☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
パーティ報告92(2)/人並み外れた「正気」をどうぞ
代は空想にあふれている。
フィクションと空想の区別がつかなくなっているのが現代の特徴だと捉えていい。
フィクションと空想は何が違うのかというと、フィクションは正気だということだ、「フィクション」とは気魄の整った者がなし得る構築であり、空想は気魄を腐敗させた者が耽りこむ思念の漏出でしかない。
だから、たとえばフィクション人物としての「刑事コロンボ」は、ロス警察の名警部(補)としての気魄が全身にみなぎっているのに対し、空想に耽る陰キャは自室にこもって気魄を腐敗させているということになる/フィクションには人並み外れた「正気」が要るのに対し、空想は気魄の腐敗が素になるのだ。

そして、気魄が腐敗するとどうなるかというと、気魄が腐敗するということは、「実感」に虫食まれていくということなのだ/実は「空想」は「実感の思念」が暴走することで膨らんでいくのであり、空想の正体はイマジネールではない。
「空想」がむしろ「実感」から生じているということは、思いがけないことかもしれないが、それは自分の指先を見て、その爪のあいだに針を刺すことを「空想」してみればわかる、「実感」を素にすれば空想はいくらでも膨らむということがわかるはずだ/この、実は「だらしないだけ」が正体である「空想」という現象を追い払うのが、人の「気魄」だ、人は「気魄」の技術を正しく獲得することで、正気を養うことができるようになり、空想と実感に虫食まれるという不毛の弱さを脱却することができる。
「空想」というのは、実は人の前向きな能力ではなくて、人が気魄の能力を失ったところに食い入ってくる、ただの弱さの現象なのだ/そんなことを説明しながら、パーティでふといつもやっている気魄の技術(組み手)を静かにやってみた、するとたちまち全員が気魄と正気を取り戻していった。
「正気を保っていなければ出来ない技術」があって、それを獲得しているというのは、生涯に亘る財産だと思う/今、個人のPCや端末は発達しているし、多くの業務は習慣と知能だけでこなせるものだ、つまり正気を失っていても業務はできる、空想された現実の中で業務をこなし、帰宅して空想のコンテンツに耽るということを、人は往復して暮らしていけるのだ、だが気魄(正気)を失っている以上、身体にはおぞましさが蓄積していってしまう。

事実上、すでに魂魄の型は「宝」だ。

魂魄の型を二、三度やるだけで、ビタッと人々が正気を取り戻していくあの様は、単純に胸に刻まれるものがあったな、おれはおれ自身としてまったく別次元に到達しなくてはならないが、一方でみんなが必要としていることのレベルが少しわかった。
事実上、すでに空想が「猛毒」で、魂魄の型は「宝」だ、当たり前に正気を愛好していきたい、そういえばいつのまにか、僕は朝まで飲んでも酔っ払わなくなったし、頭痛にもならなくなった、単純に正気が強く練られたのだろうな。
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パーティ報告92(1)/未来に向かう
告といって、何を報告すればいいかね、別に報告することはないような気がするが、とにかくいつもどおり平和に飲んで笑った。
今や、平和に飲んで笑っていられるというのは、それ自体が貴重な気もするが、それだけでなく、多くの人において、目が覚めてきたというところがあるように思う。
きっと何かひとつの結論に到達しようとしているのだ、そこに到達してからが本当のスタートになるのかもしれない。
はっきりとした土台を構築して、未来へ向けて拡大したいなと、今さらながらに思うのだった、ひとつの審判のときが近い感じなのだが、それは物事の終わりでなく始まりだ、これからが始まりだとすると大変なことだが、大変というより僕はそれをよろこびに思う。

ある女子大生が、すばらしく上等な企業への内定をぶらさげて帰ってきた。
僕を慕ってきてくれた人が未来を獲得することは、うれしいし、何よりホッとする、まさかおれが女子大生の未来へマイナスになるような存在であってはならんからな。
おれに唾を吐いて未来が拓けるなら、ガンガン唾を吐いてくれていいと思う、別に唾ぐらいどうってことないので、そんなことより未来がないほうがヤバイだろう、今のところ考えを改めておれを認め直して慕ってきてくれた女性のほうが未来が拓けているので、唾を吐きかけることをこちらから特にオススメはしない、来年の四月には初給料で焼肉でもオゴらせようと思っている、引くぐらい上カルビを食ってやるぜ。
不思議な世界があるのではなくて、自明の世界があるのだ、ようやく自明の世界に到達できそうで「やったぜ」という心地だ、この世界には観測不能のことがあるのはカントや量子力学において明らかだが、観測不能のことを「フシギ〜なんとなく〜」みたいにしていると、キケンでしょうがないじゃないか/当たり前だが僕は、「イケんじゃね?」が視える者でなくてはならないし、その「イケる」をなるべく多くの人にもたらせる奴にならないと、そもそも僕自身の存在が成立しない。

昨日までのことは、すべて過去になるだろう(当たり前)。

未来に向かわねばならないが、未来に向かわねばならないといって、そりゃ物理的に過去には向かえないのだから、未来に向かうのは当たり前だ、だがいつのまにか、未来がキライという人が少なくなくなってくる、特に加齢と共に/未来というのが目の前の現実なのだが、これにヘイト感情を持つ人は少なくないのだ。
次回は6月15日(土)です、次回といわず、百年後もやっているだろう、少なくとも僕は死なない限り、何かをやめるということはないな。
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第92回Quali's Party[5月25日(土)]無事盛会!

5/24 Quali tweet> 平成は終わったんだよ pls entry

今回もポスター作成はともこさんなので崇め奉るように
joined: ひろみ、りさ、あきら、ゆか、ともこ、まなみ、やじー、かず、マナセ、くおり
日時:2019年5月25日(土)19時〜23時
場所:原宿竹下口交差点DinningBar CLIMB



おかげさまで無事盛会でした! 次回もよろしくお願いします!! 九折


キラキラ次回[6月15日(土)]加エントリはこちらから!キラキラキラキラキラキラ


費用男性5000円 女性3000円
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第91回Quali's Party[4月20日(土)]無事盛会!

