☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
パーティ報告98(2)/貨幣ではなく値札に魔が棲んでいる
「どんな洋服も、値札がついたまま来ていたらダサいように、貨幣を使うときも、貨幣から値札を切り離して使わないといけない」
「本当は貨幣に魔が棲んでいるのじゃない、値札に魔が棲んでいる」
「仮に道ばたに、砕けてきれいなガラス片が落ちていたとする、そうしたらふつう『きれいだな』としか思わない」
「でもそのガラス片に、一〇〇〇〇〇〇って値札がついていたら? 『ひょっとして』としゃがみこんで、手に取って『なあんだ』と呆れるだろう、そのように値札の側に魔が棲んでいる」

「誤解している人がいるが、おれがタクシーの運転手に渡した千円札は、消えてなくなったわけじゃない、タクシー運転手のポケットに移動しただけだ」
「やがてその千円札は、タクシー運転手がいく立ち飲み屋の店主のポケットに移動するだろう、そのように千円札は消えてなくなりはしない」
「千円が "なくなった" というのは誤解であり妄想だ、われわれは千円札がそんなに惜しいか? タクシーを運転しているおっちゃんのポケットに勝手に千円札を押し込むということなら、われわれはさして千円を惜しまない、われわれを迷わせているのは貨幣じゃなくて値札だ」
「もしあなたが、爪に火を灯してお金をため、そのお金でバーを開店するというなら、それはぜひやめたほうがいい、なぜならあなたは、バーでお酒を飲もうとする人のこころ・感覚なんてまったくわからないのだから/あなたがお金をガメて生きる以上、あなたの目の前に来る人もガメるわけで、そういうタイプは商売に向いていないんだ、バーの店主が当人としては "家で飲んだほうが安いじゃん" としか思っていないんだからね」

貨幣から魔を払う人のところに、貨幣は戻ってくる。

そりゃそうだ、ちょっと長くなるので説明できないが、実験すると、そうした貨幣の性質が明らかになる、貨幣だって自分にくっついている魔を払ってくれる人のところに行きたいわけで/仮に目の前に二軒のマッサージ屋が同額であったとして、それぞれ魔のつくところと魔の払われるところだったとしたら、どちらのマッサージ屋に行きたいかは明らかだ、わざわざ魔のつくところに契約行為をしたいと望む人はいない。
もちろん、値札についている魔の力を拡大して、その魔力でお金をあつめる――本当は値札を集める――ことは可能だし、そうして形成されるお金持ちというのもたくさんいるが、その結果、われわれはあちこちで見るお金持ちという人種に、実は幸福な人がいないという事実を目撃するのだ/値札の魔を拡大するということは、実はお金を大切にするということとまったく正反対のことだ、だからお金に呪われてしまう。
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パーティ報告98(1)/異様な楽しさとおだやかさ
回のパーティは異様な楽しさだった。
朝まで飲み、朝食の場に移ると、各員はこぞって「初めからすごく穏やかだった」と言った/初め、その「穏やか」というのが僕にはよくわからなかったが、今になってわかるようになった。
穏やかといっても、楽しさというのは爆裂的なもので、異様なうつくしさから、人がぶっ倒れて大笑いする局面もずっと続いたのだが、もうそのあたりは詳細を記す必要はあるまい。
まともな「作品」がまともな「キャスティング」を伴い、そのキャスティングこそがそれぞれを伸びやかに生かすことのように、それぞれは無理をせず自由で闊達であり、ひとつの世界の中で創造的であった/何を大げさなという気もするし、常識的には僕もそのように思うのだが、僕としては正確に事実を記すことのほうに偏らざるをえない、常識に礼拝して事実を曲げて記すわけにもいかないだろう。

いわゆる「祈る」というような、念力的な空想をアテにするようなバカはどこにもいない。
ただ一方で、淡々とした手続きを示し、そのとおりにしてみたところ、「あれっ!?」と生じる現象の事実について、これを無視するのも理性的でない。
たとえばある種の技術に関わる箴言について、ただその箴言を云うのみならず、「先に名前を冠して、もう一度云ってみろ」と指示する、そのとおりにすると途端に「あれっ!?」と、先ほどまでは意味のないただの記憶でしかなかった文言が、するっと自分の内にすべりこんでただちにその意味と作用をもたらしてくるということが、事実として起こる/われわれは幸い、何も偉くなので、そういったことの仕組みを精査する役を負ってはいない、われわれはただ己のナイスな未来のため、得られるかぎりのことを求めるだけでいいのだ、偉くない奴はそれだけでいいのだ。
僕自身の欠点についていつも思うが、おれの欠点は誰より霊感がないところだ、おれはいつも「合理的ならそれだけでいいんじゃないの」という一点張りで、だからこそ人を迷わせないが、同時に救わないという欠点もある、いつもおれは「お前らってなぜか、こういうの好きだよなあ」と首をかしげて、そこからようやくまともなはたらきを見せるものだ、さっさとおれのほうから動ければいいのだが、なかなかそうはなれないのだった(すまんね)。

「『我思う、ゆえに我あり』ではなく、『我求める、ゆえに彼あり』だよ」

このことは、論理的に追跡説明できることだが、今ここでそれを示すのは面倒くさい、頭のいい奴が考えれば自分で証せると思うが、ここでいう頭のよさは結構レベルが高いかもしれない/「欲する」というのは生きものの仕組みに収まることだが、「求める」という主体性については、生きものの範疇で説明はつかない、どういじくってもタンパク質から「主体」なる性質は生じようがない、そんなことはまともな化学者の全員が知っていることだ。
異様な楽しさの回だった、それは何でもなく、それぞれがただ話し、ただ求めるところを明らかにし、ただ知りたがり、それらがひとつの世界から漏れようがないという、当たり前のことでしかなかった、その当たり前のことを成り立たせるのに、パーティは98回も要したということになる、それはちょっと肩をすくめたくなるところもあるが、何にせよそれだといいうることを現成させたのだから、僕は満足している、異様な楽しさの回が現成したのは、われわれがもともと異様に楽しい存在だからにすぎない。
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第98回Quali's Party[11月16日(土)]無事盛会!

