもっている、でもそんな天才は、初めから生きることを捨てているような人しか成立しないので、なかなか現実的じゃないだろうな、天才というのは自己の生より天のほうがはるかに大事と、幼い頃から見切っているような人だから」

作物をもらって食べれば、満腹して満足するような気がするが、そこに「自分の畑」はまったくない。

現代が作り出す「消費者」という根性は、その絶え間ない満腹こそが満足であり自己実現だと、すりこむことから形成されている、自分が何かの世話をするという発想は、そもそも発生しないようにデザインされ、消費と満腹の発想だけを続けるよう訓練されている。
「この数ヶ月、おれ自身がわけのわからないほどの飛躍と発展を得るところを、みんな目の当たりにしてきたと思うけれど、これは当たり前のことなんだ、だってこのワークショップは、おれが世話しているおれの畑だもの、これを荒廃させないようおれが世話して、これを発展させるようおれが力を尽くしてきた/だからおれがこの道から悟性を授かるのは当然なんだ、みんながおれを先生として招いているんじゃなくて、おれがみんなを客として招いているんだからね、本来の形はその逆だったということが見えないといけない、たとえば吉田松陰という人が松下村塾というのを開いていたそうだけれど、それは吉田松陰が暴れ回って弟子たちがお客さんとして満足しにきたという塾ではなかっただろうな、弟子たちが "先生の教えを広めよう" としていたはずだ、そういったことが想像力に見えてこないといけない、道義の問題ではなく、レベルの問題として、そこで身につくもののレベルが前もって頭打ちにされちゃうんだよ」

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パーティ報告85(1)/強くなった

つもどおり始まって、いつもどおり朝まで、そのままいつもどおり昼まで、そのまま夕方まで、というか夜まで、そして二十七時間耐久で、お疲れさまでしたー……という、コレが基本になるのは本当にいけない、われわれがやっているのはパーティであってレンジャー部隊への訓練ではない。
それにしても、ワークショップの成果もあって、みんな心身が強くなったね!! この時代になかなかのアホだと思うよ!! かくいうおれも二時間しか寝ていないのにそのままパーティに突入してなんとかなるんだから、ワークショップの効果は如実に表れているのだった、うーん逆にカワイソウなぐらいに!!
こういう、アホのこと、そして他人に説明できないこと、説明する気になれないこと、そして二度とやれないことの連続を、やっていきたいと思うのだった/他人に褒められるようでは話にならん、自分が生きるということはイコール他人に理解されないということだ。
今回は、新しい人もきて、こいつが優秀で愉快な奴だったので、そのことも含めて盛り上がった、平成三十年の十月に、まだアホの空間は現存することが証明された、みなさんはその歴史の証人なのであります、うーんおれが言うことじゃないがきみたちってそーとーなアホだよね、僕のように洗練されたシティボーイにはきみたちの狂気が草不可避というか、まあパーティはずっとこんな感じで続いていけばいいな。

今回の盛り上がりは異常だった、それも何が盛り上がったかというと、みんな "強く" なったのだ/そりゃまあ、多くの人が、数々のパン祭りを踏み越えてきたからな!(※「パン祭り」とはメンタル的にパニックになることを当方で揶揄して言う常用語です、みんな慣れた)
朝まで、胴体をくたばらせない、そして無茶ぶりだろうが何だろうが、言われたら乗っかるというのが、さすがに毎週の当然になれば、人間は鍛えられるわな、そこはいっそ気の毒なぐらい鍛えられていますね……悪酔いとかイジケとか、空気とかマウントとか、そういうの一切なくなったもんな/土曜日の夜を楽しくすごせるという保証を、心身に獲得した感興はどうだい? きっと多くの人は、「徹夜で飲んだ」という感触すらなかったんじゃないかな、朝までわりとあっというまだったもんね。
手洗いから戻ってくると、いかにウチの連中のブースが、異様に強靭な活気を放っているのかがわかる、芯の太さが違うわね、そういう活気と熱気を、おれは基本的に愛好しているので、これは本当によかったのだ、バンザーイ、あとは愛と知性を誰かよろしく頼む(投げやり)。
何がイイというわけでもなかったし、何がスゴイというわけでもなかったと思うが、年長者たる僕の経験上、これが最高のことなのだ、われわれが生きるというのは、何がイイというわけでもないし、何がスゴイというわけでもないからだ、最大出力で何もナイというのが一番いい、僕の経験上、今回のような土曜日の夜が最高品質だと思うよ、割と夢は叶っているわけです、みなさまお疲れさまでした。

