☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
どこ吹く風
関先で煙草を吸っていた、雲の切れ間から青空が見えて、「なんと磨かれたような青空か」と驚いた、脅威だ、夏の準備をしている、これほどのものが……
と、おれの脳みそは自動的に詩文を創り出す、いちいちメモっていられないし、いちいち実作にしていたらキリがないのですっ飛ばすが、煙草を吸い終わってのんびりしていたら、ムツゴロウこと畑正憲さんが逝去されたというニュースが目の端に飛び込んできた、大江健三郎についでムツゴロウさんまで、「ひとつの時代の終焉だ」とおれは友人らにチャットを飛ばした。
おれの友人は、おれがいかにそれら先輩方を、あるいは先生方を、敬愛しているか知っているので、きっと訃報に対してはわがことのようにショックを覚えただろう、そしておれに向けてどう心配りをしてよいものか、戸惑い尽くしたろうので、わたしのほうから一報を入れるという発想になる。
わたしはムツゴロウさんの逝去をもちろん深く悲しんでいる、深く悲しんでいるが、すでにそうした悲しみも織り込み済みでわたしは現在を生きているように思う、われわれはふだん生きているときに死を想定しない、つまり際限なく生が続いていくという思い込みのまま生きているものだが、おれは芸術家だし、思い込みから脱出しろと言い放っている側なので、ムツゴロウさんの訃報を聞いてハッとさせられるということはなかった、ただ、ひたすら無念ではある、わけのわからない無念だ、と、このことは先日の大江健三郎の訃報に対しても同じようなことを言ったように思う、この場合おれは、そのひたすらの無念を抱えながらも、「どこ吹く風」と生きていたい、と申し上げる義務があるだろう。

わたしは大学生のとき、理学部のくせに文学部の図書館に入り浸り、無理やりだがフロイトの全集を読んだ、もちろん日本語訳でだが、それでも一ページ読むのに30分ぐらいかかるというほど難解だった、後半はもはや自分をいじめるために読んでいるのかと思えるほどだった、そして無理やりフロイトの全集を読み切ると、つぎは国際文化学部の図書館でムツゴロウさんの全集を借りて一冊ずつ読んでいった、こちらはひたすら面白かった、それでもずいぶんな分量はあった(たぶん絶版になっていると思うので巻数をいうと、確か24巻だったか27巻だったかそれぐらいあったように思う)。
わたしは二十代のうち、どちらかというといくつかの無茶をしながら生きてきた側の者だと思うが、そのことの根底にはムツゴロウさんがある、根底も何もという具合だが、たとえば王子動物園の「ふれあいコーナー」でヒツジと頭突きをしてひどい目に遭ったのはムツゴロウさんのせいだ、ヒツジは喧嘩・力比べをするとき頭突きで勝負すると聞いて、おれもヒツジにしつこく頭突きをオラオラとやってみたのだった、するとヒツジがついにイラッときたらしくそのオデコでおれの頭にゴツンと反撃した、ヒツジにとっては軽くこづいたていどの反撃だったが、それでもおれは目の奥に星が飛ぶほどの衝撃だった、「お前、身体強ぇなあ」とおれはそのヒツジを称賛したものだった、何をやっているんだあのバカはという目つきで飼育員の人がびっくりしていた、そんなささいなことでも生命の力というのは直接体験してしかわからないところがある、おれはムツゴロウさんから教わって以来「生きものはストレスがないと病気になってしまう」と自分のことを捉えているし、また生きものは「噛んで食べるということを与えないと死んでいってしまう」みたいなことも、おれの知識というより世界観の基本に入っている、これらはすべてムツゴロウさんから勝手に引き継いだものだ。
そんなことだから、大学時代の最後に単独で行ったインド旅行で、夜の十時に空港につくなり、生まれて初めての海外旅行のくせに、まずぼったくりタクシーの運転手を後ろからガンガン蹴って怒鳴りつけるという蛮行に出ていたのだ、ムツゴロウさんなんか山の中でショットガンを持った山賊どもを怒鳴り散らして追い払うのだから、それに比べたらぼったくりタクシーをしょんぼりさせることなんか大したことではないだろう、わたしは暴力を振るっていたのではなく、そのときも今も、いざというときは生命の力・生命のエネルギーを引き込まなくてはならない、それでしか世界も生き残りも幸運も呼び込めないと思っている/生命とは何なのか、ホメオスタシスとは何なのか、おれは葛飾区に住んでいたとき、うずくまっている野良猫を見つけて、不思議に思って手で触れるとその瞬間、「このままだとこの子は死んでしまう」というのがわかった、なぜわかったのかはわからないが、おれは気づくと一緒にいた友人に「湯たんぽを用意しろ」と言いつけていた、じっさい動物病院に連れていくとドクターが「低体温だね、湯たんぽ用意して」と助手に言った、おれには何の知識もなかったのだが、それぐらいの直観はしばしば見せる、この直観は超能力ではなくただのムツゴロウさんの断片だと素直に自白しておく(野良猫はその後、保水と療養食によって恢復していきました)。
一般にあまり知られていないトリビアをお話ししておこう、ムツゴロウさんは大学生のころから作家を目指していた、そのとき作家としての野心は純粋な文学にあった、けれども大学在学中に、他の誰かが書いた小説が学内の新聞(だったと思う)に載り、それを読んでどうしようもない「文学のにおい」を嗅ぎ取り、ムツゴロウさんは純文学者の道を諦めたのだ、つまりムツゴロウさんに文学の道を諦めさせた奴が存在するということ、それは誰だったのか? そのとき学内の新聞に載っていたのが大江健三郎の小説なのだ、ムツゴロウさんは大学生のときに大江健三郎と出会って純文学の道を退いたということ、これはけっこうすさまじい話だとおれは思っている、そのことも合わせておれは「ひとつの時代の終焉だ」と友人らにチャットを飛ばした。