11/18 Quali tweet> 異様な楽しさだった pls entry

(ポスター制作はともこさん)
joined:ひろみ、あきら、りさ、ゆか、ともこ、かなみ、かず、ゆうさく、くおり

日時:2019年11月16日(土)19時〜23時 場所:原宿竹下口交差点DinningBar CLIMB

おかげさまで無事正解でした! 異様な楽しさの回であった!!
次回もよろしくお願いします 九折


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パーティ報告97(2)/「正しくてベストの結果 "ふつう" になっちゃうんだよ」
ーティうんぬんで、途中に話したことの一部。
「なんつーか……誰か好きな人が見つかってね、付き合うじゃない、そして結婚するじゃない。そうしたらお子さんも産まれて、マイホームも頑張って買って、順風満帆、会社でもそこそこ出世して、まさに順風満帆だよ、でもそうやって "ふつう" になっていくんだ、何か間違ったわけじゃなく、正しくてベストの結果 "ふつう" になっちゃうんだよ」
「おれなんか高齢者だからね、お前らよりよくわかるんだけど、国立大学を出てさ、上場企業に入って、いいところに住んで結婚してお子さんが産まれて……で、 "ふつう" になっちゃう、理想通りの展開を得てだよ、理想通りなのに "ふつう" なんだ、それで当人も、『なんなんでしょうね』と首をかしげているんだ、生きているってホントよくわからねーんだよ」
「おれぐらいの年齢になるとね、いよいよわかるんだ、自分がどうやって死んでいくかということが、経験から予測できるようになるの、つまり……十代のころなんて、右も左もわかっていないでしょ、そんで二十代になると、とにかくがんばらなきゃで、三十代ぐらいになってようやく安定して生きられるようになる、そして四十代になると、これまでの生きてきた経験から、この先のことについて、『これってこうなりますよね』ということが予測ついちゃうんだよ、これって絶対、このままよくわからないまま死んでいくんだろうなって、経験から確信をもって予測できちゃう」

「ベストを尽くして、何ならベストを得たとしても、その結果として "ふつう" になるんだ、そしてその "ふつう" というのは、よくわからないまま、次第に消えていってしまうんだよ、ふつうに幼なじみがいて、ふつうに若い時代があって、ふつうに苦労した時代があって、ふつうに家族があって、すべていつのまにか "ふつう" で、いつからか加齢のせいで記憶があいまいになってきて、よく思い出せなくなってくるの、そうなるとまさに泡沫(うたかた)の夢だよ、本当にそうなるように出来てんだ」
「だからおれは、そうした "ふつう" の記憶を一切見ないことにして、そうした "ふつう" から逸脱した、『なんだったんだろうな』というナゾのほうにだけ着目したんだ、すべてのことは "ふつう" の中へ消えていくものだけれど、そうではないナゾの出来事の断片、それだけを蒐集して分析することにした、その結果として現在があるんだよ」
「だから、こうしてパーティやらワークショップやら、やっているけれど、これらは人の生きることに援助しようとしているのではなくて、もっと順風満帆で、けれどもいつのまにかすべてが "ふつう" の中へ消え去ってしまうという、そのことを予感した人たちに、そうではないものを提供しているんだ、だからどの段階に来たから終わりということはないんだよ」
「お前はまだ若いから、わからないだろうし、わからなくていいんだが、それでもどこかで覚えておいたらいい、何もかもバッチリで、理想どおりで、何もかも獲得したし、何なら派手に暮らした時期もあるのに、それってすべて "ふつう" になって、消えていくんだよ、それで『なぜこうなった』と思っても、けっきょく『わからない』んだ、だからそうではないものを目指す、だいいちお前らがこの竹下口の交差点に来るまでの道も、世田谷公園に来るまでの道も、スタジオの地下に降りる階段を歩くときも、自分が『生きる』という記憶の中から逸脱しているはずだ、おれはそういうことだけを追究している奴なんだよ」

「どういう勤め先で、どういう人間関係で、どういう家族構成で、という、 "ふつう" のことは、すべてノー・トラブルならそれだけでいい」

そんなこんなを、パーティで話した、いつも話しているようなことで、その他にも色々話したが、そんなにいちいちは覚えていられない、ずーっと話しっぱなしだからな/ただまあ、ふつうのことはノー・トラブルで、その他のことだけに注目するというのは、これまでもこれからも変わらない。
「おれの古い友人は、ここ最近になって、おれにこう聞くようになったよ、『ずっと昔から、こうなることを見越していたんですか?』って、おれはもちろん『そりゃそうだよ』と答えたよ、別におれが正しかったとは思わないし、今も正しいなんて思わないが、おれはこうすることでしか満足できなかったし、おれ自身はこうしなければきっと悔いただろうな、おれは今なぜ自分が無事に生きていられるのかまったく不思議でしょうがないんだが、こうした追究には本当に何か祝福や庇護があるのかもしれない、その説もいよいよ無視できないと感じるよ」
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パーティ報告97(1)/ひがみ、うぬぼれ、オピオイド!
っきょく二十四時間コースなので、もうそのことは報告しない、長々と話しこんで追究する先、「ひがみ、うぬぼれ、オピオイド!」ということがわかった(なんじゃそりゃ)。
オピオイドというのは麻薬の一分類で、麻酔・鎮痛剤、いわゆるアヘン→モルヒネ→ヘロインのたぐいだ、アメリカ人が心身の苦しさからこのオピオイド系麻薬に頼らざるをえず、蔓延し、トランプ大統領がブチギレて公衆衛生に対する非常事態宣言を出したのがこのオピオイド系麻薬についてだ/もちろん当パーティは麻薬とは何の関係もないし、そんなものに手を出している者の参加はお断りさせていただく。
じゃあ何についての話かというと、「生きる力」についての話なのだ、どうやら「生きる」ということそのものが、捉え方・感じ方・得方として、僕のそれと一般のそれはまるで違うらしい/今や世の中に優秀な人は老若男女問わずびっくりするほど多いが、そうして優秀になるために必要とした「生きる力」はどこから得たかという話なのだ、そしてほとんどの人は呪術の力を借りている、もちろん当人にその自覚はないままにだ。
正しくは――といっても、僕がそれを正しいと捉えているだけだが――「生きる」ということは、大地より成り立っていて、この大地からの生きる力を、いかにして上位、なるべく天の方へ、持ち上げて昇華し、天への寄与とするかということなのだ、もちろん天から食べ物が降ってくるわけではないから、地からのエネルギーで生かされているというのは自明のことなのだが、それでも多くの人にとって「生きる」というのは、そんなにはっきり「地」につながったものではない。

