☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
0%の努力
いことに気づいた、僕にはそもそも「不満」がない。
不満がないということは、満足しているということなのだが、100%の「満足」というのは、特別な力を持つのだ。
よく、「満足してしまったら終わり」などと言われるけれども、僕は逆だと思う、「満足してようやく始まり」だ。
「満足してしまったら終わり」と捉えている人は、「不満」という感情と焦燥をエネルギーにして努力しているだろう、僕にはそれは不純な努力に思える、悪いことではないが、努力に不純物が混じるので、得られる結果が変わってくる。

前に、「自由で、かっこよくて、××××」という話をしたけれど、そのワイルドカードには「満足で」を入れればいいな。
不満をバネにして努力している場合は、努力が満足方向に固定されざるをえないので、自由を失う、そして「不満だから頑張っています」というのは根本的にかっこよくない。
僕は常々、努力がニガテだと公言し、生まれてこのかた努力したことがないと嘯(うそぶ)いてきたが、それはマジであって、不満のあてがいに努力させられるという時間の無駄がニガテなのだ、遊ぶこと以外にエネルギーを割きたくない。
うーん、つまり、不満を充足させるのに努力するというやつはアホだ、不満を持っているという時点でアホだ、不満なんか持つ人は極左団体にでも入っちまえよ。

100%の天才と、0%の努力。

つまり僕は、努力で動くと即死する体質で、天才で動くとやれやれでありのびのびなのだ、最近このことの足を引っ張る奴が多すぎるぞ、努力の傷痕を押し付けてくることは法令で禁じられています。
「血の滲むような努力」というけれど、誰も彼も血にばかり反応しすぎだ、ほんとカルマにしか反応しねーんだから/ただし「0%の努力と、100%の天才」は、100%の「満足」の上でのみ成立します。
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「出来る」ようになるには2
「出来ない」ということに、強いストレスやコンプレックスを感じる人がけっこういる。
初めは誰だって「出来ない」もので、「出来ない」からこそ努力するのだが、もうこの時点で、ストレスとコンプレックスに殺されている人がいる、この人は残念ながら、金輪際どうにもならない。
なぜなら、この時点でトンチンカンなストレスとコンプレックスを感じている人は、まず自分が「出来ない」ということを根本的に認めないし、「出来る」人を「出来る」とも認めないので、もう初めから錯乱状態なのだ。
この、わけのわからないストレスやコンプレックスがなく、素直に「出来る」という定義に直進できるものなら、誰だって何かを本当に「出来る」ようになる、ただその「直進」が本当に出来る人こそ、実はとても少ないみたいだ。

おそらく、努力を始める以前に、何か「セルフイメージ」みたいなものがあって、この人はこの「セルフイメージ」の内部で努力するので、いつまでたっても「出来る」ようにはならない。
なぜ「出来る」ようにならないかというと、努力前の「セルフイメージ」から、努力後の「セルフイメージ」が変わるわけではないからだ、セルフイメージは変化しない、だから根本的に変化しない/しかも傍目から見たら奇妙なことに、「根本的に変化しないようなやり方で努力をする」のだ、いわばわざわざ「出来ない自分を保存する」ような努力の仕方をすることになる。
それこそ、サルトルが言うように「地獄とは他人のことだ」と感じ、他人の視線を自己への侵犯と感じている人は、侵犯されないように自分自身の「セルフイメージ」を強固に持っているだろう、この強固なセルフイメージが変化しない以上、どう努力しても自己変革は起きない、ひたすら「セルフイメージのディフェンダー」としての自分を続けるしかなくなる。
こうした、「出来ないコンプレックス」の人にとっては、「出来ない」ということはまずダメージになるのだ、だから何を努力するにしても、練習のたびにダメージを負うことになる、するとそのダメージを癒すのはまた「セルフイメージ」の確認だ、出来ないダメージとセルフイメージの恢復、「出来る」ようにならない人はたいていこの循環を繰り返している。

「出来ない」人は、ただいま攻撃を受けて防御中だ。

攻撃を受けているというのは、妄想なのだが、妄想というのは当人が信じているかぎりはどうしようもない/この妄想に陥るともう、「出来る」ということはまったく目的ではなくなり、ただ「攻撃されている状態を抜け出す」ということが目的になってしまう、これではもう何をしているのかわけがわからないテンヤワンヤだ。
「出来る」ようになるためには、まずこの「セルフイメージと被害妄想の合戦ごっこ」を終了させなくてはならない、といって、終了させられるものなら誰だって即座に終了させているだろう、いつか本人が気づくときがくるのか、もしくはそのときはいつまでもこないのかもしれなかった。
できるオンナだね | comments(0) |
「出来る」ようになるには

前、「ちゃんと出来るようになりましょーよー教室」というのをやっていたが……(また再開するかもしれない、お楽しみに)。
何事につけ、本当に「出来る」ようになる人と、いつまでたっても「出来る」ようにはならない人がいる、この差はどこから生まれているのだろうか。
僕の知るかぎり、この差は、そもそも「出来る」ということの定義があるかないか、によって生じている。
「出来る」ようになる人は、「出来る」ということの定義を前提にしてやっているのだ、一方「出来る」ようにならない人は、そもそも「出来る」という定義がなくて、「出来るようになれたらいいなあ」という漠然としたキモチだけで努力している。

