☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
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誰しも共感のせいで動けない

クティブの生きるのが正しいとか、楽しいとか、うつくしいとか、そんなことはまるで思わない。
一方でもちろん、退嬰的に生きることに滋味があるともまったく思わない。
どちらも正しいとはまるで思わないが、いつも同じ考え方をしている、「どちらも正しくないならどっちを選ぶ」と。
よもやこの僕が、「正しいこと」なんて選ぶわけがそもそもないのだ、僕は好き勝手に好きなほうを選ぶ、僕が正論をゴミ箱にぶちこむことを誰かが制止できるわけではない。

僕が「おれは無限に遊んで生きるよ」と言うと、「それいいですね」と言われる、それに僕は「そうか? 知らんけど」と冷ややかに答えている、意地悪がしたいわけではない。
ただそれが「いい」とか「悪い」とか言い出すと、いかにも面倒くさいのであって、別にそれが「悪い」であろうが、僕はそちらを選択するのだ、別に似合っていない服を着たって何の咎もない。
むかし青森に旅行したとき、三日三晩、ビニール袋に突っ込んだ大量のホタテ刺身だけを手づかみで喰って過ごしたことがあるが、そんなことに意義があるとは思わないし、「正しい」とか「楽しい」とかも思わない。
じゃあ何を基準にして万事を選択しているのだ……ということになるが、基準は特になく、強いていうならきっと共感されないように選択している、共感されると時間の浪費が増えてしまうからだ。

退嬰の問題点は、共感にすし詰めにされてしまうことだ。

「やらなきゃって思うんだけど、できなくて」「それすごいわかる」というような類が、僕は生理的に不得手だ、本当に強い目眩を覚えるので致し方ない、よって僕は「わけのわからない」「頭のおかしい人」と思われて生きていくしかない、僕の側の目眩はなくなる。
共感にすし詰めにされたら、もう動けなくなるが、それはすし詰めだからであって、これは僕に限らず誰だってそうだろう、誰しも共感のせいで動けない。

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