☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
疲れる理由
ホイのホイ〜と、さて、パーティのポスターでも作らんとな。
おれは至って冷静である。
どうも、突き詰めるところ、人は都合の悪いことがあると、実は「感情的」になるのではなくて、「panic」になってごまかすというのが真相のような気がしてきた、そんなことに気づいてしまった。
しかもその逃避方法は、クセになるらしい、逃避するのが悪いと言っているのじゃない、それはクセになって、自分が戻ってこられなくなるらしい、ということを噛みしめているのだった。

かっこよくないものは疲れる。
どれだけ正しくても、疲れる、というか、この世に強く主張される声は、全部「正しい」やつだよ!! だって入念に「正しい」ように点検されているからな。
だが何もかっこよくはないのだった、さっきおれは久しぶりに「スムース・クリミナル」のMVを観てしまったので、そのかっこよさに冷静になってしまったのだった。
何か顔つきがヘンだな、という奴を街中で見かけるが、あれは七割方パニック状態というか、常に「panic待機状態」で歩いているということなのだ、いつでもサッと逃避できるように常に準備を整えている/決してそれが悪いというわけではなく、そういうものだということだ、最近は冷静に落ち込む奴を見なくなった。

かっこよくないものは(panicなので)疲れる。

いつも冷静に、同じことだけが頭の中にある、いつも僕が念頭に置いているのは、「かっこよくなかったら誰がおれの話を聞くんだよ」ということ、おれが人を疲れさせてどーする、おれが人を疲れさせるようでは、誰もおれの話なんか聞かなくなるだろう。
ただ、「かっこよくなる」というのは、人類史上最大の難事業なので、そうカンタンにはいかないのだった、いくら作り笑顔をしたところでな、本当に「かっこいい」とは思ってもらえない、トホホ/冷静に落ち込む奴については、少なくとも疲れはしない、それはただの再建計画だからね、冷静に再建してゆける奴はスゲー根性があると思うよ、ふつうはpanicでやり過ごすのがオチだから、そうならない奴は強い奴だ。
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80000 vs 0

日、「余談」と題して、珍しくニュースネタを元に、かつての震災ボランティア体験について書いたのだけれども……
ニュースの元になったのは、東日本大震災を体験された方のツイートらしく、つまり「千羽鶴を折って寄こされても邪魔で困るから、そのぶんのお金を送ってほしい、千羽鶴は作る側の自己満足でしかありません」という発言がバズったのだ、もちろん賛否両論あったらしい。
ここで、今さら言うまでもないかもしれないけれども、僕としての焦点は、千羽鶴がどうこうではなく、当該のツイートか八万以上もリツイートされているのに、僕の実体験の「余談」はゼロ・リツイートだということだ、おかしいじゃないか、避難所に千羽鶴を届けるという現場にいた当事者の実体験だぞ☆?
久しぶりに、mixiにもニュースに関連して当該の日記を書いたのに、まったく拡散されないのだ、なんだこれは、まるでおれの文章が無意味でヘタクソみたいな扱いじゃないか、もう一度言うがリツイート・ゼロだぜ? おれが震災の現場で体験した生々しい愛と感動のドラマツルギーがなぜリツイート・ゼロなんだ〜。

で、今さらもう婉曲にもしないが、千羽鶴がどうこうというのは、送る側もどうかしているし、それを「自己満足で迷惑」と着火する側もどうかしている、それに便乗して議論する奴もどうかしている、と僕は思っている、彼らは呪われているのだ、呪われているから「言葉と世界」でなく「燃えさかる業火」のほうに身を投げ込んでいる。
いいか、もう一度、冷静によーーーく考えろよ、僕が書き話した「余談」の一幕と、「千羽鶴は自己満迷惑だからカネで証せ」の議論と、あなたが仮に飛び込むとしたら、どちらの世界に飛び込みたいよ、僕にとって一ヶ月超の震災神戸のボランティアは思い出だが、千羽鶴議論は何の思い出にもならんじゃないか。
このことについて僕が誰かにブーブー言うと、<<必ず>>、ひとつの誠実な返答が返ってくる、それは、<<堪(た)えられないんですよ>>ということだ、まあ歯に衣着せず言うと、呪われてしまった人にとっては、<<「言葉」と「世界」があることのほうが堪えられない>>そうだ、これはもうバッッッチリ呪いがキマっているということの証左だ。
災害が起こったら、ソッコーで千羽鶴を作って送るという人に対しては、やはりその独りよがりに対して、「それで、てめー満足かい?」という問いかけが発生するが、それとまったく同質に、「千羽鶴なんて自己満足で迷惑です!」と火をつける人に対しても、「それで、てめー満足かい?」という問いかけが発生する、もっとラブと思い出の世界に直接生きるほうがいいんじゃねーのか/僕は堂々と答えるが、十八歳のときに震災の神戸でいろいろあったよ、きっとあのときの世界を永遠に思い出せるだろう、そのことについてはおれは満足だよ。