「出来る」ということには、無限の段階があるが、基本的に「出来る」というのは、「いつでも」「百発百中」をもって「出来る」という。
こう考えればわかりやすい、たとえば英語の発音で「th」というのは舌を噛んで発音するが、舌を噛んで発音するだけなら誰でも「出来る」。
が、それは舌を噛んで発音するということを意識していればそのときだけ「出来る」ということであって、日常の英会話や英語の歌詞の中では忘れ去られている、それでは「th」の発音が「出来た」とは言わないほうがいい/おじいちゃんが手習いでスマホにフリック入力したからといって、以降「フリック入力が出来ます」ということにはならないように、意識して出来たものを「出来る」とは言わない。
たとえば「膝を抜いて動く」というような技術があったとして、それをエクササイズの中で一応それっぽく出来たとしよう、しかしそれをもって「出来た」ということはないのだ、「出来る」というのは「いつでも」「百発百中」を前提とするので、「いつのまにか、膝を抜いて動くのが当たり前になって、膝を蹴って動くということがなくなったな」というところまで到達してようやく「出来る」だ/それでもなお、技術というのは奥が深いものなので、それが「出来る」の入口でしかないのだ、そこからさらに「本当に厳密に出来ているか」ということを点検すると、いくらでもアラがあるのだった。

「出来る」ようにならない人は、そもそも「出来る」という定義がキライだ。

「出来る」というのはどういうことかを定義すると、その定義は当然ながら厳しいものになるので、一部の人はその定義そのものに向き合うことがキライだ/「出来る」ようにならない人は、実は「出来る」の定義に向き合っているのではなく、内心で自分なりの「努力」という定義に向き合っている、彼らの目的は「出来るようになる」ことではなく「努力している」という自意識を得ることだったりして、この定義違いの混在はしばしばトラブルと不毛をもたらす。
色んな要素があるが、実はスッキリ単純化できて、「出来る」という定義と向き合いたがらない人は、単純に「実はもっと別の優先順位を内心に抱えている」のだ、たとえば「充足したい」とか「仲間という感じを味わいたい」とか「ダサいと思われたくない」とか「他人と一緒でありたい」とかだ、だから表面上はやっていることが同じに見えても、やっている内実はまったく別のことだったりする/ほとんどの人は「出来る」という定義に向き合う前に、何か「感情的」になってその定義を避けようとする、もちろんそんなちゃぶ台返しをしても何の利益もないのだが、実際そんな意味不明を本当にするものだ。

できるオンナだね | comments(0) |
「突破力」は、「異性を愛する度」に比例する2
足と浮き足の使い方にも二種類あって……
僕が想像するに、ヒップホップやジャズダンスの達者な人というのは、異性にキャーキャー言われながら、実はモテるかというとそうでもなく、そもそもリーダーシップを取ることが苦手で、だから「仲良くはいちおうなるんスけど、そこから先が……」という人が意外に多いのではないかと思う。
それはなぜかというと、いわゆるヒップホップやジャズのダンスステップにおける軸足の使い方は、武道やクラシックバレエやボールルームダンスの軸足の使い方と異なるからだ/使い方が異なるというか、動く方向が実際に逆だ。
武道やクラシックバレエやボールルームダンスにおいては、軸足が「リーダー」になり浮き足がフォロワーになるのだが、ヒップホップやジャズにおいては、軸足は浮き足の「パートナー」になるのだ、前者は浮き足が軸足の同方向へ牽引されるのに対し、後者は浮き足と軸足が鏡像で動く/だからそちらのヒップホップやジャズダンスが達者な人は、リーダーシップが苦手でパートナーシップを得意にしていると思う、これはコジツケではなくて、人間の得手・不得手の感覚というのは身体を根源として形成されるのだ。

なぜヒップホップ・ジャズのステップにおいては、軸足と浮き足がパートナーシップを形成するかというと、ヒップホップやジャズのダンスにおいては、ダンスステージにおける「進行方向」がないからだ/「進行方向」がないからリーダーシップが根本的に要らない。
比べると、武道における歩法は敵との間合いという進行方向があり、バレエも舞台上を明らかに「移動」するし、ボールルームもフロア内を「移動」するものだ、こうして「移動」「進行方向」がある歩法には軸足による浮き足へのリーダーシップが生まれる。
……というか、この話、「なるほど!!」と思っている人は一人もいないんじゃないかな!! こんな話、誰がわかるねんとは思うが、まあしょうがないだろう、僕はなるべく何にも迎合せず、今このときの僕が「マジだぜ」と追究していることだけを書くのだった。
とはいえ、さすがに何の訳にも立たない話を続けるわけにもいかないので、「軟派がないと突破はないですよ」ということだけスパッと申し上げておこう、堅気は「継続」「踏破」は得意だが「障壁突破」は不可能だ、軟派がないかぎり軸足は動かない/もちろん軟派ってナンパ行為のこと言っているんじゃないからね、ただの気質のことだよ。

男女平等と男尊女卑は、平行概念であって対概念ではない。

先輩と後輩や、教師と生徒、大人と子供や、店と客もそうだ、これらは主従関係でありながら、同時に平等関係でもありうる、両方の関係は平行に成り立ちうる/うーむやっぱり、こんな話じゃ誰の役にも立たねえよ。
つまり、武術的歩法とポップコーンステップの両方ができたら、男尊女卑とか平等とかで揉めることはないのだった、だからさっさと「進行方向を持つ軟派軸足」と「進行方向を持たない軟派軸足」の両方を獲得しよう(無理っス)。
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「突破力」は、「異性を愛する度」に比例する

ても奇妙なことを考えている。
人の「突破力」は、「異性を愛する度」に比例するのではないか、という仮説を考えている。
たとえば僕の場合、僕は女の子ちゃんが大好きなのだが、いくら女の子ちゃんを愛したとしても、僕自身が女の子ちゃんになるわけではないのだ。
とっても愛しているのに、その愛しているものに自分が「ならない」というのはどういうことなのだろう。

このように仮説を考えている/たとえば僕の場合、僕が男性であるということは「軸足」だ、逆に僕にとって女の子ちゃんの存在は、軸足でないほうの足、言うなれば「浮き足」のほうになるだろう。
そして、誰でも片足立ちになってみればわかるが、力ずくのジャンプやダンス的な動きをしないかぎり、軸足というのは体重が乗って「動かない」ものなのだ。
そこでダンスステップなどでは、ポップコーンやスポンジボブに典型的に見られるように、「浮き足のアクションに連動して、軸足もアクションが可能なのでは?」という発想に目を付けている、ふつうは動くはずのない軸足が「動く」から、それは通常の歩行や移動と異なる「ダンス」のステップになる。
軸足に体重を乗せて、軸足をジッと見つめている場合、軸足は決して「動くはずがない」、だから変化もできないし、その硬直は突破されない、軸足が「動く」可能性があるのは、浮き足を愛している者だけだ/浮き足と一緒に遊びたい軸足だけが、軸足のまま動くことを可能にする。

