☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
白濁する夏の正午

は専用の墨汁のように青く/瓦屋根は黒く照り返し/燕はなお黒く弧を描く数学記号
視界白濁する/光の粒子が路上に飽和する
カラーの花はユリの花に負けず劣らずよい香りがするそう/目下、気になるね
時間は流れていない/ただ見失う方法があるだけ

人とは何か、街とは何か、仕事とは何か、生とは何か/愛とは、恋人とは、家族とは何か
みなよく知っている、思っている、自信満々/しかし知っているからには見えていない
知っているということは見えていないということ
希望が見えているとき、人はそれを希望とは知らないのだ

夏の白光、平穏が沸騰する

怯え切る者は、この与えられてある物が見えていない
テレビ、ラジオ、インターネット、あなたが知るものの中にあなたが必要とする真の知識はない

恋女のマインドね | comments(0) |
マリコの持論
だ子供だった僕は、十六歳のマリコが、バイク乗りのカワサキさんに惚れる瞬間を見た。
ゲームセンターにいたのだが、何かの有線が流れてきて、今思えばあれは尾崎豊だったのだと思う。
尾崎の声を受けて、カワサキさんはひどくきれいな目になった、ただでさえ二枚目なのに、それはとてつもない破壊力だった。
それを見上げていたマリコは、その瞬間に、目の前の男のことが「わかった」のだろう、マリコはもうカワサキさんに何をされてもいい女になった。

惚れるというのはそういうことだと思う、つまり直観的であって感情的でない。
マリコにとっては、カワサキさんのきれいなこころのことがわかったので、そのとたん、それ以上先は知る必要がなくなった。
それがいかに当然のことであるかは、僕にもわかったのだ、それぐらいカワサキさんはきれいな目をしていたから。
マリコから見てカワサキさんのことは、「好き」とかそういうものではなくて、ただ「探していたものが見つかった」ということだった、不良くずれだったカワサキさんはマリコを非行に走らせないよう、きちんと学校に行かせた。

魚がきれいな水に棲むのは、自分で決めたことではない。

カワサキさんの目がひどくきれいに澄むのを見て、そのときすべては決まっていたのだと思う、そしてそれはまったく当然のことだと、今でも僕は思っている。
たぶんマリコは賢くて、あのときすべての決定を受け入れたのだと思う、好意も憧れも生じないまま、あのときのマリコには何の感情も持論もなかった。
恋女のマインドね | comments(0) |
実は稀、「強さ」を追求する人
学一年のときにフロイトの全集を読破した。
内容は難解極まりなく、一ページ読むのに三十分かかるという実態で、明らかに無理があったのだが、それでもなんとか強引に読んだ。
今考えれば、僕はそのとき、「いやいやいや、こんなところでオリてたら話にならんぞ」と思い、必死で食い下がって読書をしていたと思う。
気づけば、そうして何につけ、「強さ」を追求していた、努力をする気はなかったが、「弱い」ということは自分で許せなかった、努力はしなかったが何もかもに食い下がっていた。

今になってわかるのだが、人間の根っこが人それぞれ違うものだ。
「強さ」というのは、わかりやすいのだが、実は誰もが「強さ」を追求しているわけではないのだ、「強さ」を追求していない人もいる。
そして、「強さ」を追求していないのに、漠然と自分を鍛えようとしている人が少なからずある、そういう人は初めから動機がないのでどう動いても鍛えられない。
あなたは「強さ」を追求する人だろうか? そう問われてギクリとし、「そうです、とは言えない」という人が少なくないはずだ、じゃあ「強さを追求していないなら、鍛えようもない」と言うしかない、これはけっこう重大な見落としだと感じている。

この世には、「強さ」を追求する人にだけ、特別な話がある。

「強さ」を追求しない人は、かといって負けたくはないので、「有利さ」を追求する、だから筋肉をつけたり徒党を組んだり、地位や金銭で自分を武装したりする、「有利さがあれば強さがなくても勝てるじゃん」という発想だ。
あなたが追求するのは、「強さ」だろうか「有利さ」だろうか? 「強さ」を追求する人にだけこの世には特別な話がある。
恋女のマインドね | comments(0) |
また四月のパーティが来る
んなこんなで、また土曜日にはパーティだ。
四月は新生活の時期なので、また新しく誰かが来てくれたらいいな。
年長者からひとつふたつ、余計なことを言っておきたい、「若い」というのはとても万能性のある財産だ。
そして、「選べ」、何も選ばずに生きるということの恐怖を知ってくれ、それは同時に、何に選ばれることもなく生きるということの恐怖でもあるのだから。

