☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
脳みそが回転する

を描き、歌を唄い、踊り、学問をする。
仕事上の無理難題に立ち向かい、恋人と情熱的なキスをする。
それらがすべて、脳みそのよろこびになっていなくてはならない。
ガマンになっていてはいけないし、また神経の興奮になってもいけない。

夏の夜は脳みそのよろこびだ。
打ち上がる花火は見上げると巨大で、これ以上ない脳みそのよろこびとなる。
LPレコードの音源から、湿度と共に、ミュージシャンの脳みそが見えてくる、脳みそは脳みそに出会って感激する。
酒を飲み下し、肉を頬張って噛みつくせ、けっしてお味を論評するな、脳みそがよろこび尽くしたら夏の夜の用事は済んだ。

脳みその回転は扇風機をみならえ。

夏の夜、それは音もなく回転し続ける、それは無意味か? いや風を送りつづけて熱気をさわやかに掻き回している。
われわれは風の吹き抜ける中で休めるのであって、沈滞する空気の中で休めるわけじゃないんだ。

できるオンナだね | comments(0) |
白紙行法

「正しい芸術の入り口」として、「白紙行(はくしぎょう)」という方法を発明した。
芸術の入り口は白紙にあり、その対極はたとえば「習字」にある、"模範をなぞる"ということが芸術の真逆になる。
だからこそ、芸術は"習う"ということができない/が、かといって独りよがりの思い込みでなんとかなるというものでもない。
正しい入り口は必要なもので、これを知ることは大きなアドバンテージになる、まあ僕は芸術家なのでこれぐらい大口を叩いても差し支えないであろう。

芸術の入り口は白紙にあり、"模範をなぞる"という学校的方法が、人間の芸術性にフタをしてしまう。
と、この話はなんとなくわかりやすく聞こえるが、それで「おお」と言ったところで、けっきょく何になるというわけでもない。
「存在」するもの(イグジスタンス)と「滅ぶ」もの(ステイト)とを見分け、"無から有が創られるわけではない"ということに気づかねばならないのだが、こんなもん何を言っとるのかわけわからんちんだ。
このわけのわからん話を、わかりやすーくレクチャーしようという試みが、水面下で進行中だ、レクチャーに参加したい人はテキトーにメールでもよこすように。

あなたは「あなた」になるべきで、「あなた状態」になるべきではない。

状態/ステイトは、必ず「一時的」なもので、「永遠」のものではないからだ、ステイトはもともと滅ぶために作られている/それの使い道がないというわけではないが、それは芸術とはカンケーないやつなのだ。
現代は、「モチベーションを作って動こう」という発想が主流だが、少なからぬ人がすでに「モチベーテッド状態」という"一時的なやり方"を繰り返すのに疲れ始めている/人に芸術を教えることはできないが、人を芸術のほうに蹴り出すことはできる。

できるオンナだね | comments(0) |
哲学のまるでない銃弾

信を持つことが第一だと言ったが、善良ぶって言ってみると、このことにはコツがあるんだ。
まず、自信が持てるということは、お前が安心できるということじゃない。
安心のために自信を持ちたいと思っている奴は、その弱さから永劫に救われないだろう。
自信を持つということは、むしろ逆で、自分には「敵」がありうるということ、そのことをヘッチャラで生きていくってことなんだ。

まず、誰ともドンパチなんか始めないことだ、またそういう決意は、不思議と全身に滲み出るものだ。
ドンパチをやらない、ということは、相手に対して「敵でいてくれていいよ」と投げかけていることになる、敵でいいし、ドンパチがないなら互いに味方ぶる必要もないんだ、だから互いに笑っていられる。
向こうは向こうで、自信の持ち方を手探りしている、誰でもそうなんだ、そのことを察してやることだ、自己中心的にならず。
重要なことは、誰だっていつでも困っているということで、相手もいつも困っているってことだ、困っているのはお前だけじゃない、だからお前は困ったまま生きている奴でいていいんだ、誰とも等しく、それが自信を持つということだ。

敵がいて、しかしドンパチはしない奴が、「平和」ということだ。

敵がいない、なんて状態はありえない、敵なんかいないと妄想したがる奴は、敵の可能性に毎日ビクビクしているだろう、こういった奴はいつも内心でドンパチの準備をしていて、泣きそうなほど母親のような味方をほしがっている/そして武力がないのでチンマリ縮こまって生きているものだ。
敵とはドンパチしなきゃいけないなんて、誰が決めたんだろうな? おそらく自分の正しさと敵の正しさを比較したがるアホが、自己中心性のストレスに耐えかねて、哲学のまるでない銃弾をぶっ放すだろう。

