☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
WS報告024(2)/血も凍るようなフィクションをやろうぜ

ういいかげん、「報告」ということにムリがあるような気がするのだが、しゃあない、今回はもう血も凍るような体験の連続だった、連続というか夜通しずっと血が凍った。
合気道の経験者がいるので、僕が教えていろいろやるのだが、どうせ経験者じゃない僕が「教えている」というのがもう意味不明なのだ、説明したくねえ/「な、なんだこれうおっ」「なんでだ、ウヒャハホウ」となるやつを教えていたのだが、そのあと一アレと二アレを教えると、それも何か妙なところにつながり、「なんかこれって……」と、不思議なムードに、いやムードが不思議というのならいいのだが、ムードじゃないリアルなやつが不思議なのだ、全員が同時に「うわ!」と、んなアホなという光景、うーんこれはもう本当に説明をやめよう、とりあえず僕がやっているのは「関節技ではないですね、関節技のわけがないですよ、ンヒャヒャ」ということはわかってもらえた、そりゃ夜中の二時にわざわざ僕が関節技を教えるわけがない、関節技なんて相手をやっつける機能しかない(マジで)。
とりあえず、忘れないようにメモっておくと、われわれの言い方でいうところの「ミリ秒」法が、こっち関係ではキモだ、命令がミリ秒で「終わっている」ということ、命令がそこで終わっているということは、「じゃあ全部もうそのミリ秒で "済んでいる" ってことじゃん」と、まさにそのとおり、勝速日、時間軸を顕微鏡単位で覗き込むと、ごく初期のきわめて短い時間のうちに、あれやこれやが起こっている、まあ「刹那」ということだろう、こんなもん相手と接触してからあれやこれやなんてものはないのだ、そんなことのはるか前にもう全ては決まってしまっている。
「今冬のヴィトンとエルメスが、銀座で張り合っていたとして、そういう結果が生じるのは、もうずっと前にデザイナーがバッグのデザインをしてからだろ、銀座の店舗は "末端" なんだから、末端に表れる現象を待っていたのでは、もう何も間に合うわけがないじゃん」「今の流行バッグは、一シーズン前にデザインされたものだろ、昨日思いついて今日製造するんじゃないんだから、末端の店舗から情報を取っていたらもう何も間に合うわけないんだよ」。

新年ということで、大量のみやげもの等をもらった、もう何か毎月何かゴッソリもらっている気がするが……(ありがとさん)
今これを書いているときも、もちろん意識が飛びそうだ、休憩なしで二十四時間以上が経過している、それは粘って頑張っているのではなく、すべてがやめるにやめられないからこうなるのだ、今年はみんなに「作品」を直接やらせることに決めたが、サンプルで僕があれこれブッこんでやらせてみたら、うーんやっぱりてめえらソッコーでダウンするじゃないかよ、寝込む人もいるのだが、最近はもうそういう正直な姿のほうが、正確に情報が取れて助かる/言語以前の「言葉」に、常時直接アプローチできることは、僕にとってはいつものことというか、毎日の毎時毎分、つまり常時のことだが、お前らにとってはソッコーでアカンやつじゃねえかよ、「作品」というのもまずミリ秒の中にすべてが見えるんだぜ、いちいちイメージをこねくりまわしたりなどしない、そんなのずっと実物を見せてきたはずだが、 "実体験" させるとやっぱり死屍累々だな!! お前らはいつもそんな感じだいいかげん気づけ笑!!
――一月一日お正月/甥っ子のお年玉をもらう/将来の夢はエレベーター・ガール/夕暮れのベランダに出たら彼女のことを思い出してくれ(まーた始まった、やってらんないわね、いつものビョーキでしょ、聞き飽きたわよもう)/(♪年の初めのためしとて)
「こんなにバッタンバッタンやられたのに、どうして身体が軽いんでしょうか」「そりゃそうでしょうよ」/今回は劇的に、後半、理知の扉が開いた人がいたが、それでもやはり、直接の世界・物語ということになると、理知よりさらに上位のアクセス権が必要だということがわかった、お前ら側の最高の理知開眼をもってしても、おれのテキトーサンプルの端っこを掴むのに「ギリギリ」ってレベルじゃねえか、やっぱりこんな状況だよな真相は!! 「この領域に断っているときは、人と対話なんかするな、そんなことしていたらオシマイだ、そして向き合うものがぷっつり途絶えたときは、ただちにこの領域を降りろ、おれが唯一 "一発殴られんとわからんか?" というのはこの点だけだ、そこは途絶えた奴が一秒でも立っていていい場所じゃないんだ」「そして降りたらすぐ、人と対話しろ、こっちに降りてきて対話しないのは、あっちに立って対話しようとし始めるアホと同列にアホなんだ、そんなのいいかげんわかるだろ」。

本年もよろしく。

得られたもの・向き合ったもの・知られたもの・触れたもの、すべてにおいて最高の一日だったかもしれない、たいへん幸先のいいことだ、しかし新年一発目からこのペースかよと考えると、ちょっともう何がどうなるのかと気が遠くなるところもある、新年一発目から「ただただびっくりして寝込んだ」というようなことがあっていいのかね、まあいいけど/あえて、月に一度ぐらい、「手抜き回」を設定しようかなあ、こんな加速度でやっていたらもうレポートなんかやっていられなくなるぜ。
「本当に、努力とかじゃないんですね、けっきょく "教え" なんですね」「そうだな、何かもう、淡々としていて、ヒューマニズムの余地がなさすぎるよな笑」「事実こういうモンであって、こういうものがあるってだけで、スピリチュアルが入り込む余地なんてないんだよ、このところのおれはもう最善を往くことだけのマシーンみてえだわ」「天才を言い張って遊んできたけれど、天才ってこれ、天の "下請け" ってことじゃん、下請けってフツーにつらいな」「入魂で作品をやれ、手抜きなんかしたら何かをやったことには一ミリもならないからだ、それは二番目にいけないことだ」「そして一番いけないことは、 "入魂の作品をゴミ箱に捨てないこと" だ、意味わかるか」「さっさと作れ、入魂で作れ、おれがソッコーでゴミ箱をぶん投げてやるから」「なぜ入魂の作品をゴミ箱にぶん投げるか? このことを、答えられるように覚えておけ、入魂の作品が命を持った場合、それはもう殺せないからだ、ゴミ箱にブン投げたって、もう消せないし、死なない、もう殺せないんだよ、永遠の命を持っているから、だからゴミ箱にぶん投げる前提でいいんだ」「お前らが迷って手詰まりになっているフリをしていつまでも動かないのは、自分が入魂で作った者をゴミ箱にブッ込む前提がないからだよ、だからさっさとよこせ、ソッコーでゴミ箱にブン投げてやるから」「よこせよこせ、おれがゴミ箱にブン投げるために、お前の入魂の作品をよこせ、ゴミ箱にブン投げるのが当たり前の前提でないと作品なんか出せっこねえよ」。

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WS報告024(1)/善悪と犯罪と作品

「よくはたらく人や、ものわかりがよい人は、善人だろう、それに比べると、ずっとエロ本ばかり読んでいる人は、善人ではないだろうな、悪趣味というか、悪趣に入る、ただそれでも、その悪は "犯罪者" ということではない、ただのエロ本野郎だから/こうしてわれわれは善悪とは別次元に "犯罪者" を捉えている」
「犯罪者といっても、ひったくりとかそういうのは、程度が知れていると思うのだけれど、もっと凄惨な、猟奇的なまでの犯行をする人もいる、そういう人はもう、善悪では捉えられないヤバイ奴だとわれわれはみなしている、それはある意味で "別格" の人だ、もちろん悪い意味で/もう人為的でない何か悪魔でも憑いているんじゃないかと、われわれは恐れて絶対的な距離を取ろうとする」
「このように、人為や善悪の観念ではもはや捉えきれないもの……その犯罪者の対極に、つまり麗しい側に、学門や、愛や、作品がある、善悪の観念を越えて何かが起こっているということ、そのアカン側がド犯罪者で、イイ側が "作品" を産み出す人なんだよ」
「ここをはっきり捉えないと、おれはもう、みなさんを単なる善人で豊かな暮らしでヨカッタネというほうにしか、押し出すことに協力できない、それも決して悪いことではないけれど、でもそれならわざわざおれがしゃしゃり出るようなことじゃないし、みなさんもわざわざおれのところに来ることなんかないだろ?/善人も悪人も、われわれはただ生きるしかなく、どちらもただ死んでいくしかないのだけれど、学門や愛や作品を産み出すということは、その善悪と "ただ生きる" ということを超克している、このことの門をくぐって、せめて一合目にだけでも到達しようやという話をしているんだよ」