Ceu de Azul no Brazil / MuTsuGoRo 2005 Sept.

わたしがむかしムツゴロウさんにサインをねだった本に、上記のとおりサインが書きこまれている、わたしが手渡した万年筆の青いインクでだ、わたしにポルトガル語の知識は皆無だが、目の前に書かれた瞬間にそれは「ブラジルの青い空」だと読み取れた、日付を見るとあのときから十八年が経過しているが、わたしは今でもこころの片隅で「ブラジルに行かないとなあ」と思い続けている、「本当にそんな青空があるんだろうなあ」と思い続けている。
ムツゴロウさんがいつぞやのエッセイで、原稿用紙は万年筆で書くものだ、白いマスを万年筆で塗りつけて埋めつぶしていくものだ、というようなことを言われていた、当時のわたしは「なるほどそういうものか」と真に受けて(わたしは当時まったく作家志望ではなかったが)、筆記といえば万年筆、万年筆といえばぐりぐり使うものだと思い、そのように使い込んでいた、当時としては無理をして買ったパイロットの金ペンでだ、わたしはその万年筆を手渡してムツゴロウさんにサインをねだった、言われたとおりにサインを書いてくれたムツゴロウさんは、書き終わり万年筆をジッと見て例の口調でその書きごこちを「いいペンですねぇ!」と褒めて言ってくれた、わたしはそのとき内心で「そのペンもあなたのせいですよ」と思ったが、わたしはウブで言い出すことはできなかった、今でも当人を目の前にして言い出すことはたぶんできないだろう/そんなこんなで、わたしは紆余曲折したのかどうかさえわからないが、いま目黒区に住んでいて書斎でムツゴロウさんの訃報を聞いた、そういえば大江健三郎の訃報を聞いたのも書斎でだった、東京大学の駒場キャンパスは目黒区にあってわたしの書斎から徒歩圏内にある、いまちょうど窓にそちらのほうから風が吹き込んでいる、気がしている。
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新しい人よ眼ざめよ
江健三郎さんが88歳で亡くなられた、死因は老衰とのこと、2023年3月3日に逝去され、そのニュースが十日後の3月13日に報じられた。
友人に対してはわたしがノーコメントでいるのもおかしいと思い、「88ならしゃーない」「どこのまとめサイトにもまったく載っていなくて草」とわたしは言った、友人は当然わたしの心情を気遣ってくれるので過剰なレスポンスはない。
どうせ伝わらぬというか、伝わらなくていいこと、これはわたしの秘密のことだ、だから誰にも話さなくていいし、誰にどう話しても構わない、どうせ伝わらないのだから、伝わる必要はないのだから、そしてどのようにしてもそれは伝わっている秘密のことなのだから/僕が本当に若かった頃、つまり二十歳ぐらいのころ、わたしは書店で文庫化された「新しい人よ眼ざめよ」を神戸三宮の書店で手に取った、「なんだこれ?」と、まだノーベル文学賞の報せが耳にあたらしいところだった、作中「魂が星のように降って、跗(あし)骨のところへ」の章を読んだとき、若いわたしは半信半疑に震え、よろこび、首をかしげ、揶揄もし、当時の友人に「こんなことが文章で表現可能なのか?」と一方的に語った、その話はしょせん誰にも伝わらないもので笑いを誘うものだったろうけれど、それから四半世紀以上、わたしは跗骨のところに入ったイーヨーの影法師に突き動かされているのでもあるのだ、六甲山の麓で暮らした無数の夜の記憶と共に、またそのまま次章「鎖につながれたる魂をして」、三十年の疲れにみちた日々から解き放たれる勇ましいヴィジョンにむすぼれていくようにして……ただしおれは「四国の深い森と一緒にすんなよ、六甲山の麓はもっとおしゃれだ」と言い添えたく思う、わたしは文学がもたらす新しい世界のモデルは単なる変人の現実逃避であってはならないという思いから帆を揚ぐことになった者であるから。
大江健三郎の死去は、じっさいどこの「まとめサイト」にもほとんど載っていないのだが、そこでわたしはまったく不遜なことを言おうと思う、直接のお身内の方を別として、大江健三郎の死をこのようなライブ感で受け止めているのは、世界中におれひとりだけだと言い張りたい、むろんそうではないと言いたくなる人が世の中にはたくさんいるはずだが、おれはそうした人たちと正論を戦わせたいのではないのだ、ただ何にせよ影響づけられたとおりに "面白がらせる" ということをいつもどおりに発想するだけだ。

