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セックスは性癖の狂乱ではない5

きていくには、何か「これだ」と感じられる、強く「ただものでない」衝動への接触が必要だ。
特に人生が不明、あるいは破損や欠損や消失をしたりしたら、ますますその「これだ、と感じられる強い衝動への接触」が必要になる。
そのとき、尖鋭化した「性癖」への拡大刺激が、「これだ」という強い衝動への接触だと信じられてしまう、性癖への「えげつない刺激」が「真実」なのだと信じるしかなくなってくる。
ただのアホだけどね、ただしそれを「ただのアホ」と言ってしまえば、僕の人気がなくなる(それでも言うが)。

だってもう、どれだけ歪んでいようが、ギンギンに勃起するかドロドロに濡れるしかないのだ、「ぜったいそのほうが真実」と言いたいのだ。
ラジカルな性癖に向き合うことのほうが「勇敢で」「誠実で」「真実の愛」とぜったい言いたいのだ、それはつまり、自分が「勇敢でなく」「誠実でなく」「真実の愛にまるで縁がない」と言いたくないということでもある。
いつの間にか尖鋭化した「性癖」を、ついに実現させようと決意する、その踏み切る勇気、および向き合わされる苦しみ、そういうことが人間の真実的存在で、肯定するし認めると言いたいし、闇を含んだ狂乱に触れないと「これだ」という気がしないのだからしょうがない。
それをよりによって、「胴体(こころ)が閉じ込められたから、性癖が尖鋭化したんですな」「胴体が解放されたら性癖は剥がれ落ちます」というのでは、夢がなさすぎる、夢がなさすぎるけれど、それは性癖以上のものはないという前提に立っているからだな。

人は人生が破損すると、おぞましさに希望を探す。

ちょっと言っている意味がわからないと思うが、これで正しいし有効だ、人は人生に希望を託せなくなると、おぞましさへの転落に希望を探すことになる、つまり「それ」が本当はおぞましいものだと知っている、知っていて希望にしている。
胴体が解放されて、性癖が剥がれ落ちるなんて、きわめてつまらないこと、かつブキミなものだよ、ただそれは「これだ、と感じられる強い衝動への接触」がないからであって、その「これだ」は別に性癖なんかじゃなくてかまわないってだけだ。

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