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あなたを復旧する方法
「どうしたらいい?」と誰もが考えているように思う。
が、「どうしたらいい」ということは決して見つからないし、もし見つかったとしたら、それは見つかっただけに間違っているのだ。
どうしたらいい、ということは永遠に見つからない、このことは始めから諦めとけ。
ただ、あなたが本来のあなたに戻らなくてはならないとき、ひとつの方法ぐらいは思い出せるようにしておいてよいと思う。

仮に「三昧法(さんまいほう)」と名付けてもよいかもしれない、いわゆるひとつの精神集中や瞑想のような方法だ。
だが、われわれドシロウトが瞑想なんかやってもどうせロクなことにならないので、もっと具体的なことをする。
方法はズバリこう、「動かないものを見つめる」のだ、ここで言う「動かないもの」とは、言葉であったり行為であったりする。
たとえば「雲」といったとき、「雲」という言葉は動きっこない、だからこれを見つめる、そしてわずかな時間でいいので、「見つめたものを自分のすべてにする」、「雲」という言葉を見つめたとき、数分でいいので「雲」という言葉を自分のすべてにするのだ。

十五分間、「皿洗い」を自分のすべてにする。

「皿洗い」とは何なのか? そんなことを定義する必要はない、何しろその十五分間は皿洗い以外の世界は存在しないのだから、十五分間はこの宇宙に皿洗いという行為しか存在しない。
別にいいでしょ、十五分ぐらい、たいしてあなたの損にならない/そして三昧(さんまい)に至っていようがいまいが、けっきょく皿洗いには十五分ぐらいかかるんだからいいじゃないか、これはとっても気分のいいことなんだよ。
できるオンナだね | comments(0) |
おしゃれ画風について念のため
あいものとして、おしゃれ画風のショートストーリーマンガが「リツイート」されているのをよく見かける。
細身に描かれたおしゃれな二人が、幼馴染同士として「こうなれればいいな」というふうに表現されているのをよく見る。
そういったものに、こころときめく(ときめくからリツイートされているのだろう)ということがあるのだと思うし、そのことは僕もわからないではないのだが、僕は僕の路線として、ここではある種のことをハッキリさせておかないといけないのだろうな……と、どうでもいいようなことを思う。
おしゃれ画風にキモチが「ふわっ」とする人は、あくまで「念のため」として、こんなことを知っておいてもいいのじゃないかと思う。

おしゃれ画風の二人に憧れたとして、生身の人間は「ああいうふう」にはなれないのだ。
なぜなら、「ああいうふう」にやろうとして見ても、「声」と「眼差し」がヘンになってしまうからだ。
あくまで念のためのこととして、知っておいて損はないと思うのだが、おしゃれ画風に示されるような恋人像を目指そうとしても、必ず「声と眼差しがついてこない」という問題に頓挫してしまう。
たいへん残念なことに、われわれは「肉声」しか発することができないし、目の色だってナマモノなのだ、それらは実際にはおしゃれに取り繕えるものではなく、生命力をもってしか輝かないものだ/おしゃれ画風へのあこがれは声と眼差しにおいて頓挫する。

実際の「あなた」は、声と眼差しのものだ。

モニタ越しのアイドルなら、演出表現によって類似の何かになりうるかもしれないが、ほとんどの場合あなたは生身で人と付き合う、すると「あなた」とはすなわち「声」と「眼差し」なのだ、あなたのあこがれは実際にはあまり役に立ってくれない。
マンガとしての表現に、あまり浮かされないように、あなたはマンガを見ることができても、他の誰かはあなたをマンガ的に見ることはできないのだから。
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野心的なあなたへ
しあなたが、野心を持つのなら、あなたは誰よりも「感動」する人であればいい。
よくよく見ると、「感動」する人は少ないのだ、「興じる」人は多くても「感動」する人は実はとても少ない。
たとえばポルノ鑑賞やギャンブルやソーシャルゲームに「興じる」人は多いけれども、彼らは「感動」してそれらをやっているのではない。
勉強する人は多いし、読書する人も多い、努力する人も多いのだけれど、実は「感動」する人が一番少ない/野心的なあなたならぜひ「感動」を取りこぼさないことだ。

恋あいものの映画を観れば、誰だってホロリと落涙ぐらいはするものだ。
けれども、実は一番多いのは、そうして落涙して「すっきりした」と感じている人なのだ。
映画を観終わると、「いい話だった」「いい映画だった」という感想と共に、どこかで「こんなものだよな」と冷めている、実はそういう人が一番多い。
「感動」するというのはそうではなくて、じゃあどういうことなのかというと、ここでは説明できないが、野心的なあなたはどうぞ、明らかに「感動」する人であってください。