4/25 Quali tweet> 感動すべきことを「楽しむ」のは冒涜にあたる pls entry

今回もポスターはともこさん作、称賛しない奴は地獄行き推奨
joined: ひろみ、あきら、ゆか、ともこ、まなみ、かず、やじー、マナセ、ゆうさく、くおり
日時:2019年4月20日(土)19時〜23時
場所:原宿竹下口交差点DinningBar CLIMB



おかげさまで無事盛会でした! 次回もよろしくお願いします。 九折

キラキラ次回[5月25日(土)]加エントリはこちらから!キラキラキラキラキラキラ


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パーティ報告91(1)/冷静な不思議
色悪いことを言うようだが、僕は、僕のことを慕ってきてくれた連中が、少しでも幸福になってくれたら、それだけでいいのだと思う、気色悪いことだとは思うが、僕が気色悪いだけでそれが手に入るなら、僕の気色悪さなど安いものだ。
例によって朝まで飲んで、朝食にいって昼間でしゃべって、その後陽気につられて世田谷公園に行ってしまい、そのままそこで新発明したワークについてやりこんでしまったのだが、つまりパーティをワークショップでサンドイッチしたスケジュールになる。
それで、このごろは、以前までは朝までもたなかった女性が、いつのまにか遊ぶ時間の記録を更新していって、今回はついに最後までくっついて遊びきりやがった、誰よりもよく笑うようになって/それで何か、少し気が遠くなるような、何か不思議な気分で、今僕はいる。
今回のパーティは、盛会とか成功とかいうレベルではなく、もちろん大成功だったのだろうが、やっぱり僕は大成功とかそういうことには興味がないのだ、まったく気色悪いことだと思うが、どうやら本当に、僕のことを慕ってきてくれた連中が、少しでも幸福になってくれたら、僕はそれだけでいいようだ、このことが気色悪いだけで済むなら、僕は生涯この気色悪いやつを抱きかかえて死んでいきたいと思う。

なぜ僕は、こんなに慕われているのか、心当たりがなくて不思議だ、なんなんだこいつの異常な慕われぶりはと、なぜか他人事のように感心して眺めてしまう、感謝もされているようだが、僕は感謝ということには本当に関心が無くて、ただ僕のことを慕ってきてくれる奴が、何か不思議でしょうがないらしい、ときどきそれは自分の体験の映像なのか、自分が目撃しただけの映像なのか、よくわからなくなる。
僕がわけのわからない記号の話をすると、目の前の奴の黒目が、まるでギュルンとスロットで入れ替わったみたいに変化して、これまで疲れて苦しんでいた目がどこかに行ってしまった、何もかもナゾだ、はっきりいって時間軸上の青春だった時代よりも巨大なナゾに包まれている。
黒目がギュルンと恢復して、恢復というより新しい瞳になって、その他、よく笑うようになり、メシがうまくなり、賢くなり、自信を得て、苦しまなくなり、悪い仕草や凶相は消えてゆき、本当によく笑うようになり、いつまでも遊び続けたがり、深々と頭を下げるようになって、それらすべてのことを、けっきょく僕がやっているという自覚はあるのだが、その自覚に矛盾するように、僕は何もしていないという絶対の確信もある、僕は何もしていないのだが、僕がいないとだめだというのもはっきりわかる。
今回は特に、なぜだろう、極端に不思議、ひたすら不思議な気分なった、毎回、毎月、ここ半年、一年、二年、振り返るとみんなびっくりするぐらい変わったのだ、もう昔のそれぞれが思い出せないぐらいに/どんどん、びっくりするぐらい変わっていくのだが、それと矛盾するように、ずっと何も変わっていないという確信もある、こいつらは全員初めからこうだったという確信もどうしてもある。

僕は異常に慕われているが、慕われているのは僕ではない。

謙遜でも何でもなくて、本当にそうなのだ、僕は正直、最近はしばしば、どれのことを「僕」と呼んでいるのかわからなくなることがある、どれも僕自身であるには違いないが、そうではない、正直にいえば「僕」が複数存在しているような気がする、そもそも「僕」が単体という前提のほうがうそくさいようだ。
あと、直接関係はないメモだが、僕は「この世界はひとつの記号だ」と話した、「記号法」によって記号はイコール「表示」の力を持つことが解明されているが、「だからこの世界はずっとひとつの表示なんだよ、超デカイ "表示" だ」と僕は話した、僕はこのことに降り注ぐ何かの作用知っており、「これやると自分が下請けの工場みたいになるんだよな」、ただそのときだけ、いつものとおり「ハイこれ来た」となる、「そしてこの話をするとお前らの目はなぜかきれいになる」、僕はそう話したのだが、なぜかそうして目が綺麗になるということを、僕は知らないまま先に言っていた、心当たりはないが先に知っていたのだ、なぜそれを知っていたのかは僕にはわからない。
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「パーティへの誘い その6」

なんやパーティ参加者の一人まなみさんが

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を寄稿してくれたので読むこと。
若い人向けです。
読まない人はゴールデンウィークなしです。

九折
 

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パーティ報告90(2)/ハッピーかい☆
人のプロダンサーが、舞台で一つの成功を収めてきた、それは革命的な成功だった、まったく新しい面構え、新しい人が眼ざめて戻ってきたのはとても素敵だ。
気魄じゃなくてソウルだということを、僕は執拗に言い続けているのだが、一つの舞台の成功の裏の、端っこに僕がきっと引っかかって作用しているというのは、酒を飲んでいても気分がいい(バンザーイ)。
実際に何か事を為そうとすれば、誰かが自ら最前線に立つしかないわけで、その最前線に勝る誉れはない、まあ実際にスゲーことだと思うよ、当初から言っているとおり「よーやるわ、おれには無理だ」とおれはビビるばかりだ。
僕の言っていることは、もともとこの世界にあることばかりで、いわばそのへんの石を拾って見せているのと変わらない、だからいまいち自慢する気になれないのだが、かといって僕が自分をあまり安物に言うと、また一部の連中が怯え始めるので、そこそこにしておこうと思うのだった、今回は実にハッピー回だったな。