千羽鶴をぶちかますのが自己満といえば、千言万語のツイート議論をぶちかますのも自己満じゃないか。

こんなミエミエのことに、なぜ容易に引っかかれるのだ……ほれラブレターを贈るとか、手編みのウンタラとか、手作りのウンタラを贈るというのはどうする、ぜんぶ千羽鶴と同じじゃねーか、先方は「邪魔だな」「自己満だな」と思うかもしれない、そりゃ年賀状だってクリスマスカードだって贈る側の自己満で邪魔かもしれないじゃないか、そんな自己満を贈るより商品券を贈ったほうがいいのか〜さあどうする〜。
こんなもん、千羽鶴を肯定しても死亡確定だし、千羽鶴を否定しても死亡確定なのだ、だってそこに何の「世界」もないのだもの/タイムマシンに乗って、1995年の神戸に来るかい? 千羽鶴を大量に受け取って、「これはこれで困るわなぁ」という人もあったよ、でもあたたかく笑っていらっしゃったよ、もうこれ以上の不毛な呪詛ごっこはやめにしないか、けっこうな数の人が物事のシャレをわからなくなっている様子がある。

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(余談)

珍しくニュースネタから。無聊のなぐさめにどうぞ。

◆「被災地に千羽鶴はやめるべき」議論が西日本豪雨で再燃 熊本地震で現場はどうだったか、熊本市に聞く


 

 

 

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(言葉)

(これは言葉だ)ヘイ、なんだあいつのことか、あいつのことは、適当にサブマシンガンで撃った、ひょっとしたら死んだかもしれないが、どうだかわからない、ひょっとしたら撃ったのはあいつではなかったかもしれない、ただおれがすっきりしたことは事実だ
(これは言葉だ)おれはつくづく思うが、おれはこの街を愛している、夕焼けの中、工場の林立や、ビーチウェイを走って椰子の木が風に揺れているのを見るとき、どの女のケツだって抱いてやろうという気持ちになれて、おれはひどく感動するんだ、クスリなんか要らない
(これは言葉だ)おれは、自分の子供のころなんて思い出さないし、ママの思い出なんか一ミリも必要としていない、子供のころといえば、今がその子供のころなんじゃないか? 青い空の下は、夜とはまったく別の世界の気がする、おれは無限の世界を生きている気がする、気がするだけじゃなくて実際にそうなんだ
(これは言葉だ)おれには友人がいて、愛する女もあって、すべての犬や猫を愛しているが、誰が友人で、誰がおれの愛する女なのかは、よくわかっていないんだ、友人はいるが友情はないんだ、友情なんて気色の悪いものを、おれは自分の友人にぶっかける気にはならない、どうしてそんなものが必要とされているのかも、おれにはさっぱりわからない

(これは言葉だ)おれは交通違反をして走っているのじゃない、おれは交通に興味がないだけなんだ、だから赤信号を無視しているのじゃない、赤信号も青信号も見ていないだけなんだ、だってあれはおれのために設置されたものじゃないだろ? おれだっておれ宛に書かれた手紙なら見るよ、でもそうじゃないものに目をくれてやる必要はおれにはないはずだ
(これは言葉だ)文句つけてきたおっさんが、バットを持って殴りかかってきた、それは撃ってくれってことなんじゃないか? だからおれは撃った、そんなに騒音は立てなかったし、ほんの数秒のことだ、死体は誰かが片付けるだろう、おれはまったく慌てなかったし、そのあと気分のいいスタンドの兄ちゃんからサンドイッチを買うときには、ちゃんとカネを払った、おれはあの兄ちゃんの笑顔が好きだから、こういうことは毎週続いていい
(これは言葉だ)おれはずっと感動している、この街はなんてうつくしいんだろうって、おれはこの街に生きることができて本当によかったよ、おれは一部に勘違いされているかもしれないが、おれは興奮しているのじゃない、おれは興奮の一切が要らないんだ、だからシャッターに突っ込んで走ったり通行人のババアをサブマシンガンで撃ったりするのも、興奮したいからじゃない、興奮しないために、おれはやりたいようにやっているんだ、だからおれはいつも満足で穏やかなんだよ
(これは言葉だ)これ以上何の必要がある? 無理解なやつは殺してしまった、だからこんなに平和になっている、おれはこの街を愛しているんだよ、おれは理解者が欲しいのじゃない、ただ誰もがおれのこの街の人間であってほしいんだ、おれが気分よく走り回るためにだよ

(これは言葉だ)殺しても、血は流れていない、ただ別のところに行きたい奴が、別のところに行っただけなんだ

(これは言葉だ)血を流させるなんてことを、おれは決してやらない、血は興奮するだろう、そういうものを消しながらおれは走り回るんだ、おれは大声を出したことがないだろう? それはおれが満たされているからなんだ、たまに強盗みたいなこともするが、別に困って奪って興奮しているのじゃない、おれはこの街に似合う強盗しかしないよ
(これは言葉だ)なあ、おれは満たされきって、もう何の願望もないんだ、おれは満足したんだよ、よろこびばかりがあるんだよ、ヨットの上で男を突き落として女とやった、すばらしい潮の香りと星空が包んでいた、そのあとおれは女と話し込んだよ、海の上で、おれはそのあと寝入ったんだが、女は寝入っているおれを殺さずに、夜明けになって「おはよう」って云ったよ、ここはそういう街なんだ

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本当のことなんかできるわけがない

近は呪いの話ばかりしている、申し訳ない。
呪いは、「血と僻み」の中で言語を刷りこむことで、それを言葉とせず「呪」にするという方法だが、これによって呪いは人を呪縛する……と同時に、その場所にピン留めしておく、という役目も果たしている。
呪いにピン留めされていると、呪縛状態なので、本当のことなどできないのだが、かといってそのピン留めを取り外すとどうなる? ここまでごまかしてきた血と僻みが一気に襲いかかってくることになる。
ふつうそのことに、人は耐えられないから、血と僻みに殺されてしまう前に、言語を「呪」として、その場所に留まらせておくのだ、だからこの呪いはセーフティロックなのでもある/安全ピンの効いたジェットコースターに、真のスリルはないかもしれないが、本当の飛翔を得たいからといって、安全ピンの効いていないジェットコースターに乗ったらアホだ、じゃあどうすればいいかといって、そんな高度な知恵なんか手に入らない、だから本当のことなんか「できるわけがない」と見立てておくのが一般的には健全なことだ。

