☆いい女☆で行こう!

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パーティ報告67(2)

ーティにて、ある人は僕のことを、「きわめて強靭な、まともな人」と評した、「実はまともな人で、ただ異様に強靭なだけなのだ」ということで。
その評はたぶん当たっていると思うし、僕もそのようでありたいとしか思っていないし、またその評者が自身のことについて「まともになりたいんです」と自己評価したのも、当たってはいると思う。
僕は、僕の評されたことの逆、「ひどく軟弱で、実はまともでさえない人」という存在を第一に忌む。
では「まとも」とはどういうことなのか? ということになるが、僕は「まとも」ということはすなわち「文化」を所有しているということだと思う、「まとも」ということは単に精神性に根差されはしない、文化がなく自己精神しか持たないものは「まともじゃない」と僕は考える。

「文化」=「まとも」、それはつまり、あいさつや言葉遣い、他人への配慮や思いやり、敬いのこころ、年長者と年少者、男女が互いに向け合う節度を持つ、といったようなことへ結び付く。
落ち着いた声で、わかりやすいように話し、適切な話題を選ぶこと、またそこにジョークやユーモアを挟みこんで和合の足しにすることなど、それらは当然「文化」に属する振る舞いだろう。
この「文化」を、情報として知っているだけで、実はまったく身についていないという人が少なくない、そういう人は「まともじゃない」と僕は感じる。
作り笑顔でウソの声を出している類は、「文化」とはまったく感じないし、かといって思いつめて沈黙したり吐き出したりしているのも、「文化」とはまったく感じない、そうして文化を所有しない者がいくら精神的に加熱しても、それはただ「まともじゃない」という印象しか僕は受けない。

「まとも」であることが、最大かつ最低限の魅力だ。

四年前の八月に、僕は「まとも」なものが保持されることに寄与したくて、パーティ企画を再開した、以来43回にわたって、ひたすら「まとも」ということのありようを、実物として示し続けてきたつもりだ。
「キモチが大事なのよ!」と、誰が言い出したのだろう、人は文化なしにまともにはなれないのに/僕はそういう不毛なキモチ合戦に加担するつもりは一切ない。

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