代表作は「万延元年のフットボール」なのだろうが、それから読み始めようとした人が初めの数ページで頓挫することが目に浮かぶようで好意的な笑いを誘われる……大江健三郎はどういう順序で読めばいいのだろう? と質問を受けたならば、わたしは「読まなくていい」と冗談と真意の響きをともに含ませて答えるだろう、どれから読み始めたとて「???」となるのは前もってミエミエなのだから/余計なことを言うなら、「奇妙な仕事」と「死者の奢り」はなぜか "同じ" に思えるから、どっちがどっちだったか混乱するだろう、同じ中期の作品から読むなら「万延元年の」よりは「洪水はわが魂に及び」のほうがマシだ、いきなり後期の「取り替え子」を読もうとしても頓挫は確実で……そうして考えると案外、2012年の「定義集」を読むのが、大江健三郎の全体像を最もおだやかに知りえる方法かもしれない、わたしはある種の願いと祈りをこめて、その「定義集」については「再提出だ、大江くん」と周囲に言い放っていたのだけれども、そのことについてはここで説明できようもない。
わたしは、ここまででご存じのとおり、一人称をいかようにしても破綻しない文体を得てきている、わたしはわたしを「わたし」と言ってもよく「おれ」と言ってもよい、また過去には「僕」ともしており、冗談めかして「おれさま」とも言う、これを「吾輩」にしても「余」にしても「儂(わし)」にしても一向にかまわないが、ここにきて奇妙な問題に突き当たっている、おれ当人以外にとってはまったくどうでもいいことだが、「大江」と呼びすてればいいのか「大江健三郎氏」と敬称をつければよいのか、大江先生と呼べばいいのか、大江健三郎さんと無難に、あるいはオーケンと親しそうに呼べばいいのか、どのように呼んだとしても自分の体験している大江健三郎とは馴染まないのだ、ナラティブの問題と言えばいいですよね? わたしはさいわい、一人称をどのようにもしうる形で文体とその声(voice)を養ってきたわけですが、ここにきてあらたに、三人称にもナラティブの問題に突き当たることがありますよと、お話ししうることになりました。
四国の森の中で、これまでに読んだ本のまとめ直しをしているという、それこそ奇妙な仕事に、本心から首肯する人は多くありえなかったと思いますが、おれは「まさにこいつは、本当にそうなんだよ」と、どこか震えるように友人に説明して、やはり誰かさんと同じような空回りをいくらか味わってきたことを報告しようと思います、わたしはこのようなちゃらんぽらんな人間ですが、それでもここまでにひっそりと(あるいはみだりがわしくか)示しているように、わたしもそこそこの、「読んだ本のまとめなおし」をしていると、ここでは言い張ることができるのではないですか?
わたしがもっとまともな立場を得たなら、そのときにはごあいさつに伺おうと、勝手ながらにぼんやりと思っていたのだが、それは叶わぬことになった、それについてはおれが間に合わなかったわけではない、勝手に先に死ぬ奴が悪い、そのことはいまさらどうでもよいこととして、きのうから大江健三郎の訃報に接して、思いがけずごく単純な人間的らしい無念と悔しさがある、それはごく小さなものだが、そうしたものがいまでもわたしにあるのだということを、わたし自身で驚いている、大江健三郎が社会的および観測可能な肉体としての死を迎えたことについて、理由のない悔しさが、ごく小さなものであれ……/そしてそれ以上の歓喜と賛嘆がわたしにはある、大江健三郎は現代日本において随一の "純" 文学者だったと思うが、あえて言うならお笑い芸人でさえ自死を選びかねない現代の暗雲の中、純粋な文学者こそが米寿の老衰死に至ったことについて、「見事!」という無闇な賞賛をわたしは叫びたいのだ、性的人間、遅れてきた構造主義者、悪文の代表というような変態かつ四国の深い森から湧いて出たような不気味とも思える純粋文学者が、結果的に最も安らかに天寿をまっとうして亡くなっていったという、このことに「見事!」と叫んで机に拳を打ち付けて称えるなら、わたしはその打撃の靭さと轟音で見る者すべてを怯ませる自信があるというほどなのだ、大江は読んだ本のまとめなおし・書いた本の書き直しをすることですべての困難に打ち克っていった。