確かに「血と僻み」を突破した向こう側に、「世界」があるのだということは、僕の知るかぎり保証できる、そしてその「世界」は唯一無二にうつくしいものだ。
とはいえ、現実的に考えると、まず「血と僻み」の力に抗することがむつかしい上に、本当にその先の「世界」を見たら、そのうつくしさにもまた、心臓がつぶれてしまうだろう、だから「本当のことなんかできるわけがない」のだ。
セーフティロックである、「ピン留め」を外すとどうなる? それはもちろん、血と僻みが出てくる/血……たとえば、人間はあっという間に老いて死ぬものだとか、「母と子のきずな」なんて本当は無いとか、僻みといえば、自分には青春がなかったことや、もう若くないこと、自分は中級以下の外見しか持っていないこと、誰にも愛されずに生きてきて、これからも愛されずに生きていく見込みだということ、こころのつながりがどこにもないこと、何かに本当に感動したことが一度もない、などなど、「本当のこと」のすべてがいきなり国境を突破して総力戦を仕掛けてくる。
もちろん、それらのすべては「思い込み」なのだ、あっという間に「老いて死ぬ」というのは、生命であって「わたし」ではないし、母と子のきずなといっても記憶喪失になったら消えるし、DNA鑑定なしには血のつながりは確かめられないし、また他人がうつくしく愛されていて自分は醜く愛されていないというのは、ただの比較であって、比較しなければ僻みはないし、そもそも「比較」というのが正当ではない、だからそれらのすべては「思い込み」でしかない/だがそれが「思い込みだ」という、叡智に到達する前に、人は心臓の負担に堪えかねて死んでしまうだろう、とりあえずまともにメシを食いながらやっていける範囲に留めるしかない。

浮き輪でプカプカ浮いているところ、浮き輪を取り去ってやるのが解呪だ。

そりゃ、浮き輪を抱えていたら自由には動けないし、浮き輪に拘束されているのは「呪縛」かもしれない、だからといって、これまで浮き輪で浮いていた奴からいきなり浮き輪を取り去ったら、そのまま「解放」になるかというと、そんなことはない、そのまま逆に血と僻みの海に吸い込まれていってしまうのが関の山だ/だからふつうは言語(呪)でピン留めしておく。
僕はもうジジイだし、イケメンではないし、腹も出ているし、社会的には何の格もないわけだが、僕はそれで何を言われても平気だし、「それが本当のことですやん」としか思わないのだが、ふつう女性に「年増のおばさん、しかも別に美人でもないな、体型がダサイし、社会的には何の値打ちもない存在だよね」なんて言いつければ、そのとたん沸騰したヤカンをフルスインクで投げつけられるのがオチだ、われわれはそういう身も蓋もない「本当のこと」に向き合わないよう自分を呪でピン留めしてある、だから「本当のことなんかできるわけがない」と、笑い飛ばして生きるのがおおむね健全ということなのだ。

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もう一度夏をやる

う一度夏をやる。
毎年同じようなことを考えているが、今年も執念深くやるのだ。
すべてのものを裏切ってでも夏をやる。
あのとき夏の言葉とサイダーがあったね〜と、後になって思い出せるように。

この期におよんで、妥協というか、迎合しないのかと、我ながら呆れる感じがする。
まあでも、しょうがないわな、おれの求めているのはシンプルなモンだから。
ベストなものなんか要らないし、ベターなものなんてさらに要らない、じゃあ何が要るかって、だから夏をやるって言っているだろ。
究極、おれだけかっこよけりゃいいんだよ、代官山のすべての看板はオレだけのためにあるのだ。

友人は要るが、日本人は要らない。

もちろん日本はいい国だ、天皇陛下がおわす、メシの旨い、いい国だよ、だが呪縛に掛かった日本人の団子は要らねえ、友人なんて夏の旅先で美少女がごろごろ転がってんだろ、おれはそれを拾い食いする夏でいいよ。
どうも団子をやりたがる人が多いねえ、おれはもっとささやかなものでいいよ、団子はヨソの誰かに差し上げまーす。

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三種の神器

況はどんどん手ごわくなるが、そのぶん逆に、方法はシンプルになっていく。
「自由で」「かっこよくて」「××××」こと、この三つが不可欠だ、そしてこの三つだけでいい
厳密に自由であることはむつかしい、ついどこかで体面や常識や不安を考えてしまうものだからだ、どこまでものびのびと自由でなくてはならない。
そして、「かっこいい」ということを、人は忘れがちだ、人は己の「かっこいい」がほとんどすべての目的であって、この目的を忘れると、架空の目的を探し始めてしまう、「かっこいい」のほうがはるかにシビアでリアルで十分なのだ。