では多くの人が現在、どのようにして「生きる」という力を得ているかというと、「ひがみ」と「うぬぼれ」なのだ、これは血に刻み込まれて抜けなくなるもので、詳しく言う気にはなれないが(詳しくなるだけでふつう呪われてしまうので)、「ひがみ」こそ呪術の基本中の基本なのだ、血に起こる「ひがみ」というすさまじい苦しみこそ呪術の基本であり、そのすさまじい苦しみに恐怖して反発的に生じる、これもやはりすさまじい愉悦なのが「うぬぼれ」だ、現代の人はこの「ひがみとうぬぼれ」という基本的な呪術によって力を得て優秀になった、単に生きるという力を高みへ持ち上げるだけでは、これだけたくさんの人がこんなに優秀にはなれないものだ。
そして、ここからは勝手な仮説だが、この呪術の力で人が(苦しみながら)優秀になったとして、その呪術の作用はその後抜けてくれるわけではないから、ずっと苦しいままなのだ、呪術で得た力というのはそのように、自分で制御できず自分に強制的にはたらくので、当人はその後ずっと呪術の強制力から逃れることができない/そして、その生涯つづく苦しさ――血の騒ぎ、「ひがみ」の恐怖と「うぬぼれ」の愉悦の苦しさ――から、一時的であれ逃避を与えてくれるのが、オピオイド系麻薬なのだ、アメリカを席巻するオピオイド麻薬は、人々が優秀になるための力として自分に掛けた呪術の、然るべき代償として今人々に降りかかっていると僕は考えている。
わかりやすい例でいうと、僕は高校卒業時、偏差値が40を切っていた、その後一年間で詰め込んで勉強し、国立大学には問題なく入れたのだが、この一年間の勉強の日々を、僕はわずかも苦しいと思ったことはなかった、それは僕が呪術によらず、自身の生きる力を高く昇華することのみで勉強したからだ/僕などより学業成績が高いものは現代の若い人にいくらでもいるだろうが、その過程としての勉強が、暗く苦しいどころか、明るく栄光ある歓喜の時間だったという人は極めて少ないはずだ、その暗さは呪術の力を掛けていることによる。
多くの人は、いや現在のほとんどの人は、生きるといって、「大地の歴史と力を胴体の底に受けて」などいない、では何によって生きているかというと、血に刻んだ「ひがみの恐怖」と「うぬぼれの愉悦」だ、大地と共に天を目指す者として胴体に力を得て生きている者と、仕込まれた呪いによる「血の狂瀾」から力を得て生きている者を、同種に扱ってはいけない、現在すべての学校教育とスポーツ教育はただの「共食い競争」という呪術の閉じ込め箱であり、その点でいえば僕はあえて学校教育も受けてきていないしスポーツ教育も受けてきていないと言えるだろう/今回のパーティを含めて、すべての周辺が今、僕にそのことを教えてくれた。

「ひがみの恐怖とうぬぼれの愉悦」に、血が狂瀾することだけで生きているので、現代人は内心にも「マウント」をやめられない。

僕はこれまで、グラビアアイドルの写真を見たとき、何のために若い女性が、水着姿で乳を揺らしているのかわからなかった、明らかに何も愛したことがない目を白日に晒して、偽りとさえいえない無意味な笑顔の顔面で、いったい何をしているのだろうと、いったい誰がこれをよろこんでいるのだろうと、不可解だったのだが、その理由が今はわかる、それらはすべてひがみに苦しんでいる者へ偽りのうぬぼれを与えるために作られているのだ、現代に流行するエログロ風味のマンガ本もすべてそうだ。
「ひがみの恐怖とうぬぼれの愉悦」という、血の狂瀾だけが今、人々の生きる力なのだが、これが生きる力に直結しているからこそ、今さら取り外せないという構造的問題もある、これだけが生きる力なので、何かに取り組むというとき、あるいは朝起きて会社に行くというだけでも、この「生きる力」を――うぬぼれであれひがみであれ――使わないでは一ミリも動けないのだ、これをどうしたらいいという話は今のところまったく視えてこない、ただ今はこの現代の根本的な呪いが視認できたのみだ、今見せかけに優秀な人はすべて呪いの力にブーストされてきただけというのが真相だ、これは本当にどのようにも包み隠せない。
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第97回Quali's Party[10月19日(土)]無事盛会!

10/21 Quali tweet> 毎日がパーティでね pls entry

joined: ひろみ、あきら、りさ、ゆか、りえ、こりん、ゆうさく、くおり
date:2019年10月19日(土)19時〜23時
place:原宿竹下口交差点DinningBar CLIMB


おかげさまで無事盛会でした! ありがとうございます。
次回もよろしくお願い致します。九折

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パーティ報告96(1)/オーバーワークでサーセンした
ーティの前夜はワークショップだったが、そのときすでに喉をやられていて、体調は悪かった、僕は無理がたたると扁桃腺に炎症が来るタイプだ。
ワークショップが終わって、みなで朝食にゆき、その後僕はなんとか午前中に耳鼻咽喉科の予約を取ったのだが、土曜日の耳鼻咽喉科なんてものはたいてい混雑していて、診察を受けて処方を受け取ったのは午後になってからだった、このとき少し意識がもうろうとしていて、僕は自分の受付番号が何番なのかどうしても把握できなかった。
ワークショップでは、カミワザについて説明し、「カミワザは人の消えたあと」と話していたのだが、僕は耳鼻咽喉科から帰る目黒通りを原付カブで走行しながら、夏のなごりを残した秋雲が遠く見霽かす青空の向こうに示されるのに、神のみわざを見た、少なくとも何千年も昔から繰り返し示されてきた空に雲があしらわれるのを僕は見た、「んなアホな、なんつー空だ」。
このとき、どこかで誰かが同時刻、聖地の空を見上げていたのかもしれないと思うが、それにしても「こんなんで今夜のパーティはもつかね」と、ゆとりなく僕は神のみわざを見ながら原付で走行していた、帰宅するとシャワーを浴びてすぐ寝入ったのだが、午後二時に寝たものが、その二時間半後には目を覚ましていた、体調は悪いのに身体が休もうとしない、目を覚ましたとき脳みそはもう小説の続きを手探りしていた。

明らかなオーバーワークだったのだが、そういうとき、そのオーバーワークの最中はわからないもので、「まあよくわからんが、この月末を乗り切れば少し休もう」とだけ考えていた。
しかし、パーティの最中、ついに力尽きたようで、連中の脇で少し横にならせてもらうと、その瞬間、何かブチブチブチと音を立てて、張り詰めていたものが7本か8本ほど、ちぎれる感触があった、とたんにずいぶん久しぶりに、全身に休もうとする感覚が走り、この感覚が走ると、もう身を起こせなかった、というわけで今回は無念ながら、途中で完全にダウンしてしまった/そして目覚めたとき、もう朝だったが、僕としては極めて例外的なこととして、喉の炎症が急速に引いていくのがわかった、僕は喉の炎症はこじらせてしまうタイプなので、こうして短期で終息するのはすごく珍しいことだ。
つまり、よりによってパーティの最中に、ようやく本当に休めたということなのだが、今になって冷静に考えると、身体から人の感覚が消えてカミワザが満ちたり、受付番号の数字が認識できなくなったり、数学に宇宙意識を見たり、空の向こうに明らかな神のみわざを見たりしている状態は、フツーに考えてヤベー状態だ、まあ代償としてあの神のみわざを見たのだということには直感の納得を覚えているが、それにしてもこれは明らかにやりすぎであって、横になった途端ブチブチブチと、張り詰めていたものが7本も8本も切れるというのでは……7本や8本というと、TSUTAYAのDVDでも借りすぎの本数だ、いいかげんにしなくてはならない。
ともあれ、今回のパーティは、僕がダウンしたあと、 SONICMOVE がばっちりカバーしてくれて、盛り上げてくれたので、何より彼がMVPだ、直接知らん奴でもとりあえず彼の偉大なはたらきに賛嘆するように、賛嘆しない者は道ばたのガムを踏んで靴底がネバネバになるという呪いを受けるものとする/夢うつつに聞いていた SONICMOVE の、ソウルと空間に関する話は、おれの保証するところ、ことごとく正しい、いやあ彼は本当に覚醒してしまったね、これからいっそうキレキレのダンスを披露してくれるだろう、いやあ男前の大統領になったもんだ(今回は本当に助けられた、サンキュー)。

