☆いい女☆で行こう!

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(※リンク修正しました。日本語字幕が表示されない場合のため)われわれが狂気の世界を食い止めるために

「TED」で語られたジョハン・ハリの「『依存症』――間違いだらけの常識」には実に聴くべき値打ちがある(クリックすると動画にジャンプします、ぜひどうぞ)。
語られたところはこうだ――昔、ある心理学者がネズミを使って麻薬の依存性について実験した。
ネズミをオリに入れて、「真水」と「麻薬入りの水」を二つ並べて与えていると、ネズミは「麻薬入りの水」を好んで飲んだ、そしてそれを飲んでいるうちやがて中毒で死んでいった。
こうして「この麻薬には依存性がありますね」と信じられてきたのだが、どうやらその結論は間違いだった、そのことが別の実験で証明されている。

新しい実験はこうだ、今度はネズミを「オリ」に入れるのではなく、ネズミたちが楽しく駆けまわれる「ネズミたちの楽園」に入れる……そこにやはり「真水」と「麻薬入りの水」を二つ並べて与える。
そうすると今度は、ネズミたちは「真水」を飲み、「麻薬入りの水」をほとんど飲まない、つまり「楽園」においてならネズミは「麻薬入りの水」を好まないのだ、依存性なんぞどこへやらだ。
この実験の示すところはこうだ、「依存症の根本的原因は麻薬ではなく『オリ』のほう」ということ、依存症はオリのような環境に「適応」するための現象にすぎないということ、このことは医療用麻薬や戦場での麻薬使用では依存症にならないという事実を整合する。
われわれは今、楽でない生活に縛られつつ、人とつながりを持たない一人ひとりが孤立的な――閉ざされて「オリ」的な――環境の中を生きている、このことは各人がやがて致命的依存に向けて決壊しかねないというリスクを育てている、そしてその決壊はすでに各所で起こっているように見えるのだ、別に麻薬そのものに限らず中毒性の悪趣味や遊びやコンテンツで、自分の生を取り崩しながら……そのことはうっすら狂気を帯び始めている。

われわれは、好きあう義務はないが、最低限助け合う義務がある。

「お前のことは嫌いだが少しは助ける」という態度が要る、舌打ちしながらでも、と僕は考える、われわれにとって人を恣意的に好きになることは不可能だが少し助けることは不可能ではない。
オリ的状況、信頼できる誰かがおらず孤立しているという状態は、思いがけず「ヤバい」ということ、われわれは好きあうなどというぜいたくを言わずに、まずこの「オリではない」という状況を希求せねばならないだろう、舌打ちしながらでもだ。

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