一つの成功を為し、ソウルプレイヤーとしての明らかな端緒に踏み入った彼が言うには、やはり一切のセオリーが、オカルトではなくゴリゴリに理詰めだったのがよかったとのこと、確かに僕は当該のことを「学門」だと言い張り、どのように詳細を聞かれても相手をドン引きさせるぐらい具体と聖典を緻密に紐付けていたわけだから、けっきょくはそういうものしかアテにならないのだと僕は信じる、信じるも何も結果的にそうなのだからしょうがない/かくして、ソウルプレイヤーとして一人の旗手となった彼は、「これからもガンガン、パクっていきますよ〜」とのこと、となると僕としては、パクりきれないほどのネタをこれからも供給し続けていくしかないな。
あとは何だっけ、情熱家○○氏について、「○○とは!」の会、うーんいくら酒の肴がほしいからといってなかなかひどいテキトーをやるものだ笑、さて音に聞こえた情熱家は、男と女の光と闇へ、都会の光は人を新しいステージに誘うが、その飛翔を追い切れなかった者は……ともあれ合言葉はノートラブルだ、情熱以上のものへ接続して、「あいつの場合はしゃーない」という次元へ到達できるか、到達したけりゃ出発すりゃいいじゃん(笑顔)。
そういえばニンジャ青年も、「やべ〜、何かがやべ〜」という調子で、妙に幸せそうだ、いつからかの「作品」以来そうなっているな、旧ヴェジ青年も、ここにきて逆に「健全」というテーマが下賜された、健全っていいよな、現代へ続くすべての健全さは80〜90年代のアメリカ映画に支えられているので、まずはフットルースとフラッシュダンスを観ること(おれも内容はもう忘れてしまったが)。
人が言葉を発するように見えるが、元は言葉が人を作ったんだぜ、496miles, トレビの泉、夕暮れにベランダに出たら彼女のことを……デル・ソーレは太陽の日! 魂の言葉があり、実は言葉が物語と魂をくれた、このことをナメてかかったから、現代は呪詛の業界になってしまった、まあそんなことはどうでもいいのだが(よくない)、今回は実にハッピー回で、われわれハッピー会はこれからもハッピー界なのであった、みんなハッピーか〜い。

新しいダンサーは、何かを聞き続けていた。

そんなことはまあ、おれほどの視力になると、見たらすぐわかるのだ、その横隔膜の佇み具合ね/なんというか、盛り上がりもそこそこの大騒ぎだとして、せいぜい「大麻は要らん」というぐらいは自慢しておこうか、そりゃもともとがハッピー界なら大麻は要らない、全員が最初から最後までハイボール縛りになる必要もないと思うが笑、何かもうそういうことは忘れているんだろうな、バリエーションという概念が蒸発しているのだ。
理屈でなく、信じるものがあるということは、逆にゴリゴリの理で詰め切られていて、「理がむしろ飛翔だよワロタ……」ということ、そうして信じうるものに触れるということが、自信を得るということの入口だろう、容赦なくシバかれるくせに、毎日来られるものなら毎日来たいという、酔狂か真実かわからぬことがあって、そんな感じで原宿竹下口の朝までゆく、こんなことが生きている中であるなんてと、思われているところ僕はこんなことしか生きているうちになかったのだ、そんなわけで次回もよろしく。
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パーティ報告90(1)/冷静な愛のシャウト
銃からは弾丸が出る。
それと同じで、いいかげん自覚がある、朝起きたときからずっと、冷静な愛のシャウトがある。
拳銃からは弾丸しか出ないように、けっきょく僕みたいなものは、どう揺さぶっても目と声から冷静な愛のシャウトしか出ない、別に僕が出そうとしているわけではなく、たぶん単に「他のことはよく知らん」のだ。
冷静な愛のシャウト、愛というのはそもそも「比較( ratio )」という事象平原にないので、比較分野の人々とへ説明しようとすると、比較用言語に取り込んで説明するしかなくなり、おれなんか頭がイイので翻訳は完璧なのだが、その説明はひたすら容赦のないものになってしまう、つまり内容は合っているのに本意は作用しなくなるのだ、それでも ratio しか受け付けないというのであればもうそれを繰り返すしかないのだが、それはまるで安全運転の理論をえんえん聞かされながら永遠に路上には出ないというようなありさまなのだった、別にそれを無駄とも皮肉とも思わないが、そっち方面はパーティにはならんだろうなと当然ながら思うのだった。

冷静な愛のシャウト、という、なぜか朝起きたときからある、あるいは僕が生まれる前からそれはずっとあるのだろうが、そういうものがあって、別にそのことには関心さえ持ちようがないのだが、とりあえずこれはパーティ報告ではないな、これはいつも僕が朝起きたときのことだ。
冷静な愛のシャウトというのがどうやら僕の真実らしく、それ以外のものは、何をやっていても僕ではない、別に不満ということもまったくなくて、僕を揺さぶったときに出てくるものは初めから最後までそれしかないのだ、いちいち何かを感動的と思うことさえまったく起こらない。
冷静な愛のシャウトという事実があり、テーマとか笑顔とかに注目したことは一度もないな、いいとか悪いとかいう評価もけっきょく ratio の中にしか発生しえないものだから、僕はまるで一人だけバグっているというようなありさまだ、ただ景色だけがあり何のスイッチも存在していない。
ratio がないので、正しいとか間違っているとか、善とか悪とかいうのもないな、説明の平原にないので説明しても事実には至らないのだが、僕における冷静な愛のシャウトは、僕の決定を要さずむしろ向こうが僕を決定しやがっているだけなので、もう何をどうだか、女の子なんてホッチキスのようであればいい、ホッチキスがあって困ることは誰にもないし、ホッチキスはいつも仕事熱心だ、紙の束をいつでも咥えます束ねますと、いつもきれいな目をして自分のできる仕事を与えられるのを見上げて待ち続けている。

ホッチキスはかわいい。

正式にはステイプラーというらしいが、まあ通称でいいだろう、朝起きたときにはすでにもともと冷静な愛のシャウトがあって、かわいい女の子がホッチキスのように健気に仕事を待ちわびている/それ以上何も必要ではないが、できたらもっとにぎやかなほうが、うれし涙が多かろう。
今回もパーティは無事盛会だったが、僕はどうやら、すべての日々を朝起きたときから夜寝るときまで、ずっとパーティの中にいるらしい、この空の下すべてがパーティ会場だから、パーティから逃れるすべがない、本当にもう何十年もすべてのことがわからないまま生きてきてしまった、肯定も否定もないので、僕には愛を肯定する権利さえ与えられていない、何かもうひどいのかどうかさえもともと考える権利が与えられていなくて満足も強制的に与えられているというのが事実だ。
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第90回Quali's Party[3月23日(土)]無事盛会!