「誰だって小学生のときに、校内写生をさせられるけれど、そのときに描いた絵を "作品" とは呼ばない、少なくとも当ワークショップでは呼ばない/われわれはその校内写生を見て、誰かの魂に出会うわけでは、実際ないからね、それぞれに描いた絵は大切なものかもしれないし、宝物かもしれないけれど、それまでを "作品" とみなすと話がボケる、少なくとも当ワークショップではそれを目指すべき "作品" とは呼ばない」
「われわれは生きているうちに、ただ生きてただ死んでいったというだけにならないように、学門か、(世界)愛か、作品を実現しなくてはならない、スケールは小さくていいんだよ、ヘタでもいいしヘッポコでもいいから、それでもこれは明らかに "作品だ" と言い得るものに到達する/その意味で作品ということを捉えると、実はメチャクチャ難しいんだよ、霊魂だのカミサマだのを確かに言わないとやっていられないというレベルになる」
「誰でも、ちょっとした小説を書いてみたいと思うことがあるし、ちょっとした寸劇をやってみたいとか、ちょっとしたダンスを踊ってみたり、ちょっとした歌を唄ってみたりしてみたいと思うことがある、だがその "ちょっとした作品" というのは、実はメチャクチャ難しいんだ、<<生きているうちに最も出来ないこと>>と捉えたほうがいい、その出来なさは、たとえば "ちょっとした数式の証明法を自分で思いついた" というぐらいの出来なさなんだよ、とてもじゃないが誰でもがさせられる校内写生のレベルと同列に比べられるものじゃない」
「善悪の尺度を超えて、やってやろうじゃないかと自己決定したという点についてだけは、犯罪者を見習うべきなんだよ、ちょっとした作品をどうたらこうたらなんて、生きていくことに足しになるわけじゃないし、誰かにやれと言われるわけでもないんだから/犯罪者というのはメチャクチャだけど、少なくとも、自分の生きることにマイナスになるし、誰にやれと言われたわけでもないのに、それを自分でやってやろうじゃないかと自己決定した、その点だけは見習うべきだ、だからわれわれは重大な犯罪者の名前を知っている、それは偉大な作品の主の名前を知っているのと同じなんだよ、われわれはそうして自分の生活とは関係ない誰かの名前と出会うんだ」

「目を覚ましてやる/そもそもみなさん、作品を産み出すということに必要なエネルギー量を誤解している」

(僕がぶち抜きのデカい声――ただし「作品」の声――で言葉を発すると、むろん全員がウオッと目を覚ました、そりゃビックリするわな)「われわれがたまに、友人に誘われたりで、街中の市民劇団の演劇を観に行ったりすることがあるけれど、それを観て楽しみはすれど、大きく感動するなんてことはまずない、むしろたいていの場合は、劇団の人たちだけが大声で盛り上がって、当人たちは楽しそうだけれど、観ているわれわれは置き去りで、よくわからずに退屈させられるものだ、でもそうした人たちだって演劇を何十年もやっていたりするんだ、それでもそれが現実なんだよ/これは中傷で言っているのじゃなくて、作品を産み出すというのはそれぐらい難しいということなんだ、何十年やっても "作品" なんか出現しないというのが当たり前なんだよ、これは侮辱じゃない、 "作品" とはそういう次元のものであって、だからこそ何もしないよりは何かに取り組むべきだとおれは思っている」
「おれはみなさんを見ていて、たまに怖いと思うことがある、それはなぜかというと、ちょっとした "作品" を産み出すということが、やればできると思っているふうに見えるからだ、おれはそれはとんでもない誤解だと断じるよ、小規模であれ "作品" なんぞを現出せしめるということは、生きているうちで最高難度のことだ、おれはインチキ山の九合目まで登ったことを誇ってほしくない、どれだけヘッポコでもいいから本当の門をくぐって本当の山の一合目にまでたどり着こうじゃないか」

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ワークショップおよびパーティのご案内

足 Quali's 身体操作とコミュニケートと存在のワークショップ 1/9更新
「世界のボトムを見せたりまっせ教室」
【第四十六回】1月11日(金)19時〜@マイレッスン三軒茶屋スタジオ
【第四十七回】
1月12日(土)19時〜@マイレッスン三軒茶屋スタジオ
【第四十八回】
1月18日(金)19時〜@マイレッスン三軒茶屋スタジオ
【第四十九回】
1月19日(土)19時〜@マイレッスン三軒茶屋スタジオ

【第五十回】1月25日(金)19時〜@マイレッスン三軒茶屋スタジオ
【パーティ】
1月26日(土)19時〜@原宿竹下口Bar CLIMB


(教室名が変更されていますがやることは同じです)
(服装自由、仕事上がりも可。参加費無料。世田谷公園では青空教室です)
(ハイヒールはさすがにキツいかもです)
(場所:世田谷公園正門(デニーズ向かい)から階段を上り右手前方に見えるベンチのあたり)

(雨天時・寒冷期はスタジオを使用します、随時ブログ記事でご連絡いたします)
(ワークの性質上、性格や挙動の不穏な方には参加をご遠慮いただいております)
→ワークショップ参加エントリはこちらからメール


酒Quali's Party
「世界のボトムまでは行けませんわ集会」
【第88回】1月26日(土)19時〜23時@原宿DinningBar CLIMB
【第89回】
2月16日(土)19時〜23時@原宿DinningBar CLIMB

♂5000yen ♀3000yen
(ほんのり合コン的な格好でよろしく。そしたら点数アップ)

→パーティ参加エントリはこちらからメール


謹賀新年
諦観風情はプルトニウム飲んでこいゴルァ〜



みなさまのご参加をお待ちしております。 九折

(ワークショップの各カリキュラムは以下続きをご参照ください)

続きを読む >>
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No. 386「僕の越えたかったもの」

掲題のコラム、本サイトのほうにアップロードしました。

→No. 386「僕の越えたかったもの」

みなさま、よいお年を!!!

九折空也
 

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月刊ワーQショップ 第四号「Yes」

pdf[A4]42頁
→月刊ワーQショップ 第四号「Yes」

月刊ワーQショップ12月 第四号「Yes」をアップロードしました。ご笑覧ください。
(ブラウザから閲覧するとまれに文字化けすることがあるので右クリックからダウンロードしての閲覧を推奨申し上げます)
ご寄稿のみなさまありがとうございました! 九折


第一号はこちら→「創刊号」
第二号はこちら→「夢中」
第三号はこちら→「軽薄」

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やさしさと粗挽きと細引き
ークショップの打ち上げで、鳥貴族で飲み会をして、ゲラゲラ笑って、ウダウダ話した/「グラビアアイドルの反対は星空だ」と僕は言った、「恋あいというなら、女を見て星空が視えなきゃいけない、女を見てグラビアゆっさゆっさを見ているようでは、それは恋あいではないなあ」。
「やさしさ」という、ナゾの現象がある、「やさしさ」はそれだけでテーマであり、それだけで作品たりうるし、それだけで存在の定義になる/だが「やさしさ」の正体が何なのかは、未だ知れない、やさしくしようという意図だけでやさしさに到達できるなら、誰だって洗顔のついでに済ませていよう。
僕は「やさしさ」という、ひとつの世界に、いつでも逃げ込めることを知っている、それはやさしい誰かのところに逃げ込むというのではなくて、やさしさそのものに逃げ込むということだ、まるで細かい砂粒が漉し器の目を通り抜けてしまうように/それが何なのかはわからないが、ふっと細かい砂粒になって流れ込む先だということは知っている、小さすぎる砂粒は、善悪の尺度最小より小さいので、もはや尺度という事象で計測することができない。
僕は別に、誰にやさしくしているつもりもないのだが、みんな何かが「やさしい」と言う/「本体がやさしい」「そりゃサブパーツがやさしいとかねーよ」「それはもう文章にも滲み出ている」「へえ、そうなのか」、やさしさというのは、僕にはよくわからないが、僕は逃げ込める先を知っている、そしてその逃げ込んだ中からしか何かを書いたり話したりすることはできないということも、経験上いやというほど知り抜いている。