今回でもう67回目だっけ? パーティ企画。
わかりやすく人を集める方法というのも、ないではないのだろうけれども、あえてそれは避けつづけることを選んでいる。
重要なのは、誰かが選んで来るということだから、そこを派手に宣伝してどうこうということはやりたくない、ヨソがやって足りていることをわざわざ僕がする必要はない。
新生活に向かうすべての人たちへ、どうか何かを選んでね、選んだものだけがあなたのものになる/選ばないままたくさんのものを集めても、それは豊かに「見える」というだけで、その豊かさは何一つあなたのものじゃない。

いつか映画化されるといいな。

ん? いや、自分たちのやっていたことがね、自分たちの関わっていたことというか……それがいつか映画化されるようならいいと思っている/割と冗談ではなくここまででも映画化されていいようなところはそれなりにある、あまりそういうことを宣伝みたいに使いたくないだけで。
そのためには、「選ぶ」ということが不可欠になるわけだ、われわれはコンビニに行くことや動画を観ることを「選んで」いるわけじゃない、選んでいないから自分を奪われて捻じ込まれているだけだ、それに気づかないといけない。
恋女のマインドね | comments(0) |
葉桜寒気団
んてきれいな朝なんだろう。
葉桜を迎える初夏に寒気団がやってきた。
昨夜は「わたみん家」で五千円ほど飲んだので大満足だ。
僕は食事とお酒が好きだ。

ふと隣のテーブルを見れば、隣のテーブルの人は、それほど食事やお酒が好きではないのかもしれない。
たぶん食事やお酒、セックスや本を読むことも、知らない街を歩くことも川の水に足をひたすことも、何一つとっても好きではないに違いない。
だから彼らは、今朝を見て、なんてきれいな朝なんだろうとはこころの底からは思えない。
何かが好きでない人は体臭がない、この世界とつながった人間の肌の香りがしない/ああ、また山の上にいこう。

むかし、皆、食事とお酒が好きだった。

そこでおしゃべりをしたり、昨夜観たビデオテープについて語り合ったり、まして男女が肌身を寄り添わせていては、たまらないものがそこにあった。
むかし、食事とお酒、肌身を寄り添わせたりセックスをしたりすることは、たまらなく好きだったでしょ? いつのまにか好きではなくなったけれど/僕は未だそんなところにいます。
恋女のマインドね | comments(0) |
唯一のノウハウ
ェブ上のあちこちでアカウントを取得していると、どこぞから、頼んだつもりはないメルマガが届いてきたりする。
その中には色んなノウハウが書かれていたりして、「人間関係レベルを向上するテクニック!」みたいなものが書かれていたりもする。
僕はそういうものを見るたびに、「ふざけんなよ」と思うのだ、なまじ役立ちそうなことが書かれているのがますます気に食わない。
ノウハウに頼って人間関係を向上するぐらいなら、破滅してしまえ、僕は虫の好い考え方で自己利益を吸い上げようとして疑問を持たない人間の厚かましさに腹が立つのだ。

こんなブログを書いている僕が言うのもヘンなことかもしれないが、ノウハウなんかに頼るなよ、ノウハウなんか知ろうとするな、ノウハウに頼るなんざ典型的なゴミ人間じゃないか。
「お互いを高め合う『快』の関係」などという、生ゴミ臭のするような行為を僕は一度だってしたことがない、どれだけ追い詰められたらそんなヒサンな発想に行き着くんだ。
だいいち、知らねえよ、おれの得ていく人間関係と、他の誰かの得ていく人間関係は、まったく別物で無関係じゃないか、他人の人間関係の作り方なんか知ったこっちゃない、他人の栄え方も滅び方も知らんしわからんしわかってたまるか。
僕は他人に、希望なんか押し売りしたくないのだ、希望なんてものは各自か勝手に見つけたり失ったりするものだろう、おれは知らん、おれは誰の友達でもない、自分が孤独か孤独でないかなんて、これまでに一度も考えたことがない。