神のみわざを見たっつーことは、成功しているってことだ。

おれはまさか、信仰を勧めるようなアホではない、おれが勧めているのは信仰ではなくて成功だ/ SONICMOVE に先日のイベントの結果を聞いたら、「控えめにいって、大成功でしたね」と言った、そりゃそうでないとなあ、成功というのは聖地で何かの魂を視ることだ、そりゃ「生涯何も視えませんでした」では何の成功にもなるはずがない。
もともと、おれがこのパーティを企画したのは、「おれはふだん、書き物でガンバっているわけだからぁ、パーティではみんなで盛り上がってもらってぇ、おれはその脇でエラソーに酒飲んで休んでいたいっていうかぁ」というコンセプトだったのだから、ある意味96回目にしてついに、当初のコンセプトが成立したということでもある、というわけで喉も早く治りそうだし、体調はともかく気分のほうは上々なのであった、次回もよろしく。
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第96回Quali's Party[9月28日(土)]無事盛会!

9/30 Quali tweet> まあオーバーワークでしたよ、反省 pls entry

(今回もポスターはともこさん作成、ひれ伏せ)
joined : ひろみ、あきら、ゆか、ともこ、りえ、やじー、ゆうさく、くおり
日時:2019年9月28日(土)19時〜23時 場所:原宿竹下口交差点DinningBar CLIMB


今回も無事盛会でした! 次回もよろしくお願いします!
オーバーワークでついにダウンしたね٩(๑^o^๑)۶ フヒヒでたらめな顔文字をつけてやるぜ〜
九折


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パーティ業務連絡/9月14(土)→28日(土)

題の件につき業務連絡です。諸事情により九月のパーティは第四週の9月28日(土)に変更になりました。
万障超絶お繰り合わせの上ご参加くださいませ。カモンヘイカモーン。

九折
 

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パーティ報告95(1)/お前らはアホだが救われているかもしれんな
邪が治りきらない中、パーティはおっ始まり、けっきょくパーティ中に風邪を治すという運びになったが、よくよく気づいたらパーティは六周年で、持ち込まれたアイスケーキでお祝いしながら、上等のリンゴジュースも飲み、花束も貰っちゃって、おれは前半は扁桃腺安静のためおとなしくしていたが、後半はやはり保たないのでおれが割り込んでワーッとやった。
けっきょく風邪引いていても、最後までブッ放しているのはおれじゃねーかとも思うが、まあこれは本当にパーティの最中に風邪が治っていったから、ギリ活躍できたということにしておこう、みんな手洗いとうがいは励行しておくれ。
5時まで飲んで、ファミレスで朝食、そのままけっきょく夕方までいて二十四時間コースになるという、この報告も飽きたが、なぜか今回はその終盤に不意に、「あれ?」と或ることに気づいた、「あれ? お前らはアホだが、救われているかもしれんな」。
いつのまにこうなったのか、定かではないが、当方のパーティおよびワークショップの常連どもには、「打ち解けている」というわざとらしさがない、そして「協力している」というわざとらしさもない/アホどもはアホどもに違いないのだが、いつのまにか、「打ち解ける」とか「協力する」とかを必要としない状態になっていた。

なぜか突然、「なんだこいつら?」と不思議に見えた。
「打ち解ける」とか「協力する」とかを、必要としないという状態はどういう状態なのか、自分で形成しておいて妙なことだが、「しれっとこんな状態になっているが、こんな状態はよくよく見たらこれまでに見たことがない」ということが発見された。
仲が良い、というようなわざとらしいものでもないし、或る人の言いようでは、「 "仲間" とか考えなくていいんですよ〜イェーイ〜」とのことだ、それはまあわかる、ここにあるのはきっと人間関係ではない、人間関係なんて別に無いのだが、言うなれば人間関係を必要としない状態が成り立っている/人間関係が存在しないので、それがこじれるということも起こらなくなっている。
これは、自分で自分に説明するみたいでマヌケだが、いつのまにか、「分からない」に到っているのだと思う、「分かる」というのは分割という意味だが/「分からない」に到っているので、「つながり」が必要ないのだ、分割が無効化されてしまったので、つながりも出番がなくなっている、誰かがワークに成功すると当人でない誰かが「うおおおお」と盛り上がっている、よくよく見るとこの現象と集団は、「分からない」としかすでに説明できない。

おれは先生役はごめんだが、唯一、「世界一分からない先生」ということなら、本懐にしてもいい。

おれはガキのころから何十年もかけて、この世界を分からなくすることに生きてきたのだろうか? そう考えるとなんてハタ迷惑な奴だと思うが、その何の得にもならない迷惑超人ということであれば、おれはそういう奴でいたいなと素直に思える。
いつものアホどもは、いつもどおりアホどもだが、それぞれの出来不出来に関わらず、すでに常連どもは「分からない」時間と空間を過ごした、いつのまにか到っていた/おれはたぶんこの日になって初めて、パーティとワークショップについて「すげえいいじゃん」と自ら認めて言った、おれが自分でやったことを認めて評価するというのはきわめて例外のことだ。
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第95回Quali's Party[8月17日(土)]無事盛会!

8/21 Quali tweet> ようやく風邪が治ったぜ、つまりオレ無敵キター pls entry

joined: ひろみ、あきら、ゆか、ともこ、りえ、かず、ゆうさく、くおり
日時:2019年8月17日(土)19時〜23時
場所:原宿竹下口交差点DinningBar CLIMB


今回も無事盛会でした、次回もよろしくお願いします!
扁桃腺をやられていたけどなんとかなったぜ〜 九折


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パーティ報告94(3)/実際に速ぇぇということ、あと、おれが軽んじていることについて
ーティの、ほとんど翌日の夜のことだが、単純にいい局面があった。
ワークショップで「小劇場」という方法をやっているから、ふと思いつき、小劇場で「九折さん」をやってみろ、という遊びをしたのだ。
そうすると、周囲はもう好き放題に絡んできて、突然あれこれ訊いてきたりする、おれは当然いつもそれを捌いているわけだが、それと同じ状況に立たせてみたのだ/すると当然ながら、プレイヤーは「ええっと……」とひとつひとつに停滞を起こす。
その後、いつもどおりおれが「九折さん」でやりとりしているのを見せると、ようやく、本当にようやくということになるが、おれがふだんしている処理速度のレベルがわかったらしい、目を見開いて「えええええ」と驚いていた、こうして具体の挙動にせよ呼応にせよ、頭の回転にせよ、発話にせよ構造の組み立てにせよ、何より自己決定の生成にせよ、想像をはるかに超えて実際に「速い」ことが必要だ、これはおれが自慢しているわけではなく、テーマを理解するために、それぞれ全員を「九折さんの刑」に処したいと思っているのだ、そうしたらいかにそれが困難かということが身をもってわかるはずだ(覚悟しろよてめーら)。