ダンスは堅気ではありえない。

堅気(カタギ)というのは、そのまま「気が堅い」という意味だから、堅気においては軸足はピーンと突っ張ったまま(気が堅い)、ダンスが生じることはありえない、そこに「軟派」が生じないかぎり軸足が動いてダンスが生じることはありえない。
本来は動くはずがない軸足が動くためには、浮き足を愛して付き合いたがる「軟派」が必要なのだ、これまで僕がわけのわからん突破を繰り返し、いくらでも「まったく別の男」になってきたのは、かわいい女の子ちゃんを愛して付き合いたかったからなのだ/別に何かを突破しようと努力してきたわけではまったくなくて、ただ障壁を突破する力は異性を愛する度合いに比例するようだった。

できるオンナだね | comments(0) |
やりとげられないあなたへ2
りとげられない人は、自分に「根性が足りない」と思っている。
その発想しかないものだ、しかし、本当に自然に何でもやりとげる人をじっくり観察すると、そういう人は別に「根性!」という感じでもないというのがわかる。
何が違うかというと、じっくり観察してみればわかる、これは盲点なのだが、本当に自然に何でもやりとげる人は、実は「やさしい」のだ、<<やさしいからやりとげられる>>というのが、実は正しい見方になる。
「やさしい」と言ってもいいし、「やわらかい」と言ってもいい、脳みその態度自体が硬くなくてやわらかいのだ、そうして人にやわらかく当たれるということが「やさしい」ということだ、この「やさしい人」だけが実は「やりとげる」ことができる。

「根性!」でやりとげる人は、途中まではごまかせるけれど、途中で必ず頓挫してしまう、それは根本的に方法が間違っているからだ。
「根性!」でやりとげる人は、よくよく見ると、本当にやりとげているのではない、「やりとげない根性なしの自分を批判する」という痛みで、強制的に自分に「やりとげさせている」だけだ/その方法の本質は「批判」でしかない。
根性なしの自分を批判して、石を投げて、強制的にやりとげさせているだけだ、しかしこのやり方は、やがて投げつける石が大きく硬くなってゆき、いつかは痛みとして限界を迎える、もう本能的に意識が濁って、「根性!」という方法もできなくなるのだ。
やさしいからやりとげられる」ということ、この正しい見方をもって、もう一度自分は誰を尊敬するべきか、誰から学ぶべきか、また本当はどういうところを学ばねばならないのかを、見つめ直すことだ、これはいつだって最後のチャンスで、このチャンスを放棄したとき、われわれは老化の坂を転がり落ちていく。

やりとげる人はおだやかでやさしく、やりとげない人はふきげんだ。

だからこそ、本当に強くなるということは、とても厳しいことだ/人にとって、ふきげんになるということは「ギブアップ」のサインなのだ、ふきげんなまま物事をやりとげられるようには、われわれの脳みそは造られていない。
やさしい人だけがやりとげられて、やさしくない人はやりとげることが一切できなくなっていく、このことでやがてこころが歪んでいくと、今度はやさしい人(やりとげられる人)を批判して、その足を引っ張ることをやり始める、そこまで行いを黒くしてしまった人は、もうほとんどは戻ってこられない。
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やりとげられないあなたへ
「やりとげる」という能力は、「批判する」という能力に比例する。
だから、ふだんから批判量の多い人は、何かをやりとげるという能力が急降下していく。
100批判した人は、己が101を為せないと、それを「やりとげる」ということが成り立たない、途中でどうしても投げ出してしまう仕組みだ。
100批判した人が、101を為せることなんてまずなくて、せいぜい為せるのは7〜8ぐらいだ、だから到底「なしとげる」ということはできない。

自分のする批判量が、5とか6とかなら、自分の実力の7〜8ぐらいで、何かをやりとげることができる。
だがふつう、批判がちな人は、内心であれ実際に言うのであれ、100以上の批判を平気でしているものだ。
畑の土になぞらえていうと、「やりとげる」人の土はふかふかで生産用の土なのに、「批判する」人の土はカチカチで投石用の岩場なのだ。
脳みそがそういう状態になっているので、急にふわふわで滋養たっぷりの生産用の脳みそにはなれない、脳みそが「がんばろう」とその土に触れると、その硬さからどうしても「投石」を始めてしまうのだ。

その人にとって「がんばる」ということは、「石を投げつける」ということに変わってしまった。

そういう人は、自分に向けて「よーしがんばろう」と励ましてみても、脳みそが岩場と化しているので、自分に「がんばろう」という石を投げてしまうのだ、これはダメージになるので、どうしてもそんなことを続けることはできない、不可能になる。
やりとげられないあなたが、やりとげられるあなたになろうと本当に思うなら、投石をやめて脳みその岩場が耕地になるまで待たねばならないが、その間はとてもつらい地獄だ、批判して生きてきた人が批判をやめるというのは生き地獄になるのだ、なかなか切り替えられるものじゃない。
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エロめの彼女の、夏ペーペーのskirt!
だってバカじゃないので、状況があるのはわかっている。
だが状況は常に正しくはない。
だから僕は、正しいことを取り下げない、たとえ僕一人だけ孤立しても、僕は正しいことを取り下げないだろう。
それは僕が、正義の徒だからではない、僕が生き抜いていくためだ、迎合させられた上に殺されるのはカンベンなのだ。