パーティをするからには、パーティなんかやらない! と、宣言したとおりで、バンザーイ。

みんな強くなったし、あと気づいていないかもしれないけれど、「速く」なったのだ、脳みそが速くなった、もし数年前の自分を見ることがあったら、脳みそのチンタラぶりに、自分でびっくりして、ケリでも入れたくなるだろう、強くて速いということは力んでいないということで、だから悪酔いしたりパン祭りしたりということはなくなっていくのであった。
おれは原宿が好きだし、東京も好きだからな、まあそんなこと言い出すと、世界中あちこちにおれの好きなところはありすぎるのだが/われわれを強くするのは天と地であり、強くなる値打ちは真夜中のネオンと外国の酒だ、おれの言っていることがわかる奴はもうしばらくお付き合いください、バンザイほどおおげさじゃない、あと八百年ぐらい繰り返せばきみにもちょっとわかるようなるさ。

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月刊ワーQショップ 第二号「夢中」

pdf[A4]45頁
→月刊ワーQショップ 第二号「夢中」

ワークショップ各員よりのレポート、ご笑読くださいませ。九折


第一号はこちら→創刊号
 

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第85回Quali's Party[10月20日(土)]無事盛会!

10/22 Quali tweet> 盛り上がりすぎると記憶ないんだよな pls entry



(時間なさすぎてポスターのこととか完全に忘れてたわヤバイヤバイ)



Recent entry: マナセ(新)、ひろみ、ゆか、あきら、ともこ、かなみ、しおん、やじー、かず、ゆうさく、トム、くおり
日時:2018年10月20日(土)19時〜23時
場所:原宿竹下口交差点DinningBar CLIMB



今回も無事盛会でした! 次回もよろしくお願いいたします。
あれだけブッ飛ばして朝までヘーキというのはみんな鍛えられすぎでヤバイ。 九折

キラキラ次回[11月10日(土)]加エントリはこちらから!キラキラキラキラキラキラ


費用男性5000円 女性3000円
参加資格ブログorサイトのファンであること
→その他詳細はこちらから

皆様のご参加を心よりお待ち申し上げております! どうぞお気軽にご参加くださいませ。九折

宣伝コラム「パーティへの誘い その1」はこちらから!
宣伝コラム「パーティへの誘い その2」はこちらから!
宣伝コラム「パーティへの誘い その3」はこちらから!
宣伝コラム「パーティへの誘い その4」はこちらから!
宣伝コラム「パーティへの誘い その5」はこちらから!

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WS報告016(4)/わたしと人と、それ以外のものの使い方
とえば天高くピースサインを掲げてみる。
「乾杯」という行為もわれわれはよくする。
「わたし」と、わたし以外の「人」がいて、もうひとつ、この「掲げているモノ」は何だあ?
われわれは、すでに知っているし、やっているのだ、「おう」と言って、手のひらを高くあげて挨拶する、このハンドサインは何なのか、そして言葉とは何なのか。

ただ、われわれはそういったことを、どこかで知っているし、実際にやっているのだが、実はよくよく点検すると、ちゃんと出来ている人は少ないのだ。
そして、ピースサインでも「乾杯」でも「おう」でも、本当にちゃんと出来ると、まったく別次元で「人間らしく」見える。
もちろん、現代のわれわれには、そうしたことをさせないように呪いが掛かっているのだが、そんなもん正しく教わって命がけでやりゃあカンタンに突破できるわけで……
わたしと人と、「おう」と天に掲げているモノ、それは何だあ? こんな具体的アンドささやかなことで、その人の行き先と命のありようは決定されてしまうのだった、うーんこんなことフツー気づかねえよ。

旅行のガイドさんでさえ、旗を立てており、人はガイドさんについていく。

実際、ついていくわな、そして逆はない、旅行客にガイドさんがついていく形はない、あたりめーだ、風向きは旅行客→ガイドさんであって、ガイドさん→旗だ、そして旗→旅行客という風が吹いている、われわれが「トリニティ」と呼んでいるわかりやすいもの/そしてせっかく旅行にいくなら夢のような旅行にいきたいものだ、愛と夢と命があるトリニティのほうがいいに決まっている。
逆方向のトリニティもある、つまり、「この紋所が目に入らぬか」といって、人々をひれ伏させる「力」のトリニティもある、これは紋所→権力者→被支配者→紋所という循環のトリニティだ、紋所を借りることによって権力者はパワーアップし、それにひれ伏すことで人々は生を長らえ、そうした人々によって紋所の権威力はさらにパワーアップする/力を捧げれば自動的に神様トリニティであり、力を借りれば自動的に悪魔トリニティなのだった、人は愛を増すべきであり、パワーアップしてはいけないのだ、うーんこんなことフツー気づかねえよ。
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WS報告016(3)/スケール基準の改定