「××××」はワイルドカードだが、基本的には「やさしい」が入る。
「やさしい」か、あるいは「有益」が入るのだが、これが複数ありうるからといって、三種の神器を四つや五つに増やすのはよくない/基本は「自由で」「かっこよくて」なのだ、三つ目のワイルドカードは、ほとんどTPOに合わせるものでしかない。
「やさしい」の代わりに「無慈悲」が入ることもあるし、「理知的」が入ることもあるし、「霊的」が入ることもある、だがどこまでいっても、「自由で」「かっこよくて」が基本だ。
あ、そういえば忘れていたが、今月もパーティをやるのだ、それは「自由に」「かっこよく」やらないといけない、それを「自由に」「かっこよく」やるということは、「無意味」にやるということだろうな、こうして「××××」のワイルドカードはTPOに合わせて自在に動くのだった。

自由でかっこよくて××××、ここに「なぜ」という問いは一切当てはまらない。

「亀はのんびり歩く」ということと同列に、「おれは自由でかっこよくて××××」というだけだ、「なぜ」という問いかけにはマジで千ドルの罰金を設けてもいいぐらいだ、それは否定のためのクッションでしかないシツレーなやつだから/おれが「自由でかっこよくて××××」であることは、誰ぞが「抑圧されてブザマで非××××」ということと同様に、理由なしに成り立っていることだ。
自由でないと何をしていることにもならないし、かっこよくないならすべては「やめろ」って話だし、まあそれはいいや、土曜日はパーティをやるのでいらっしゃってね、今回は珍しく女性が少なめなので(すげーレアな回だ)新しい女性の方ドーゾドーゾ。

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いいえ、だめだね。
の夏の気配……
「だめだね」というのは、否定ではない。
否定ではないが、完全な否定だ、なんというか、否定ではあるが、呵責しているのではない。
人は、出会わねばならない、出会うほうがよいという意味ではなくて、向けられた愛のぶんだけ、出会わなくてはならない。

このご時世、防御的になるのが合理的だ。
だが、時世そのものが間違っているので、時世に対して合理的だと、時世もろとも自分も間違うことになるしかない。
向けられた愛を、断るのはいい、断るのは当然だ、でも向けられただけ、きちんと出会って、その上で断らないといけない、その理由については「問答無用」の領域にある。
どれだけ慣れていないのか知らん、どれだけ事情があるのか知らんが、そんな事情は斟酌してもらえない、これは鉄の掟だ、向けられた愛のぶんだけ出会うしかない、さもなくば永遠に夏の匂いを失う、そういうルールなのだ。

愛のない出会いはインチキさんになるし、愛に出会いで応えないのもインチキさんになる。

さまざまな事情を取り出して、誰もが誰とも出会わないがごときに生きているが、たとえ全員がそうなったとして、そのときは全員が間違いだ、全員が罰されるだろう/向けられた愛と応える出会いの深さは等価でなくてはならない、ここに債務不履行を残したものは長い時間をかけて必ず代償を支払わされるだろう。
間違いだったのだ、そして「だめ」だったのだ、向けられた愛には応えないと、知識や経験があろうがなかろうが/愛に応えなかったことは、愛を偽ったことと等価だから、そのぶん必ず偽りの愛に付き合わされることになる、そのことを呵責するような鬼には僕はなれないが、それでもそれが「だめ」ということは、絶対的な知識として断言しておく、僕まで一緒になってウソを言うわけにはいかないからな。
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ファンシーなムード

ういえば、むかし、レズビアンの人に相談されたことが一度だけあった。
「知らんけど、お前は女のこと好きになるんだろ」と、僕は他人事だったが、彼女はつらそうに泣いていた。
今になって思えば、彼女の内側には、「男の人と恋あいがしたかった」という、果たされなかった願いがあったようだった、なぜレズビアンなのにそういった願いだけが残留したのかは、僕にはわからない。
その後も僕は、「知らんし」と冷酷だった/今思えばひょっとすると、彼女は単に女の子が好きというよりは、「女の子としか恋愛できない」という状態――に、引きずり込まれていくところ――だったのかもしれない、だとしたらつらさがあったのはまあわかる、ただ仮にそうだったとしても、今もなお、やはり「知らんし」としか僕には言えないのだった。

僕は、LGBTの当人に茶々を入れるつもりはまったくないが、近年の、「他人のLGBTに和んで微笑もうとする性向」には、何の肩入れもしない/はっきり言って僕はこのムードについては一ミリも信じていない。
今おそらく、生きてきて、まともな恋あいがなかった人、またこれからも、まともな恋あいは得られないという見込みがほとんど確定的という人が、とても多いのだと思うが、そのつらさを、他人のLGBTへの肩入れでごまかしたり、消去したり、慰めたりすることは本質的にできない。
せっかく何かしら、女として生まれたり、男として生まれたりしているのに、まともな恋あいが一度も得られないというのは、とてもつらいことなのだ、同性愛も異性愛も関係ない、愛を求めて得られない・わからない・認めたくないというのは、誰であっても正面から受け止めがたい激しいつらさだ。
何であれば、愛だけでなく、たとえば本当の青春がなかったとか、本当の友人がいなかったとか、本当の恋あいがなかったとか、本当の○○が一度もなかったというのは、どれもとてもつらいことだ、だがきっとそこで思い出さねばならないのは、過去のすべての人も、同じようなつらさを抱えて生き抜いていったということだろう。