生まれながらのエロい奴、かわいい奴っているもんだろ、そのエロい奴に、エロいのをよこせって言ってんの。
それは、僕がエロのバケモノだからじゃない、あなたがエロのバケモノになってしまわないためにだ、エロがやがて平和でなくなることを、僕はたいへん厭(いと)っている/エロかわいいは存分に遊ばせないとやがて毒の香水になる。
何をどうこうしろってことじゃない、僕があなたに、エロかわいいからエロをよこせと言いつけている、あなたはただそれを受けて、受けるだけでいい、何をする必要もない/僕がスカートをめくるのを、あなたはかわしてよくて、重要なのは僕があなたのスカートをめくりにかかり、あなたがそれをよろこんでかわすということだ。
あなたはスケベに口説かれるのです、僕はスケベに口説くのです、そこに何も起こらなくていい、あなたが口説かれることが重要で、僕がフラれることが重要だ、それが出会ったっていうことだから/あなたのエロかわいいが不穏な毒になる前に、潮風や太陽に当ててやることが重要です、あなたのエロかわいいは、食いものにされるためにあるのでは決してないから。

ありったけのエロをよこせ、それを重視しないことを約束してやるから。

キケンなことは、エロかわいいをよく遊ばせないうちに、一部の勢力からそのエロかわいいを「重視」されてしまうことなのだ、それを「重視」するのは男だけじゃない、あなたの母親や、苦しみ始めた年増もそうだ/あなたが魅せる夏ペーペーのskirtの前で、そこに「夏」を見ず「エロ」を見るようになったら、もう「重視」が始まってしまったのだ、そんな連中から利益を得るより、僕に向けて大損をしてくれ。
こんな言い分に、何の賛同も得られないことぐらい、僕だってわかっている、この「状況」だ、しかし僕は正しいことが含まれているこのやり方を、けっきょく取り下げないだろう/あなたがまともで僕がバカなのだが、僕がバカでなくなったとき、すべての明るい道は閉ざされるだろう、さあ僕は言ったぞ(聞こえただろう)、ありったけのエロをよこせ。
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音あって、事もなく(タイトル回収版)

れまでいろんなことがあったのだが、何か「事」があったかというと、別にそんなわけではないな、と思う。
僕は、「事」というもの自体が好きでないのだ、僕はいろんな「音」が好きだ。
「事」というのは、つまり「何かが引っかかって残った」ということだと思う、「事件」なんかは典型的にそうだ。
僕はこの世で最大に豊かに生きていく気マンマンだが、それらは何という「事」もなく過ぎてもらわねば困る、僕はひたすら豊穣かつ多層の音に包まれてゆければいいのだった、うーんグレートハッピー。

たとえば未成年がタバコを吸うと、いちおう「事件」になるのだろう。
僕はそういう、しょーもないことで「事件」が生じるのがイヤだ、19歳と364日でタバコを吸うと「事件」なのに、翌日に吸ったら「無事」なんだぜ、なんでこんなしょーもないことで人生をすりつぶしワッショイせねばならないのだ。
僕は、<<「福音」だけがあり「無事」>>が好きなのだ、よもやその逆、「事件」だけがあって「何も聞こえん」というのはマジでやめてくれ/男女がいちゃつくとおばさんは「事件よおぉぉぉ」と叫ぶのであり、そのおばさんからは何ら芳しいものは聞こえてこない。
おそらく、福音が聞こえねーおばさんは、この世界のことが根本的にわからないので、「自分の意識に引っかかるもの」だけが、自分の生きる世界なのだと、すがらざるをえないのだろう、ニュースをアテにして生きていますね/福音が聞こえねーから毎日慌ててニュースを摂取していますね?

福音とニュースは対極にあり、福音を往くのを無事道(ブジドー)という。

セクハラ騒動が報告されると、シュバババとMeToo戦士たちが集まってリツイートバズ祭りを起こすのだが、僕が「うーむおはよう、今日もあいかわらず女の子ラブだぜ〜」と報告しても、何の戦士たちも集まってこないのだ、これはどうしたことか、なぜ福音でないほうに集まるのだ、無事道の風上にもおけん也。
僕は何でもないキレーな女の子が、なんとなく「今日の下着はこれ」とチラッと見せてくれることが大好きだが、もしそれが「事」になるなら、僕のほうからごめんこうむるよ、sounds goodが聞こえねーなら色っぽいことになんか挑戦しねーほうがいいな(われながらいいことを言った)。

できるオンナだね | comments(0) |
音あって、事もなく
いうわけで、ようやく今日になって、人心地がつくていどには、風邪が治ってきた、いやあ今回は本当にひどい目にあった、こんなにガッツリ苦しむ風邪をひいたのはいつぶりだろう。
多くの励ましのおかげで、風邪が治りました、ということはないのだろうが、じっさいお見舞いの連絡をくれる方がたくさんいて、そのたびごと気分的にはめっっっちゃ救われるので、まあいまどきの光回線はちゃんと風邪の抗体も運んでくれるのだろう、オー・ソレ・ミオ〜ありがとう〜
次なる作戦を考えているのだが、ここ数日伏せっていたおかげで、数日間は誰とも「問答」をせずに済んだ、そうすることで改めて「世界」と「音」ということがわかって来、そのことに確信が得られた。
「主体」の世界というのは、この世界の「音」を頼りにし、「音」とコンタクトして生き、進んでいるのだ、その意味で、キリスト教の聖書が、キリストのストーリーを「福音」と呼んでいるのは、まったく正しくてナイスな訳だと思う。