「感動」したなら、あなたは強くなっている。

誰もあなたの好きなものに、口出しなんかしないし、するべきじゃない、だからあなた自身で気をつけて、気づくべきだ、あなたはあなたを強くするように生きているか、あなたの「好きなもの」は、あなたを癒すふうで、あなたを弱くしていないか。
勉強して努力して、活動して、しかし「感動」はしませんでしたというのでは何より損だ、すべての努力があなたを強くはしなかった、なんて話は悲しいじゃないか。
できるオンナだね | comments(0) |
「評価」することと、「衝撃を受ける」こと

「評価」は誰だってできるが、「衝撃を受ける」には体力が要る。
体力というと雑だが、つまり「衝撃を受ける」ためには、あるていど当人の「強さ」が要るのだ。
人間にとって、体験は大事だが、どんなすごい体験を得たとしても、当人に「強さ」がないと、それを受け止められない・引き受けられないということがでてくる。
「すごい体験をした」という場合、それは「すごい衝撃が自分の身体に残っている」ということでないと意味がないのだが、当人に「強さ」がない場合、衝撃そのものを身体に受け止めることができないのだ。

だから、強さのない人を集めると、その人たちはなんというか、「納得マニア」になる。
納得して、評価するのだ、「すごいと思います」という納得と評価を繰り広げる、しかし身体には何の衝撃も入らないようたくみに回避の体勢をとっているものだ。
それはそれでかまわないのだが、この回避体勢が習慣になっていると、以降はもう何の体験を得ても自分の足しにはならなくなってしまう。
「自分が進んでいかない、停滞している」という人は、たいていこれだ、体験や刺激が足りていないのではなく、体験を受け流す卑怯な体勢が習慣になってしまっているのだ。

「衝撃」を避けるため、「活発な努力」に身を逸らしている。

これはあるていど、やむをえないことでもある、何しろ「強さ」がまったくない状態で強すぎる「衝撃」をモロに受けると、心身がバラバラに打ち砕かれて、危険な状態に陥るからだ、なかなか度胸一発でなんとかなるというものでもない。
もともとは、たとえば「赤ずきんちゃん」の話のスリルに耐え、学校では先生に怒号で叱られることを経て……というふうに、「強さ」を養っていくものだが、現代はその仕組みがない、現代でやけに活発な努力へのモチベーションが声高に言われるのは、ほとんどこの衝撃への弱さを糊塗するためのものだ。

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何度も何度も負けましょう
度も何度も負けましょう。
負けるといって、人間的に負けるのが一番いい。
とにかく人間の、人間らしい力に直面して、「負けた……」と笑うことを繰り返すのがいい。
その中で、「強い」というのがどういうことかわかってくるから。

僕自身、これまでに何度も、「こんなヤツにどうやって勝つんだよ」と、トホホな直面を何度もしてきた。
何か月か、じっくりと、自分を鍛えたつもりでいて、「よーし」といざ直面すると……「おう」と言われて、「あかん」とその勝てなさに直面しなおす。
今だってそのときのことを思い出すと、背中にいやな汗が流れそうになるが、とにかくそうやって、「勝てねえ〜」という実感に直面してきた。
その先に、「方法」なんてない、「方法」なんて一番弱っちいのはミエミエだ、じゃあ何が強いといって、燃焼で上回るしかないのだ(しかし、その燃焼で上回るというのが一番キツいのだが)。

エンジン音で負けて笑え。

人間性の勝負は、タイムや成績じゃない、エンジンそのものの勝負だ、そして上位者に目の前でエンジンを回されると「あかんわ」と敗北を悟るのだ、ああ敗北ってイヤだね!!
人間の表面、「ガワ」で競ってもしょうがない、大声でうるさいのが強いわけじゃない、愛や叡智や情熱において「エンジンが違うわ」と敗北しつづけることが、やがて自分自身を強くしてくれるだろう、それなら負けないほうが損というものだ。
できるオンナだね | comments(0) |
「強くあろう」とする人

だって、人に気持ちよくあいさつをするべきだと思っているし、ジョークやユーモアをもって、人と親交を深めるべきだと思っている。
が、「強くあろう」とは、意外に誰でもは思ってはいない。
「強くあろう」とは、誰もあまり思っていないのだが、実はたとえば「人に気持ちよくあいさつする」というのも、一定の「強さ」が要るのだ。
「強さ」の前提なしに、まともなことをしようとし、まともなことをするべきだと考え、まともな人になろうとしても、うまくいかないのだ、前提に「強さ」がないとすべては破綻してしまう。