これはおれの個人的な体験です。

大江自身が言った「時代の精神」のとおりに言うならば、大江の精神は典型的な「戦後」のそれであって、「戦後」の大江健三郎は核廃絶への思いと共に、フランス文学の拠点としてサルトルを選び、けれども実存主義や共産主義もやはり帝国主義大戦のそれと変わらない全体主義と流血をもたらすのみという結末にさいなまれて、その精神は行方不明になるはずだったろう、大江がそうならなかったのは、やはり「時代の精神」とは異なってその魂を普遍をつらぬく詩文に導かれてのことではなかったか、そのことがきっと三島由紀夫をはじめとした文学者の自殺組から見て大江をカッタルイものにしたに違いないが、大江はやはり戦後の核廃絶へと向かわんとする文学活動者というよりは、ずっと "(雨の)しずくのなかに別の世界がある" という「わたし」ではなかったのかと思う、ヒロシマ・ノートや九条を守る会にかかわっての著名さに相反して、大江健三郎の魂は論壇にはなかった、少なくともわたしは論壇に立っているふうの大江について友人には「こいつ何やってんだ」と茶化して言ったものなのだ、わたしは何の根拠もなく、またわたしなりに確かな根拠をもって、友人にこう話した、「政治思想的に憲法九条を守ろうとしているのじゃなくて、あるべき手続きを経ずに歴史的文言が書き換えられることは許されない、って感じているんだ、大江は文学者だから」「政治信条を共にしていると思っている人たちはバカを見るんじゃないかな、コイツは本当に純文学者なんだぞ、本のまとめ直し以外に興味がない奴だ、フツーの奴だと思うなよ」。
いちおう世間的には今、追悼され冥福が祈られているに違いないが、おれにはそのような心情はない、ほんの少しの当然の悔しさと、「言っていたなあ」という思いだけが昨日までと変わらずある、何を言っていたかといって、執拗に「新しい人よ眼ざめよ」と――言っていたような気がわたしにはしている、これは完全におれひとりの気のせいだろうが/大江健三郎の最晩年に、過去になっていたはずの――過去になっていなかった――東西の対立と、ふたたびの直截すぎる「核」の冬への憂いが見せつけられたことは、皮肉というニヒリズムでは収まらない生々しさがある、この憂いのなかでやはり大江は活動家としてではなく純文学者としてふたたび聞いただろうか、「生命の樹」からの声が人類みなへの励ましとして告げる言葉を、<<惧れるな、アルビオン(世界)よ、私が死ななければお前は生きることができない。/しかし私が死ねば、私が再生する時はお前とともにある。>>、大江健三郎はかつて自分が新しい若者のひとりとして再生するヴィジョンを体験しているのだ、どうせそのとおりだろうとおれは思っている、だからおれには追悼や冥福を祈る心情はない、ただどうしてもなぜかほんのちょっっっっっっとの悔しさがあるだけだ、こんなものしかるべきものへ額を突き合わせていれば数日後にはすっかり消え去るだろう、おれが何を言っているのかは誰にも伝わらなくてよく、誰にも伝わるはずがなく、また誰にでも確実に伝わるのだ、これはおれの四半世紀の秘密だから。
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誤りの世に現れよ
んの一時間前、これまでにまったく気づかなかった、これまでにまったく知らなかった、現象とやることを体験した、発見と同時に体験していた。
かつての偉い人が、色即是空だといって、この現世は思い込みの産物だと看破してくれたけれど、じゃあこの現世で何をやればいいのかわからなかった、現世に落としておいて現世で何をしたいいかわからないというのはどういうことだ、まるでデザインミスみたいじゃないか。
これまでまったく気づかなかった、特別なことがなければ永遠に気づきようがなかったのじゃないかと思う、この現世のすべてが「誤り」だったとして、じゃあ誤りをやればよかったのだ、そのために現世に産み落とされたのだから。
ただし、誤りを誤りだと視ることができず、正しいことかと思い込んでそれをしてはいけない、そうではなく、誤りを誤りと知ったままやるのだ、現世のすべてが誤りだと知ることがいわゆる真理だったとして、その真理のまま誤りをやるのだ/誤りを誤りと知ったままやる、それは "狂気" だと言える。