次なる作戦を考えているのだが、その前に、こうまで急に「音」が注目にピックアップされたとなると、「じゃあ光と音の関係って何よ?」ということにならざるをえず、またその整理にアタマを使わねばならないようなのだった、とほほ……(最近こんなんばっかだな)
今のところ、「音」が「これ」で、「光」が「広い」というか、「音」が「此方」で、「光」が「彼方」じゃね、という感じがしているのだが、明らかに不十分で、ウーン、考えるのめんどくさーい、のだった。
そんなことより、今日は、数日ぶりに風呂に入れる見込みだ、いやあ本当にキツかった、何かが妙にキツかったな、ただの風邪でしかないのにこんなにヘバるとは、まったくわれながらだらしないことだ。
この「音」が世界だから、これから剥離しちゃダメよ、とアドバイスしたいのだが、そもそもそんな音など聞こえんというか、感じ取られん様子()、しかしやたらに僕に身体ごとひっつきにくる奴、そのとき何かを「聞いている」というのは感覚的にわかるだろ? それぐらいこころあたりでなんとかしろ、あとはそれぞれ、超絶自習してなんとかしたらバッチリだ、おれは風呂にはいりまーす(しかもそのあとスイカを食うのだ!!)。

音楽家がやたら長生きなのには理由がある。

詩人は早死にすることがよく知られていて、音楽家はやたら長生きすることがよく知られている、詩人は光を追い求めたのだろうし、音楽家は音を……このことには何か秘密があるのだ、誰かクソ頭のいい奴がパパッと看破して報告すること、おれはまだ叡智ボンバーするほど恢復してねえんだよ。
パパッと看破して報告できない奴は、とてもえっちな自撮りをおれに送ること!! おれは風呂に入ってくるぜひゃっほう(あ、タイトル回収するの忘れた!!)。
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澄み切った上澄みは透明すぎて見えない

たあれこれ書くわな。
ヒマな人が多いと思うが、ヒマな人はパーティなんかに来てもしょうがない。
忙しい奴が来いよ、当たり前だが、忙しいというか、時間がいくらでも欲しいと切望している奴が来い。
今回新しく来てくれるらしいゆきさんは、十年前から僕のファンでいてくれたそうだ、なかなか趣味がいいじゃないかと言いたい、人生のヘンな転機なんか来ないように、ぜひ遊びにおいでよ、いらっしゃいと僕は言いたい。

おれはお前たちにつまんねーことをしてやる。
おれのつまんねーことが、お前にとって真に光り輝いているものでなければ、それはおれがつまんねー奴だということだ、そしておれがつまんねー奴であることなど理論上ありえはしない。
どんな理解も及ばない実物の方法を、とっくに入手しているから遊んでいるんだぜ、鼻先に七万の香りがしたらどうする? そんなものもう勝てっこないじゃないか、そしてそういうものにしか本当の値打ちはないじゃないか/まともに生きるには本質をこっそり生きていくしかない。
絶対及ばない光の次元、その名を呼ぶなら「チャロコホイ」だ、お前らの理解が及ぶものは常に根本からつまらないだろう/濁った沈殿には澄んだ上澄みがつきものだが、澄み切った上澄みは透明すぎて見えないわけだな、だからといって濁った沈殿に認識とテーマを遣るバカがどこにいるか、おれのことが大好きなのは初めから理屈に届かないように作られてある、お前らが沈殿に注目するたびにおれは要らん苦労をさせられるのでもうちょっと正しいほうに歩み出たらどうだ。

パーティなんか、やったうちに入らねえ。

沈殿がカルマで、上澄みが光だよ、街中にひしめくチャロコホイだ、実在の実感以上の生存existenceがある、循環するすべての曜日に原宿は存在している、別に原宿じゃなくてもどこでもよかったのだが、原宿チャロコホイがわかりやすいのでなんとなく原宿で続けている。
鉄アレイをブンブンしていれば筋肉がつくが、そりゃ鉄アレイに合わせて自分も重たくなりましたってことだぜ、そりゃ重たい悩みも発生するだろうな、チャロコホイには重さがないが説明には重さがつく/重たいものばっかり好きな人は沈殿ばかり吸収して上澄みの光から遠ざかるがそれで本当に満足なのか、今週はパーティがあるがおれはいつもどおり何もないよ。

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最強の作用が最大のハズレ

には夢があってだな……
夢に関してはゼータクなのだ。
どういう夢、ということは長くなるから書かない。
具体的な夢だよ、内容はハチャメチャで、かつ、しっかりとしていないといけないし、ド厚かましくないといけない、それが夢ってもんだ。

われわれの胴体、この「身」とは何なのか、そして「身分」とは何なのか/この身を縛っているものは、さしあたり「カルマ」とひとくくりに定義してまったく差し支えないとして……
われわれの「身」に対する、最強の作用が「カルマ」だ、つまり、<<最強の作用が最大のハズレ>>ということになる、わかりやすい結論だよなあ、だがこんな結論に僕自身がキョーミがあるわけではないのだ。
僕の夢は「世界」であって、そこに同道する人々を含めると、「国」といってもいい、聖書世界でも元々われわれは「永遠の国」から追い出されたという話になっている/これからは「国」という捉え方をしていってもよいのかもしれないな。
というわけで、僕はカルマ肉の話題を、立場上やむをえずにしているだけで、そこに本分は何もないのだった、僕には夢があるだけでね、いいセンまで来ているんだ、どうかこれ以上、一般的な世の中がカルマ大劇場になりませんように/夢に向かう前にカルマの整理説明だけで日が暮れるってなわけにはいかんのだよ。

「永遠の国を追い出される」って、さすがに二回目は要らんやろ。

僕はひたすら「永遠の国」、また東洋人として「極楽の余り風」に、迫ってゆきたいだけだ、また立場上も、そうするっきゃないんだよ、そして「永遠の国」と「極楽の余り風」が人間普遍の夢なのは当たり前だろ、誰だってちょっと考えればわかること/永遠の国のみんなでカップラーメンを食べるのと、カルマのド渦のド真ん中で独りで高級肉を食らうのと、どちらがいいのか、永遠の国の四畳半と、カルマのド渦のタワーマンションと、どちらのリビングで目覚めて「おはよう」がいいか、そんなものカルマのド渦でよろこべることなんて一ミリもあるわけがないのだ。
<<誰も僕の夢を聞かないのはなぜだ?>> カルマ質問箱のみなさん、僕は精一杯お答えするが、その答えの中にあなたの行く先はないことをお忘れなく/あくまでカルマ質問箱は「なぜそっちに行ってはいけないか」という説明を返せるだけで、あなたの行く先ゴーゴーについての情報はないよ、まだしも「オマエと飲んだら気分がいい」という僕の夢をあなたが真剣に聞いてくれることのほうが、あなたの行く先ゴーゴーについて正解に近い、正解にずーっと近い。

