☆いい女☆で行こう!

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正体不明のことに力を尽くせる器量を忘れるな

だって、自分のやるべきことをやらなくてはならない。
ところが、この「自分のやるべきこと」というのは、探しに行ってもいけないし、自分で創り出してもいけないのだ。
だいたい想像がつくだろう、「やりたいこと探し」とか「やりたいことをクリエイトする」とか、そんなものは初めからスベるに決まっているのだ、うまくいかない上にキモチワルイという大ダメージまでついてくる。
誰だって、「自分のやるべきこと」をやらなくてはならないのだが、これには何の手かがりもなくて、唯一あるヒントは、それは常に「わかりにくいもの」であるということ、および「わかりやすいものはたいていハズレ」ということだけだ。

たとえば、僕が過去を振り返ったとき、「なぜあのとき震災のボランティアにいたのだろう」「なぜ手品をしていたのだろう」「なぜ合唱団にいて指揮者をしていたのだろう」「なぜあのコと出会ったのだろう」「なぜインドにいたのだろう」「なぜ総合商社にいたのだろう」「なぜ今文章を書いているのだろう」という思いがあるが、これらすべては、今になって「なぜ」ともいえない、とてもわかりにくいことなのだ。
とてもわかりにくいことでありながら、同時に、これらのすべてが僕にとって必要なことで、ひとつにつながっている、ということだけが感覚的にわかる。
こんなデタラメなジャンルの数々が、僕にとって「必要」だったわけで、そうなるともう、それを「探す」とか「創り出す」とかいうことがいかに無力で無為かということがわかるだろう。
だから、「自分のやるべきこと」については、上っ面で「考えて」はいけないのだ、何か知らないが自分の「本体」で掴み取るしかない、それぐらいのこと十八歳にもなればわかるだろう。

「自分のやるべきこと」は、正体不明でこそ正しい。

それは正体不明だからこそ、「自分のやるべきこと」かもしれないという可能性を持っている/逆にわかりやすく「将来のために英検を取ろう」というようなことは、わかりやすいがゆえに「自分のやるべきこと」では本質的にない。
自分のやるべきことを、見逃してはならない、そしてそれがもしわかりやすいものなら、誰も見逃すわけがないのだ、見た目にはまったく正体不明にしか見えないからそれを見逃してしまうのだ/正体不明のことに力を尽くせる器量を忘れるな。

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