ノウハウは人間の終わり。

そんなことは、言われなくても誰だってわかっていることのはずだ、そんなわかりやすい終わりにやすやす自分から嵌りこむなよ。
僕からお伝えできる唯一のノウハウがあるとすれば、誰だって中指を突き立てて「ノウハウはクソだ」と言い放つことだ、合言葉は「うせろ」でいい、その後どうなるかなんて誰も知ったこっちゃないよ。
恋女のマインドね | comments(0) |
バカバカしい、という耐えがたい苦痛
「けものフレンズ」が流行っているらしい(ホント?)
よくわからないので第1話と第11話だけ観たが、むろん、僕のようなおっさんが楽しめるものではない。
人は、自分を高揚させてくれるものはどうしても「味方」だと思ってしまう。
例えば男性なら、下着を見せてくれる女性やペニスをこすってくれる女性は、どうしても「味方」なのだ、人間はそうした悲しい生きものだ。

人間はそうした悲しい生きものだ、なんてのはもちろんウソで、いちいちそんなことで高揚する奴が悪い。
よほど追い詰められて、さびしく、自分の生きる余地がないのだろう、だから子供キャラクターが走り回っているのを見るだけで高揚して「癒し」が得られる。
僕は先日友人と、「どうしておれが、『けものフレンズが好き』っていう女とセックスなんかしなくちゃいけないんだよ」という、わけのわからない会話をした。
「けものフレンズ」に何の悪いところがあるわけでもないが、「けものフレンズが好きです」という女とセックスするとか、そいつにメシを食わせるとか旅行に連れて行くとかは、ものすごくバカバカしいことに思えるのだ、なぜそうなるのか理由は不明だ。

何かを諦めた人とする食事は、バカバカしさにおいて苦痛だ。

かといって、やみくもに「諦めない」と言い出す人もあまりに現実的でなく、とにかくまともに相手しようとすると、途端にバカバカしさが苦痛になる、「けものフレンズ」は何も悪くない。
以前、自転車が趣味だという五十歳のおじさんがニコニコして、実は「大のアニメ好きで癒されるんです」と話してくれたとき、ヘェーッと僕は素直に驚いた、彼は何の罪もないおじさんだったが、もし一緒に食事に行けばひどく苦痛だっただろう。
恋女のマインドね | comments(0) |
希望の報告

なので遊びすぎて身体がぼろぼろだ(ここからまた悲惨なスケジュールが続くのだがどうしよう……)。
「疑う胴体が失ったすべてのもの」が非常に好評で読まれている(Book読んでね)。
あれだけの分量をよくスッと読んでくれるなと恐縮するが、それだけ人はまともなところをまだ十分に残しているんだなあと、割と冗談でなく思う。
読んだあと、一種の熱と「震え」が来るのが当然、震えが起こるように書いてあるの、それが本来の読書体験というものなのよ、震えない読書なんて本当は意味ないのよ。

余計なお世話というやつの典型例だが、一度、自分の読解力や本を読む力というものの実験台にしてみてもいいと思う。
今のところ、二十代の女性たちが、こぞって「内容が明瞭すぎて」「すっごくわかりやすい」「無駄なところが一か所もない」と報告してくれている。
男性諸君は、女性から見て知性的でないと諦められた男性はもうほとんど絶望するしかないが、まともな二十代の女性は当該コラムに書かれてある内容を「明瞭すぎてわかりやすい」とスラスラ読み取れるだけの知性を持っているわけで、つまりそれが読み取れなきゃ自分は比較的にアホだということだから、それでは致命的にヤバいと覚悟しておこう。
知能が高いつもりで、でも実は知能もたいしたことなくて、本質的には実は「知性が無い」というだけの人は、何に対してもまず「難癖をつける」という行為をして知性風味の自己顕示欲を満たすということばかりするが、こんなものとっくに「あ、読解力がない人だ」と女性たちには見抜かれているので、男性諸君はもっとまともな勉強をしよう、たぶんこの先「知性がない」というのが一番ヤバいよ。

希望の報告:同じく震えているあなたの友人が、この世界のあちこちにいる。

それと出会えるか、というとむつかしい、またそうして打ち震えたものを、表沙汰に発揮できるかというと、それも一層むつかしい。
ただ、今この時代でも、まともなものに触れてまともな読み取りをし、まともに打ち震えるという人は少なからず「いる」のだ、それが「いる」という事実は十分に希望と言えるだろう。