そのほかにも色々あったのだが、まあ、何もかもを報告しなくてもいいだろう。
ひとつ、改めて言いうることといえば、人は真に勝利したとき、つまり本当に知るべき・視えるべき話のひとつを得たとき、本当に目の光が変わるということだ、今回は幸い、終盤でその決定的な現象を複数人が目撃することができた、「ほら、こいつの、いつもの目のヤバさが消えてなくなっているだろ」と僕が指し示すと、各人が確認して、「うおっ、本当だ」と驚いた。
いつも僕は、世界やら愛やらカミサマやら、よくわからない話をしているが、それは何も神秘的な話ではないのだ、構造化すると極めて単純な、しかも世界を見渡せば確かに存在している、ある種の現象について話しているにすぎない、ただ今回の終盤で話したように、恐るべきことに、なぜかその話についてだけは「視えなく」なるように、不明のノイズ介入プログラムがそれぞれの体内に仕込まれているのだ/今回はついに、その介入プログラムを抑制しきる局面があり、愛とは何ぞやという、シンプルな話がようやく伝わった、するとまるで化学反応のように目の光が変わるのだが、このことにためにこんな圧縮した一年間を必要とした。
数年前から僕は、僕なりの愛なり何なりが、ことごとく無視されるにおいて、「それでかまわん」という自己決定をした、つまり何らの返報も得られない、愛の一方的な無駄遣いを自己決定した、それから以降だ、僕の身にわけのわからない速度での進化が起こり始めたのは、それはまったく努力によるものではなく、ひたすら仕組みによるものなのだとすでに確信せざるをえない/ただ今回に限って例外的に……あるいは例外ということではなく、今ここにまで到って、おれが「それでかまわん」と自己決定したことは、「お前らを軽んじているということでもあるんだ、そのことに後ろめたさはゼロではない」、どういうことかというと、「それでかまわん、というのは、『どうせこいつらにはわかりっこない』と、軽んじているということだから、もしおれがまともな感性に忠なりて言うなら、おれは本当は襟首を掴みあげて、こう言うだろうな、『お前は、誰にどう助けられたかもわからんのか』」。

おれが何をやっているのかは、もう誰にもわからん、が、そう軽んじていることは、やがて超克されるに越したことはない。

今のところ、襟首を掴みあげて、「お前は、誰にどう助けられたのかもわからんのか」と魂魄をぶつけたって、本当にそういう方法はもう機能しないのだ、その方法に可能性があったのは東日本大震災の前であって、現在ではとっくに通用しない不毛の方法に確定している/ただ僕はそこですべてを諦めるのではなく、学門で詰めてみたいという、ただ個人的な知的好奇心が続いたのだった、その学門の詰め寄りの果てに、今こうして、何か不明のノイズ介入プログラムがあるということがわかってきた、これはただ学門の理が思いがけないわれわれの事実を「あぶり出した」ということになる。
パーティその他に来ている人は、誰も知能レベルは低くない、何しろ東大卒が真っ先にアホを自認するぐらいでいるのだから/ただ、どれだけ基礎の知能や知性がややマシであったとしても、一部の事象については「不明のノイズ」が介入するのだ、そのことは傍から見ていると、「なぜいつも冴えているこの人が、このことに関しては急にボンクラみたいに行方不明になるの?」と見える、今回はようやく、その不明のノイズ介入プログラムに勝利を収めたところなのだと思う、それでようやく、僕自身の速さや、僕のやっていることの性質・源泉が違うということが、直接視られるようになってきた、まだあの夜に何が起こっていたのかをはっきり視ているのは僕だけでしかないが、いつか全員が「あのときに」と思い出して視認できるようになるかもしれない。
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パーティ報告94(2)/自己愛が重大な人は永遠に一歩も進むことがない

ーティは毎回、始まった時と終わる時とで、まったく様相が違うので、どう酔っ払って何を話したのか、どんなことがあったのか、すでに説明は不能になっている。
せいぜい記憶に残っていることといえば、僕が「スタイル」について話したことだ、スタイルというのは女性の体型のプロポーション(割合)のことを言うのではなく、「スタイルというのは "文体" のことだぜ」と、僕は言った、何しろ辞書にそう書いてあるのだからしょうがない。
僕は適当に、それぞれのソウルに合うような、安易な文体の切り口を与えていった、「お前はまず "いいですねえ" と言え」「お前は "目撃しました" だ」「お前は "これはですね" だ」という感じで/そして当人が「これはですね」と言ったら、おれが「なんだ?」と聞く、すると脳みそが動き始める、彼の話すべきことを彼の脳みそが探り始める。
「お前らは、話すということを誤解していて、話すということを、自分の思ったことを言うことだと誤解している、そうではなく、話というのは文体からスタートするんだ、文体の中に流れているもの、その途切れないものを文脈という」と僕は話した、「それに関しては専門だぞ、おれの知っていることとお前らの思っていることはまるでケタが違う」と僕は言って酒を飲んだ。

仮に何か話したいことがあっても、文体―― style ――が見つからなければ、人は何も話すことはできない、何かをひたすら「言う」というのは、ただの「主張」でしかなく、周囲をしんどがらせて嫌われるだけだ、じゃあ嫌われないようにはどうすればいいかというと、チンタラ何かをつぶやき続けるしかない、それならわざわざ人と会う必要はない/わざわざ会ってつぶやきを拝聴するようなヒマ人はいない。
人が何かを話すということは、理想的に言えば、瞬間ごとに最適の文体を発見し、ただちのその文体に流れる文脈を、滞りなく流し続けることだ、だが本当にそんなことを言い始めれば、大前提として神通力レベルのものが必要になる、われわれはそんなことを自分で当たり前に「出来る」と思っているのだ/「話」なんて高度なことが、できないのはしょうがないが、よりにもよってそれがやすやす自分で出来る、当たり前の初等機能だと思い込んでいるところに現代のまずさがある。
もしさっさと、得るべき結論から述べるなら――述べられても、それが得られるわけではないにせよ――われわれが各人として「思う」ことや、それぞれに「言いたい」と思うようなこと、自分に取り憑いている自分限りの思念というものは、この世界において何の値打ちもないということなのだ、われわれは自己愛を増長させて生きているから、そのあたりをずっと誤解している/「重大なわたし」というのが自己愛の上に成り立っていて、重大なわたしの「思うこと」が、重大な「話」だという感覚でいるのだ、だから永遠に「話」には到達しない、これは悪口を言っているのではなく仕組みについて話しているのだ。
「話」とは何であるか、話とは、われわれの知らないところにある「言葉」の現象であり、「言葉」の作用、そして文体という存在であり、文脈という現象のことだ、われわれが何を「思う」かということは何ら関係がない/われわれが自己愛の上で自分の「思うこと」を重大に捉えているかぎり、正しい仕組みには一歩も入ることができない、これまでに学校で作文の宿題を出されたことは誰にでもあるが、学校の先生が作文の模範例を示してくれたことは一度もない。