人は誰だって文化的でありたい。
文化的でありたいのだが、文化とはそもそも、「人の弱さを断じ、強さに向かわせるために受け継がれる一切の様式」のことを言うのだから、「強さ」が前提になくては成り立たない。
たとえば、夫婦喧嘩をやりまくっている二人について、それを「文化的」と感じることがありえないのは、夫婦喧嘩は必ず人間的な弱さから発生しているからだ、こうした弱さの爆裂の方向に「文化」はありえない。
人は文化的であることに憧れて、着物の着付けや生け花や茶道教室に興味を持ったりするが、真に文化的であろうと望むなら、静かに「強くあろう」とするほうがよほど正しいし近道になる。

人を弱くするものまで「文化」と認めるのは不正だ。

特定の何かに言及することは避けるが、たとえば麻薬を代表的に、人を弱さに引き込むようなものまで、それらを「文化」と認めることはできない/そしてあなたが強くならないのなら、あなたは文化を得たことにはならない。
「強くあろう」とする人がいて、一方、そうはしない人がいるけれど、この根源的な差はごまかしが利かない/人は自分の弱さに向き合った者から順に文化的になっていくものだ。

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あの世行き運気上昇法
間の生き死にが重要なのは、われわれが死によるからで、もし死なない者があったとしたら、その者にとっては人が死ぬということは重要ではないだろう(話がメチャクチャだ)。
まあそんなことはさておき、たいていの奴は現在から百年後は死んでいるので、あなたもたぶん百年後にはこのブログを読むことができないだろう(いやあなたなら粘っているかもしれないが)。
とにかく、自分がいつか死によるということはどうやら事実なので、まあむつかしいことは百年後に先送りしておけば、そのあとはヒッヒッヒ死んでやったぜということで逃げ得ができる。
これらのことから明らかなように、人は自分がいつか死ぬということを確認すると、運気を上昇させることができるのだった。

正しい理知が運気を上げてくれるので、自分がいつか死によるということを知るのは、まさしくその正しい理知によって運気の上昇が見込めるということになる。
つまり、人間は、一年後のことを考えると気が重くなり、十年後のことを考えると絶望するのだが、百年後のことを考えるとニマニマするのだ。
いかに長く続く説教や小言も、百年は続かない、人間はダッセエことに、百年も意地悪をする能力を持たないし、百年も正義をする能力を持たないのだ、それはけっきょく意地悪や正義をしようとする人の徒労だということに収まる。
幸い人間は、永遠の歓喜を得ることができ、永遠の憂鬱を所有することはできない、それはもともと人間は永遠そのものに歓喜を覚え、有限そのものに憂鬱を覚えるという性質があるからだ、これは何かありがたいことなのかもしれない。

運気上昇法、「百年後に死にます、いぇーい」が合言葉。

これは何も難しいことではなく、たとえば「どんなつまらん映画でも、二時間もしたら終わりよる」ということと違いはない、「なぜあいつこんな映画で楽しめるんだ」という奴の背後には、この運気上昇法があるのだ。
誰の人生も捨てたもんじゃない、それはなぜかというと、わざわざ捨てなくてもいずれ勝手に滅びよるからだ/われわれは誰しも借り物によって生きているので、じゃあそれを借りているあいだはなるべく好き勝手してやろうヒッヒッヒということなのだった、これが運気上昇法。
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挑戦して挫折する、という人は実はほとんどいない
「挑戦して挫折する」ということは、実はほとんどない。
実際には、「挑戦が必要になった瞬間、投げ出す」というほうがはるかに多いものだ。
なぜ投げ出すかというと、挑戦および、失敗するかもしれないというプレッシャーとストレスに耐えられないからだ、だから投げ出してラクになろうとする。
脳みそにストレスが掛かった瞬間、「あっもういいや」と投げ出してしまう人はとても多い/最後までフル回転して「ダメでしたぁ〜」となる人なんてとても少ない。

つまり、最後まで失敗しきろうとする人は少ないのだ、失敗に「到達」できる人はとても少ないと考えていい。
失敗に到達するどころか、そのはるか手前の入り口で、「あっもういいや」と投げ出す人がほとんどだ。
投げ出した人はその後どうするかというと、流されるまま・なされるがまま、なしくずしに、与えられる結果だけを受け取ろうとする/それがどれだけ貧しい結果でもだ。
本人はそれでラクなつもりなのだが、実はラクでもなんでもなくて、実際には「むなしさ」や「みにくさ」において自分がしんどい、にもかかわらず「投げ出す」というやり方はすぐに人の反射的習慣になってしまう。

ストレスの中、手を離さないのがルール。

ほとんどの挑戦は、失敗に行き着くはるか手前、ほとんど数秒や数分のストレスで「投げ出す」ということで終了する、その後はただの負けの決まった消化試合の時間を過ごすことになる、実はそれが一番しんどい。
僕の知る限り、その「投げ出す」というやり方が実は一番しんどい、逆に「最後まで自分がやりつづける」というのが一番ラクだ/あらゆる結果が成功か失敗かに関わらず、自分がやり続けるというのが一番ラクだから、結果的に「タフな人のほうがラク」ということになる。
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幕の内ヴォイス運気上昇法