LGBT等に肩入れすることはファンシーだが、自分の愛を戦うのはつらい。

自分の愛を戦うのはつらいことなのだ、何しろフラれるのは自分だし、傷つくのも自分、傷つけてしまうのも自分、笑われてバカにされるのも自分、謝罪せねばならないのも自分、「誰のことも本当には愛していないし誰からも本当には愛されてはいない」なんて気づいてしまって、直撃で苦しむのも自分だ、しかも「それでもなお愛そうとしないといけないのか?」と地獄みたいな問いが生まれてくる、それは余所事に肩入れして微笑む気楽さとは比較にならない/自分の愛を戦うということは、常に発狂や自殺のリスクまで含んでいる。
僕はもう、むかしからずっとフラれ慣れているし、笑われ慣れているので、僕自身「もっとつらくないとダメだね」といつも思っている/僕には僕のつらさがあるのかもしれないが、それについてもやはり「知らんし」と思うし、「知らんし」としか言えない。

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恋はカルマじゃござんせん
ルマなんて好きな奴はいるのかね?
立場上、しゃーないでカルマを説明するが、正直なところ僕はそれを「わかる」というだけで、何の本分でもありはしない。
僕が言いうるのは、「我が国へようこそ!」、それのみであって、カルマの無法国へ往きたい人はドーゾどうぞ……
僕は合理に考えることのできる奴だが、合理なんて本分じゃないんだ。

恋はカルマじゃござんせん、だから手が届くその瞬間、胸が引き裂かれそうに切ないもの。
僕だってそこそこやるんじゃな〜い? 最近少しだけそんな気がした、アホの極致かと思っていたが、恋人の資格はゼロではなかった。
何がなんでも笑わせたいと、あなたを想ったのはマジだったから。
何ら魅力的ではない僕の、いつのまにかの「我が国にようこそ!」、恋はカルマじゃござんせん、恋は切なき/ひとつの国よ。

艱難辛苦、あなたはれっきとしたAngelだけどね。

やれやれ、どこぞのジジイじゃあるまいし、僕がカルマのカタマリなんぞ愛でたりするかい、我が国へようこそ、どこにでもいるAngel、あなたの美と恋を称えないものはこの国から追放されよう。
ワイドショーの権化はこりごりだぜ、行儀良く座っていないで、その羽を広げて冷たいビールをかっくらってね。
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サイテーな僕より
なんだから、とりあえずヤレたらどんな女でもいいわけで……
と、サイテーなことを言っているが、別に僕はサイテーでよろしい、僕がサイテーであることは誰の不幸にもならない。
それはさておき、誰かのことを愛して、その人がこの先もずっと幸福でありますようにと、泣き崩れて祈ったことがあるか。
駅のホームで、泣き崩れてもかまわず、「あいつが幸せならそれでいい」と、内心の自分自身に怒鳴りつけて、「どうしたの、大丈夫?」と複数の通りすがりの人に慰められながら、それでも応えもせず立ち上がりもせず、決して違えることのないよう、誓い続けたことがあるか。

僕はエクストリームバカなので、二十年前なんか、そんなことがしょっちゅうだったぜ!! 今僕がタイムマシンで当時の僕に会いにいっても、「こらあかん、手がつけられんw」という状態だろうな/まあこんなヤツ、本当に放っておくしかどーしようもないからな。
とりあえずヤレたら女なんか誰でもいいという、マックスサイテーな僕のことはさておき、あなたはこれまでどれだけのことに泣いてきただろう、自分のために泣くのではなく/誰かの幸福を祈るのに、あるいは何かを祝福するのに、具体的に何回崩れ落ちて、泣いてきただろう、もしその回数が僕より勝っていたらあなたはれっきとしたキチガイだ。
自分のために泣くというなら、実に簡単なことで、それを目撃するということなら、自分の人生を後悔しているおばさんが娘の前で酒を飲んでいるところを録画しておけばいいし、いわゆるメンヘラの人を録画しておけば毎晩泣いているだろう、だが人の何かを祈り倒して泣いているという人はそんなに数多くない。
僕なんかサイテーでよろしい、でも人のことを祈って泣くというのはどうする、これはけっこう重大な問題だ/僕がサイテーということには爆撃が可能でも、万が一あなたがサイテーなどという可能性には爆撃できないだろう、人のことを祈るのはそんなにむつかしいことではないが、人のことを祈って泣き崩れるというのはそんなに簡単なことじゃない、一生のうち一度もなくたって何も珍しいことではない。

僕が人を祈って泣き崩れなくなったら、そのときはさすがに救いのないクズだ。

何しろ、元が歴然としたサイテー君なのだから、せめて人の何かを祈ってどこかで泣き崩れているようなところがないと、本当にサイテーのカタマリになってしまうではないか、僕は、「将来の夢は公金横領」というぐらいサイテーな人間だが、どこまでも僕のサイテーぶりなどは話題の焦点ではない、われわれはどこまで愛する人のことを祈り、どれだけこっそり泣き崩れているかが焦点だ。
願わくば、あなたが付き合う友人と恋人は、正義の人いうよりは、人を祈って泣き崩れるような人でありますように、プラス僕のようなサイテー君じゃなければさらにいいな。
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幻想の停留所
定時刻は必ず来る。
そりゃ時刻は来る。
ただ予定は来ない。
ヨソが運営するバスじゃねえんだ、時刻は来ても予定は来ねえよ。

バスは社会的なモンだから、予定時刻どおりに予定のものが来てくれるよ。
だがあなたが十八になっても青春は来ないし、二十になっても就職は来ないし、二十五になっても結婚は来ない、三十になっても学門は来ないよ、あなたの青春は京急と契約しているものじゃないんだから。
予定時刻といって、時刻だけは自動的に来るよ、「社会が悪い」という側面があったとして、そもそも社会があなたのところに何かを運んでくることは決してないよ、バスと電車しかこねえと思っておきなよ。
たまに停留所で待っている人を見るのだが、あれは何をやっているんだろうと、見ていて怖くなるよ、スマイルでいるぶん逆にね。