「人は重大なことは決定できないし、決定するべきでもない。人はしばしば負けて、負けたときに重大な決定に "巻き込まれる" だけだよ。自己決定しろとおれがいつも言うのは、 "重大でないことを決定しろ" ということだ」

たとえばおれにとって、何かを勉強したり、小説を書いたりするということは、何ら「重大」なことではない、重大でないからこそ自己決定なのであり、人は重大なことを自己決定するのではない、重大なことに「巻き込まれる」のだ、だから多くの人がマイホームの購入に住宅ローンという「重大」な決定に巻き込まれる一方、小説を書くというような重大でない自己決定には生涯到達できない。
これは悪口を言っているのではなく、アホに対して正式にアホだと通告しているだけだ、おれが小説を書くのはこの世界の誰にとっても何ら重大ではない、そりゃ結婚して出産してローンを抱える当人は当人のことのほうが重大に決まっている、おれはそのことが視えているから重大でない自己決定をする、そのことを毎秒以上に連続しているので、おれはずっと瞬間的に生じうる文体(style)ばかりを捉えている、重大なものの中には何の話もない、おれの目はずっと重さのないものを視ているのだ、何の美徳もないおれだが唯一その点に関してだけはお前らとはケタが違う。

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パーティ報告94(1)/話の真相
回も二十四時間コースになってしまった、つまり朝五時まで飲んで朝食にファミレスに行くとそのまま話し込んでしまい、けっきょく夜七時まで遊んでいたので、なんだよく考えると原宿にいるよりファミレスにいる時間のほうが長いじゃないか、パーティ十時間と二次会の十四時間がくっついてくるような感じだ。
そして、今回に到っては、二十四時間過ごしたあとに、打ち上げのように帰りに飲みに行ってしまった、なぜそんなことになってしまうかというと、まあ季節もあり、なんとなくおれがマグロを食いたくなったからなのだが(あの店のマグロはマジで旨かったっしょ?)、何よりはたらいているのは、みんなして魂魄が強くなったからなのだ、何の訓練も受けていない人がこなせる遊びのペースではない。
まあ、とはいえ、ほとんどの人が途中で少々の寝落ちを挟むのだが、少なくとも僕自身は、今回は異様に精強で、わめきたてず静かに過ごしたはずだが、けっきょく二十四時間ずっと発話し続けて、一度も寝落ちどころか、眠気や停滞そのものが訪れなかったように思う、僕は木曜日の夜中からわけのわからん小旅行に出ていたので、もう本当にわけがわからない状態だ。
勿論その後、帰宅して床に就くと、なんというか、 "ビッグウェーブのような睡眠" に揺られて寝るのだが、わたしは幸福に思う、二十四時間、何ら停滞することなく、何らわめきたてることもなく、それでいてなお「時間が足りない」と感じられるのだ、二十四時間が経過したあとも、僕が散会を言わなければ、みんな名残惜しんでいつまでもその場に居続けようとしたと思う、今回は特にそのような回だった。

ふつうに考えれば、万事が「やりすぎ」なのだが、それでもなお真相の心境としては、「時間が足りない」のだ、なぜ時間が足りないかというと、みんなここまで生きてくるのに、何十年もかけて聞いてくるべき話や経るべき体験を、今になって圧縮して聞き、圧縮して体験しているからだ、かいつまんで「なるほどね」で済むような話はまともな話のうちにひとつもない。
何度も聞き、何度も揺るぎ、何度も考え、何度もその場所に立たねばならないのだ、おそらく人にとってひとつの言葉やひとつの話を本当に霊魂に到るまで獲得するのに、「一回で記憶できる」ということは何も役に立たないのだ、記憶できたものが獲得できたわけではない、獲得というのは自分の生きる一時代を費やさねばならず、一時代を費やしてもなお獲得できないもののほうが遥かに多い。
表面上、まともに一般的な経験を記憶してきている者が、その実まともな体験を、まともな「話」を、何一つ獲得してきていないということはとても多い、そんなことは、「何か "話" して」と頼んでみればただちに判る、多くの人はおそらく生涯のうちに何一つ「話」というものを獲得しない、それも自分が生きたうちに得られた自分自身を経ての「話」というと、よほどの果報者でなければそのようなものは得られないのだ。
僕は今回の夜で――日中をまたいで二つの夜を過ごしたわけだが――、「話」あるいは物語ということの真相を、ひとつ新たに掴んだように思う、体験はやがて積み重なってひとつの「話」に結晶し、この「話」はやがて自分自身と周囲の友人を導いていく未来への指針になる/つまりありていに言うなら、ひとつの「話」というのは、われわれが思っているより遥かに高度な現象だということだ、膨大な体験という素材が、清潔な知恵と知性に統合されて、ひとつの「話」に構造化される、この獲得じたいを――物語の獲得じたいを――志すうち、人はきっとまともな道筋を踏み外さない、われわれは決して散り散りの願望を断片的に充足させて吠え立てるようなあわれで醜いだけの生きものではない。

船乗りが船乗りになるために必要な乗船回数ほどに、ひとつの「話」でさえ繰り返し体験されねばならない。

人は物事を記憶するが、正しくは記憶「してしまう」のだ、人は記憶することによって、同じ一つの物語を繰り返し「体験」することを避けてしまう、ただその魂魄の弱さによって/人は記憶「してしまう」ことによって、以降は記憶をなぞって体験を避けることに取り込まれてしまう、何度も同じひとつのことを「体験」できるほど魂魄の強い人はとても少ない、実家の周辺や通勤通学路を単に「記憶」してしまうことのように、人はその「ラクになってしまったもの」へ逃げ込むことを覚え、そのラクなものへ逃げ込むことへ非常な愛着を覚え、その中からもう出てこられなくなる。
少し前、僕はパーティの夜について、冗談まじりに「19時から5時まで、おれ一人に話させる気かよ」といい、「そんなことしていたら死んでしまうわ」と笑っていたのだが、今はもうきっと、そのとおりのことを実際にしても、何ら衰弱することはないようになったのだろう、その十時間がきっと二十四時間に伸びても、現在の僕はきっとこなせるという感覚がすでに手元にある/ここまで鍛えられて初めて判ることがある、われわれにとって「話」とは何であるのか、その真相はわれわれが一般に思っているところから遥か遠くにある。
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第94回Quali's Party[7月20日(土)]無事盛会!

