☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
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何もない日のすばらしさ

「今日もまた、何もなかった」ということは、何か悪いことのように聞こえる。
が、本来「何もなかった」というのはよろこばしいことだ。
問題は、「何もない」がイコール「さびしい」になっている場合だ。
本来、さびしくなければ、「何もない一日だった」ということはイコール「満たされた一日だった」になるものだ。

ふだん勉強しない人が勉強をすると、その日は「勉強をした」と思うだろう。
ふだん笑わない人が大笑いすると、その日は「たくさん笑った」と思うかもしれない。
ふだんお酒を飲まない人が酔っ払うと、その日は「お酒を飲んだ」と思うだろうし、ふだんお酒ばかり飲む人がめずらしく飲まないと、その日は「節制した」と思うだろう。
その逆、「何もない一日」こそ、すばらしい一日だ、そういう日がずっと続けばいいのにと願っている。

満たされたコップは、静かだ。

めずらしいことをテンコモリにしたり、さわがしいものをテンコモリにしたとしても、それは満足とは違う、さびしさがごまかされるだけだ/もしテンコモリ思想にとらわれるなら、そこは考え方を変えたほうが素敵だ。
何かある人生が「満たされる」というわけではなく、満たされるということは「何もない」ということだ、何もないままみんなで出かけて、何もないまま帰ってくるのが一番しあわせじゃないか、それが最高のぜいたくだ。

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