☆いい女☆で行こう!

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「可能性」こそ「現実そのもの」ということ

しも未来に向けては「可能性」がある。
「いや、お前だけは例外で可能性がない。スーパーゼロ」と言いたくなるようなケースもあるが、それだって理論的にみれば間違っている。
人は誰しも未来に向けては可能性があるわけで、ただ人によってはその「可能性」を自らの手ですりつぶしていくということがあるものだ。
「可能性、ですか……」という人がまさにそれであって、「可能性」なんて自分で考えなくても理論的にあるっちゅうねん、ということ、それがわかっていない人は自分で可能性をすりつぶすのだ。

可能性が「ある」ということと、それに「手をつける」ということは別だ。
誰しも未来に向けて可能性は「ある」が、それに「手をつける」という人はごく少ない。
僕は一年前、「速球を投げたい」というわけのわからん未来を所望し、そのとき練習したら背中がグキッとなったのでタクシーで帰ってもうやめたのだったが、実はしつこく考えてはいて、ついに昨日、はじめて自分の投げる球がホップして伸びる、という状態を獲得した、むろん僕の野球経験はゼロだ。
人は誰しも可能性を持ちながら、それに「手をつける」のはいやがるものだ、なぜなら「可能性」は「現実そのもの」だからだ、「可能性」は「かもしれない」ではなく現実そのものだという、この思いがけない真実にヒントがある。

可能性に手をつけるということは、現実と握手するということ。

現実と握手するとなると、いろいろとコワイわけで、だから人は可能性を「かもしれない」という封印に閉じ込めておきたがる、そうしたら現実のコワさを無視していられる。
よくよく冷静に考えてみてね、「可能性」に「手をつけた」ら、そのとたんそれはもう現実でしょ、それがコワイから人は永遠にそれをしないでおくんだよ。

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