こういうことを言うと、ちゃんとした人に怒られるので、ナイショの話だが、夜明けには氷の張った世田谷公園にいって、半年間お世話になったことのお礼に、お参りする具合にした/そこで数分だけ、来年やりましょーねというネタで、合気道でいうところの一教と二教をやった、特に二教がきれいに決まると「ふんおっ!? なんじゃこれ!」となるので面白い(二教に痛みはまったくない)(もちろん有段者に掛けているのであり、ただのか弱い女性をいびっているわけではない)。
「どこでこんなワザを……」「なんでか、寝て起きたらわかっていた、やり方を知っていた」「ふえええ」「相手は打つ部分や掴む部分が、イケイケになるわけだから(その部分の感受性を頼りにするわけだから)、この部分は殺してはいけない、この部分はどんどんいかしてやればいい、だから二教のとき、相手の手は下がるんじゃなくて浮き上がるんだよ……それで、反動でこうしてやると、自分で勝手にポーンと飛んでいく、ほいっ」「うおっ!?」、まあ一応メモとしてそういうふうに書いておこう、こういうのは忘れるたぐいのことではないけれども。
僕は、「やさしさ」という現象を、パラメーターではなく「次元」という単位で知っている、「やさしさ」にどのていどの段階がありうるのかは知らないが、少なくとも星空が視える次元まで到達しないと、言葉とか物語とかは視えてこない。
「星空が視えて、星空の下に人が視えるようになると、 "人" というのが、物体ではなく物語の中にいるのが視えるようになる」「……今、ふと思ったのですが、あなたはわたしを、あくまで世界と切り離さずに見てくれるように感じるのです。それがやさしいということかもしれません」「あーね」。

粗挽き ← 中挽き → 細引き → やさしさ

なんだろうか、仮に魂に、何かしらの「凝り固まり」があったとして、その団子になった凝り固まりがほぐされないかぎり、くぐれない格子があったりするのだろうか/よくわからないが、確かに、僕は誰にやさしくしようとも考えていないが、それぞれの魂がこの世界と、物語とにつながって、みな星空の下にあるようにと、そのことばかりを考えている、それは僕の意図でそう考えているというのではなく、僕にとって考えるとか感じるとかいうことはその次元においてしかない。
端的には、誰にも「世界につながれ」と思っているのだが、特に健気に生きてきて、今もなお清潔な叫びを抱えている者は、そのまま放置されているのはかわいそうだと思うのだ、いかにも大きなお世話とはわれながら思うが/そこは年長者の義務と権利だとうそぶくことにして、僕は誰もが格子から出て世界につながることを望んでいるし、同時にそのことが、みんなが思っているような甘いことではないということもいやというほど知っている。
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WS報告023(2)/「カードです」「タバコです」「人です」

告通り、「大表示塾」をやった、そのネタはともかく、正しく「表示法」のアプローチをした。
人に何が「視えて」いるか、特に自分は人に何を「視せて」いるのか?/「自分で思っていることが、人に視えているわけじゃございませんぜ」「スタバでマックブック開いているカッケーおれは、何か "そういう意識がある人だよね" ということが表示されているだけで、かっけー人なんか表示されていないからね」。
「ようこそ」「ありがとうございました」「すごくステキでした」「また会いたいです」、それらの意味(ミーニング)を、いくらアピールしても、人から人への「表示」は、まったく異なっていることがあるのだ/「表示」が正しく為されないかぎり、自分の意図なりこころなりが、相手に正しく届くということはありえない(あたりめーだ)。
冗談でなく生涯、自分から人へは何ひとつ伝わらず終わるということが、大いにあるのだ、さらには伝わらないのみならず、違うものが届き続けるということも往々にしてある、むしろ現実的に考えると、自分なんぞは人に不本意な何かばかりを表示して死んでいくというふうに捉えていなくてはいけない、そりゃそんなこと訓練せずに生きているのだから当たり前といえば当たり前だ。

けっきょく学門で捉えるしかないので、「これができなきゃいかん」というひとつのことに結ぶ、このひとつのことがすべてのことを牽引するような仕組みにしないといけない/「 "タバコを吸いながらポーカーをやっている人" を表示してください、演劇としてはきわめて簡単なもののはずです」。
そして、説明つきで模範を目の前で実演されると、誰にだってわかることなのだが(そして教わらないとまず気づかないことなのだが)、実はタバコを吸うにせよカードをチェンジするにせよ、すべての「表示」は、実は「人」の表示の上に乗っかっている/タバコやらカードやらポーカーゲームやらはすべてアクセサリーでしかなく、すべては表示の本体たる「人」が表示されてからでしか視えないのだ、それでこのことをしつこくやる、「カードです、タバコです、で、 "人" です、この "人" が表示されないかぎり、あなたのやっていることも言っていることも何一つ人には視えていないんだよ」。
「タバコを吸いながらポーカーをする人」という演劇をするなら、誰だってタバコとカードの表示はわかる、それっぽい気分の表示もわかる、けれども、すべては「人です」を表示しないと視えないということは、誰も気づかないというか、何であれば恣意的に無視して避けているところがある/なぜ恣意的にそこを避けるかというと、「人です」を表示できる人は実際にとても少ないからだ、そしてそこを突かれるとブルーになる人が続出なのであった(しゃーない)。
なぜ「人です」が表示されないのか、そして、どうやったらその「人」というものが表示されるのか/「実はね、 "人格" というけれど、 "人" と "格" は別なんだ、人が表示されていないってことは、格が出ちゃっているってことなんだよ、それは顔面の機能であり、 "メンツ(面子)" ともいうね、今流行りの『キャラ』というのもそれに当たるけれど、難しい話にしてもしょうがない……さあ、タバコを吸いながらポーカーをやっている人を表示してください、そのために、顔面を破壊してください」。

空間のYesが、本当に横隔膜に入ると、Yesは自由を与えることになるから、五臓六腑がフツフツくる、そして「格なんか要らない」となる、それで顔面は使われなくなり、「人です」が表示されるようになる。

「顔面とは何なのかわかるか、顔面には目と鼻と口と耳がついている、つまり情報取得のインターフェイスだ、目を開けたまま視覚のスイッチが切れるか? あるいは耳栓をしないまま聴覚をオフにできるか? できるわけがない、だってそれはインターフェイスが勝手に機能しているだけのことだからだ」「じゃあわれわれは、顔面で何を頑張っているつもりなのだろう? 目を頑張らせてモノを見ると、 "睨む" ということになるが、それは本当に視覚に対してわれわれがガンバっていることになっているのか?」
「顔面は "格" だ、意識の端末だ、何が正解で、何が間違っているとか、善悪はどちらだとか、どちらが上で高得点だとか、そういう振り分けばかりを考えている、この顔面を使わないということ、顔面を使わなければ善悪の振り分けはしない、成功と失敗の振り分けもしない、つまりバカになる、気魄のNoから、魂のYesになって、胴体はバカになるんだよ、それで "人" が表示される」「というわけで、これが大表示塾でした、さあそれじゃ、 "タバコを吸いながらポーカーをやっている人" を表示してみて」。

