☆いい女☆で行こう!

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まともに生きるのには常にキアイがいるものだ

っとコラムが書きあがった。(→(六日目)怒りの日、疑う胴体が失ったすべてのもの
原稿用紙450枚分もあるそれを「コラム」と言い張るのはどうかと思うが……
165,790字だから文庫本で230頁ぐらい? 普通に考えてウェブブラウザで読む分量ではないな。
まあそこはキアイで読んでくれ、あとはUSBメモリにpdfファイルを入れて持っていけばコンビニでも印刷できるし、その他ネットプリントとかの方法も最近はある、まあそういったことのすべてはめんどうくさく、まともに生きるのには常にキアイがいるものだ。

こういったことには二つの考え方があると思う。
こんなクソ長い文章、読むのは正気の沙汰じゃない、という考え方がある一方、「読まないのは正気の沙汰じゃない」という考え方もある。
僕は、大学生がまとまった読書をしないことや、社会人が日常的に大きな情報を仕入れないことのほうを、「正気じゃない」と捉えるたちだ、どうしてマンガと動画を漁るだけのほうが「まとも」なのか? それはただのすりかえだろう。
このごろは、「生きることを諦めた人から順に威張っていく」というよくわからないスタイルがあり、そのスタイルの感覚は僕にだってわかるのだが、やはりそれは「正気の沙汰じゃない」と僕は思っているのだった、僕は卑怯者だからな。

「何の勉強にもならなかった一年」は、わりと人生を破綻させる。

誰でも思い返してみるとわかるが、5歳から15歳まで、勉強の要らなかった一年なんかなかったわけで、そしてまともな青春なら、15歳から25歳まで、勉強の要らなかった一年なんてやはりなかったのだ、遊ぶことも含めてまともな生命は学びつづける。
しかしいつからか人は、「勉強の要らなかった一年」をこっそり過ごし、そこからパタッと自分の生きることを終えてしまう、そういうのはコワイことだからみんなゴリゴリ勉強しようね、まともに生きるのには常にキアイがいるものだ。

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