☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
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目黒三年

は死ぬ時に走馬燈を見ないのじゃないかね。
というのは、いつからかずっと、走馬燈を見ながら生きているんじゃないかね。
これまでにいろいろあったのだ、いろいろあったというのは何かトラブルがあったということじゃない。
書き尽くせないし、話し尽くせるない、話し尽くせるわけねえだろという分量のことがずっとあった、それは今もあり続けている。

死ぬ前に走馬燈を見るということは、脳の「同時多層処理」の可能性を示唆している。
脳は本来それだけのことを一気に処理できる能力を持っているのだ、いちいち順をたどったり分解したりせずに、すべてを「ひとつ」にして同時に多層を処理できる。
これまでに、本当にいろいろあったのだが、その「いろいろ」は現在も膨張の一途にあり、「これってどうなっていくの」と考えると少し恐怖まである、「体験」はまったく降りやまない。
目黒区に住み始めてちょうど三年になるが、「えっ? もっと昔からここにいる感じがしてた」とよく言われる、たぶん体験の量が異常なのだ、僕はインドでもインド人に道を訊かれるありさまだからな、「コンノートプレイスは向こうだってば」。

ラ・ボエーム、障子のすべてに秘密の譜面が浮き上がる。

スギノキやシイノキが、あるいは夜に咲くコブシやジンチョウゲが、まあそんな詩人みたいなことはいいか、星空を見上げると引きちぎられた綿菓子が浮かんでおり、バトワイザーのネオンサインはカミサマのベクトル・ゴーサインだ。
優秀な人間に生まれてよかったな、もし今際の際に走馬燈なんかがあるとしても、馬なんかじゃ間に合わねえよ、数百台のカウンタックでも並べてくれねえかな、いつぞやの「キャノンボール」を歌にして。

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