毎夜獲得している奴を予定とはいわない。

毎夜獲得していないのか? まさかとは思うが、ビートを待っているんじゃなかろうな、地球の中心にいかないとビートはないぞ、街に行けばビートがあるのじゃなく、ビートがあるから街が作られるんだぞ。
別にどこかに行こうという話ではなく、このビートの中にいて、どこにも行くなって話だ、どこかに行こうと言い出したらそれが「予定」になっちまうだろ、そうしたらまた幻想の停留所で待ちぼうけするヒマな日々になっちまうからさ。
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幼いセックスの夢

は十代の後半まで、ロリコンの性癖があったように思う。
が、今になってわかるが、それは実は性癖でもなければロリコンというのでもなかったみたいだ。
僕は童女に欲情していたのではなく、僕自身が少年だったときに、無意識に抱いていた同年代の少女への性愛があって、それが何かの「やりのこし」のように感じられていただけのようだ。
むろん、その性愛への慕情は、実際に童女と性交しても得られるものではない、あれはただ少年の僕が見た夢だったから。

たまにロリコン向けエロマンガを見たりすると、その「やりのこし」のことを思い出す。
たぶん、これもいつものことだが、どうせ僕はそのエロマンガに示されている激しい描写に関心が向いていなくて、僕自身が少年だったころの夢を思い出している、自分が少年だったころに浴びていた風を肌に直接思い出すことができる。
きっと、それだけではないのだ、僕はおそらくほとんどのことに、描写されている直接のことを受け取らず、僕自身が見てきた夢のことを思い出している、それはもうインターネット上の「まとめ記事」を読んでいるときさえ、僕は自分が直接見たこの世界のことを思い出す手がかりにしているだけで、表面上に騒ぎ立てられている情報をほとんど受け取っていないのだ。
まだ生殖の機能も知識もなかったころに見た、性愛とセックスの夢、そのセックスは具体的な性交のヴィジョンを伴っていないが、確かに少年と少女のことで、とても静かな、夏のさなかに吹く突然の冷たい風の感触だった、少年は少女の身体と未分化のところにまで交わることに憧れた。

少年は無知で、少女にはすでに罪があった。

だからそのときでさえ、仮にまぐわおうとしたら、少女は己の身を恥じて、身を固く閉じて怯えただろう、むしろセックスいう形式にごまかしてゆくことさえできない少女の身は、大人の女性より隠しようがない女そのものであったかもしれない。
かつて無知だった少年と少女は、大人になり知識を得、安定したかに見えるが、それは大人になった身についての知識を得たにすぎず、大人になる前にあった身の知識については、未だ与えられないままだ/われわれは自分たちをしょうもなくしてから、しょうもなくなったわれわれ自身の知識を振り回し、そのことで物事を知った風情になりがちだ、それはとても愚かなことだ。
 

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世界卓球2018・対合同コリア戦を観た

川佳純さんのファンなので、Youtubeで世界卓球2018・対合同コリア戦を観た。
急遽、合同コリアチーム結成……という話は、まあ何かわざとらしい気が誰でもするが、何にせよ打ち破ってしまったので、もう済んだ話だ/話がおかしいといえば、僕のように卓球のファンでもないのに「佳純ちゃんのファン」と言い張っているのも、十分おかしい話だと思う、ショーでやっているわけでもないのにわれながら不潔な観戦ぶりだ。
それにしても、まあ、後追いでYoutubeで観ているだけでも、心臓が破れそうな試合だった、よくこんな中で戦えるよな、ドン引きものだぜ……石川佳純選手はいつ観てもピュアなのか鬼なのかわからなくてドキドキしてしまう。
もしあんな人が目の前にいたら、どう扱ってどう向き合えばいいのか、まったく不明だ、試合中の気迫を観ていると到底触れられない人に見えるし、試合後のピュアな様子を見ていると、これまた到底触れられない人に見える、ご本人はどういう感覚でいらっしゃるのか、本当にまったく見当がつかない(というわけで、僕は卓球のことは何もわからないのだった、われながらスポーツに関してはひどい門外漢だ)。

男の出る幕じゃない、というところの女性の姿を見ると、何か安心する。
ものすごい技術で、ものすごい集中力で、ものすごい気迫で、南北合同のどうたらというのを、純正のスポーツ力でねじ伏せるのだから、なんというか、やはり常人の器じゃない、才能がえぐすぎる/ある意味、スポーツで政治をねじ伏せた歴史的なワンシーンでもあったと思う、これをお人柄としてはものっすごくピュアな石川佳純さん(キャプテン)が成し遂げるのだから、正直なところカワイイとかそういう次元でなく、「なんなんだコイツは……」とビビらされてしまう。
男の出る幕じゃない、というところの女性を見ると、僕はホッと安心するというか、何かを手抜きできるというか、「サボれる」という感覚があって、とても安らぐということを発見した/ある意味、少年期以来、セックスうんぬんのことを完全に排除できる瞬間なのかもしれない、女性に完全に「手出し無用」という光景はなぜか見ているだけでとても幸福だ。
明日はまた決勝戦があるのか……しかし心臓がチキンの僕は、ちょっとライブ映像を観るのには根性が要るなあ/何かつい、勇姿に見惚れて観戦してしまうというのは、尾籠な感じがして気が引けるというのもある、やっぱり試合後にYoutubeでこっそり観ようかな……とてもじゃないが僕には「ガンバレ」と応援するような感覚はわからず、何か知らんが「どいつもこいつもスゲーよ」とこっそり思うぐらいしかないのだった。

日本代表って書いてあるけれど、ホントにおれと同じ国の人なの?