気上昇にはたくさん「声」を出そう。
逆に運気を下げるには、ボソッと「つぶやく」のがいい。
声を出すといって、意見を言うのではないし、大声でわめけというのではなく、声を「たくさん」出せということ。
声を「たくさん」、できれば温度の高い声を「たくさん」出す、それが運気上昇のコツだ(ただし温度が高いというのは音域が高いということじゃないよ)。

たとえば、何かお礼を言うときは、「あ、ありがとうございます……」とつぶやいて言うより、「いやいやいやいや、ありがとう、ホントありがとう、あなた何なの、いい人ね、助かっちゃうじゃない、わたしどうしたらいい、今度シューマイおごる? シューマイはあまり好きじゃないかしら、とにかくそれぐらい感謝しているって言いたいの、ホントありがとうね、わたし生まれつき幸運なの」と言うほうがいい。
これは言うなれば、「幕の内弁当法」だ、あなたは弁当箱を開けたとき、ゴボウ一切れしか入っていなかったら悲しいし、かといって2圓離劵貽が入っていてもイヤなはずだ。
その点「幕の内弁当」は、開けた瞬間に色とりどり、百花繚乱、あれこれあって華やかで、いかにも食べて運気がよくなりそうに見える。
「たくさん声を出せ」ということは、あなたの唇が開いたら、そこから幕の内弁当か、さらに絢爛な仕出しが出てこないといけないということだ、そこで口を開いてゴボウ一切れとか、逆に大砲ドカーンとか、そういうのは運気が下がってしまう。

「思い」は魔を呼び、「声」は魔を払う。

想像してもらいたいのだが、たとえばお祭りのおみこしは「セイヤ」「ソイヤ」とかけ声と共に担がれて奉納される、もしあれが思いつめた無言で「……」と奉納されたらどうだ、不気味でしょうがないだろう。
「どんなお酒が好き?」と聞かれたら、「あ、なんでも好きです」と答えずに、「ビール? ワイン? いやカクテルか、実はウイスキーも、あとたまにはブランデーも、とかいってふだんチューハイ飲んでるのよ、つまり何でも好きなのよ、アルコールっていいわよねええええハアッハーあっ麦の湯割りください」と答えるといい、声を「たくさん」使って魔を払え。

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会話とは、こころの内の声からなるもの

「自分の思っていることを言う」のは、決して"会話"ではない。
まして自分の身の上のこと、プライバシーのことを言うのが、"会話"であるはずがない。
それよりはむしろ「あいさつ」のほうが"会話"だ。
"会話"というのはもっと反応的なものだ(習慣的なものじゃないぞ)、対象ありき、相手ありき、相手に向けて反応を起こして"会話"が始まるものだ。

「どこから来たの」「何やってる人なの」、このあたりはぜんぶ「野暮」であって"会話"ではない。
隠し立てせずに言えば、今はアプリ経由のチャットのほうがやりとりが弾む、という人がいるだろ、というか、今はそっちの人のほうが多いだろ。
"会話"をするのに、「話題」なんか探すのは典型的にだめだ、何かしらのオタクトークにしかならない、どうしてもそれだけがしたいというなら別だけれども。
問題は「声」なのだ、発声とか音声のことじゃないよ、あなたのこころの内に「声」が起こらないのか、起こらないならそりゃ問題だぞということなのだった。

夏に向かう今日の新緑を見たら、「お前、えらい勢いで育つな、昨日は薄かったのに」と言え。

そういうこころの内の「声」がないのがおかしい、それがなけりゃ"会話"が起こりようがない、新緑を見て「きれーい」とか「きもちいーい」とか、あなたの感想を聞いているのじゃない(感想だけは絶対にやめよう)。
原宿でクレープ屋のショーケースを見たら「これもう射幸心あおりすぎやろ」と言え、正午にゴロゴロ雷が鳴り始めたら「夕立はまだやろ、気ィ早すぎや、頻尿ちゃうか」と言え。

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酒と主題と初対面

回のパーティのトークテーマは、じねん、「(六日目)怒りの日、疑う胴体が失ったすべてのもの」が土台になりそうだ、読んできてくれたら話が弾むに違いない(→web版はこちら)。
毎回、別にトークテーマなんか決めていないが、今のところ当のコラムがみなさんに話題沸騰なので、きっとそれが中心になるだろう。
話題沸騰、などという、えげつないウソをついてしまったがご放念いただきたい。
トークテーマなんか考えたことなかったけど、本当は毎回そういうのを用意したほうがいいのかもしれないな、と、67回もやってきて今さらすぎるか。