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しょーーー、もないことから離脱する方法
ょーーー、もないことに付き合うべきではない。
しょーーー、もないこととは何かというと、ハートもなければグルーブもない、回転数も高くない、そして、何もグレートではなく、セクシーでもない、ということだ。
どうせ付き合うなら、わけのわからないグルーブに満ちた、「すぐ振り落とされてしまいそう」と感じることに付き合うべきだ。
あなたの付き合う相手は、あなたの希望によって決定はされない、残念ながらあなたのレベルで決定してしまう/そしてあなたは、自分で人生を歩んでいかないかぎりは、基本的にあなたのお母さんが付き合えるレベルのものしか付き合えない。

だからあなたの態度が重要なのだ。
あなたがあなたのレベルを超えていくということは、あなたが前向きに屹となる、ということではない。
あなたがあなたのレベルを超えていくということは、あなたがあなた自身を蹴っ飛ばすのみならず、あなたのお母さんも一緒に蹴っ飛ばすということだ/あなたの現在レベルが蹴っ飛ばされると同時に、あなたのお母さんも蹴っ飛ばされてしまう。
そのことまで引き受けていくというのが、己の生まれ落ちた身分やカルマを超えて生きていくということだ、あなたの生来的な身分は母親の身分によって決定されているから/もしあなたが、「母親を蹴飛ばされてまで進むべき道なんてない」という立場を採る人なら、あなたは生来の身分を超えた誰かと本当に付き合うことは起こらない、それは不幸なことではないのかもしれないが、しょーーー、もないことからの離脱は初めから成り立たない。

あなたが母親のレベルを引き継ぐことは、あなたを安定させるが、母親の救済にはならない。

なぜかというと、母と子が同レベルのまま、しょーーー、もないことにかかずらわり、共倒れになることは、母親にとっては不本意だし、子にとっては怨恨だからだ/その愛憎劇は典型的な「あるある」であって、不幸とは違うと思うが、まあ趣味としては悪趣味だなあと個人的に思う、僕はわざわざそんな筋書きの二時間ドラマは観ない。
僕があなたの母親を蹴飛ばせない限り、あなたのことも蹴飛ばせない、じゃああなたは現行のレベルを超えることはできない、しょーーー、もないことはこれから30年後も繰り返されるだろう。
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大吉探し
勢の下がる人は、勝手に「不吉」を探している。
目が覚めたら雨だったとき、「こんな日に雨が降るということは……」と、わざわざ不吉を見るほうを、勝手に選んでいる。
「めちゃめちゃ体調よく目覚めましたけどね」という、大吉の見え方を捨てているのだ。
運勢にオカルトがあるのかどうかは知らないが、少なくとも、わざわざ不吉を探しているようでは、自らの気力を不利にしているだけだし、大吉を探す奴のほうがまともで有利だということは間違いない。

「将来が不安」という人は、「現在まで無事やってこられた」という大吉を見捨てている。
「カバンをなくした」という人は、我が身にトラブルはなかった、という大吉を見捨てている。
下駄の鼻緒が切れたとしたら、転倒しなかったというのが大吉だ。
大吉がひしめいているのが見えないか/今日もきれいな女性とすれ違ったりしたんじゃないか? 今日も友人からメールが来たんじゃないのか、今日もこんな楽しいブログを読んでいるのじゃないのか、今日の食事はとてもナイスで、今日の野良猫ちゃんもとてもかわいくて、ことごとく大吉に満ちていなかったか。

大吉だけを探せ、これは単純な認知療法だ。

わざわざ自分で「不吉」を探している人が案外多くて、びっくりさせられる、何を弱気になっているんだか、その気になれば明日にでもワンピースが買えるでしょ?
焼肉を食ったりさ、なんでもない文庫本を買ったり、楽しい動画をこってり観ることだって可能じゃないか、不吉連盟さんの発想に馴染むのはよくないよ、不吉連盟の発想に対しては「ええええっ!?」と、根こそぎその発想を否定してやればいいんだ、そのほうが相手も救われるから。
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魔を跳ね飛ばすのはアクティブネス

中に通り魔が現れたとして、通り魔が工事現場のおっさんに飛びかかるという例はない。
工事現場のおっさんが屈強ということもあるが、それ以上に、工事現場のおっさんがアクティブだからだ。
アクティブネスの真っ最中にあるおっさんに、チンタラした通り魔が襲いかかっても勝ち目はない。
「魔」に対する最強の防壁がそれだ、チンタラしておらずアクティブネスの真っ最中というのが防壁だ、魔はその防壁に「はぁ?」と言われるのに一番弱いのだった。

強い奴が通り魔にはならない、魔というのは必ず弱い者に取り憑いているものだ。
だから誤解してはならない、魔の取り憑いた者が「ウオー」という表情だったとしても、必ず弱いから取り憑いているのだ、そのときは必ず相手の「弱さ」を見ろ。
魔の取り憑いた者は、一見すごそうに見えるが、フェイクだ、実は立場はすっごく弱くなっているのだ、立場の強い者に魔が取り憑いたりしねえよ、馬力がないから「ウオー」なんだよ、本当は孤独に落とされることが怖くて内心でひどくビビっている。
魔を跳ね飛ばす最強の防壁は、アクティブネスを保っていてやることだ、こっちが気力を上げっぱなしでいくと、魔は打つ手がなくなるんだよ、魔は湿っぽいものには取り憑けるが、バネみたいな奴には取り憑けないんだ、「噛み合わない」という状態になったら、必ず魔のほうが弱いもんだぜ。