十四時間耐久、を越えて、気づけば二十七時間もやっていた、十時間あばれて、十七時間言語ワークをしていたことになるが、こいつら正気かね、首謀者の僕が言うのもアレだが/まあ鍛えられていいかもしれない、基礎のスタミナがないと何もできないからな。
胴体の連動(胸と腰、「呂」の字)をやった、人を押すというのをやった、ミリ秒もやった(これはムズいんだよな)、ちょっと踵なども使いながら、時間をかけて「キュー出し」をやった、「命がけ」だと何が起こるかというのもやった、「命がけ」というのはまだ僕にしかキッチリやれないが……
「人を押す」というのが、ここまでの身体操作の成果として、ばっちり結果が出たから、よかったと思う、「動くタイミングが早すぎる」「力が自分の体内で使われてしまって、相手の身体に伝わっていない」「力が伝わってから動け」と、あとは「モノを "掴む" と、それだけで身体はバカになりまっせ」と/細い女性でも全身の接続を正しく使うと非反発の十分な力が出せるものだ。
あと他にもいろいろやったはずだが、ちょっと思い出すのに時間が掛かる、そして思い出したころにはまた次のワークショップが始まるのでね……メール等、あちこち返信できていないのはごめんなさい、さすがにちょっと恢復というかチャージ時間が必要です、回数を経るごとに毎回の使い果たし感がえぐい、まあそうでないと成長しないからしゃーないのだけれども。

最近、ちょっとだけ、僕自身本当に人の身体が掴めてきたというか、そして教えるということに自信が出てきたというか……一部には、ほとんど力尽くで教えているものな、胸郭と骨盤を抱えて「こうやで〜」とぐりんぐりんすると、強制的にわかるというか、強制的に感覚を掴ませることができる、これはちょっと不自然なぐらいの能力だ、ふつうそういうのって何年やってもけっきょく掴めないのが定番だからね、こんなことが数ヶ月で実現してしまったことのほうが実はコワイ。
そうして考えると、何かを教えるとか教わるとかいうのは、土台の信頼関係がモノを言うというか、信じるということのセンスがいい奴ほど、さっさと身につけていくのだなというのがよくわかる/数ヶ月前までは、何もかもがチンプンカンプンだったはずが、今はもうハイレベルなことでも「とりあえずやってみるか」となっているし、人前に立って「はい集中」というようなことは、いちおう当たり前というように出来るようになってしまった。
まあ、ある意味「慣れた」ということだろうが、それ以上に、何かに「取り組む」ということが、脳みそのレベルでわかり始めたのだと思う、取り組むということがそんなにチマチマしたもんじゃないということが、強制的に理解されたのだろう、まあ何もかも強制的でカワイソーではあるが笑、もういいかげんワーク中にグスグズと感情モードになる人はいなくなってきた。
ワークの内容はもとより、取り組むとか指導されるとか、学習するとか人の話を聞くとかが、根底から変わったのだと思う、スケールの変化だな、ゴムボートではしゃいでいた海水浴客が、コンテナ船の乗組員になったようなものだ、海とか船とか航路とかのスケール基準が改定されることになる、そういう改定を経なければ人はオトナになれないからな/おそらくプレイヤーたちは、日常生活のほうでも、スケール基準が改定され、感情的にどうこうということがなくなっていっていると思う。

言葉、知性のほうも、今後スケール基準の改定です。

おそらくわれわれは、本当の訓練を受けないと、ツイッターの10ツイートぐらいで、言葉の処理や知性の生産が限界を迎えるのだと思う、だが当然ながら、そんなレベルのものを知性扱いしていては話にならないのだ、せめて書籍の十冊や、十年間の体験の情報を同時並行処理して構造化するぐらいの生産を基本にしないと、オトナの知性とは言えない/戦闘機のプラモデルを組み立てるのはコドモのすることであって、元の戦闘機を設計するのがオトナのすることだ、当たり前のことだがこの基準を改定しないでは能力以前に所有する基準が「アホ」ということになってしまう。
チマチマやっていると、当然、チマチマした変化や技術しか得られないわけで、そんなものは逆にやる気がしないものだと、僕は思っている/気負い込む必要はなく、リラックスして取り組むべきだが、オトナがリラックスするべきであって、コドモのままリラックスしていたら、それは似て非なるアホだ、どうせやるならドカンとやってしまうべきで、そこでドカンと変化と技術を得たら、その新しい姿と能力でこの先の数十年を行くのだから、結果的にはこっちのほうがラクになるのだった。

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WS報告016(2)/リデュース!!