僕は、ダサいのとかクサいのとかはきらいで、理知的なものが好きだ。
そして、理知的に言って、人とまともに話したことのないまま生きたヤツは、ロクなことにならんのでは? と僕は判断するのだ(当たり前)。
知恵と経験と、集中力を身につけてきた、たゆまぬ自発性の人間に、どうやって知恵も経験も集中力もない他人任せの人間が勝てるんですかね……と、そのあたりの捉え方は僕はドライなのだった。
年長者として、経験から申し上げておきたい、まともに話すということをたくさんしてきた人と、それをおろそかにしてきた人とでは、数年後にえらい差になって、取り返しのつかんモンになるものだ、僕はまともなことを続けていきたい。

酒と主題と初対面があることは、そんなにヘンか。

僕はできたら、死ぬ直前まで、酒と主題と初対面に取り囲まれていたいが、それはそんなにヘンなことだろうか/主題のない時間をえんえん生かされるほうがキツい気がするのは僕だけか。
ただ、気力は要るなあ、気力は自分の大前提だ、酒も主題も初対面も、どれも気力がなきゃ避けたくなるものだから。

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この先を生きていくのに、もっとも有利な実物
あみんな、パーティ来てね、四月からは誰だって新生活だ。
もちろん病気の人はダメだ、健康で、かつ常識のある人だけ、そういう人こそ常に人生の拡大に取り組んでいくべきだ。
人生の「拡大」、拡大っていいよね、拡大なしに未来を考えるのはとてもしんどいことなので、ラクになるためにも「拡大」が前提に必要だ。
うつむいて考え始めたら、もう負けなんだな、それは考えていることにはなっていないんから/「反論」が出てくるということは、つまり考える力を失ってしまったということだ、もっとポジティブに機能しなくてはいけない。

この先を生きていくのに、一番まずいマイナスは、互いにストレスを掛け合ってしまうことだ。
お互い、ストレスをかけないように遠慮しあっているのだが、その遠慮しあっているというのが実はストレスになっている、和合していないからガマンをし続けている。
で、和合するというのはどういうことなのか、その実物を知らないまま自分をブチマケたら、そんなもの戦争じみたストレスになるに決まっている、僕が言っているのはそういうことじゃない。
僕は何もノウハウを教えないが、実物をお見せすることはできる、ストレスを掛け合わないということは、一緒に生きていけるということだから、それがこの先を生きていくのに最も有利な能力になる。

12時間働く方法のヒントは、12時間遊ぶことの中にしかない。

冷静に考えてみてね、人のそばに12時間寄り添って過ごしたことなんか「ない」んじゃないか? そういうことの実物をすでに僕は用意している/12時間もそばにいられないのに、どこかに就職するとか誰かと結婚するとかいうのはいわゆる無理ゲーになる。
おれたちゃ何回、これまで原宿竹下口に集まったものか笑、それが「拡大」ということ、自分の過ごした「あそこね」という場所の増えることを拡大と呼ぶわけだ、そういうまっとうなことを続けていきたい。
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生産的に考えること2

る法則を見つけたような気がしているのだ、「自分がどうなりたい、という志を持たない人は、そもそも生産的な発想自体を持っていない」という法則。
もしここに、「今あなたが商売を始めるとしたら何?」という問いに、「さあ」「特に出てきません」と答える百人いたとして、この百人をまとめて一つの企業に放りこんだらどうなるだろう。
必然、その百人は、自分たちのする仕事を「誰かが投げ込んでくれる」のをずーっと待つことになるだろう、百人はボーッとしながら数ヵ月を過ごし/「仕事は?」と訊かれたら「ないんです、誰も何も言わないんですもん」と答えるに違いない。
今ちょうど、就職活動のシーズンだと思うが、きっと少なからざる人が「仕事をさせられるところを探しに行く」というだけで、自ら何を生産するべきかということを考えずに就職活動に取り組んでいるのではないだろうか。

僕は以前から、最寄りの某コンピニを見るたびに、「ここにコンビニじゃなくて交番があればいいのに」と友人と話している。
街の構造的に、そこに交番があれば治安が安定するのだ、狭い商店街なのに夜中は酔っ払いが多くなりその中を運送のトラックが爆走するのでいつも騒がしくなる。
どうか、大人になる少女たちへ、クサいことを申し上げて恐縮だが、ボーッと生きてるんじゃないよ、街を見て世界を見ろ、そして「もっとこうなればいいのに」ということをいつも新しく見つけろ、それを見つけるのが当たり前の大人になれ。
そして、「もっとこうなればいいのに」ということに合わせてだ、自然に出てくる、「そっか。じゃあ自分がこうなれたら、そしたら……」という夢/生産は「させられる」ものじゃなくて、あなたが見つけてあなたがするものなの、生産を「させられる」なんてただの地獄にしかならないよ。

せっかくのインターネットなのだから、不特定多数が情報を雑多に持ち寄るというのではなく、もっと特定の個人が、不興を買いながらもズケズケと、思いがけないことを言ってきて、新しく知ると共に「なんだこいつ」と面白がれるという、恋あいネタのサイトがあればいいのじゃないか?