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WS報告023(1)/魂は国道246号沿いで

ークショップそのものは19時から翌5時までだが、その後朝食のままファミレスで話し込むので、場合によっては二十四時間を越えることがある/こんなことが当たり前になるのはヤバイ話なのだが、まあヤバくなければヤバいほどは鍛えられないのでしょうがない(主に鍛えられているのはおれである)。
魂の得方と鍛え方は、いろいろあると思うが、人里離れた山奥や砂浜で、燦々たる太陽と清涼な大気と共に、という発想は、僕の趣味ではない、国道246号沿いで、深夜の煙草とヘッドライトと化粧した他人の女子大生の中で鍛えられねば、いざというとき頼りにならない、僕は明治通りの竹下口でハイボールを吸って輝く魂が欲しい。
ひとまず年内のワークショップはやりきった、 "やりきった" わけだ、この半年ほど、おれが突っ切るのは当たり前だが、みんな頑張ってついてきたのだ、やりきったことには独特の感興が残るな、「何を獲得した?」と訊いたら三名が口々に「思い出」と言った。
みんな28日の、打ち上げを楽しみにしている、鳥貴族を楽しみにしている、朝のジョナサンでハイボールを一口啜った女が、「えっ!? 朝のハイボールってこんなにおいしいの?」「何を目覚めてんだ笑」と/どんなバカなことであれ、やりきったには違いなく、このやりきったということについては、容易にマネはさせない、マネできるほどのバカには普通なれないだろう。

半年間、身体そのものをいじってきたわけだから、せっかくなので胴体の気を巡らせて冷え性等の対策にもなるように、背骨(腰椎)の張り出しと手のひらの気感、および股関節(というより「股」そのもの)の操作をした、股関節を緩めて腰椎の張り出しから背骨を動かせるようになると、いかにも中国拳法っぽい動きになり、特に工夫しなくても「気」のようなものが身体を巡るようになる/手のひらが熱くなり、いつものワークショップのアレと違うというか、つまり胸の中央を貼り出すと形は「発散」になり空間に対して表現的になるが、腰椎(命門)を貼り出すと形は「収束」になり手の内に対してヒーリング的になる。
この形は、中国拳法っぽいというより、中国拳法というとそういうものだな、もちろん拳法をやるつもりはない、戦闘能力を上げている場合じゃないので/「腰と脚(腿)の接続は、大腿骨の骨頭で為されているのだけれど、実は構造上、脚というのは腰の『下』につながっていないんだ、『横』からつながっているんだよ、だから驚いたことに、脚って人体の "サイドパーツ" なんだぜ、お相撲さんの構えている胴体の『下』に脚はないだろ」「考えてみりゃ当たり前のことなんだが、脚の付け根より股のほうが『下』にあるんだ、このことがわかっていないから、身体の地図がぐちゃぐちゃになって、股関節が踏ん張ってしまうんだ、 "脚の上に股が乗っちゃダメ" なんだよ、股のほうが脚の付け根より下にあるんだから」。
そういえば、当ワークショップはヒーリングうんぬんを取り扱ってはいないのだが、今回はこの寒い季節に合わせて特別に、ヒーリング的接触もやらせてみた、やらせてみると需要があるのか(テメーらどんだけ疲れてんだ)、放っておけば何時間でもやっていそうな様子だった/人に具体的に「接触」すると、「接触」は三種類の干渉を起こす(と僕は独自に捉えている)、1.「意志」の干渉、2.「こころ」の干渉、3.「自律神経」の干渉だ、「自律神経ってわかるか、お前ら、自分の体温とか脈拍とか消化器官とかを自分で操作はしていないだろ、そういった機能は "自律的" にはたらいているわけだ、だからそれらを支配する神経を自律神経と呼んでいる」。
「いつも見ているように、人がトリャーと向かってくるとき、それをするりとハズしてやると、突っ込んできた側がすってんころりんといくだろ、あれは『意志』の干渉だ、トリャーと向かってくる『意志』が対象を失うからすってんころりんするんだよ、合気道とかはそういう類のものだ、『敵』が消えるから攻撃しようとした『意志』が行き場を無くして勢いのまま転ぶんだよ」「座っている人の手を持って、全身にこう……『行きまっせ』の干渉がつながれば、相手の身体は『行きまっせ』状態になるんだよ、すると立ち上がるのが異様にラクになる、これがまあ、『こころ』の干渉のひとつ」「で、触れている側が、できたら相手の呼吸を読んで、横隔膜をひとつにして、自律神経を鎮静していけば、相手の自律神経も、鎮静して正常化していくわけだ、だいたい経験的に、背中の側の体温が上がって、場合によっては眠たくなってしまう場合もある、なんでかは知らん」/「こうして、人に『触れる』ということに、基本的な知識と訓練を得れば、これから先、人と触れ合って生きることに、自信と実りが得られるのじゃないかと、ウーン本当にそうなるかどうかは知らんがな」。

マジメにやっちゃダメ、バカじゃなきゃ本当には身につかない。

246号沿いで鍛えた魂しかけっきょくアテにならないようにだ/「おれがこんな、ガラでもない先生役をやっている理由はただひとつ、どこをどう探したって、こんなバカでテキトーでデタラメの先生は他にいるはずがないからだ、もちろん世の中の過半数がおれみたいになったらこの世は滅んでしまうと思うが、一人ぐらいはおれのように致命的なバカがいなくてはならない」「おれはこれらのすべてをバカのまま身につけているので、バカのまま発揮できるわけだ、いちいちマジメになってからしか使えないのではけっきょく現場で間に合わないだろう」。
命門を張り出して、手のひらに気感、股が下へ緩んで、気の巡りとヒーリング、ただしすべてバカのままお願いします、というのは、技術だけでクリスマスはやってこないからだ、降り注ぐクリスマスに浮かれるのはド賢者かもしくは生粋のバカだろう、ド賢者にはなれないのでバカでよろしく、冷え性をマシにしてメリークリスマス〜。

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WS報告022(3)/ベシベシベシベシベシ

言通り、釣り合い法と表示法と呼応法をやった、表示法は幾人かにオーマイガッをもたらした(フハハハハ)。
物品Aと物品Bが小道具としてあったとき、小道具はアクセサリーにすぎないわけだ、「アクセサリーだけあって本体はナシかよ」と、非常にまっとうなことを言うのだった。
「すべての営みのメインコンテンツは "人" だ(当たり前)」「表示がないってことは、PC本体だけあってモニタがないってことだぜ、そしてアクセスランプがガリガリガリ……そんなの、『内部で何かなっているんだろうな』としか思えねーじゃねーか、そんな表示のないものが内部でアップデートとかしていたら失笑エクストリームだろ」
呼応法は、より意識をクリアにして、試行錯誤を重ねなくてはならない、ソウルが返らなきゃならんということ、そしてマスター側がズバッと励まされるということ、このことに向かわずに熱心にやっても行方不明にしかならないからな/呼応法もやはり、初めてやられた人は「なんだこれ!!」となる、ナゾの励ましパワーはまずゲラゲラ笑ってしまうな。

「自分で思っているものと違うものが表示されていることがあるってことですよね」「そりゃそーだ、それどころか、自分の思っているものなんかまったく表示はされていないぞ」「それってやばいじゃないですかああああウワアアアア」
「スタバでマックブック開いてカッコいいオレ、みたいに自分で思っているやつは、自分で思っているだけで "表示" はまったくされていないぞ」「うわあああああ言わないでくださいいいいい」「自分で思っているハードボイルドなおれとかも表z(ry」「うわあああああ」
今回、最も報告すべきことは、やれ表示だの何だのといって、一番有効な方法は、僕が胴体をベシベシ叩いてやることだったということだ、「お前ら全員壊れたテレビかよ、どーしてベシベシ叩くと表示されんだよ」。
僕が胴体をベシベシ叩くと、「表示」はグッとマシになるので、それはつまり、「お前ら根本的に鍛え方が足りなさすぎるわあああああ」「うへへへすいません」ということだった、もう中国拳法ののように具体的に内臓を鍛えるべきじゃねーのかと思うが、もちろんそんなノウハウは誰も持ち合わせていないのだった。