恋女のマインドね | comments(0) |
まともに生きるのには常にキアイがいるものだ

っとコラムが書きあがった。(→(六日目)怒りの日、疑う胴体が失ったすべてのもの
原稿用紙450枚分もあるそれを「コラム」と言い張るのはどうかと思うが……
165,790字だから文庫本で230頁ぐらい? 普通に考えてウェブブラウザで読む分量ではないな。
まあそこはキアイで読んでくれ、あとはUSBメモリにpdfファイルを入れて持っていけばコンビニでも印刷できるし、その他ネットプリントとかの方法も最近はある、まあそういったことのすべてはめんどうくさく、まともに生きるのには常にキアイがいるものだ。

こういったことには二つの考え方があると思う。
こんなクソ長い文章、読むのは正気の沙汰じゃない、という考え方がある一方、「読まないのは正気の沙汰じゃない」という考え方もある。
僕は、大学生がまとまった読書をしないことや、社会人が日常的に大きな情報を仕入れないことのほうを、「正気じゃない」と捉えるたちだ、どうしてマンガと動画を漁るだけのほうが「まとも」なのか? それはただのすりかえだろう。
このごろは、「生きることを諦めた人から順に威張っていく」というよくわからないスタイルがあり、そのスタイルの感覚は僕にだってわかるのだが、やはりそれは「正気の沙汰じゃない」と僕は思っているのだった、僕は卑怯者だからな。

「何の勉強にもならなかった一年」は、わりと人生を破綻させる。

誰でも思い返してみるとわかるが、5歳から15歳まで、勉強の要らなかった一年なんかなかったわけで、そしてまともな青春なら、15歳から25歳まで、勉強の要らなかった一年なんてやはりなかったのだ、遊ぶことも含めてまともな生命は学びつづける。
しかしいつからか人は、「勉強の要らなかった一年」をこっそり過ごし、そこからパタッと自分の生きることを終えてしまう、そういうのはコワイことだからみんなゴリゴリ勉強しようね、まともに生きるのには常にキアイがいるものだ。

恋女のマインドね | comments(0) |
消費者の矢印

れまでに三千兆回ぐらい、「本気出します」と聞いてきた気がする。
いいかげん気づけよ、と言いたいのだが、ハズレのパターンは必ず、「やることが見つかったら本気が出せる」というドデカイ誤解に基づいている。
これが逆だということに、いいかげん気づけよ、「やることが見つかる→本気を出せる」じゃなくて、「本気出す→やることが見つかる」なの。
読みたい本があるから購読意欲が湧く、のじゃなくて、そもそも購読意欲があるから読みたい本が見つかるんだよ、あなたは書店で札束を投げつけるほど本気になる前提がないんじゃないか。

「やることが見つかる→本気を出せる」という、この向きの矢印を、「消費者の矢印」と呼ぶ。
消費者のマインドは実にクリアで、「余が本気にならざるを得ない製品およびサービスを、まず余の前に示せ」ということに尽きている、「そうしたら余は本気出すし、余の本気出したい願望は大満足するもん」と傲然と申しつけている。
「超いい女がいたら超本気出す」「超いい男がいたら超本気出す」という両サイドが投石しあうこの悲惨なコロシアムをいいかげんにやめなくてはならない。
あなたが消費できるものなんてこの世に一つもないのです、教会か神社かお寺に行って、「どーしてわたしの消費するものが与えられないの!?」と聞いてきてみんしゃい。

主体性がないのじゃなく、消費者性が超ある。

いいか、まずなあ、テレビモニタやPCモニタ、スマートフォンのモニタにな、お前の消費するモンがパッと必ず現れてくれるはずだという、そのとんでもない習慣をやめろ、それ「モニタ」っていうただの機械だぞ、光るようにできた板だぞ。
いいか、次になあ、身の回りの「紙」を見てみろ、印刷物ばっかりで白紙がぜんぜんないだろ、でももともとの「紙」って「白紙」なんだぜ、そのことをもうあなたは何年も忘れているんじゃないか。

恋女のマインドね | comments(0) |
えげつないことは増えたけれど

つもしぶとく読んでくれている人、どうもありがとうね。
ここ数年、僕は「共感」を呼ばないものを書いていると思うが、知っていてわざとそうしている。
書き手が読み手に「共感」を覚えさせないのはどうかと思うが、これは断腸の思いでわざとそう選択しているのだ、白状しておく。
僕はどうしても、「えげつない」ことを書きたくないのだ、たとえそれが共感を呼んだとしても、本当には誰もよろこばないと思っている。