3/25 Quali tweet> へちま、注力するジャンルなんか存在しないへちま  pls entry

(今回のポスターはともこさん作です、ご協力tks)
joined: ひろみ、あきら、ともこ、ゆか、しおん、かず、マナセ、ゆうさく、やじー、くおり
日時:2019年3月23日(土)19時〜23時 場所:原宿竹下口交差点DinningBar CLIMB


今回も無事盛会でした! 次回もよろしくお願いします。
何かもう、盛り上がったというか、逆に不思議な感じになってきたぜ!! これでいいグッド!!
九折

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パーティ報告89(2)/「愛やりま〜す」
ええええ〜い。
今から「愛」やりま〜す。
で、隣の人と、いええええ〜い。
こんなことに、精密な理論があるのだ、我ながらアホなんじゃないかという気がしてくるが、本当に理論があるし、実際にやってみろということになると、理論から実技をきっちり修した人にしかできないのだった、なんかもう逆にスゲーわ。

相手にふと、気魄を向け、均一な「No」かける、その後横隔膜をやわらかくして空間を広く取り、「Yes」たる観測不能から観測不能へ、命令法として「いえええ〜い」を向け、「命」を帯びさせ、相手に「呼応」が起こるようにしている/その際さらに、「いえええ〜い」は無限原点(オリジン)から生じて空間にエコーしているのがよく、何であれば「物語」とも接続しているのがよい。
という、アホみたいに精密な理論を、考えてやっているのではなく、当たり前のこととして、魂魄が機能するようになってくる、だって本当にそうやっているんだもんとしか言いようがない/このことが十全にこなせていないと、人はけっきょく、相手に「空気を読ませて付き合わせる」ということしかできない、それは数度ならよくてもえんえんと続くと苦痛であり負担だ。
愛の問題というと、愛とは何かということについて、思索することも必要だが、実際には「ほれ、どーぞ」という場面に立ち、直接実現することが肝要になってくる、そりゃ当たり前だ/そしてその直接実現に及ぶほど理論と実践が練り込まれているかというと、誰がそんなヒマなことを研究して練り込むのだという話だ、こんなアホなことを高度化させているアホが本当にいるのかと我ながら呆れてくるが、それにしてもけっきょく直接実現できないのでは何のこっちゃ意味不明だ。
どれだけ真剣に考えてみても、実際に「ほれ、どーぞ」と言われると、なかなか生々しいものに向き合うことになり、大量の冷や汗や脂汗を掻くことになる、その現実に直面するとつい、「手裏剣でも投げますか」という逃避カモン状態になるのだが、まあ手裏剣を投げつつ、こっそり気長にやっていくのがいいのかねと、現実的なことを思うのだった。

「愛やりま〜す」とその場で宣言すれば、直後、己の実情・実態がわかる。

何をアホなことを、という気がするかもしれないが、それが軽視に値するアホなことなのであれば、逆に気軽にやってしまってもかまわないはずだ、だが実際には、たいていヒサンな空気が場を支配するであろう、あるいはどうしても無理のある、それゆえの善良な同情的空気か……/そこを完全にセオリー化し、高度に技術化し、なおかつ命そのものに帰順させるという、そんなアホなことになってしまった、まあそれは僕が生まれつきの極限アホだからしょうがないことだろう。
もともとがこんなアホな話なのだから、それぞれのレベルの高低や、上手・下手はどうだっていいと思う、ただ僕はこんな入口があるということを示したく、このアホな入口を選ぶのなら、一生をかけてずっと追究しつづけること、つまり一生「やることがある」ということになるので、そういう前向きなことをオススメしたいのだった、別の入口を選ぶと人の一生は「やりたくないがやらねばならないこと」だけで埋め尽くされてしまう。
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パーティ報告89(1)/生の残高と命の信託

る種の触れ方、まあ「殺す」という触れ方だが、この触れ方はとてもむつかしく、これについてはアドバイスもオススメもできない。
殺すというのは、生きものを生きものでなくすということであり、生物的主体を消すことだから、「生きものを殺す」というつもりでは純然の「殺」には到達しない、純然の「殺」に至るには、初めから生物的主体のない、いわば死亡済みの「死体を殺す」という感覚でなければだめだ、もちろんこんな話は何のこっちゃわけがわからない。
ただ、純然の「殺」は、すでに死んでいるものを殺すわけで、すでに死んでいるものに対しては、憎悪や攻撃の向けようがない、だからこそその「殺」の手は純然の感触になる/ここのところの生死の見切りが学門として正確に得られていないと、このことはとてもじゃないが取り扱えないので、こんな話は「なにこれ」と聞き流されているのが最も妥当だ。
もちろん「殺」といって、単純な殺傷や加害の事件を起こしていたらアホだ、ここで言う「殺」というのは、死の直覚的宣告という意味であって、せっかく生きている身体をわずかでも加害・損傷することがあってはならない、だからこそむつかしいわけだ、わずかの加害も損傷もなしに殺せ(死の直覚的宣告をもたらせ)ということだから/うーんこんなわけのわからんことが、実際に体験するとすげーシンプルで、しかも割とウケるのだから不思議だ、もちろんおれはことごとくウケることしかやらないのだった。

それで、何の話かというと、われわれがソウルおよび、「命を帯びる」ためにはどうすればよいのかという話なのだった/それはわかりやすくいうと、実にあっけないことで、生の残高を命の信託に投資すればOK、命を帯びるようになる、ということなのだった、シンプルだが割と説得力のある説だろう。
われわれの生は、ご存じのとおり、お金とは異なる性質があって、スタートが満額であり、その後は減っていくのみという性質だ、この生が尽きるまでに何の命も得られないと、本当にただ生の残高をすりつぶしていって、命の登記が何も得られないまま消滅してしまうことになる(という感じがする、本当にどうなるのかは誰にもわからん)。
それで、われわれは己の生が残高を減らしていくのみということを日常すっかり忘れているので、「殺」の触れ方によって、その場で一時的に生の残高をゼロにしてしまう、そしてわれわれはゲンキンなものだから、残高がゼロになる瞬間、「ゼロになるぐらいならいっそ」と、その残高をとっさに「命」の信託に投資するのだ/生の終わりが一般に死と呼ばれるが、命は死とは関係がないので、命のほうは生物的死亡のあとも残り続ける、そういうことならそりゃあ消滅する生より永遠に残る命のほうに投資するに決まっている、そもそもそうでなければ「生」はいったい何に使えばいいのか使い道がわからないままだ。
「殺」の触れ方で触れられると、最初は怖がるのだが、それが「生」→「命」への振り替えをもたらすことを体験すると、「あれ?」となり、「殺」とか「死」とかは正しくやられるとずいぶんライトなものだと感じられるようになる、別に痛いとか苦しいとかいうものでもない(痛かったり苦しかったりするのは「死」ではなく「攻撃」だ)/それで、むしろ「命」を帯びられるのがすげーいいじゃんという感じになり、「もっと今のやつやって」となり、「殺」の触れ方の前にすすんで首を差し出してくるようになる、「死ぬのはぜんぜん悪くない!! むしろイイ!!」と言い出して、「命に向けて、何か一瞬 "イケる" という瞬間があるでしょ」ということが別にむつかしくもなくわかるようになる。