「こころは胴体にある、と言ってきたとおりだろ」

「 "こころ" といって、内心でどうこう、と思っているかもしれないけれど、内心なんて存在しないんだよ、みんなが内心って言っているのはただの思念だよ、内部的に思念ボンバーになったところで外部的には表示はなくて、モニタなしPCのように、『内部で何かなっているんだろうなあ』としか見えていないよ」「うわあああああ」
「みんな、魂が無いわけじゃないんで、何というか、大前提がおかしいんだよ、フツーに考えて、われわれの魂が現代のコンテンツ量を体験しきれるわけがないんだよ」「みんなが思うレベルの、 "一応なんでも一通りできます" ということを実現しようとすると、最低限おれのレベルになるよ、だっておれは自分なりに最低限の人間ではあろうとしてこうなったんだもの、でもこんな奴実際にはオカシイだろ?/われわれの魂って、ふつうそんな何でもかんでもできねーんだよ、そのメチャクチャな前提をやめて、今ある魂を当たり前に誇ったらいいじゃん、おれがみんなの魂が小さいと言っているのじゃなくて、みんなの大前提がそもそもメチャクチャなんだよ」

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WS報告022(2)/物語は物理である
リスマスだから言うわけじゃないけど、何か基本的に、やさしい気持ちになっている。
こんだけメチャクチャやっておいて、やさしい気持ちというのもアレだと思うが、きっとみんな僕のことをやさしい人だと思ってくれているだろう。
表示上は、そうは見えないので、心配になるが、きっと大丈夫なはずだ、僕は教師じゃない、僕は僕だ。
何か特別なことをしてあげようとすると、こんなことになるのは、しょうがない、僕の選択は常に馬鹿げている。

僕も馬鹿だが、改めて考えると、集まっている人もなかなかに馬鹿だ、よくまあこんなことになったものだ、みんな必死に馬鹿だな!!
僕だってそれなりに年数は生きているはずなのだが、なぜだろう、僕は自分の生きてきたすべてのことを、そういえばわずかも自慢する気になれない/僕は自慢できること自体が好きじゃないのかもしれない。
誰も馬鹿をやろうとしているわけではないのだが、大真面目にやると結果的に馬鹿の極致に行き着いているのだ、じゃあ根底が馬鹿なのに違いない、われわれの現場ほどNHKの取材から遠い現場はこの世にない。
10時間スタジオでやりつづけて、その後12時間ファミレスで研究を続けるというのは、ドリンクバーの霊にでも取り憑かれているのか、あえて言うまでもないことだが、2018年はこれからだぜ〜☆

街はクリスマスに向かっている。

街はクリスマスに向かっている、ということは、雲も星空もクリスマスに向かっているだろう、これ以上重要なことがあるだろうか、どう考えてもワークよりクリスマスのほうが、いや何でもない。
街をあげて、おれのためにクリスマスをしてくれるなんて、いやあ照れるぜ、これではワークショップ報告になっていないという声も聞こえてくるが、そうはいってもクリスマスのソウルが入ったらクリスマスにならざるをえない、十二月の大気に観測不能物がひしめいている。
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WS報告022(1)/年内は大表示塾じゃワレェ
SONICMOVEは「全細胞が間違って動け」、それでないと自由を得られないからだ、このあたりは岡本太郎氏を参照するといい、岡本太郎氏の著書はたいへん読みやすいしな。
ただ君は本来きっとアーティスティックというよりは物語屋なので、きっとたどり着いて真にしっくりくるのは、「我動かばただちに世界なり」のほうだろう、これはやがて「我語らばただちに世界になり」にもなるが、これはとてもむつかしい、[空間を広くとって全身に集中をかける→全身と空間が関係する→じゃあ全身が動いたら空間も動くじゃん→世界キター]/まあむつかしいからといって出来ないとは限らん、ズバーンと出来てしまえばそれでイイっちゃあイイ。
色鉛筆ちゃんは、ソウルのほとばしりがキてるぞ〜イイぞ〜(これは本当にスゴイ)、ぜひそのままいけ、お世辞抜きにスゲーよ/Hちゃんはまさかのまさか、世界大会まで行った競技ダンスの蓄積がこの先に捲土重来の救世主になるかもな、そしてゆかさんは演劇方面に惚れているなら基本的にそれを本分としなさい、そうでないとブレて余計に面倒くせえ。
長いこと「釣り合い法」をやっているが、これは全身を賢くするし、特に打ち合いにまで発展させると、健全な魂魄をグイグイ養う効果があるようだ、これはどんどんやっていこう、本当ならもう打ち合い釣り合いだけで一週間の合宿を組みたいぐらいだ/実は釣り合い法は先々にまでつながっているのでさっさと基本動作というか常識にしてしまうようによろしく。

で、そのあとまたファミレスで詰めていったのだが、年内はもう「大表示塾」です、点検してみると、テメーらが根本的に「表示」について経験ゼロできているのがよくわかった/年内にこれをやるというか、これはもうクリスマスまでに掴んでしまえ、どれだけヘッポコでもいいから「表示」の基本を掴むのだ、これは目の前でやられりゃイッパツでわかる(だからもうイッパツで出来てしまえ)。
「表示」については、聞いて驚くなよ、みんな二十年から三十年、ほうったらかしのゼロ状態で進んできているのだ、これは明らかにメール等のテキストチャットの影響だ/われわれは「○○をする」を見ているのではない、「○○をする人」を見ているのだ、あたりめーだこんなもん、これはもう夢でうなされるぐらい脳みそに叩きこんでやる必要がある。
ジョークの原理を、座学とペーパーで示した、あれは非常に遠巻きな手段だが、具体的なブツが目の前にあるせいで、具体的な効果が蓄積しよう、ヒマつぶしに脳みそがそういうはたらきをするように訓練しろ、意識がゆるんで脳みそが統合的に捉えるということだ、まあこれは実物を手にした奴は二度と忘れないだろう、ドライヤーで歯を磨くぐらいは脳みそに常にちらついていろ。
あと全然カンケーないが、ワークショップのせいで流星群が見られなかったな、うーむ残念、まあでもおれの代わりに流れ星を見てくれた奴がいるのでかまわないだろう、それはおれが流れ星を見たのと同等のことだ、魂というのはそういうものだ、あいつが流れ星を見たなら、おれが流れ星を見たということだ、それこそが本当の話。

大表示塾にこぞって参戦しろ。

「表示」だ、表示表示表示表示表示、これに関してはなぜか、テキトーなことをやられると「オイふざけんな」と九折さんが急に怒るパターンのやつだ、なぜか知らないが特定のパターンがあるよな、急にはっきりと九折さんが怒りだすやつ、あれはなぜ急に怒りだすのかはおれ自身にもわからない、だが何かの反応があってこれは「ふざけんな」となるのだ、たぶんこれは出来る出来ないではなく人と邪悪の分岐点なのだ/出来なくてもいいから曲げんな、ということでたいていカミナリが落ちる(もう慣れろ面倒くせえ)。
年末の打ち上げに向かって進んでいくけれど、ウーン、こんなもん、もう年末も年始もないぞ! 逆にステキな年末と年始を用意してやる、つまりやるべきことがあるというイグジスタンスの只中で年越しをさせてやるよ、忘れようのない平成最後の年越しにはもってこいだろ。
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パーティ報告87(2)/ソウルの委譲
譲というのはヘンな言い方だが、いいのだ、ソウル(魂)は減るものじゃないので、委譲されたものはどんどん行使してよろしい。
今回も、毎回のとおり、夕方から始まってそのままワイワイやり、朝までやって、メシくってウダウダして、昼になって夕方になって……と、えんえん遊び続けてしまったのだが、朝になって、ひとつ偉大なことが確かめられた、これは大げさだが「偉大」と言ってしまっていいだろう。
今になってやはり、僕の言い方、「努力なんてしてもしゃーない、成長なんていらねー、技術じゃねーし〜」という言い方に、ふたたびの確信を得る、本当にまともでナイスなことは、ソウルの委譲で起こるからだ、そりゃ何のソウルにもつながらず、誰のソウルも引き継がずに、自前のガンバリでナイスなことなんて出来ねーよ。
正確に言うと、努力は「必要」で、成長も「必要」、技術も「必要」なのだが、その必要品を揃えたところで、「ナイス」なことにはならないということだ、そりゃ当たり前だわな、必要品なしに跳躍は起こらないが、必要品を集めたところで跳躍は起こんねーよ。