「えげつない」マンガは増えたし、それこそトランプ大統領なんか、今「えげつない」の代表みたいなところがある。
実生活を生き抜くのに、そういうことを引き受けていかないといけないという事情はわかっているのだけれど、そのことをわかった上で、あえて逆のことを書いている。
なぜかといって、逆のことが「不必要」とは思えないからだ、誰も永遠に「えげつない」ことを続けていきたいわけじゃないと思う。
なんとかして生き抜かなくちゃいけないのは当たり前として、たまにはこうした変わり者も必要だろう、変わり者にも限度があると思うが、これでも賛同者は少なくないみたいなんだ、あくまで潜在的にだけれど。

あなたもこころに切り札を。

「もう持ってるよ」ということなら、それはとても素敵なこと、僕は安心できる、余計なお世話は芸風だから大目に見てくれ。
僕自身もしぶといと思うが、ずっと読んでいるあなたもしぶといと思うよ、お互い風向きが変わるときまで、しぶとく粘っていこうね。

恋女のマインドね | comments(0) |
僕にとって最も重要なことは、一般的にはまったくどうでもいいことだ

ょっと個人的な話をしていい?
村上龍が言っている、「ダメになる企業というのは、必ず過去の成功体験に依存して傾く」というのは、本当にそうなのだと思う(「星に願いを、いつでも夢を」37p)。
人間も生産性においては企業みたいなものなので、うん、企業だな、企業だからな……ということをメモしておきたい。
村上龍さんはいつも執拗に正確に書いてくれるので信頼性があって助かる、こんなレポーターが何百人もいればいいのにな。

あと、なんだっけ、そうそう、僕には引き続き「やりたいこと」があるのだ、やはり。
そのことを決して人に話さないのは、話せるようなことではないし、話したら論評されるし、論評する人は必ず間違って解釈するのでこっちまで混乱してくるしで、とにかく具体的な内容は人に話さない。
なぜそれを「やりたい」かというと、それがきらめいているからだが、きらめいているのは「夢」であって、その現物そのものではないのだと思う。
僕の「やりたいこと」は、言ってみれば、「どうでもいいこと」なのだ、そのどうでもいいことがきらめいて、ひょっとしたら(いや確実に)それを体験することができるかもしれない、そういうとき「生きててよかったな」と思うのだ、もちろん具体的な内容については話すつもりはない。

慾望はきらめきであって動機ではない。

最近、催眠で動いている人が多いから、そういう人は動機づけやモチベーション探しをしているように思う、慾望を動機づけにするのは一見まことしやかな方法論に見えるのだが、よくよく見れば動機づけを必要としているのは夢がきらめいていないからにすぎない。
つまり僕は、偉大なことはどうでもいいことの副産物だと信じているのだ、どうでもいいことが夢としてきらめく、ああ副産物として偉大な企業になりたいものだ。

恋女のマインドね | comments(0) |
アオイのこと
っと前、僕はアオイという女と寝た。
僕はアオイのことがきらいだったし、アオイも僕のことがきらいだった。
でもアオイは美人だったし、帰る手段がなくなって、僕とアオイは他にすることもなかった。
僕とアオイは、互いを侮辱しないために交合した、今思えばそれは、互いにきらいだったけれどキモチワルイということではなかったのだと思う。

アオイは協力的に振る舞ってくれて、自ら服を脱ぎ、僕は内心で「いいところあるんじゃん」と思ったりもした。
お互いきらいだけど、男と女だからね、とアオイの全身が語っていたように思う。
お互いきらいだったけれど、傷つけあわないために、一晩愛し合おうと決めた夜だった。
ずっと古い、昔の話のことだ。

僕はアオイのことがきらいだったが、すばらしい人だということに異存はない。

僕はアオイがきらいだったし、僕はアオイと一番仲が悪かったけれど、「アオイさんのことを侮辱する奴は許さない」、当時そんなことも考えていた。
僕はなんとしてもアオイの礼節にだけは応えたくて、その後もアオイに恋だけはしなかった。
恋女のマインドね | comments(0) |
熱心に生きましょう
は熱心に生きているのかもしれないな。
まったくそんなこと考えたこともなかったが。
熱心に生きようとしたことはないが、ふと気づくと前のめりにはなっている。
「ちゃんと寝てね」と揃って言われるが、別に無理をしているつもりはなくて、ずっと何かが止まないだけなのだ、これまでずっとそうだった。