「生」を「命」へ運用しないまま、「生」だけが尽きるラストは大変よくない。

そりゃ考えてみれば一般的な通念と同じで、「これこそわが命」ということを得ずに、ただ生きながらえるだけの生を過ごしたなら、それはむなしいし、むなしい以上に何かがヤバいに決まっている、何かしらの命を帯び、命を果たすために生きているのじゃないかということは、誰だってうすうす考えたことがあるはずだ。
「生」の残高を、「命」の信託に振り替え、投資する、そのための手続きとして「殺」の触れ方はとてもわかりやすい、いわばファンドマネージャーのような役割になるが、別にそんなハンドリングを経なくても、誰だって自分で気づけばそのように振り替えをしていい話だ/そもそも生というのは、生存本能があるくせに、生そのものは百数十年も経てば尽きてしまうというのが致命的な欠陥だ、この欠陥システムに付き合い続けて命なしに残高ゼロというのはまったくよくない、生の残高が命に振り替えられると、身はいきなり鎮静して、瞳の奥に明らかな輝きが灯り始めるものだ(もちろんその後、またジタバタやり始めると、命の信託は解約されて生の残高に戻る、まあそういう当たり前の仕組みなのだからうまくやりましょう)。

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第89回Quali's Party[2.23(Sat)]参加者募集!

2/24 Quali tweet> 意志の問題であって安定なんか逆にあぶない pls entry

Recent entry: ひろみ、あきら、ゆか、ともこ、かず、くおり
日時:2019年2月23日(土)19時〜23時
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パーティ報告88(3)/僕はレベルが低い

はり、と確認すると、すっきりして冴え冴えするのだが、僕はレベルが低いのだ、だからこそワークショップの題目も「世界のボトムを見せたりまっせ」となっている。
人はふつう、生きているうちにレベルアップを重ねていくものだが、僕の場合、生後六ヶ月からレベルアップしていないのだ、だからびっくりするぐらい、<<実は何もわかっていない>>ということが真相としてある。
といって、つい先日、「このとおり証書も印鑑も預かっているのだから、法人の預金を動かせろ、少し以前の銀行さんから見たら表見代理なり準占有者なりは成り立っているだろ」と信用金庫の人にネゴっていたのは僕自身だが、そういうことの問題ではない/僕には一応の世間知も常識もあるはずだが、僕は根っこのところで、その世間知と常識で人々が「何をやっているのか」がよくわかっていない。
おそらく僕は、もうずっと長いあいだ、人があれこれ言うことのすべてを、きれいさっぱり聞き流してきたのだ/その結果、僕は僕よりレベルの低い人をまず見ない、僕よりレベルの低い人がいたらさすがに、「大丈夫かオマエ」と僕だって心配するだろう。

僕はほとんどすべてのことがわかっていない。
カレンダーが次の日にちに移動するということもよくわかっていないし、目の前にいる人がそれぞれバラバラであることや、目の前にいない人は「いない」と扱われているということ、時間は過ぎ去っていくのだという感覚、言葉は意味のために使われているというようなことの、すべてのことが実は「わかっていない」。
「シュークリーム」というお題で、小さな作品をつくれとなったとき、僕はこのように示した――「冬の終わりの最後の日/雲が風にちぎれていく/東の塔から西の塔へ/万国の旗が吊るされる/(シュークリーム)/『紳士淑女のみなさま、二時になったら、中庭にお越しください』」、それぐらい僕はすべてのことが根本的に「わかっていない」。
僕はレベルが低すぎるので、本来は僕が教わる側で、僕が教える側では決してない、ただ僕の場合はレベルが低すぎ、またレベルを上げるつもりがまったくないので、誰かが僕に何かを教えようとしても、僕自身が何かを「教わる」というレベルにさえ到達していないのだった、それですべてが空転してしまう/そのことをうすうす自分で感じていたので、僕はこれまで誰かに何かを教わりに行くことがなかった、赤子が母国語を教わりにはいかないように。

僕は自分の魂が一箇所だということさえよくわかっていない。

僕は、もし「1−1=0」なら、「算数が消えてしまう」と感じてしまうし、人が生きているのと死んでいるのとで区別されることさえよくわかっていないのだ、僕には数直線やxy平面の原点Oはゼロではなく「無限大」に見えてしまう/僕は本当に人の話がわかっていなくて、僕の目の前には「無限種類の果物がそれぞれゼロ個ある」というような気がしている、こんな奴がまともな誰かとまともに話が噛み合うはずがない。
僕は極端にレベルが低く、本当に何もかもがわかっていない、それでも今まで生きてこられたのは、本当に他の誰かに助けられてきたからだ、それだといって「感謝する」ということさえ僕にはわからないのだが/われながら呆れるが、おそらく「頑張って生きないと死んじゃいますよ」ということさえ、根本的によくわかっていないのだと思う、むろん生身のものが死ぬということがわからないわけではないが、みんなが言う「死んだら死ぬ」ということがよくわかっていないのだ。

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パーティ報告88(2)/遊ぶということ
わめて穏やかな会だった。
穏やかというのも、ケタが外れているかもしれない、後半はほとんど、僕が静かに歌っているのを、みんなが聴いていればそれで満足、というようなありさまだった/こんな物珍しい光景がこの現代にあるものかね、自分で言うものではないが見ていて何か不思議だ。
多くの人は、実は本当のところ、「遊ぶといって、どうやって遊べばいいのかわからない」「朝起きたとき、正直、何をしたらいいのか、自分でわかっていない」「仕事があるから、とりあえず仕事に行きますが、それだって本当は何のことなのか、よくわかっていないんです」ということのようだ。
僕にとっては、遊ぶということがわからないというのは、聞いていて驚きだったが、一方で僕が、「朝起きたときから、何したらいいかわからないと感じたことが、生まれてこの方一度もない」というのも、みんなにとっては驚きだったようだ/おれなんか、一日が仮に2400時間あったとしたら、その間ずーっと迷いなく遊び続けているだろうからな。