ある女性に、ソウルの委譲が起こって、跳躍、急にカッコよくなったのだ、それはもう、同じ女性から見ても「惚れるわ」というぐらいに、急にきれいに、カッコよくなるのだ。
そりゃまだまだ未熟なものかもしれないが、未熟どうこうはカンケーない、ソウルの委譲が起こったのだから/ソウルが委譲されると、彼女はパッタリと、「オタオタする」ということがなくなった、眼の奥に光が灯った、モノを「言う」のではなく、「話」につながるようになった、「そりゃ大きさは違うにしても、もう引き下がらなくて済むようになったろ?」「あ、本当だ、引き下がらなくてよくなった」。
「妙なことを言うようだけど、オマエの目の前にいるコイツね、これが、オマエの "わたし" なの、人間にはそういう能力がある、これをさっさと、当たり前のことにしないとな/オマエの目の前にいるコイツが "わたし" で、その逆をしてはならない、オマエをこの人の "わたし" にしてはならない、人間にはこの、逆方向への能力もあってしまうから」
なぜソウルの委譲が起こったのか? それは端的に、彼女が社会的にも大変ナイスな、すげー活躍をしたからだ、彼女は教わったことを使い、教わったことのみならず、目の前のことをなんとかしようと、与えられたものを行使したのだ、まあぶっちゃけて言えば彼女は「九折さんを使った」と言える、使えるものを全部使おうとすると必然そうなる/だから彼女は思いがけない活躍の後、内心でそれを与えてくれた人の名を呼んで称えた、それでソウルの委譲が起こった、彼女が自前のガンバリで活躍したのじゃない、人ってそんなにケチくさく出来てねーよ。

努力と成長と技術で跳躍するものなら、僕は一ミリも跳躍していないはずだ。

何しろ僕は、努力なんか一ミリもしないし、成長もしないし、技術なんて重いものは持てないので、いつも手ぶらだ、すべてのことをその場しのぎだけでなんとかしていこうとする、サイテーの不誠実な人物だ/ただ僕は、何でもかんでも、偉大な人のことを「すげえ」といい、偉大な人のソウルを使うからな、それは何といっても、おれ自身はまるで使い物にならねーから、偉大な人のソウルを "わたし" と認めて使うしかないのだ。
「おれはアサシン教団の者だと、いつも言っているが、それはエツィオ・アウディトーレがアサシン教団の者だからであって、エツィオがアサシンならおれもアサシンだ、おれはずーっとそれだね……ところで目の前のテメーにおれのソウルが委譲されているのを見ると、なんか、率直に言ってズルいな!! こんなのテメー、一気にトクをしすぎじゃねーか!!」
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パーティ報告87(1)/慾望の解放
「 "もしお金がいくらでも貰えるとしたらいくら欲しい?" そういう質問に、おれはいつもこう答える、 "おれだけすべてのものを無料にしてくれ" 、そうしたら支払いそのものから逃れられるだろ? 購入という行為そのものから離脱できるんだ、そこまで視えてなきゃ、慾望への向き合い方が甘いよ」
「近所に大キライなババアがいたとする、このババアの脳天を、拳銃でぶち抜きたいか? いや違う、本当の慾望をいえば、このババアが急に佳いババアになるか、いっそのこと最高の美少女に変化してほしい、そこまで視えてなきゃ慾望への向き合い方が甘いよ」
「街中にいる可憐な少女や抜群の美女を、次々にレイプしたいか? いやそうじゃない、本当は、向こうから抱かれに走り寄ってきて欲しい、すべての美女と美少女がおれのことを愛しまくって、そしておれにヤラれることで幸福になってほしい、彼女だけでなくその他すべての人がだ、そこまで視えてなきゃ慾望への向き合い方が甘いよ」
「本当の慾望を考えたとき、しょーもない、何もかもをメチャクチャにして、己の小さな願望を埋めたいということではなく、何もかもが大きなYes、無条件のYesに包まれるようでなくちゃダメなんだ、そうでなきゃ本当に満たされはしない、実際どんなお金持ちが美女を好き放題に連れ回していても、彼らが "満たされている" ということは決してないじゃないか」

「そうして考えると、本当に己の慾望を満たすということを考えたとき、いっそもう、誰も決して死ぬことのない、不死の国、Yesの国、つまり "永遠の国" にでも到達するしかないんだよ、何もかもが愛し合って、絶え間ない歓喜に一切のほころびが生じえない、何も失われることのない、そして時間の流れない永遠の国だ、それに比べたら、資産を一兆円持って十万人の女をレイプしたところで、何がどう "満たされる" わけがあるんだ、慾望への向き合い方が甘いよ、そんな一兆円やら十万人やらで満たされるほど、おれの慾望は甘くないわ」
「おれだって、電車で腰の曲がったババアが立っていたら、座席を譲るぐらいはする、でもそれは善意でもなければ道徳でもない、おれが席を譲るとしたら、おれ自身の慾望によってだ、おれはおれ自身の慾望以外のことは一ミリもやらない」
「そもそもおれは、自分の慾望をガマンしたことが一度もない、 "世界一慾望に忠実な男" と言われていたとおりだ、もちろん慾望をそのままいつも "実行" するというのでは、ただのトラブルを起こすバカだが、そういうことじゃない、おれはこれまでに自分の慾望をガマンしたことが一ミリもない/おれがババアのこめかみを、ひまつぶしに拳銃でぶち抜かないのは、ガマンしているからじゃない、それによってババアが死ぬということが気にくわないからだ、こめかみをぶち抜かれたぐらいで死ぬなよクソがと思っている、そうしたら好き放題にこめかみを銃弾でぶち抜いてやれるのに、もちろんババアのこめかみを銃弾でぶち抜くこと自体は慾望として面白いだろ?」
「この、慾望の解放については、バカに誤解されるのがイヤだったので、このごろ話さなかったのだが、おれはもともとそういう路線だったよ、だが今になっては、逆のほうに誤解されないように、説明する義務が出てきたな、おれは今、両サイドを裸のオッパイに挟まれても、何ら静寂を乱されるものではないが、それは慾望をガマンしているからじゃない、慾望を解放したことの結果として静寂が変わらんということだ、それはおれの慾望が、感受性などというふざけたものでは一切満たされないからだ/おれは己の慾望について一切のガマンをしない、ただおれが静かでいるのは、女のオッパイをいじったところで不穏や不幸が発生するのが大キライだからだ、そのへんはまったくモノが違うのだから、きみなんかはそこを誤解しないように注意だ!!」

「グラビアやアダルトビデオで、オッパイをゆさゆさしている派手な女の子がいても、おれは興奮しない、ただ "このうつくしい子は、こんなことをするために生まれてきたのじゃない" と視えて、やりきれなくなるだけだ」

「けっきょくおれは、 "まともなこと" しか愛せないんだ、不穏なことなんて根こそぎノーサンキューなんだよ、ただな、当たり前のことだが、慾望を隠していたって、抑圧していたって、同じだ、隠していたって、慾望は "ある" のだから/慾望を隠したまま表面上の平穏を作ったところで、本質的には不穏じゃねーか、そこのところを勘違いすんな、おれの場合は、掛け値なしに慾望を全オープンして "この状態" だ、こっそりガマンして取り繕っているのと同じに扱うと単に事実を誤認するぞ」
「南部陽一郎というドエライ先生が、宇宙開闢の秘密の一端を解き明かしたが、この先生が言っていたよ、そこまで研究するのは、知りたいという "慾望" があるからだって、慾望の解放の果てに、宇宙の開闢まで手を突っ込んだわけだ、そりゃそうまでしないと人の慾望なんて本当には満たされはしないよ、スカートに手を突っ込むだけで慾望が満たされるなんてこと、冷静に考えたらあるわけがないだろ?」
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第87回Quali's Party[12月8日(土)]無事盛会!