と、疑いたくなってしまうぐらい、まあとてつもなくスゴいのだった/まあそれはいいとして、とにかく男の出る幕じゃないところの女性の姿は、観ているだけで幸福で安心する、僕はむしろ、スポーツ観戦そのものは好きじゃないのに。
なんというか、僕はスポーツはまったくわからないのだけれども、はらわたが腐った者とは正反対の声と眼差しとエネルギーが出ていると感じるのだ、僕はそのことが、人々に元気を与えているというより、正気を与えている気がする、それで大好きで、何かたとえて言うなら、ヘンタイ的なアダルトビデオの対極で好きだ/双方に怒られそうな話だが、僕は大真面目にそう感じて感動しているのだった。

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大好きなガールガールガール
日も街にはかわいい女の子たちが……
つまり、僕の恋人ちゃんたちが……
この世界ってなんてイイんだろうね。
この世界が見えていない人もいるみたいだけどね。

渋谷、原宿、横浜、鎌倉……
恋人は季節と場所に存在する。
なぜそうして恋人と夢が存在するかというと、この世界はおれの世界だからだ。
「でも一般的には……」と言い出す奴、ただちに帰れよ、何の話しているのかマジで意味わかんねーから。

あのコと僕は同じ世界にいた。

まれに、ビタッと同じ世界に住んでいる人がいて、その人はスッと僕の世界に入ってきてくれるのだけれど、そんな女の子は初めからもう数百年来の恋人のようで、何の問題もない、恋あいってだいたいそういう感じに進んでいく。
青空とか木陰とか薫風とか、そりゃもうすばらしいもので、話題なんか必要だったことは一度もないな、そりゃもう肌にしみつく風と湿度がすさまじいものだったから、すべてが空まで持って行かれるみたいで。
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二、三発食らわせてやらないと男がすたる

代では決して通じないことを、備忘録として書き示しておく。
お酒を飲んで、機嫌よく歩いているところ、何か通りすがりにインネンをつけられると、「腹が立った、二、三発食らわしてやらないと気が済まない」となる。
これは、酒癖が悪い、のではなく、そうでなければ「男がすたる」のだ、現代ではまったく通じない話だけれども。
お酒を飲んで、気分よく歩いているところ、何かインネンをつけられたら、「二、三発食らわしてやらないと気が済まない」、そのようでなきゃ男がすたる、それを「酒癖が悪い」なんてとんだチキンの言い分だなと、感情でなく流儀として知っておかねばならない。

これは現代では通用しないのだ、なぜなら現代人は、身体が弱っている上に神経は昂っているので、「二、三発食らわせる」という実態が、目も当てられない無様や惨劇になってしまう/しかも監視カメラがあるし、衆人に動画を撮られたりしてしまうし、ヒマ人は筋トレなんかしているしで、そんなカッコ悪いことになるのでは、殴り合いなんてやっていられないのだ。
そもそも、本来の男というのは、すべてのことに向けて「やったりますか」という構えを前提にして生きているので、インネンをつけられたとしても、「なんじゃコラァ!」ではなく、「お、来たか」という感じになるものだ、ブチギレではなく「今夜の出来事」にすぎない/現代ではもう入口がそういうムードにならないだろう。
「二、三発食らわせてやる」というのは、何も興奮して乱闘するということではなく、「もう二、三杯行きますか〜」となっていたところが、せっかく面白い出来事もあったので、「二、三発行きますか〜」に切り替わるというだけだ/興奮して取り乱すぐらいなら殴り合いなんかしないほうがいい、みっともないケンカでは誰もトクをしない。
本来、男というのは、自分のエネルギーを持て余しているものなので、「少々ダメージを負いたい」というぐらいの気持ちで生きているものなのだ、そして初対面のわけのわからん奴と「二、三発食らわせる」をやりあうというのは、まあどうしてもワクワクするのだ、もちろん土台、「こんなやつに負けない気がするけどな〜」という自信があってのことだが/そしてどこか、そういう自信を打ち砕いてほしいという気持ち、思いがけずぶち込まれて地面にブッ倒されたいという気持ちもどこかにあるのだ。

一番カッコ悪いのは、暴力的になること、二番目にカッコ悪いのは、暴力に親しみがないこと。

もちろん、カッコいいとか悪いとかいうのは、差別的なことだから、万人がカッコよくあれるわけじゃない、ただ一番のカッコ悪さは誰だって避けられるのだから、一番カッコ悪い奴にはならなければいい、その他は少々男がすたったって、そんなことを気にしているヒマなんかどうせないのだ/一方、大人になるにつれ、その「二、三発食らわせてやる」というときに、合理的に技術で捌いて合理的に食らわせてしまいそうな予感がすることには、「どーなの」と疑問を覚えるところではあるが……
酔っ払って機嫌よく歩いているところに、インネンをつけられたら、二、三発食らわせてやらないと「男がすたる」のだ/もちろん現代では通用しないことだけど、それでもまさかそれを「酒癖が悪い」なんて言っていたら、お酒の値打ちがなくなる、どこにも通用しないとしても本来正しかったことを覚えておくべきだ。