「恋あいは現代においてオススメできない」と、言わねばならないことについては、たいへん断腸の思いがする。
が、しょうがないのだ、へんなリスクを犯すわけにはいかないし、不本意なトラブルや喪失を招くべきではない。
現代において、「寂しさ」は水面下で、強大な規模に育っているはずであり、いきなりこの「寂しさ」をフルオープンして噴出させると、取り扱いが不可能になるはずだ、何のしがらみもなく単独で出会った誰かとの逢瀬というならともかく、そうでない場合は、この局面において、寂しさに駆り立てられて恋あいに踏み出すことはどうしてもオススメできない、このさびしさの中でその恋あい「だけ」になってしまうと、どうしてもそれにすがらざるを得なくなって、戻ってこられなくなるからだ/恢復するというなら、この局面において、すべてのことを同時に恢復してゆかねばならない、つまり遊びにせよ仕事にせよ、友人、趣味、作品、その他すべてのこと……
「恋あいって、誰かお目当ての異性を愛するという、狭窄的なことではなくて、もっと大きなこと、 "異性がいるこの世界を愛する" ってことなんだ」と僕は話した、「うつくしい夜景があって、でも愛するべき誰かに出会えなかったとして、それがもう恋あいなんだよ、愛すべき誰かを求めながら、それに出会えなかったというのが、もう恋あいの夜を過ごしているってことだね」。

「遊ぶというのは、この世界に恋をするってことなんだよ」

「たとえばおれは、何の理由もなく、 "大磯ロングビーチ" に行きたいと思っている、単に箱根に行くときに、そういう地名を目にするからだな、まだ一度も行ったことはないのだけれども」「おれは、大磯ロングビーチという名前と、場所に、可能性というか、ときめきを覚えているんだな、だからそこに行くことが遊びになる、恋をしているのだから会いに行きたいというのは至極当たり前のことだろう?」
「遊ぶというのは、黄色とピンク色で、なぜその色なのかはちょっと説明を省くけれどもね、遊ぶというのは恋なんだ、恋ってのは必ずしも異性とするものじゃないんだよ、風景とだって恋をする、遊ぶ……だから逆に遊べること自体が恋の重要な要素になる」「おれなんか、言ってみれば、恋がなければ一ミリも動かないってことなんだろうな、すべてのことについて恋をしてしか動いていない/恋以外の動機で動いたことはこれまでに一度もなくて、だからおれはすべての時間が遊びに包まれているんだ、おれは生涯ずっと遊びの止め方がわからないんだよ」
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パーティ報告88(1)/豚肉と厚揚げ
「まずは豚肉を炒めろ、それが基本中の基本だ」
「豚肉と炒めるのは、モヤシとニラだ、そして味付けはすべて、醤油とお酒を同量でいい、それですべての和食は破綻しない」
「そして、一人用の鍋とかカセットコンロとかも売っているから、それで湯豆腐だな、YouTube見ながら湯豆腐つつくんだよ(ニコニコ動画はもうアレだし……)」
「それで、ちょっと物足りないときには、豚肉の残りを解凍して豚しゃぶに移行だ、あるいは豚肉はスパゲティにも使える、豚肉があって困ることはない/こうして豚肉の使いどころを覚えれば、自然に半額シールのついている豚肉はサッと購入して冷凍しておくようになる、そうして一人暮らしは回すものだな」

「食事のことは、割とまともにしたほうがいい、年齢によっては健康の問題もあるし、食い物というのは運にも関係しているからな、あまり粗末な食事ばかりして運を落とすのはよろしくないだろう」
「なぜか知らないが、やがて誰でも知るとおり、ある年齢からレトルト食品やカップラーメン等が、ぜんぜんおいしく感じなくなる/そして逆に、自分でそれなりにウマイものが作れるというのは、それだけで自分が生きる自信になるんだよ」
「風邪を引いたときは出前だ、出前は一人前では頼めないかもしれないが、そのときは親子丼とうどんを注文するんだ、そしてうどんを食ったらその残りのダシで親子丼を煮る、そうしたらおじやの二食ぐらいにはなるだろ、これは割と有名な、一人暮らしで風邪を引いたときの黄金パターンだな」
「煮物は例外だ、煮物というのは、『腹減ったなあ、何か作ろう』と思い立ってから作って、メシに間に合う料理じゃないんだ、煮物というのは今日作ったら明日食べようという感じの料理だな」

「アーリオ・オーリオ(オリーブオイル・にんにく・唐辛子)を覚えたら、パスタだけじゃない、アクアパッツァにもアヒージョにも使える」

「そういう料理のことも、まあ誰かから誰かへ、伝染していくものだけれどね、さすがにそんなことまでぜんぶブログ記事に書いていられねーだろ、たとえば静電気を起こさない方法とか……そんなものまで書いていたらおれが破裂するし、ブログ読んでいる側もわけわからん感じになるだろ」
「あと、スーパーでも近所の豆腐家でもいいので、厚揚げだ、ゴマ油で厚揚げをチリッと焼いて、醤油を掛けて食っていればいい、日本人のおっさんはどうせ豆腐に行き着かざるをえないし、豆腐や厚揚げを食っていれば死なないからな、そのほうがけっきょく安くつくというのもあるよ、別に毎日シャトーブリアンを食っているのが幸せってわけでもない」
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第88回Quali's Party[1月26日(土)]無事盛会!

1/28 Quali tweet> 今回はサイコーでしたな pls entry



(ポスターはきみのこころの中にある)


日時:2019年1月26日(土)19時〜23時
場所:原宿竹下口交差点DinningBar CLIMB
joined: ひろみ、あきら、りさ、ともこ、ゆか、かなみ、やじー、ゆうさく、くおり


今回も無事盛会でした! サイコーのええ感じでしたな。
次回もどうぞよろしくお願いします! 九折


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パーティ報告87(2)/ソウルの委譲
譲というのはヘンな言い方だが、いいのだ、ソウル(魂)は減るものじゃないので、委譲されたものはどんどん行使してよろしい。
今回も、毎回のとおり、夕方から始まってそのままワイワイやり、朝までやって、メシくってウダウダして、昼になって夕方になって……と、えんえん遊び続けてしまったのだが、朝になって、ひとつ偉大なことが確かめられた、これは大げさだが「偉大」と言ってしまっていいだろう。
今になってやはり、僕の言い方、「努力なんてしてもしゃーない、成長なんていらねー、技術じゃねーし〜」という言い方に、ふたたびの確信を得る、本当にまともでナイスなことは、ソウルの委譲で起こるからだ、そりゃ何のソウルにもつながらず、誰のソウルも引き継がずに、自前のガンバリでナイスなことなんて出来ねーよ。
正確に言うと、努力は「必要」で、成長も「必要」、技術も「必要」なのだが、その必要品を揃えたところで、「ナイス」なことにはならないということだ、そりゃ当たり前だわな、必要品なしに跳躍は起こらないが、必要品を集めたところで跳躍は起こんねーよ。