12/10 Quali tweet> いやあ本当にイイ回でしたわ pls entry

join: ひろみ、ゆか、あきら、ともこ、かなみ、しおん、かず、くおり
日時:2018年12月8日(土)19時〜23時
場所:原宿竹下口交差点DinningBar CLIMB


おかげさまで無事盛会でした! 次回もよろしくお願いいたします!
うーん今回もナイスだった、今回は特にナイスだったかもしれんなあ〜

九折

キラキラ次回[1月26日(土)]参加エントリはこちらから!キラキラキラキラキラキラ
(会場側の都合で第四土曜日になります)



→その他詳細はこちらから


宣伝コラム「パーティへの誘い その1」はこちらから!
宣伝コラム「パーティへの誘い その2」はこちらから!
宣伝コラム「パーティへの誘い その3」はこちらから!
宣伝コラム「パーティへの誘い その4」はこちらから!
宣伝コラム「パーティへの誘い その5」はこちらから!

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WS報告021(1)/「本当のことあるやなしや」「魂の大きさ」

み上がりだから体力ないかと思ったら全然イケたな!! もっと手抜きするつもりだったのに結局フルでやってしまった。
一つ、身体操作のワークは、思い込みやウソを暴くために学んでいる、一つ、余韻・エコー・フィクションのワークは、 "本当のことあるやなしや" の領域に及ぶ。
「別スタジオでは、別の人々がダンスをしている、演劇をしている人たちもあるだろう、さっき通り道でおばちゃんが自転車で通り過ぎていったけどね、あのおばちゃんも同じ……そうしてすべての人々が、 "本当のことあるやなしや" を探し求めて生きている、そりゃ誰だってそうだ、それは誰だって同じだ」
「これだけ身体操作と、 "こころ" の具体をやってきたら、さすがにふだんの心理や情緒は、以前よりはるかに安定しただろう? それはさまざまな思い込みやウソの呪縛から逃れたからだ、でも本質はそれじゃない、呪縛から逃れた上で、じゃあ "本当のことあるやなしや" になるんだ、ここからは領域がガラッと変わるんだよ」

「共産主義活動が、連合赤軍の流血に至ったり、オウム真理教が、重大な事件を起こしてしまったり、あるいは過去に、ピラミッドを建てた人たちも同じで、また、いい大学を出て大企業に勤めて家族を持って……という人も同じだ、みんな "本当のことあるやなしや" を探し求めて、それぞれ自分の道に賭けている」
「誰でも同じなんだ、だから、本来こんなにバラバラに生きる必要はないんだ、みんな同じなのだから、本来は力を合わせないといけない、さっき自転車で通り過ぎていったおばちゃんだって、 "本当のことあるやなしや" について、力を合わせて話を聞いたりして本当はおかしくないんだ」
「口座に10万円しかない人もいるし、同じ口座でも、10億円もある人もいる、同じ口座なのにだ、それと似たようなスケール差で、魂にも大きさの差がある、所有している魂がということではなく、どれだけのものとつながっているかで、魂の大きさは変わってくる、その魂の大きさに触れたとき、ウオッと感応できるようになること、そりゃ誰だって偉大なものに囲まれて生きるというのに不満なんか持ちようがないんだから、魂の大きさに感応しろ/魂のデカさに、圧倒され、ビビるぐらいがいいんだ」
「魂が小さいというのは、悪いことじゃない、自己が適性サイズに戻ったとき、カギは鍵穴に吸い込まれて適合するだろう、そうして扉は開かれていくわけだ、大きすぎるカギは鍵穴に入らないから/清らかな大河があったとして、自分が飲み干せないほどの水量を引き込んでもしょうがない、自分が飲む水量だけ引き込めばいい、それが "恵みを得ている" ということだ、それが大きな魂とつながっているということだ、大きな魂と小さなつながりを持つだけで十分ということだよ」

「さっき、 "聞く" ように訓練したろ? だからこうやると、ほら、この瞬間、もう力を手放している、こういう訓練をわれわれは積んでいるんだ」

最近は、「呼応法」が大人気で、やりだすとみんなえんえんやりだし、その中で確かに、何かを掴む――掴みそうになる――ようだ、少なくとも "聞く" ということの、端緒はパッと掴める様子で、これはとてもいいワークだ、ただこれを「言葉」でやらせようとすると、まだ各人がシッチャカメッチャカになるが……
そういえば、ブッ壊れた靴の新品と靴下のセットを贈り物にもらったぞ、さんきゅー!! そして今夜はパーティだああああ〜

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ワークショップ業務連絡(アカンあきまへん)
お世話になります
掲題のとおり
体調恢復どころか
ぜんぜんダメでした
大変申し訳ありませんが
今回のワークショップは金土とも延期とさせていただきたく
何卒よろしくお願い申し上げます
次回はちゃんとやります
みなさまもお風邪など召されないようお気をつけくださいませ
九折
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ワークショップ業務連絡(喉風邪で大ピンチ)
お世話になります
例のごとくみなさまとハッピーワークショップを敢行したいところなのですが
こちら一昨日より
喉風邪が悪化しており体調が未だ恢復しません
本日11月30日(金)昼頃まで様子を見、
なおも体調恢復せざるときは
たいへん申し訳ございませんが
今回のワークショップは延期とさせていただきたく存じます
なお明日31日(土)の開催分についても引き続き様子見とさせていただきたく
何卒ご理解のほど賜りたく宜しくお願い申し上げます
引き続き当方よりの連絡はお手数ですがこちらブログ記事のほうご確認賜りたく
宜しくお願い申し上げます
最善で恢復を目指す所存です
九折
 
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WS報告020(5)/リリックネタが好きなやつがいるので

節をつなぐ関節 つなぐのが大切 使いかたの巧拙 頼るべきは学説
霊魂でする呼応 横隔膜にて感応 使えよ観測不能 感受性常にNO
思いやりこそ仁 内臓直接が肝心 五臓六腑日本人 鍛錬すりゃ強靱
魂魄にある陰陽 陰気はやめよう 愛を目指す西洋 解脱目指す東洋

具体的誠心誠意 まず学ぶといい 酷いことを言い 指導だけ厳しい
柔らかくYES 固いとストレス 基本は負担レス 動きやすさです
目的は言葉獲得 今からやっとく 古き学生の如く せめて儒教五徳
すべては通過点 地から目指す天 毎週のガッテン 自分なんか変転

(なんだこのワークショップ しゃーねえだろ今さらジャップ まもなく新しい元号が発布 肉と霊に満ちたイエスyup)

基本はマスト法 実用的な金魚法 革命的な命令法 目眩する余韻法
何だこの毎週末 どうせ全て泡沫 新しい人を待つ ずっと続く始末

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WS報告020(4)/「魂の大きさ」
つも気魄だの霊魂だの、説明のために言っているが、何もそんなスピリチュアルな、いかがわしいことではない/まともな奴なら誰だって知っているだろ? というたぐいのことを、いちおう精密に理論化して言うために、古くからある「魂魄」という言い方を引き当てただけだ、もし魂魄うんぬんをいかがわしいというなら剣道の連中にキエエエエと叫ばせるのを即刻やめろ、竹刀で打突するのに奇声は何の関係もない。
気魄というのは観測可能なものであり、一方、それと似たような何かでありながら、観測不能なものを霊魂と呼んでいる、それは僕がそう呼んでいるということではなく、魂も魄も、元々の字義がそういう意味だというだけだ、「魂」の偏は「雲・もやもやしている・観測不能なもの」を意味しており、「魄」の偏は「明白・ハッキリしている・観測されたもの」を意味している、この両方がどうやらあるということに気づいて、古人はこの両方を指して「魂魄」と熟語に称した。
まあそれはいいとして、気魄には「強度」があり、霊魂には「大きさ」がある、気魄が弱いと霊力は強くならないし、霊魂が小さいと気概は大きくなりえないということだが、まあどうせそんなハイレベルなことは誰にもわからんしできねーのだ/ただ今回は初等に大事なこととして、魂の大きさについて述べることができた、魂は単に「ある」のみならず「大きさ」というパラメーターを具えて存在している。
統計的に、実にカンタンに言いうることがある、僕が若年者に「ん?」と向き合ったとき、ただちに「圧倒される」「こ、殺される」と感じて笑う人がいて、一方で、そのように「圧倒される」とは感じない人がいる/この双方のうち、前者は魂の「大きさ」に感応しているので、何か知らんが「圧倒される」と感じているのだ、それがいいとか悪いとかの話ではないが、魂に向けて横隔膜のシャッターが開いている人は、大きな魂が突きつけられたとき、「うおっ」と感じて、「お手上げ・バンザーイ」と、ホールドアップ感を覚えるものだ、これは単純に人の「タイプ」を判定(というか判断)するのに使える。