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向上心と差別感情
己卑下なんてやめなよ。
それってただの差別感情だから。
優越感もやめなよ、それも差別感情だから。
それはあなたのこころではなくて、教育を受けていない差別感情だからやめなよ。

あなたに他人と比べる価値があると思っているのか。
それがそもそも勘違いだね、あなたの比較なんて世界一ヒマなことだ。
アイデンティティがないから他人と比較して「自分発見」しているだけだろ? 教育を受けていないとそんなもんだよ。
あなたの向上心ってただの差別感情じゃないの、ヒマな人はだいたいそうだよ。

あなたが下落しても誰もなんとも思わない。

だから向上してもなんとも思わない。
たとえば、女性の地位が向上したとしても、それは女性の向上ではまったくないだろ? 向上心と差別感情を取り違えているのじゃないか。
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「クソたる自分」2

「クソたる自分」
何を怯えているの。
こんな薫風が吹く中に感情的になる要素なんてあるか?
クソみたいな自分、という、ありふれたことの何が珍しいのか。

僕は「クソたる自分」と常に戦っている。
あなたは何と戦っているの。
他人には「戦うべき」と要求するのがアツいあなただろう。
何を笑っているの、僕をクソ呼ばわりすればいい、僕はクソたる自分と戦っているのだから、僕はその中を生きたいのだから。

あなたは絶賛もせず否定もせず、漠然と笑って過ごしているな。

あなたが間違っているわけじゃない、あなたが間違っているかどうかなんて、考える人はこの世に一人もない。
「クソたる自分」と戦っていく、これが他の誰かと比べてどうこうなんて、考える理由は一つもない。

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「クソたる自分」
近のテレビは面白くなくなったかもしれない。
あなたの両親には愛がなかったかもしれない。
○○はもうオワコンかもしれない。
△△には、非はあるけれど、再起のチャンスを与えてあげるべきかもしれない。

で、あなたは。
あなたは何の批判にも晒されない。
あなたは、掛け値なく面白いまま、四方八方に愛があふれていて、今こそおっ始まったコンテンツ、非を持たない何かの功労者なのか。
何を笑っているの? 僕は泣きながら生きてきた/僕にはあなたの調子がまったくわからない。

僕は「クソたる自分」を打破するために生きている、あなたは「クソたる自分」とは言わないな。

あちこちのテーブルで、「○○ってさあ」と意味ありげに話しているのが聞こえる、○○は自分のことではないのに/「ブスってさあ」と自分たちのことについては話し合わない。
他者への批判は威力的なのに、自己への批判は感情第一的なのは、何かよくわからないな、それはあなたの自己だけが特別で、何よりも敬意が払われるべきものだからか。
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気分よくなるためのひとつのルール
れわれが必要としているのは、批評ではなく協力だ。
理由は明快で、われわれは人との協力なしには生きていけないからだ。
協力なしに生きていこうとなると、われわれの生はきわめて不利で、われわれがそうした不利に生き始めたときには、もう批評なんか交わし合っても何の救済にもならなくなる。
われわれが必要としているのは批評ではなく協力だ、だから人に協力したときは気分がいいし、人を批評したときは気分が悪い/いくら批評にテンションが上がったとしても、それが睡眠中に麗しい夢を見せてくれることは決していない。

たとえばインターネット上には、いろんなものの「レビュー」が掲載されているけれど、あれだって本当に「レビュアー」みたいなつもりになっていたら、自分は悦に入れたとしても、客観的に見れば気持ち悪いものだ。
レビューというのは、「これからこのたぐいの商品を選ぶ方へ、判断の目安に」ということで、協力の精神において示されるものだ、そのことに向けて端正にレビューが書かれてあったら、「どこの誰だか知らないが、わかりやすいわ、ありがとー」となる。
「批評」といって、社会的な地位に立脚した人の批評は、社会的に意味を為すが、一個人の批評というのは、あまり意味は為さない上に、何に対する協力にもならない/われわれはふつう、生きていくのに「協力」以外のことはしなくていいのだ、批評は偉い人がするものであって、批評をした人が偉い人になるわけではない。
われわれは、すべての人を好きになることはできないし、好きになれなければ、熱心で親しげな人にも「どこかへ行ってくれ」と望まざるをえないのが性分だ/しかしわれわれは唯一、好きではない人にも、「協力」はするべきというルールを背負っている、それは他ならぬわれわれ自身のセーフティネットだからだ。

好きなふりはやめる、協力は実行する。

僕はなるべく、駅前のビラ配りやティッシュ配りは、受け取ってやることにしている、バイトくんが早く帰宅できるようにだ/もちろん手元にビラは邪魔になるのだが、そんなものは連れに押しつければおれの手元はスッキリ快適になるので、おれはまったくかまわんのだ、こうして人は協力し合っている。
駅前でヘンな宗教団体や政治団体が活動しているときは、僕はそれに協力はしない、その活動そのものが彼ら自身をけっきょく益しているとは思えないからだ、彼らがさっさとあきらめてナイスな生き方に帰参することへ協力するために、僕は駅前の活動を冷淡に無視して署名はしない/われわれが本当に気分よくなれるかどうかは、ただ一点、「協力」を実行したか否かにかかっている、いくら好意や善意で糊塗したところでそれは本当の気分のよさをもたらしてはくれない。
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