魔が来たら足元に土下座させろ。

実はこの構えが、魔に対する特効策なのだ、魔の側は実は自分が弱いということを知っているから、自分が土下座させられる気配にどうしても弱いのだ、<<本当はアクティブなものに土下座したがっている>>、<<従いたがっている>>というのが「魔」の正体なのだ。
魔の側が実は弱いということを忘れるな、そのとき限りで強がっているだけで、裏側ではいつも弱っちいのだ/冷静に見れば、相手がどう弱くなっているか、その理由は必ず透けて見えるはずだ、本当は従いたがっていて、安心したがっているのだ。

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合理的なアクションを取ること
ょうび、正気でない人もいるし、未来に向けては不安な要素も多くある。
が、けっきょくどうなるかといって、われわれは合理的なアクションを取るしかないのだ。
合理的なアクションを取り、その他のことは何かというと、その他のすべては「余計」だ。
パニクった人は、必ず余計なことを言い、余計なことを迫ってくる、だがそれはどういじくっても「余計」なのだ、余計なことは元から「No」に決まっているのだし、そのことに向けての最善は「時間をかけない」ということだけなのだ。

休憩、余暇、お楽しみ、ということを重視しよう。
それこそが、「余計」ということの出現を抑制するからだ。
余計なことにかかずらわっているとき、何が起こっているかというと、単に休憩時間を削られているだけだ。
休憩と余暇とお楽しみを、最大までキープする、厚かましくだ、そうしたら「余計なこと」は排斥される、休憩と余暇とお楽しみまで含めて、われわれはこれを「合理的なアクション」と呼ぶ。

合理的に、厚かましく、つまりギャングのように。

正気でない人もいる、不安な要素も多くある、でもそれがギャングの日常だ、手際のいいギャングを見習え。
ギャングは相手に死さえ用意するが、それは必ずしも相手を殺すということではない、誰だっていずれは死ぬということだ、それでも誰だって死ぬまでは生きているのだから、なんだかんだでどうにかなるということだ、ギャングは「余計なこと」に流されない。
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われわれが痛みの餌食になる方法
「ためしてガッテン」で、慢性痛の特集が組まれていた。
なんと、(心理的)認知行動療法で、慢性痛が改善するということだ/なぜ改善するかというと、痛みそのものがファントム(幻想)として生じている場合があるからだ。
極論すると、「ボサーッとしていると、ありもしない痛みに苦しみ続ける」ということがありうるということだ、まさにカルマという感じがしてしまうが……原因のない痛みなんてもう逃げようがないからな。
達成感という言い方は、僕は好きではないが、日々何かを「達成」している人は、痛みに苦しまなくて済むようだ、もちろん本当に原因があって痛いものは別だが、それにしても「痛み」や「炎症」というのは、どうも経験上、そんなに単純な生理現象ではない、正当に思える理由さえ、そのまま痛みの肯定にはつながらない。

人は、ありもしない痛みに苦しみ、ありもしない炎に焼け焦げるのだ。
今や街中に、不機嫌な老人を見つけるのはむつかしくないことだが、なぜそういった老人は、「むかしむかし、あるところに……」というようなおじいさんおばあさんにはならなかったのか、なぜ老境を得てなお、安らぎの一端を掴むこともなく、残された日々を徹底した不機嫌で生きているのか。
もし、毎朝起きたときに、何もないのに身体のあちこちが痛い、身動きできないほど痛い、そして何もないのに猛烈に爆発しそうにイライラする、というようなことが、無条件で発生したとしたら、われわれはどうするだろう、どうするといって、もう「どうしようもない」のだ、そのまま何十年間も生きねばならず、その時間を支えて愛してくれる人など一人もいない/疎まれるだけの日々が何十年も続き、ずっと強がっていなくてはならず、しかもその先に待ち受けているのはよくわからないままの「死」だ。
ここ数年の、炎上騒ぎに加担した人たちは、己の行く先に恐怖しないのだろうか、いずれ己に痛みと焼け焦げの時間が始まるのはミエミエだというのに/そんなバカなことをしておらず、どんなささやかなことでも日々達成していくべきだ、われわれは学門をするためにこの世に生まれ落ちている、ボサーッとしていれば逃げ切れるかというと、そうじゃない、そんな逃げ切り方はできないように作られている。

空っぽの時間は、やがて痛みと焼け焦げになって戻ってくる。

「ためしてガッテン」で紹介されたように、習字をしたら慢性痛が治ったとか、毎日書店に通ったら慢性痛が治ったとか、事実としてレポートがあって、今やその認知行動療法が、慢性痛治療法の最右翼だとアメリカでは目されつつあるとのことだ/<<われわれはボサーッとしていると痛みの餌食になり続ける>>のだ。
ボサーッとしているのが一番ラク、ということではないんだな、脳みその全体が活性化することで、痛みは取り下げられるのだと、「ためしてガッテン」で説かれていた/脳みその活性化をしんどがっていたら、後になって真のしんどさが降りかかってくるよ、前者の「しんどい」はシャレで済むが、後者の「しんどい」はシャレでは済まない、われわれの生死を決定してしまうようなたぐいだ。
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ドゥー・ドゥー

人のことは他人のことなのだ。
他人には、他人の事情があるのだろう……ということは、考える必要はなく、むしろ「事情はない」という、メチャクチャな暴論を押し込んでかまわない。
他人と連携しようと考えるな、全員と連携することを重視しろ。
全員と連携するということは、連携する必要のないところと連携するということだ、イヌがワン! と吠えるタイミングと連携しろ。