ある女性に、ソウルの委譲が起こって、跳躍、急にカッコよくなったのだ、それはもう、同じ女性から見ても「惚れるわ」というぐらいに、急にきれいに、カッコよくなるのだ。
そりゃまだまだ未熟なものかもしれないが、未熟どうこうはカンケーない、ソウルの委譲が起こったのだから/ソウルが委譲されると、彼女はパッタリと、「オタオタする」ということがなくなった、眼の奥に光が灯った、モノを「言う」のではなく、「話」につながるようになった、「そりゃ大きさは違うにしても、もう引き下がらなくて済むようになったろ?」「あ、本当だ、引き下がらなくてよくなった」。
「妙なことを言うようだけど、オマエの目の前にいるコイツね、これが、オマエの "わたし" なの、人間にはそういう能力がある、これをさっさと、当たり前のことにしないとな/オマエの目の前にいるコイツが "わたし" で、その逆をしてはならない、オマエをこの人の "わたし" にしてはならない、人間にはこの、逆方向への能力もあってしまうから」
なぜソウルの委譲が起こったのか? それは端的に、彼女が社会的にも大変ナイスな、すげー活躍をしたからだ、彼女は教わったことを使い、教わったことのみならず、目の前のことをなんとかしようと、与えられたものを行使したのだ、まあぶっちゃけて言えば彼女は「九折さんを使った」と言える、使えるものを全部使おうとすると必然そうなる/だから彼女は思いがけない活躍の後、内心でそれを与えてくれた人の名を呼んで称えた、それでソウルの委譲が起こった、彼女が自前のガンバリで活躍したのじゃない、人ってそんなにケチくさく出来てねーよ。

努力と成長と技術で跳躍するものなら、僕は一ミリも跳躍していないはずだ。

何しろ僕は、努力なんか一ミリもしないし、成長もしないし、技術なんて重いものは持てないので、いつも手ぶらだ、すべてのことをその場しのぎだけでなんとかしていこうとする、サイテーの不誠実な人物だ/ただ僕は、何でもかんでも、偉大な人のことを「すげえ」といい、偉大な人のソウルを使うからな、それは何といっても、おれ自身はまるで使い物にならねーから、偉大な人のソウルを "わたし" と認めて使うしかないのだ。
「おれはアサシン教団の者だと、いつも言っているが、それはエツィオ・アウディトーレがアサシン教団の者だからであって、エツィオがアサシンならおれもアサシンだ、おれはずーっとそれだね……ところで目の前のテメーにおれのソウルが委譲されているのを見ると、なんか、率直に言ってズルいな!! こんなのテメー、一気にトクをしすぎじゃねーか!!」
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パーティ報告87(1)/慾望の解放
「 "もしお金がいくらでも貰えるとしたらいくら欲しい?" そういう質問に、おれはいつもこう答える、 "おれだけすべてのものを無料にしてくれ" 、そうしたら支払いそのものから逃れられるだろ? 購入という行為そのものから離脱できるんだ、そこまで視えてなきゃ、慾望への向き合い方が甘いよ」
「近所に大キライなババアがいたとする、このババアの脳天を、拳銃でぶち抜きたいか? いや違う、本当の慾望をいえば、このババアが急に佳いババアになるか、いっそのこと最高の美少女に変化してほしい、そこまで視えてなきゃ慾望への向き合い方が甘いよ」
「街中にいる可憐な少女や抜群の美女を、次々にレイプしたいか? いやそうじゃない、本当は、向こうから抱かれに走り寄ってきて欲しい、すべての美女と美少女がおれのことを愛しまくって、そしておれにヤラれることで幸福になってほしい、彼女だけでなくその他すべての人がだ、そこまで視えてなきゃ慾望への向き合い方が甘いよ」
「本当の慾望を考えたとき、しょーもない、何もかもをメチャクチャにして、己の小さな願望を埋めたいということではなく、何もかもが大きなYes、無条件のYesに包まれるようでなくちゃダメなんだ、そうでなきゃ本当に満たされはしない、実際どんなお金持ちが美女を好き放題に連れ回していても、彼らが "満たされている" ということは決してないじゃないか」

「そうして考えると、本当に己の慾望を満たすということを考えたとき、いっそもう、誰も決して死ぬことのない、不死の国、Yesの国、つまり "永遠の国" にでも到達するしかないんだよ、何もかもが愛し合って、絶え間ない歓喜に一切のほころびが生じえない、何も失われることのない、そして時間の流れない永遠の国だ、それに比べたら、資産を一兆円持って十万人の女をレイプしたところで、何がどう "満たされる" わけがあるんだ、慾望への向き合い方が甘いよ、そんな一兆円やら十万人やらで満たされるほど、おれの慾望は甘くないわ」
「おれだって、電車で腰の曲がったババアが立っていたら、座席を譲るぐらいはする、でもそれは善意でもなければ道徳でもない、おれが席を譲るとしたら、おれ自身の慾望によってだ、おれはおれ自身の慾望以外のことは一ミリもやらない」
「そもそもおれは、自分の慾望をガマンしたことが一度もない、 "世界一慾望に忠実な男" と言われていたとおりだ、もちろん慾望をそのままいつも "実行" するというのでは、ただのトラブルを起こすバカだが、そういうことじゃない、おれはこれまでに自分の慾望をガマンしたことが一ミリもない/おれがババアのこめかみを、ひまつぶしに拳銃でぶち抜かないのは、ガマンしているからじゃない、それによってババアが死ぬということが気にくわないからだ、こめかみをぶち抜かれたぐらいで死ぬなよクソがと思っている、そうしたら好き放題にこめかみを銃弾でぶち抜いてやれるのに、もちろんババアのこめかみを銃弾でぶち抜くこと自体は慾望として面白いだろ?」
「この、慾望の解放については、バカに誤解されるのがイヤだったので、このごろ話さなかったのだが、おれはもともとそういう路線だったよ、だが今になっては、逆のほうに誤解されないように、説明する義務が出てきたな、おれは今、両サイドを裸のオッパイに挟まれても、何ら静寂を乱されるものではないが、それは慾望をガマンしているからじゃない、慾望を解放したことの結果として静寂が変わらんということだ、それはおれの慾望が、感受性などというふざけたものでは一切満たされないからだ/おれは己の慾望について一切のガマンをしない、ただおれが静かでいるのは、女のオッパイをいじったところで不穏や不幸が発生するのが大キライだからだ、そのへんはまったくモノが違うのだから、きみなんかはそこを誤解しないように注意だ!!」