狂気といって、もちろん一般的な狂気がそのまま正しいわけがない、そうではなく、この現世が狂気ならば、この現世に生かされているすべての人は狂気なのだ、だからこそ「救われている」ということが必要になる。
橋の上からバンジージャンプをするとき、一番安全な者は、バンジージャンプのゴムを括り付けられた者だろう、やがて崩れゆく足場が崩れたとして、他のすべての人は落下して滅びるが、ゴムを括り付けられた者だけは生き残る/現世それじたいが誤りであるなら、現世は初めから崩れゆくように作られた足場であり、その真理を知らされたままそこに立っているのは狂気となる、この狂気を "やりきって" なお滅びないためには、もとから救われているというバンジージャンプのゴムが括り付けられている必要がある。
「真理」の事象は "消える" ということだ、おれは今朝がたまでそのことだけは知っていた、おれは真理で話は完結しているのかと思っていた、いくつかの驚きと感謝と共に知ることができたのは、反対側の事象として "現れる" があるということ、「真理」の事象は "消える" で、「誤り」の事象は "現れる" なのだ、もちろん消えるにせよ現れるにせよ、それは両方とも有無という因果の呪縛から解き放されたものでなくては成り立たない。
有でありながら無が成り立つとき、それは「消える」という事象になる、この逆、無でありながら有が成り立つとき、それは「現れる」という事象になる、東洋は前者「消える」を最遠の到達点と定め、西洋は後者「現れる」を最遠の到達点と見遣った、けれども今朝になって知ったところ、まともに「消える」ことができなければ「現れる」ということは実現されないし、「現れる」ということが実現されないのでは、「消える」ということに大した意味はないのだ/「現れる」ためには誤りの狂気を為さねばならず、「消える」ためには真理を為さねばならない、彼は真理に守られながら生そのものである狂気をやり遂げねばならない。

