☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
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「体験」に間に合う早さ
「早い」ということは至上の価値を持つ。
かといって、「加速する」ということは、もう出遅れたものをプッシュしているので、そもそも間に合っていない。
じゃあなぜ出遅れるかというと、「検証」しているからだ、ノンフィクションに検証はつきものだから、これで遅くなる。
たとえば「あなたの母親は何歳ですか」と訊かれたとき、ノンフィクションで答えなくてはならないので、「えーっと」となる、「母は三十のときわたしを生んでいるので……」と検証して答える、これで決定的に遅くなる。

構造上、ノンフィクションは、フィクションの早さを超えられない。
そして、細かい説明は省くが、すべての体験はフィクションでないと「間に合わない」のだ。
あなたが歌を唄うときも、「おはよう」というときも、本を読むときも、ノンフィクションにこだわるから実は体験に間に合っていない。
「そうかな?」と考えてみるか、でもそうして考えたらもう「検証」だから、それでもう間に合っていないんだ、信じる人の早さには追いつけない。

早さについて、絶対の感覚がある。

これは時間芸術をこなしている人なら、特別に身につけている(べき)能力だと思う、時間停止能力というか、時間ゼロ能力というか、ちょっとここでは説明しきれないけれども。
早さが間に合っているので、逆に「じっくり」やることができ、ちゃんと「体験」になるという現象がある、説明はできないがこのことには絶対の感覚がある。
できるオンナだね | comments(0) |
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