「グラビアやアダルトビデオで、オッパイをゆさゆさしている派手な女の子がいても、おれは興奮しない、ただ "このうつくしい子は、こんなことをするために生まれてきたのじゃない" と視えて、やりきれなくなるだけだ」

「けっきょくおれは、 "まともなこと" しか愛せないんだ、不穏なことなんて根こそぎノーサンキューなんだよ、ただな、当たり前のことだが、慾望を隠していたって、抑圧していたって、同じだ、隠していたって、慾望は "ある" のだから/慾望を隠したまま表面上の平穏を作ったところで、本質的には不穏じゃねーか、そこのところを勘違いすんな、おれの場合は、掛け値なしに慾望を全オープンして "この状態" だ、こっそりガマンして取り繕っているのと同じに扱うと単に事実を誤認するぞ」
「南部陽一郎というドエライ先生が、宇宙開闢の秘密の一端を解き明かしたが、この先生が言っていたよ、そこまで研究するのは、知りたいという "慾望" があるからだって、慾望の解放の果てに、宇宙の開闢まで手を突っ込んだわけだ、そりゃそうまでしないと人の慾望なんて本当には満たされはしないよ、スカートに手を突っ込むだけで慾望が満たされるなんてこと、冷静に考えたらあるわけがないだろ?」
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第87回Quali's Party[12月8日(土)]無事盛会!

12/10 Quali tweet> いやあ本当にイイ回でしたわ pls entry

join: ひろみ、ゆか、あきら、ともこ、かなみ、しおん、かず、くおり
日時:2018年12月8日(土)19時〜23時
場所:原宿竹下口交差点DinningBar CLIMB


おかげさまで無事盛会でした! 次回もよろしくお願いいたします!
うーん今回もナイスだった、今回は特にナイスだったかもしれんなあ〜

九折

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(会場側の都合で第四土曜日になります)



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パーティ報告86(4)/基礎教育のコーナー「仁」

「それでは、ヴェジ青年をターゲットに、基礎教育のコーナーを始めまーす、みんなヴェジ青年を当て馬に、勉強するよろし」
「こんなことね、本来は、理屈で伝えるようなことじゃないんだけどね、ジンギレイチシンって知っているか、なんとなく聞いたことはあるかね、モッカドコンスイと同じような記憶で」
「儒教の基本、五徳ってやつだな、仁義礼智信、さてじゃあ一つ目の『仁』はわかりますか、『仁』ってなんじゃらほい」
「わからんか、そうだな、そういうもんだと思う、『仁義なき戦い』とかのタイトルは有名だけどな、じゃあ仁義ってなんぞやと言われると、実は誰もよくわかっとらんもんだな」

「仁というのは、単純には『思いやりのこころ』だ、自分の損得や感情とは関係なく、誰かのことを『かわいそうやん』と思うようなこころだ」
「義というのは、正義うんぬんでわかりやすいように、自分の損得や感情とは関係なく、人として『やらなあかんことがあるやろ』と見つけるこころのことだ」
「たとえば、電車で優先席というのがあるよな、ご老人や身体のお悪い人に席を譲るというやつ、あんなもんな、アホの話だぞ、優先席であろうがなかろうが、電車の座席なんか全部優先席じゃ、目の前にしんどそうなババアが立っていたら、『かわいそうやん』と感じ、『人としてやらなあかんことがあるやろ』と見つけないといけない、そうでなきゃ頭がパーだよ、これ基礎教育ね、とにかく理屈だけでも頭に叩きこんでおけ、仁と義だ」
「電車では、高齢者に席を譲るのが『マナー』とか言われているけれどね、こんなもんアホの発想であって、地獄行きの発想なの、何がマナーなものか、マナーって『方法』ってことだぞ、そんなもん、マナーであろうがなかろうが、目の前にババアがしんどそうに立っていたら、かわいそうだから『どうぞどうぞ』って席に座らせるだろ、マナーなんか要らんのじゃ、人々に思いやりの機能が失せたことを、マナー強制で補ったフリをしても無駄だ、諦めて地獄に落ちろ、いいかヴェジ青年、思いやりがない奴はクソだ、どれだけマナーがある善人のふりをしても、内部で思いやりのこころが機能していないものならクソなんだ、クソなものはクソと断じろ、自分がクソになる可能性も引き受けてクソはクソだと堂々と断じろ/いいか、おれは少なくともそう『教えた』ぞ」

「仁のこころを、言われてみると、持っていないだろ? それを持っていないってことは、自分が仁のこころを向けられたときにも、向けられたそれをすべて見落としているってことなんだ、それが一番まずいんだよ、見落としてきた分だけ、帳簿は真っ赤っかになっているぞ」

「ここしばらくで、己の仁のこころが発揮されたのはいつだ、どのときだ、思い出してみろ/って、こうして具体的に言われてみると、特に『ない』だろ、それがないってことは、仁のこころがないってことなんだ、こんなもの自然発生はしないんだよ、どこかでしつこく教育されないと、仁のこころなんて学べないんだ、そしてそれを教わってきていないってことは、思いやりのない世界を生き続けるってことなんだよ」
「半年かかった商談が、ようやくまとまって、金曜日におめでとーってなって、酔っ払って帰ってくるおっさんが、歩き煙草もできないのはカワイソーだろ、ガム噛んで帰れってのか? それが『カワイソーだけれども、どうかここは……』と、痛ましく思いやりながら、なおも言い渡すというのであれば、まだ歩行喫煙禁止区域というのもわからんではない、けれども、それを『正論』と思って言い放っている奴は、もう気が狂っているんだ、おれが狂っているか向こうが狂っているかのどちらかだよ/善悪と仁、善悪と思いやりは、まったく関係ないからね、おれは一ミリも善人ではないが、仁のこころがないのは単に性能の低いアホだと思っている、お前らも、別に悪い奴になってもいいから、仁のこころを学んで持てよ、いいか覚えておけ、いくら善人ぶったって、それで仁の代用はできないからな、今世の中には、仁義礼智信をことごとく持っていないポンコツが、己の低性能をごまかすために、必死で善人ぶっているというパターンがあふれかえっているんだ、そういう奴になってごまかしで生きるのはやめろよ」

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