狂気に生きて狂気を主とするべからず、真理を主として狂気に生きざるべからず。

現世の生じたいが誤りであり狂気なのだ、これを曲げて正しい主としてはならない、といって真理の涅槃をそのまま生きてはならない、それは現世の生ではないからだ。
迷い子は迷い子の狂気を歌え、堂々と狂気を歌え、それを主とせず、主そのものはカーナビゲーションのように行先を端然と示しているが/やがて迷い子の歩いたすべての道は地図を為し世界を為すだろう、やがて最後は正しい道へ行かされるのだから、それまではすべての迷い道を踏破しろ、すべての誤った道がわれわれの生だ、正しい唯一の道だけわれわれの生ではない、誤りの世に現れよ、それを現世と呼んでそこに落とされている限りは。
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バンザーイバンザーイバンザーイtoday/この世界のすべてはおれの味方だ
んなタイトルにしたらあとで検索できないだろ!! まあいいか(と言いながらやっぱりタイトルに内容を付け足した)。
この世界のすべては、おれの味方だ、子供のころにおれが見た、ソフトボール差別おじさんが、急に世界に見捨てられて独りぼっちになるあの現象、おれはついにアレにはならなかったのだ/世界のすべてはおれの味方だ、もし聖霊なんてものがこの世界にあるなら、聖霊のすべてがおれに味方している。
先日、おれが美を治めるなんて書き話しをしただろう、あのことからさらに書き述べよう、実際におれに完全に味方した女が、その後急激に、異様に美人になるという現象を、多くの人が見てきたはずだ、それは、おれに仕えようとした女が、自動的に美の傘下に収まるという現象なのだ、構造的にはそうなるのが当然と言える/おれが美を治めているので、おれの味方・バックアップをする者は、自動的におれの治めている美の恩恵を分配されるという仕組みだ、それですべてのものが美しくなる。
すべてのものが美しくなるのだ、それは女性に限ったことではない、男もそうだし、色や音、景色や季節や風などもだ、言葉までもがだ、この世界のすべてがおれの味方なので、この世界のすべては美しくなっている、ただしこのことを改めて浮き彫りにするには、おれの側にささやかな転換が要った、いやこの転換はささやかではないな。

つまりおれの側が一切をやめる必要があった/おれはけっこう、何でもかんでも出来てしまうので、おれが一般的にフェアなつもりであれこれすると、すべてをおれがやってしまい、おれに味方したい・おれのバックアップをしたいすべてのものは、おれに味方するチャンス、おれのバックアップをするチャンスがなかったのだ、そうするとすべてのものは美しくなるチャンスを失うわけで、これがおれが一般的なフェアをやった場合のお粗末な結果になるのだった。
びっくりする話、おれのために鳴らされる鐘の音は、おれを美しく見せるのではなく、鐘の音が美しくなるのだ、おれに味方し、おれをバックアップするために鳴ろうとする鐘の音は、おれの恩恵によって美しくなる/ただしこの場合、おれの側が一切をやめている必要がある、おれの側が一切をやめているので、「待ってました」と言わんばかり、「わたしにやらせてください」と味方する・バックアップするチャンスが生まれる、このわけのわからない現象を、今のところ誰もわかっているわけではないが、事実としてみんな最優先で飛びつくので、この現象が問答無用で作用しているのは確実だ、ただ飛びついている当人も何の理由で飛びついているのかわからないというだけだ、それだけ特級に美しくなれるチャンスというのは問答無用なほど希少なのだと思う。
おれは驕っているわけではないよ、驕っているわけではないからこそ、一切をやめるという選択をしたのだ、一切をやめたときにおれに生じる現象がおれなのであって、おれは自分の挙動や努力や活動みたいなものがおれを成り立たせるとは一ミリも思っちゃいない、そしておれは一切をやめてみて……その瞬間、すべての聖霊がワッと押し寄せて、すべてのものが「わたしが味方します」とこぞって集ったのだ、そこに集まったすべてのものは美しかった、おれのせいで美しく "なった" のだ。
おれはもともとがリベラルなたちだから、人の言うことや、人の意見、人の思想を、それぞれ尊重する性癖がある、だからおれは、おれに味方しない人は「おれに味方しない人」ということで完成しているべきと思うし、すべての人がイーブンだという人は、おれの目の前で厳密にイーブンであるべきで、そのことは永遠に変動しないべきだと思っている、おれは誰かの考えや意見が誤っているとは一ミリも思わないのだ、だからおれは誰かの考えや意見を修正することがない、ある意味残念な話かもしれなくて、あなたの考えや意見をおれは修正してくれないということなのだ、おれに唾を吐きたいという衝動が誰かにあったとして、おれの側ではそれを修正しない、もちろん向こうの側でも修正しないだろうから、その人はその衝動をまっとうして生涯を尽くさねばならない、おれは人はまさにそうして生きるべきだと思っている、それがそれぞれどんな結果に行き着くものかを、それこそイーブンに眺めるべきだとおれは思っている、おれに唾を吐く人が美しくなるならそれもよし/ただ差し当たり今日は、世界のすべてがおれに味方して、おれに味方したすべてのものはそのことによって美しくなった、おれがこれまでに見てきたものだ。