僕は自分の文章がうまくないことを知っている。
うまくやる方法も知っているが、けっきょくそれをやらない。
僕には現代の風潮がすべて「わからない」のだ。
必要のないものが「わかる」というのは単純にビハインドじゃないのか、論理的に考えても。

古いものに興味はなく、新しいものにも興味はない、僕は僕のものにしか興味はない。

いいね、この感じ、何よりもリッチだ。
僕はこの世界を否定する理由がひとつもない、否定すべきものは元々僕の世界に検討されないからだ。
恋女のマインドね | comments(0) |
僕はゴミであれて
はよく笑っていた。
打ちのめされて笑っていたのだが、あれは打ちのめされていたのだろうか?
打ちのめされていたのだろう、僕は負けること、「勝てない」と直面することが好きだった。
強い人、明るい人が好きだった。

僕は僕なりの努力を積みこんで先輩や先生と対峙し……
対峙というより目撃した瞬間「あっ」と、「こりゃ勝てない」とゲラゲラ笑った。
「いやあ、これは、自分はゴミだな」と、涙がちょちょ切れて笑った、ずっとそんなことをしてきた。
自分がゴミだという実感に、何の嫌気もなかった、何もかも爽快でしかなかったな、僕は勝てないことが好きだった。

僕はゴミであれて幸福であれた。

そのことには何の悲愴感もなくて、何もかもまぶしくて風が吹いていた、燃えるような焦りと果てしない満足があった。
今も変わらない、逆を行く人のことは僕には本当にわからない。
恋女のマインドね | comments(0) |
あなたから何が聴こえるか
ンドを旅行しているとき、よく同国人で群れをなして、安ホテルでえんえんトランプ遊びをしている組があった。
それはバックパッカーには定番の「文化」なのだが、僕はその文化が好きではなかった(ので、僕は混ざらなかった)。
われわれは生活の中で、いろんな集団的「文化」と接触しており、そのことに混ざったり混ざらなかったりしている。
自分の所属している「文化」、それが本当に自分が求めていたものなのかどうか、年を取りすぎるともうその「文化」から抜け出せなくなってしまう。

若いなら、実は気に入っていないという文化に「スパッと」見切りをつける。
そして、新しい文化を探しに行き、その文化のやり方を身につける。
動き回れ、しかしその先のどこでも「つまみぐい」なんかしていてはいけない、そんな自分探しは身にならない。
気に入らない文化に染められることは一番悲しいことで、気に入った文化に染まれないことは二番目に悲しいことだ、がんばれよ。

あなたがロックを聴くな、あなたからロックが聴こえろ。

気に入った文化に染まるというのはそういうことだ、いかなる文化も外からあこがれてつまみぐいすることにはあまり意味がない。
あなたから何が聴こえるか、けっきょく沈滞と田舎者音頭が聴こえるとしたら許し難いことじゃないか。
恋女のマインドね | comments(0) |
「いい女」で行こう2

年前の正当文脈をまだ覚えている人はいるだろうか。
春の日は本当にきれいで、光も東風も絵画じみて吹き抜けて、どこからかパラシュート花火の音、手をつないで歩いて四方のどこにも奇跡しかない。
話すことは何もなくて、ただそばに感じれば耐えきれず「なあに」「なんだよ」と何かをわめいてしまい、顔がほころぶのを止められなかった。
誰だってそうしている、そしてすべてのカレンダーの升目は同じことで埋め尽くされる、今日も同じ明日も同じ、部屋を出るということは光の中に飛び出すということだった、光の粒子が当たり前だった。

もし万が一、そうではない一万人に一人のハズレ女がいたとしたら、気づくべき正しい方法はひとつだけ。
彼女たちが主人公であって、自分は主人公ではないということ。
自分のために知るのではなく、彼女たちのために知ること、「この世界は彼女たちのためにある」とこの世界のうつくしさを目撃すること。
暗い自分を混ぜ込むから、世界が暗いものに見える、そして暗い世界からは暗い方法しか思いつかない、「わたしがんばります」という暗い厚かましさをやめないといけない。

彼女たちがますます光ることについて考えろ。

真剣にだ、検討するのじゃなく身を入れて考えろ、「彼女たちがこれからますます光っていく」ということについて考えろ、ハズレがアタリになっていく夢想など捨てて、アタリがますますのアタリになっていくという希望の光について考えろ。
それを考えたとき初めて、あなたは「彼女たち」と同じ考え方を持ち始めている、よくよく考えてみろ、アタリの人はますますのアタリでありたいと希望の光を考えているだろう、だからそこで初めて「彼女たち」と同じ考え方の始まりだ(ハズレがアタリになるストーリーを「希望」と感じているのはハズレの人たちだけなんだ)。

