☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
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身体をやめた面々
TAの会長と「面会」はできるが、PTAの会長を「体験」することはできない。
ボブディランを「体験」はできるが、ボブディランと「面会」はできない、感覚的にする気になれない。
面会と体験、「面」と「体」があるわけだが、胴体(こころ)をやめた人間は「体験」を失うので、あとは喫茶店で面会・面談ばかりをやることになる。
僕は生涯に一度も誰とも面会なんかしたくない。

「We are the world」の集合写真を見たとき、それを「We are the worldの面々です」とは感じない。
「〇〇の面々」というのは、あくまで体験性のない「面子(メンツ)主義の共同体」に引き当てられる感性だ。
「〇〇の面々です」ということの中に、僕は混じりたくない、それを「仲間」などと吹聴したくない。
誰しも仲がいいことは好いことだけれど、「あなたを体験する方法は?」と訊くと、あなたは決まって"強い不機嫌"になる、それはどうしたことだろうね。

面会していたら友人じゃない。

なぜ「面会」なんて、そんな寒々しさを「大人っぽい!!」って、コドモみたいなことに興じるんだよ、あなたはインタビュアーを見ていつも寒いって感じているじゃないか。
悲しいことに、身体をやめた人々、胴体をやめた人々は、よほど「体験したくない」ことに囲まれていたんだ、身体をやめたらいやなことも「体験」せずに済むから。
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