魂の大きさは、「どれだけのものとつながっているか」ということで拡がっていく、そしてとてつもない大きさの何かにまでつながっていった人のことを、古くから「偉大な人」と呼び称してきた、たとえば「マハトマ・ガンジー」と呼ばれるとき、「マハトマ」というのは「偉大な魂」という意味だ、詩聖タゴールがそう冠したらしい。
横隔膜のシャッター(だけではないが)、魂のシャッターを開いて、何かとつながっていかないと、自分の魂は大きくなれないのだが、魂のシャッターを開いたところで、必ずしもつながれる先は、聖霊とは限らない、悪霊ともつながってしまうことがある/そのあたりの事情があるがゆえ、人は状況や環境によっては、合理的な判断としてシャッターを閉ざさねばならないときもあるのだ。
魂のシャッターを開けつつ、悪霊に取り憑かれないためにはどうすればよいかというと、何か先に偉大な、デカい聖霊のものとつながってしまうのがよい、偉大な魂と先につながってしまえば、一種のファイアーウォールみたいなものが張り巡らされ、悪霊は容易には入ってこられなくなる/だから、あなたにとって「信じるもの」「信じる人」、あなたにとって「偉大」と確信されているのは誰? ということが重要になる、偉大と感じるものとつながっていないときは霊的にノーガードの状態になってしまう。
このファイアーウォールやシャッターは、悪霊の侵入を防いでくれるのだが、そう万全ではなく、致命的な弱点がある、それはいかなるバリアをこしらえたつもりでも、自分がヘンなもの「購入」してしまうと、それはバリアーをくぐり抜けてしまうということだ、そりゃ自分で購入しているのだからしょうがない/そしてこの世で売っているものがことごとく聖霊に満ちているなんてことはナイので、シャッターを閉じて色んなものを購入生活していると、知らぬ間に心身は悪霊の棲み家になっているのだった。

「圧倒される」がないなら、何も聞こえていないということだ。

「圧倒される」というのにも、二種類があり、正しい見分けが必要だ、霊魂において圧倒されるときは、「吸い込まれる」という感触があって、気魄において圧倒されるときは「押される」という感触がある、ワークショップ員は「風向き」と捉えるように/魂の大きさとその圧倒が感得できない人は、いつまでたっても「大人」にはなれないだろう、何しろ「大きな人」が「大人」なのだから、大きさがわからないでは自分が大人になどなれっこない。
現代、子供と大人が接したとき、少なからぬ割合の子供が、すでに大人に「圧倒される」という現象を持っていないことがわかるだろう、それは魂のシャッターが閉ざされているからだ、こうなると今後その子の霊魂は、購入物で養われていくしかない、そして現代において、おそらく「購入と貨幣」は、何かしら俗悪のほうへ強力に操作されてしまっているので、現代の子供はどうしようもなく「バケモノ」のようになっていくところがある、まあ大人も子供も同じような状況ではあるが/うーんむつかしい話をしてしまった、とにかく何かを「偉大」と感じ、圧倒される・吸い込まれるというふうに感じないのは根本的にどうかしているのだ。
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WS報告020(3)/「呼応」と「内臓鍛錬」
週暴れているせいで靴が壊れたぞ、もう何年もリーボックの「レインウォーカーDMXMAX」27.5cm(4E)を履いている、心当たりのある奴は早くなんとかするように、なるべく安く仕入れてこい/色はダークブラウンしかないんじゃないのコレ、最近は「レインウォーカーダッシュ」にアッパーデザインされたそうだ。
今回は「呼応」を特にやった、「呼ばれて応じる」と言われてみればそのとおりだが、当初からグイグイ教え込んでいた「『聞く』んだってばよ!!」というのが、一番如実に実現された形で、今回は大いなる飛躍を得たといえる、これはまったくよろこばしいことだ。
ただし、ひとまず「横隔膜で聞く」→「横隔膜に届く」→「横隔膜から動く」という、端緒は掴めたのだが、それがまだマスター側を「励ます」までは至っていない、呼応といえば「単に呼応している」というだけだな、これではまだスグレモノとしては使えないので傲らないように。
しかしそれにしても、ちょっとはソウルフルに生きるとして、第一に必須のものに触れられたのだから、大きな一歩ではあるわけだ/できるようになってみれば当たり前のことだが、逆にこれまでが各人、どれだけメチャクチャのデタラメに生きてきたがわかるだろう、何も聞かずに呼応ゼロで言うだけアンド暴れるだけでは、どういう了見なんだ、マジのアホじゃねーかということが、今になってわかるはずだ。

あと、正しく打ちあう&打ち消しあうということで、内臓が鍛えられるということがあった、これはずっと以前に、「胸をぶつけあうだけでも内臓(心胆)は鍛えられる」ということの、ビギナー化したものだが、この方法は実に簡単でありながら、その「正しいやり方」に到達するまでが大変なのだ、何しろ間違ったやり方をすると感受性がグイグイ上昇するという典型的な逆効果が発生してしまう/これからもこの鍛錬はワークに組み入れていこうと思うが、けっっっっして雑な自己流でやらないように、この鍛錬法は簡単かつとても有益であるぶん、ヘタにやると大きなリスクがあるのだ。
ところで君たちは、実際にやらせてみると、ボクシングの構えとか、ムエタイの構えとか、空手の構えとか、どの構えをやらせても、とてもダサいインチキ構えしかできないわけだな、このことも忘れないように/たくさん見てきているはずの各種「構え」が、自分でやってみるとまったく違うダサいニセモノになるということは、「身体の中に流れているものが見えていない」「流れへ目が利いていない」ということだ、そんなことでまともにボディワークができると思うなよ、僕だってヨソの構えみたいなものを習ったことは何一つないが、そんなもん目が利いて身体が利いてりゃ「見ればわかる」んだよ。
ホンダのエンジニアがヨソの車のエンジンを見たときのようなものだと思え、本当に仕組みが見えていれば「見ればわかる」のだ、ホンダのエンジニアは毎日エンジンを見ていじって研究しているからエンジンに詳しいわけだが、ボディワークを気取るつもりなら、同様の意味で毎日身体を見ていじって研究していないと身体に詳しい奴にはならない、もうこのあたりはいいかげん、わけのわからん「キモチ」で押し込もうとするのはやめような、バレエの形を習ったってバレエの形になんかならねーよ、形を覚えたって仕組みと流れが「視えて」なきゃその形にはならないからね。
ゴルフも野球もバスケも合気道もカンフーも僕はやったことがないが、そのプレイヤーの身体の「形と仕組みと流れ」は見えなきゃだめだ、その形と仕組みと流れが第一に「こころ」なのだから/目で見た外形の記憶をなぞってマネしているのがいかにアホかということを痛感しろ、そしていざとなったとき自分の身体がどういう形をとるか、そのダサいボクシングの「つもり」の構えは、感受性が取らせた形だ、意識的記憶と感受性がミックスされての形だから、とってもダサいのだ、まだまだそういうレベルだということを痛感して、決して傲ることのないようにいこう。

理念はもとより、一万回呼応しろ。

そうでなきゃもう、土台として内臓が弱すぎるのだ、「肝が細い」と何度も言いつけたことを忘れないように/理念はもとより、一万回出会って、一万回打ち合い、一万回和合するのが基礎だ、その一万回を「正しく」やれるかどうかなのだ、一回を粗雑にすると百回が台無しになると思え。
思ったよりもずっとシンプルな道で、思ったよりもずっとシビアな道、そしてタフな道だ、決してテクニカルなことに逃げるな、「日曜日!」という言葉だけでも呼応と和合とアファメーションと、何であれば世界が成り立つことが示されたはずだ、正しく打ち合って正しく打ち消し合うだけでも「世界」は広がっていくのだと、一番若いヤツでさえただちに気づいた、もういいかげん本質はさっさと知性で見抜くように、いちいち詳細をおれが説明しているとおれがバテるばっかりじゃねえか。
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