そう思ってこのブログやウェブサイトを運営しているのであり、僕は僕の言いたいことや思ったことを書いているのではない(そりゃおれが書き手なのにおれが消費してどーすんだ)。
自分のやりたいこととか、思うこととか、そういうものからは自分のやることも夢も出てこないわけだ、「もっとこういうものがあれば……」という生産的な発想の向こうに、「じゃあ、自分がこういう奴になれれば……」というあなた自身の構築方針が出てくる。

できるオンナだね | comments(0) |
生産的に考えること

かんいかん、落ち着いて考えんとね……(おれが焦る理由は何もないのだった)。
ある人に、「今お前が商売始めるとしたら何?」と訊いてみた、「そうですね、○○のスタッフとか?」と彼女は答えた、「それは就労であって商売じゃないな」「就労じゃなくて商売ですか」。
僕は昔、インド現地から直輸入してハイエンド向けの紅茶を販売することを考えた、当時はまだブランド性のある紅茶茶葉の流通は十分でなかったし、インド当地では品質の管理や保持が十分でからだ(今も十分ではない)。
あと、日本の某所で採れる「○○」は、日本人の口に普遍的に合う香味だと思われるのに、なぜか全国的には流通していない、これは外食のどこかが目をつけたら流通すると思う、そういうところには商売のタネがある。

たとえば最近はフリーマーケットが流行しているので、発想を変えて、○○の一群をフリーマーケットスタイルでやるとか(なぜか商売になりうるものは伏字にしたくなるものだ)は、単発だがウケる需要がたぶんある。
あと、受験生や就活生というのは毎年一定の数が出るのだから、就活生に向けては○○を構えたり、受験生に向けては***のようなオモシロコンテンツを作れば、小規模だが確実にウケる余地があるだろう。
ふつう大人になれば、さしあたり小さくても「まあいちおう商売になるよな」ということが、三つ四つはいつでも出てこないとおかしい、そうでなかったら生きていけない。
生産的に考えるというのは、「今あなたが商売始めるとしたら何?」に尽きる、生産的なideaが問われるのだ、この発想がない大人はたいへんまずいので(生きていけねえよ)、どこかで獲得するようにしよう。

誰かが夜中まで営業する「コンビニエンス・ストア」を考えた。

商店はあったし、スーパーもあった、でもコンビニはまだなかった、そこで誰かが商売を考えた、「朝の7時から夜の11まで『小さい消費モノが全部』置いてある『便利』な店があればいいのじゃないか?」と。
あなたが買ったものや、使っているサービス、飲食にいくところや遊びにいくところ、勉強しにいくところもすべて、誰かが「こういうものがあればいいんじゃないか?」と生産的に考えた、そのideaの産物だ。

できるオンナだね | comments(0) |
まず単純なことから、まず噛みあっていかんとホホホイ
フフ、おれは正しいことを知っているぜ。
噛みあわないけどな!!
噛みあわない正しさって何にどう使えるのよ……といつも困っている。
逆におれが間違っているのでは? と疑ってもみるのだが、そんな自己疑心を許される悠長な状態ではすでになく、突き進むしかなく、それで僕はもうプレステのVRでも買っちゃおうかなーと考えるほどテンヤワンヤなのであった。

誰か噛みあってくれんかな、と思うのだが、このごろどうもいけない、誰が悪いのかはまったくわからん、ボクが悪いのかもしれないしキミが悪いのかもしれないが、別にそのことはどっちゃでもいい。
僕は単純なことをしようとしているのだが、むつかしいことを訊かれるので、むつかしいことを答える、フフフばっちり答えてやるぜ!
しかし、むつかしいことをばっちりむつかしく答えると、訊いた側が呆然として行方不明になるという結果が得られるので、いつもこれでは意味がわからんと感じる、これを一般に「噛みあってなくて草不可避」という。
いつもむつかしいことを訊かれる気がするが、たいていわれわれは単純なこともできないものなので、むつかしいことは単純なことの後でいいのでは……と思うのだが、噛みあっていないのでアンサンブルは総崩れになるのであった。

