☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
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会話とは、こころの内の声からなるもの

「自分の思っていることを言う」のは、決して"会話"ではない。
まして自分の身の上のこと、プライバシーのことを言うのが、"会話"であるはずがない。
それよりはむしろ「あいさつ」のほうが"会話"だ。
"会話"というのはもっと反応的なものだ(習慣的なものじゃないぞ)、対象ありき、相手ありき、相手に向けて反応を起こして"会話"が始まるものだ。

「どこから来たの」「何やってる人なの」、このあたりはぜんぶ「野暮」であって"会話"ではない。
隠し立てせずに言えば、今はアプリ経由のチャットのほうがやりとりが弾む、という人がいるだろ、というか、今はそっちの人のほうが多いだろ。
"会話"をするのに、「話題」なんか探すのは典型的にだめだ、何かしらのオタクトークにしかならない、どうしてもそれだけがしたいというなら別だけれども。
問題は「声」なのだ、発声とか音声のことじゃないよ、あなたのこころの内に「声」が起こらないのか、起こらないならそりゃ問題だぞということなのだった。

夏に向かう今日の新緑を見たら、「お前、えらい勢いで育つな、昨日は薄かったのに」と言え。

そういうこころの内の「声」がないのがおかしい、それがなけりゃ"会話"が起こりようがない、新緑を見て「きれーい」とか「きもちいーい」とか、あなたの感想を聞いているのじゃない(感想だけは絶対にやめよう)。
原宿でクレープ屋のショーケースを見たら「これもう射幸心あおりすぎやろ」と言え、正午にゴロゴロ雷が鳴り始めたら「夕立はまだやろ、気ィ早すぎや、頻尿ちゃうか」と言え。

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