7/22 Quali tweet> 盛会といえばスゲー盛会だったと思うぜ pls entry

joined: ひろみ、あきら、ゆか、ともこ、かなみ、まなみ、かず、ゆうさく、くおり
日時:2019年7月20日(土)19時〜23時
場所:原宿竹下口交差点DinningBar CLIMB


おかげさまで無事盛会でした! 次回もよろしくお願いします。
二十四時間パーティのあと帰りに飲みに行ってしまった(狂) 九折

キラキラ次回(8/17[土])加エントリはこちらから!キラキラキラキラキラキラ


費用男性5000円 女性3000円
参加資格ブログorサイトのファンであること
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皆様のご参加を心よりお待ち申し上げております! どうぞお気軽にご参加くださいませ。九折

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パーティ報告93(2)/記憶の一切を排除して
は「脚が伸びた」と、生まれて初めて自分の全身を写真に撮って浮かれたそうな。
SONICMOVEはすでに「毎日が楽しくてしょうがない」らしい/色鉛筆はしばしばオフィスの手洗い所の鏡で「あれ? わたしイケてる」と自分が見えるそうな。
パーティ後、昼近くなってユウサクが得た「喉の解放(呪縛解除)」は、たぶんとてつもなく大きなことだと思う、ゼロ秒イエスの獲得も合わせて/まあゼロ秒イエスを獲得できたのはユウサク自身の勇気と素直さだが……
まあそんなことを言い出せば、各人というか、全員に無数の色んなことがあるのだ、んなことはわかっている、そのことについておれは冷淡なわけではない、おれは最大をやりたいのであって威張り散らしたいわけではないので、いつもこんな調子になるだけだ、おれにとって何の得になるのかはわからんが、おれは最大がやりたい、トクなんて考えるほどおれはヒマじゃない。

ぜんぶおれがもたらしたのだということは、正直わかっている、しかしだからといって何だという気分にしか、おれはならないのだ、よろこびは大きくがあるが、よろこんだりうれしがったりをおれはしたくない/最大だけをやりたくて、その他のことにリソースは割きたくない、それが何であったかの気分に浸るのは、自分が死んでからでいい。
ワークショップでは動画を撮っているが、それについて「解説動画を観ていると何か安らぐ」と誰かが言った、その感覚を素直にして、従っていてほしい、そこに何を視ているかを知るのはずっと先のことになるから、今は素直なままに。
「あてなく彷徨う想いが 私をこの地へ誘う」と誰かが唄って、わたしは古(いにしえ)を発見する、そういえば「古代の風」がどうたらこうたらと、僕自身が言っていたのにな、それを今さら発見呼ばわりしているのは、なかなか我ながらトロいものだ。
いちおう現代という時代に、適合するように僕も書き話しているが、基本的にその適合ぶりはウソだよ、全部真っ赤なウソで偽装だ、だからみんなが感じている「ひょっとして」のほうが正しい/だからといってその正しいやつを慌てて振り回す必要はなくて、本当に正しいものが何だったのかは、幸運な人がずっと先になって知るだけのことだ、ユウサクは昭和に帰ることを(最年少のくせに)見つけて「やさしさ」への手がかりにし、実際に歌と踊りを手に入れたことになるが、やがて古(いにしえ)とやさしさの関係を知るかもしれない、まあ何にせよ今回も飲んだね。

ガトリングナイト、わたしは記憶の一切を排除している。

ガトリングナイト、「さっきの弾丸はもう飛んでいったよ」というのは出来すぎた冗談だが、記憶の一切を排除しているというのは本当の話で、それはいつのまにか僕の基本動作だ、「こういうことが問題なんだ、つまり、おれにとっての当たり前が、いつのまにかふつうの人の当たり前とかけ離れていて、その差がわからなくなっているんだよ」。
記憶の一切を排除し、思い出さえも排除し――どうせその夜が後に思い出になるのだから――完全に新しいものとして古(いにしえ)につながる、古(いにしえ)につながってカミサマの国に到達しようと噴き上がる/わたしが「ガトリングナイトー!!」とやった途端、「ほらな、お前らが持っている "記憶" 、アテにしている "記憶" の確からしさなんて、こんなに怪しいものだ、さっきまであった空気とかそんなものどこかへ消え去ってしまっただろう?」。
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パーティ報告93(1)/「ゼロ秒イエス」と「ゼロ秒ノー」、創作と稽古について
ーティは底抜けに楽しかったのだが、それはあとで書くとして、意識が落ちる寸前だ、忘れないうちに書いておくことを。
スマホの設定画面で、色んなアプリの常時On・Offが切り替えられるように、われわれのひとつの切り替えられるスイッチを持っている/われわれは常時を「イエス」とするか「ノー」とするかを自己設定している。
常時を「イエス」にしてある人は、すべてのことにまずイエスであって、ノーを出力するのにコンマ数秒の時間がかかる、逆に常時を「ノー」にしてある人は、すべてのことにまずノーであって、イエスを出力するのに時間がかかる。
そして、常時ノーの人が、コンマ数秒後にイエスを出力したとして、そのコンマ数秒に消えてしまう成分があるのだ、だから常時ノーの人は魂のことを学ぶことができない、コンマ数秒もあれば魂の響きは消え失せてその後には機械的な「記憶」しか残らないからだ。

「常時ノーの人が、イエスの出力に数秒かかる」「だから魂と直結できない」というのは、つまりいつぞや話した「疑情体質」のことだが、ここにきて疑情体質が技術的に「視認」できるようになったということだ、もちろん視認作業ができるのは今のところ僕しかいないけれど。
それで、次に創作と稽古について、創作というとたとえば作曲などがそうだが、作曲に「稽古」というものはない、演奏には稽古がありうるが作曲に稽古はない。
どういうことかというと、説明する余裕がまったくないが、つまり「天地」のあいだに人があったとして、「天」と「地」にはそれぞれ、天にはカミサマがあって、地には「古(いにしえ)」があるのだ、人は創作のとき天・カミサマにおのれをつなぎとめて「しもべ」となることで創作物を得、稽古にとき地・古(いにしえ)におのれをつなぎとめることで稽古を得る、「稽」とは「つなぎとめる」という意味だ。
なんのこっちゃわからんと思うが、とりあえずメモしておくことは、僕がよくいう「空間を広くとって」というのが、もうひとつの方向を獲得して、「空間を広く、古(いにしえ)を遠く取って」ということになるのだ、これで創作と稽古は天地を上下に循環する/それを大周天と呼びたい人は呼んでもいいが、大周天なんて誤解やインチキが横行しているだろうし、実技と実作にバチーンと反映されないと意味がない、そしてバチーンと反映されたらその呼び名の話なんかしなくていい。

天から降ってこないと創作はできないし、地から古(いにしえ)が噴き上げてこないと、創作物の上演ができない。

つまり、たとえば作曲者というのは、カミサマ(天)とつながって下されるものに従う「しもべ」でなければ創作できないし、演奏者というのは、古(いにしえ)(地)とつながって下から噴き上げてくるものにつなぎとめられた「稽古」の者でなければ演奏できないのだ/僕が小説を書くのとワークショップの往復で「切り替えが極端すぎてキツい」と苦労していた理由がこれで判明した、創作は天から人への「上から下」なのに、稽古事は地から人への「下から上」なのだ、これを切り替えというか同時にこなすのに初めの半年ぐらいはひどい苦労をしたのを覚えている。
これまで「稽古は出来事であり」「出来事はフィクション」「体験もカミサマもフィクション」と唱えてきたのだが、そのことは完全に正しい、ただそのフィクションに地の方向「古(いにしえ)」が存在することに気づかなかったのだ、これでこれからはもっと効率化と明瞭化がはかれる。
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第93回Quali's Party[6月15日(土)]無事盛会!