自分が生きるというのはその「連携」のことだし、他人が生きるというのもその「連携」のことなのだ。
そこに事情印の100泥織鵐哀好謄鵑鬚くりつけたら、それは余計にカワイソーだよ、見えない鎖をつけるのではなく、見えない翼をつけてやれ。
事情合戦をやりだすと、本当に双方が不幸になるからな、そこでイヌがワン! と吠えるタイミングだ、これと連携するかぎりわれわれに「事情」はない。
他人のことはドゥー・ドゥーと呼べ、さすがにこれでは話が意味不明すぎるか、でもこの意味不明に引きちぎっていくような話し方を、何年も前にはおれはしていただろ? 実はあのころからおれのほうはなーんも変わっていないんだぜ。

「事情」を除いて、すべては「合図」だ。

何もかもが「合図」なのだ、そのすべてに連携する、なぜそうなのかといって、初めからずっとそうなのだからしょうがない。
おれはドゥー・ドゥーに説明はしない、なぜならおれだってわからないからだ、おれに事情がない以上、おれに何がわかるというのだろう? わからないから「合図」に連携するしかないのだ。

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あなたが楽しくなる方法

なたが楽しくなるためには、僕と同時にやることだ。
あなたが何をする人か知らんが、僕と同時にやることだ。
あなたが、あなたのやるべきことを、あなたのタイミングだけでやろうとするから、何も楽しくなくなる。
たとえば先生と生徒がいて、先生が教えるのと、同時に生徒が学ばないと、おもしろくないじゃん、何をやっているのか、クソ勉強みたいですっげー不快じゃん。

あなたはあなた限りのことをやるのだ。
まわりに合わせてとか、まわりに流されてとか、そういうのは何の足しにもならんからやってはいけない。
あなたはあなた限りのことをやるのだ、それでこそ、正しく「全体」に噛み合っていることになる。
あなたがあなた限りのことをやる、そのとき「孤独だ」と感じるのなら、それは感覚がオカシイ、みんな自分限りのことをやるので揃っているのに、この大団円に何の寝言をいっているんだ、何かビート音を聴き取って自分限りのことをやれ。

あなたにしかできないことが自動的にある。

なぜなら、あなたは前を向いているだろう、そりゃ眼球が前についているんだから前しか見られねーよな、そして「あなたの前」を見られるのはあなただけだから、あなたにしかできないことがあるのだ。
人には「フツフツくる」という現象があると思うが、それは前方に向かって生じるものだよ、観念的ではなく実際の前方にだな、「ビートと前方とフツフツ」でだいたい正解だよ。

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ポカーンとしない、流されない

界卓球、女子、決勝戦は残念だった/中国の選手たちは相変わらず特殊部隊みたいで、その顔つきだけで「えぇ……」とビビらされるが、それにしても、石川佳純選手なんか、昨日の全身全霊を「今日もやれ」というのはいくらなんでも無茶だと思う、昨日の対合同コリアですべてを出し尽くしていても何もおかしくない話だ。
さきほど、youtubeのほうもちらりと覗いたが、コメント欄に「やっぱり勝てないね」という感じの、冷淡なコメントが書かれている、一体何をどう観戦したらそんな冷淡なコメントで済むのか、僕にとっては不思議なぐらいだが、たぶんそういうコメントを書いている当人は本当にわからないのだろう/「観てるだけで悶絶しそう」ということでないなら、他人の試合を観戦することになんか何の値打ちもない。
僕は、人のこころや、魂や、霊や精神について、一般とは違う知識を得ている、それはむろんスピリチュアル系統のしょーもない幻想とも違う、僕は自分で確かめてきたこの知識に基づいて、もはやその他一切の風潮やムードに耳を傾けることはゼロにしようと決めた/多くの人は、その流されていった先がどれだけつらいかを知らないから、平然と流されてゆけるのだろうな。
人々があっさり流されていくことに、僕は驚いているが、同時に、正しい知識がないと抵抗は不可能なのだな、ということもわかってきた/せめてポカーンとするべきじゃないよ、そして今は、全体的なムードの中に何かを探しても、絶対にそこに正解はない、流されるだけ損だよ。

冷静に考えてみるといい、たとえば三十年前のロック音楽には、うそいつわりなくアツいシーンがあった。
あれから三十年が経ったのだが、たった「三十年」だぞ、二百万年前の話をしているのじゃない、たった三十年で人間そのものが変わると思うかね/現代の女性がプラダを着るようになったからといって、モンペを穿いていた時代と人間そのものが変わると思うか。
三十年前のアフリカゾウと、現代のアフリカゾウが、何か違うと思うかね、生物学の先生に焼酎瓶で殴られてこい/人間の場合、ムードに呑まれやすいというだけだ、現代人の全員を明治時代に連れて行けば明治時代の奴になるのだ、何も変わっていない、われわれが束になって「暗示にかかりやすいw」というだけだ。
よって、人間普遍のこと、人間が生きているということは「アツい」のです、このことから脱落した奴は、何の思想があるわけでもない、単にムードに流されただけだ、ポカーンとしているとそういうふうになるんだよ、申し訳ないがこれはおれが100%正しくて、あっちが100%間違っている。

流されているなあ、流れなんて存在していないのにな。

あとになって、めっっっっちゃアホだったと自覚するハメになったらどうするよ? 「流れ」みたいなものがあって、それに流されていったというのならまだしも、実は「流れ」そのものが存在していなくて、ただの思い込みだったりして……/だったりしてというか、まさにそうだよ、この時代の流れなんてものは存在してねえよ、これはおれが100%正しいのだから抗弁しても無駄だ、だって本当に存在してねーんだもの。
人には愛があって、出会いには愛があって、慈しみには愛があって、その他といえば「誤解に包まれている奴」しかいねえんだよ、僕が話しているときに帰りたがる奴なんて一人もいないもの/本当のことを言っておいてやる、本当は僕がこの時代に噛み合っていないのじゃない、本当は僕一人だけがこの時代に噛み合っているんだ、その他全員が噛み合っていないというのが本当の真相なんだよ、さすがにそこまでは考えが及ばなかったろ。

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