恋女のマインドね | comments(0) |
「いい女」で行こう
と原点回帰する。
「いい女」で行こう、というコピィの言い方には力があって、実はこのフレーズは厳密に正しい。
安っぽい「あるがまま」なんかで行ってもヒサンなことになるので、あえて「いい女」で行こうという文脈だ。
「いい女」で行こうということ、そうして明るく途中でズッこけることにも値打ちが出てくる、まあそんなことをずっと以前から考えていた。

僕は賢い女が好きだ、病んだりこころに闇があったり未来がなかったりする女はその時点でどう考えても賢くはない。
女性だって、面白い男が好きだろう、面白くなければその男は魅力的でもなければ有能でもないに決まっている。
このところは時代的に、「まず人々はわたしがどれだけヒサンかを知ってわたしのことを受け入れるべき」というような、ビックリ仰天の文脈をデイリーで押し通してくる自然体の人も少々存在するようだ(おっかねえなあオイ……)。
だがどこまでいっても、僕の基本的な発想は変わらない、絶っっ対に変わりっこない、僕は賢くて明るくてやさしい女が好きだ、それで一緒に桜を見に行こうねとずっと言っているだけだ。

おれが絶対に正しくて、あなたが絶対に間違っているの。

そんな言い方をすると、とんでもない傲岸不遜か、そう思われたってかまわないがそうじゃなくて、そうまでしてでも僕は何かの役に立ちたいの、いいかげんわかれよ。
必要なことは「差別」なんだ、「いい女」という差別階級が存在するということ、その差別の前に立って「あっ、そうか!」と目が覚めないとあなたは向こう側に飛べないじゃないか、あなたの足元なんか誰も知らねえんだよハズレ女。
恋女のマインドね | comments(0) |
「女も同罪よ」
る女性が、「女も同罪よ」と言った。
僕は彼女を勇敢な女だと思った。
女を傷つける男がひどくいるのは知っているわ、と彼女は言った。
「でも女も同じよ、女のせいでひどく傷ついた男の人がきっとたくさんいるわ」と彼女は言った、僕は気圧されて納得させられるばかりだった。

僕はほとんどクセのものとして、男が女に傷つけられるという文脈を完全に忘れている。
僕自身、もし「女に傷つけられた」というと、「死ね」としか思わないからだ、これはあくまで僕自身に限り。
ただそれは、今すでにフェアではないのかもしれない、フェアでないどころかただの事実誤認かもしれない(と反省している)。
僕は女から、ひどい男の話をたくさん聞くが、実は女の側も「同罪」で、ひどい女がたくさんいるのかもしれない、なるべく忘れないようにしておこうと思った。

確かに、「尊厳」を知らないビックリ女は少なくない。

尊厳も知らなければ、節度もマナーもなく、やさしさも気くばりもなく、気分屋で不思議ちゃん気取り、けっきょくよく見ると不満とワガママの塊でしかないという"邪悪"な女が、いくらでもいることをさすがに僕も知らないわけではない。
そういう女性に向けて僕がどうしているかというと、実はどうもしていなくて、僕はただ自分が男だということを大切にしているだけなのであった、これは我ながらひどいヤツかもしれない(と反省している)。
恋女のマインドね | comments(0) |
情熱の定義
熱とは「人を熱くする力」のこと。
「自分が焼ける感覚」のことじゃないよ。
自分が熱くなってどうすんの、他人を、周囲を、全体を熱くしてみせなよ。
「だって……」と、あなたは言い訳をするために生まれてきたのか。

孤立して一人で焼けるのを「情熱」なんて言わない。
情熱の定義を引き受けてその困難さの前に立ち尽くせよ。
「情熱がない」なんて許さない、あなたが許しても僕が許さない。
怒れ、否定しろ、抵抗しろ、そして笑い顔と主張をやめろ、情熱には飲み込まれろ。

こぼれた涙にはもう用事がない。

その涙は、もう外に出て行ったのだから、それでいいだろう、あとは勝手にアスファルトに染み込んでいろ。
僕はあなたの中心ひとつを目当てとし、あなたからこぼれる千の言葉と涙をすべて無視する。
恋女のマインドね | comments(0) |
| 1/38PAGES | >>