6/17 Quali tweet> モリモリ盛り上がったぜモリモリ pls entry

Recent entry: ひろみ、りさ、あきら、ゆか、ともこ、かなみ、まなみ、やじー、かず、ゆうさく、くおり
日時:2019年6月15日(土)19時〜 場所:原宿竹下口交差点DinningBar CLIMB


今回も無事盛会でした! 次回もよろしくお願いします。
盛会といえばこれ以上の盛会はないぜ 九折


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パーティ報告92(2)/人並み外れた「正気」をどうぞ
代は空想にあふれている。
フィクションと空想の区別がつかなくなっているのが現代の特徴だと捉えていい。
フィクションと空想は何が違うのかというと、フィクションは正気だということだ、「フィクション」とは気魄の整った者がなし得る構築であり、空想は気魄を腐敗させた者が耽りこむ思念の漏出でしかない。
だから、たとえばフィクション人物としての「刑事コロンボ」は、ロス警察の名警部(補)としての気魄が全身にみなぎっているのに対し、空想に耽る陰キャは自室にこもって気魄を腐敗させているということになる/フィクションには人並み外れた「正気」が要るのに対し、空想は気魄の腐敗が素になるのだ。

そして、気魄が腐敗するとどうなるかというと、気魄が腐敗するということは、「実感」に虫食まれていくということなのだ/実は「空想」は「実感の思念」が暴走することで膨らんでいくのであり、空想の正体はイマジネールではない。
「空想」がむしろ「実感」から生じているということは、思いがけないことかもしれないが、それは自分の指先を見て、その爪のあいだに針を刺すことを「空想」してみればわかる、「実感」を素にすれば空想はいくらでも膨らむということがわかるはずだ/この、実は「だらしないだけ」が正体である「空想」という現象を追い払うのが、人の「気魄」だ、人は「気魄」の技術を正しく獲得することで、正気を養うことができるようになり、空想と実感に虫食まれるという不毛の弱さを脱却することができる。
「空想」というのは、実は人の前向きな能力ではなくて、人が気魄の能力を失ったところに食い入ってくる、ただの弱さの現象なのだ/そんなことを説明しながら、パーティでふといつもやっている気魄の技術(組み手)を静かにやってみた、するとたちまち全員が気魄と正気を取り戻していった。
「正気を保っていなければ出来ない技術」があって、それを獲得しているというのは、生涯に亘る財産だと思う/今、個人のPCや端末は発達しているし、多くの業務は習慣と知能だけでこなせるものだ、つまり正気を失っていても業務はできる、空想された現実の中で業務をこなし、帰宅して空想のコンテンツに耽るということを、人は往復して暮らしていけるのだ、だが気魄(正気)を失っている以上、身体にはおぞましさが蓄積していってしまう。

事実上、すでに魂魄の型は「宝」だ。

魂魄の型を二、三度やるだけで、ビタッと人々が正気を取り戻していくあの様は、単純に胸に刻まれるものがあったな、おれはおれ自身としてまったく別次元に到達しなくてはならないが、一方でみんなが必要としていることのレベルが少しわかった。
事実上、すでに空想が「猛毒」で、魂魄の型は「宝」だ、当たり前に正気を愛好していきたい、そういえばいつのまにか、僕は朝まで飲んでも酔っ払わなくなったし、頭痛にもならなくなった、単純に正気が強く練られたのだろうな。
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パーティ報告92(1)/未来に向かう
告といって、何を報告すればいいかね、別に報告することはないような気がするが、とにかくいつもどおり平和に飲んで笑った。
今や、平和に飲んで笑っていられるというのは、それ自体が貴重な気もするが、それだけでなく、多くの人において、目が覚めてきたというところがあるように思う。
きっと何かひとつの結論に到達しようとしているのだ、そこに到達してからが本当のスタートになるのかもしれない。
はっきりとした土台を構築して、未来へ向けて拡大したいなと、今さらながらに思うのだった、ひとつの審判のときが近い感じなのだが、それは物事の終わりでなく始まりだ、これからが始まりだとすると大変なことだが、大変というより僕はそれをよろこびに思う。

ある女子大生が、すばらしく上等な企業への内定をぶらさげて帰ってきた。
僕を慕ってきてくれた人が未来を獲得することは、うれしいし、何よりホッとする、まさかおれが女子大生の未来へマイナスになるような存在であってはならんからな。
おれに唾を吐いて未来が拓けるなら、ガンガン唾を吐いてくれていいと思う、別に唾ぐらいどうってことないので、そんなことより未来がないほうがヤバイだろう、今のところ考えを改めておれを認め直して慕ってきてくれた女性のほうが未来が拓けているので、唾を吐きかけることをこちらから特にオススメはしない、来年の四月には初給料で焼肉でもオゴらせようと思っている、引くぐらい上カルビを食ってやるぜ。
不思議な世界があるのではなくて、自明の世界があるのだ、ようやく自明の世界に到達できそうで「やったぜ」という心地だ、この世界には観測不能のことがあるのはカントや量子力学において明らかだが、観測不能のことを「フシギ〜なんとなく〜」みたいにしていると、キケンでしょうがないじゃないか/当たり前だが僕は、「イケんじゃね?」が視える者でなくてはならないし、その「イケる」をなるべく多くの人にもたらせる奴にならないと、そもそも僕自身の存在が成立しない。

昨日までのことは、すべて過去になるだろう(当たり前)。

未来に向かわねばならないが、未来に向かわねばならないといって、そりゃ物理的に過去には向かえないのだから、未来に向かうのは当たり前だ、だがいつのまにか、未来がキライという人が少なくなくなってくる、特に加齢と共に/未来というのが目の前の現実なのだが、これにヘイト感情を持つ人は少なくないのだ。
次回は6月15日(土)です、次回といわず、百年後もやっているだろう、少なくとも僕は死なない限り、何かをやめるということはないな。
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