単純なことは手ごわいので、人は単純なことからシュバババ逃げる。

たとえば「気の利いたジョーク」とか、「ゲラゲラ笑いながら敬語」とか、そういったことは単純かつとても手ごわいので、人はたとえばコンテンポラリーダンスで怖い顔をすることなどに逃避したがる。
「やりまっせ!!」とたとえば僕は言うので、誰か噛みあってくれんかな、そういう単純なことがな、ぐいぐい成り立てばいいのになと思うが、いつまでも僕が能天気すぎるのかもしれない。
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私語が止まらない病気

生時代、とある合宿所で、後輩が深夜テレビを観ているのを見た/彼は前傾姿勢で、モニタに食い入るようだった。
番組途中、いわくつきで登場した地下タレントのような誰かを観て、彼はただちに「あー、思ったよりイタくないなー」とあざけるように言った、ほとんど「反射的に」という声だった。
僕はそのとき、(なんだこいつ)と思ったし、立場が先輩だったので、「おい、その気色の悪いテレビの見方やめえや。少なくともおれの前でやんな」と制した。
彼は「えっ」と驚いた様子で、「でもこういうテレビってこういう見方するじゃないですか」と不平を言ったが、当時は先輩後輩の関係は凶悪なものだったので、僕が「あ? "おれの前でやんな"って」と重ねて言うと、彼はささっとテレビを消した。

誰でもテレビぐらい観るだろうし、今ならウェブ動画をいくらでも観ると思う、その点は誰でも同じだ。
が、おそらくその「見方」はかなり人それぞれなのだ、僕の知るかぎり、ずーっと直接でも頭の中でも自分の「私語」が止まらないタイプがこの時代には少なからずいる。
そういう人間は、会話しているように見えるときでも、よくよく聞くとその都度に思いついた「私語」を吐きだしているに過ぎなかったりする、だから全体として「会話」が成り立たない。
ニュースを観ていても映画を観ていても、あるいは小説を読んでいても、何ならたぶん交通事故を見たときさえも、頭の中で「私語が止まらない」という病気に罹っている人がいる、こういったことは誰か偉い人が是正というか治療をしなくてはならないだろう(おれは知らん)。

私語病に罹っている人は、たぶん一生に一度も「聞く」「話す」をしたことがない。

たぶんそういう人は今、ものすごい割合で有象無象の中にいるのだ、老婆心から申し上げたいが、「頭の中で私語が止まらない」ということは決して「自分なりに考えている」ということではない(どうか若いうちに引き返してね、若いなら間に合う)。
レストランに行って、「これがおいしい」とか「この食材が」「ウーン」とか言っている人たちがあるだろう、あれは会話をしているのではなくて私語が止まらないだけなのだ、だから周囲からは「聞くに堪えない」という感触がする。

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ヤリ捨て要員がいた幸福

「〇〇の仕事をしています」みたいな話を聞くといつも違和感があって首をかしげている。
この世に、二十四歳の男が何の仕事をしているかなんて、わずかでも興味を持つ人がいるだろうか?
でもそんな感じで街中の合コンや学生時代の集いのようなものは進んでいっている、ように見える。
僕が古い人間なんだろうが、僕はデキる男が合コンや何かの集いで女の子と「親しげなトーク」みたいなことをしているのを見たことがない、合コンでも男はほとんど男同士で話していた、髪をアップにしてきた女はそれをややきょとんとして聞いていた。

丸の内のデキる男を何人か見てきたが、基本的にデキる男は、嫁さんとヤリ捨て要員しか女を持たない。
だいたいみんな、嫁さんにはすごくやさしくて、ヤリ捨て要員とまた会うというとからなぜ? と訊くと、「パイオツがたまらんのよ」「ああ、そういうことね」というような理由がほとんどだった。
別にそのことが女を苦しめていたわけではないと思うし、そんな中で「今こんな仕事をしていてさあ」みたいなことを男が話していたことはわずかもなかった、だから今でも違和感がある。
少なくとも、「親が」とか「中学時代の先生が」とか、そんな話はぜったいに出てきたことがなかった、有楽町のビアガーデンでコンパしているのにそんな話はでてくるわけがないだろう、とやはり思うのだが、今はそうではないのかもしれない。

億単位のスリップを通すようになると、女とは話すことがなくなってくる。

実際、いかにもそんな感じだった/たまに新人ながらすでに上司や先輩に完全に諦められている男がいて、そういう男だけが女の子と「親しげなトーク」を展開し、なんとかして少しでも見栄えのするセックスにありつこうとしていた、それを見て「またやってる」とみんな笑っていたのだが、本人はセックスしないわけにもいかないからしょうがないだろう。
別に誰も仕事にヤル気なんか持っていなかったし、合コンはただ好きだったのでやっていたのだが、何もかもが「しょーがないだろ」ということで進んでいたと思う、当時は社長でもないのにジョブズの本を読んでいたら思いっきりバカにされていたような気がする。

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