おれは、一切をやめた活動と現象を見せる。

ほとんどの人は、一切をやめたとき、急にスッカラカンになってヒューンと落下していく心地がするだろうが、おれの場合はそうじゃない、おれの場合は一切をやめたとき、「待ってました」とこの世界のすべてが味方しにやってくる/このことはまた別の記事で説明しよう、これはそういうことの記事ではないので。
おれは一切をやめたときに、落下ではなく飛翔するのだ、このときおれに味方するものは、ようやくおれに触れられるチャンスがやってくる、おれが一切をやめているから「わたしにやらせてください」と、一切を「やらせてください」とすべての聖霊が集まってくる、おれは何ひとつしない、何一つしないことで「世界」の活動が生じる/このときおれに味方しないものは、おれが飛んでいってしまって、もうおれに触れられなくなる、それまでリベラルやらイーブンやらでおれに触れさせていたのが単純に甘く、ひどい誤解を生み出すものだったのだろうな、ここまでくると誠実というよりただの悪趣味かもしれない。
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1月6日
うしてもっと、聴くということをしてこなかったのだろう。
まさかそんなつらい目に遭っているとは思っていなかった。
もっと早く、話を聴いていたら、まだもう少し、マシな協力をできたかもしれないのに。
気が付かなかったのは、最低です、言い逃れをするつもりはありません、ただただ自分が情けないです。

もう二度とこんな後悔をしたくないです。
だから僕は、人の話を聴くということを覚え直します。
ごめんね、つらかったときに、おれまであなたにつらさを足してしまった、自分のしたことが許しがたい。
ふざけていたわけじゃなくて、夢のようなものを見せることだけが、あなたをよろこばせると思っていた、本当にバカみたいにそう信じていた、愚かとしか言いようがないね、内心でそんなことにずっと必死だった。

僕にはやさしさが足りていなかった。

ふざけていたわけじゃなく、僕には本当に、やさしさが足りていなかった、自分を殺したいぐらい、やさしさが足りていなかった。
ごめんね、思えばこんなに大切だったのに、何度もあなたをがっかりさせたね、大切なときに的外ればかりしたこと、本当にごめん。
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思い出をありがとう
はわけのわからんものを好きになるな、いつの間にか。
いつもの窓から見る景色や、買い物に行く道すがら、などなど。
色んなことがあって、何もなくて、でもやっぱり色んなことがあった。
もしわがままが利くなら、やり直しじゃない、同じことを繰り返したい、そのことが不毛だなんて、まったく感じられない。

異常に胸が苦しくて、顔面の血圧が混乱している。
気持ちの切り替え方なんて、簡単でわかりきっている。
でも苦しいからって、切り替えたくないな、せっかく本当のことを感じているこのときに。
別に苦しんでいようがいまいが、最後の刻は勝手にやってくるんだから、そのやってくるものにお任せしようか、そのときまで。

7年前は、7年前の或る日に始まった。

ただそれだけで、当たり前なのだが、そのことにどうにもこうにも、ワアワア悲鳴があがる。
注、これは僕の健康問題の話ではありません、誰にでもあるようなことを、ただくどくど話しているだけです。
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大好きだったから
好きなお家に大切に住んできた。
これを建て替えると決めたらどうなるだろう。
大好きなお家の柱を引っこ抜かねばならない。
それはとてつもなく悲しい、でも、建て替えを先延ばしにしても解決はせず、どうするのよ、と苛々してしまう。

十分に愛したら捨てなさい。
それは愛の敗北ではないし罪でもない。
どうしても建て替えなくてはやっていけないときがある。
どうしたらいいって、もう泣きながら建て替えるしかないんだ。

視線を上げろ、新しい家に微笑もう。

眠ればときに、大好きだった、前の家の夢を見る。
「大好きだったな」、それでいいじゃないか。
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