分を「見せる」をやった、四肢の突端がまさかそんな使い方とは、まず師匠なしには気づくめえ。
ミリ秒法をやった、キュー出しをやった。
あと何をやったっけ? うーんもう眠いので思い出せない。
覚えているのは、朝五時を回って、「ペースあげてください、時間押してまーす」と言ったことだ、朝五時までやって時間が押すってどういう状況だよと、自分でいいながら呆れていた。

あ、「つながる寸前」もやったし、集中法もやったな、コップの中身はなんじゃらほい形式で(雑な言い方……)。
そしてあれだ、重要な「風向き」をやり、何より「リデュース」をやったのだ、リデュース法はみんなして困り果てていたな、うーんざまーみろ笑。
味噌汁は日本の湯気だ〜とうもろこしの御前に、人々は「歯に詰まるがよい」と決意する、世界を支えてきたデンプン←これはテキトーじゃない、リデュース法のことだ。
深夜、冷え込んだので、ちょっとAKBのダンスも教えた、なんだこのむちゃくちゃは、しかしなんでもかんでも勉強であり学門なのであった。

仕組みを知らなきゃやれないし、命をかけなきゃやる意味がない。

何はともあれ、ね、寝ていいですか、このあと寝て起きたらまたワークショップなんで……うーんいいかげん万民はおれを愛せよ。
詳細は思い出せないが、昨夜はきっと、大成功だったのだと思う、大成功の詳細なんていちいち直後に思い出してらんねーよ、よっぱらいのおっちゃんが通りすがりに「ものすごい気を感じた!!」と言い残していったよ、おっちゃんもうシンナーはやめてね。

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WS報告016(1)/スプーン曲げなんかできるわけがなく、スプーン曲げができないでは話にならない

ーた通りすがりの人にグル扱いされた、しかも一晩に二人もだ。
いつも不思議に思うのだが、どうしてみんな、そういう直感だけはあるのだ? 僕はそういう直感がなくて理詰めのタイプだから、直感でアプローチされるといつも不思議でかなわん/そういう直感があるなら、これまでいくらでも、自分の行くべきところは見つけてきただろうに。
そうやって、赤の他人からでも言い寄られるということは、この世に救済を必要としている人は相当多いのだろうが、救済が必要な人はヨソへ行ってくれ、申し訳ないが救済的なモンは当方では扱っていない、救済っつーのはもっと立派なところで立派な人が導いてくれるモンだ。
例外的に、若くてキレーな女の子が下着姿で縋ってくるなら、バリバリ救済するぜ! と思うのだが、よくよく考えれば、そういう女の子は何ら救済なんて必要としていないのだった、うーんそういう女の子が寄ってこないかなあ、美女はただちにおれを救済すること。

朝まで詰めて、昼までメシを喰って、最後の最後で次のものが見えた、見えたというか届いたのだが、こりゃ決定的だ、三十年来の突破がついに為されたといっても過言ではない。
フィクションの向こう側へ、「命がけ」なら到達できる、なぜならフィクションの向こう側には、命の世界があるからだ、これでついに、フィクションはノンフィクションの補集合ではなくなる。
僕が子供の時代は、スプーン曲げ等、超能力がブームだった、超能力の訓練等も流行ったな、そしてもちろん、超能力でクローム鉄のスプーンが曲がったりはしない/何しろ僕は元手品師なのだから、手品が超能力でないのはすぐ見分けられる。
ただ思いがけないことに、「命がけ」とは何かということに、スプーン曲げの訓練は有為なのだった、なぜなら超能力は、命がけでないと発現されないからだ、超能力は命がけが前提だ/そしてけっきょくスプーンが曲がる超能力なんてないのだが、超能力は存在しなくても、「命がけ」というのは存在するのだ、命がけは「真剣」とは意味が異なり、真剣は必死ということ、命がけとは不死ということだ。

文士道と云ふは不死の事と見つけたり。

「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」と、聞いたことがあるが、僕は武士ではないので、その逆の道をゆこう、文武両道なのに文士の道は言われないな、よって僕かテキトーに申し上げる、「文士道と云ふは不死の事と見つけたり」。
生は有限だが、いくつかの聖典によると、命は永遠らしい、フィクションの向こう側に命がある、命がけならフィクションの向こう側まで行けるわけだ、そして命がけとは何かといったら、スプーンぐらいは曲げろよという話/スプーンなんか曲がるはずないが、それでもスプーンごとき曲げられないようでは使えねー奴だ、スプーンぐらい命がけで曲げろよ。

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No. 385 おれが何かを、おれを何かに

掲題のコラム、本サイトにアップしました。



No. 385 おれが何かを、おれを何かに

「長距離を走るランナーたちには、マグロの霊が乗り移っているんだ」





よろしくお願いします。九折

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No. 384 蛇の声を聴け

掲題のコラム、本サイトにアップしました。



No. 384 蛇の声を聴け

聖なる気分に浸るがごときはいつだってダセーんだから――



よろしくお願いします。九折

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