☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
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「刺激」の中に「好き」はない
つて、「街には刺激がいっぱい」と言われた。
今は、「ネットには刺激がいっぱい」と言われねばならない。
街中で、スマートフォンをずっといじっている人が多いのは、ネットの刺激が街の刺激を超えているからだ、単に刺激の強いほうに引き寄せられている(ネットの刺激>街の刺激)。
街の刺激は、帰宅すれば遠ざけることができたけれども、スマートフォンは端末だ、あなたの枕元まで付き添ってくる、あなたはそれから離れることができない(これがVRになれば刺激はさらに強力になるだろう)。

あなたは「刺激」から離れることはできない、それは生きものとしての性質だ。
「刺激」を受けると、あなたは華やぎ、満たされているような感じになる、だがそれは一時的なものなのだ、この仕組みは実はシリアスなものだ。
「刺激」の中に、あなたの「好き」なものはないのだ、にもかかわらず、あなたは「刺激」から離れることができない。
一度、実験してみたらいい、独りでスマートフォンを手放し、テレビも切り、いろんな「用事」を考えるのをやめる、するとゾッとするような「さびしさ」があなたを苦しめ始める/だがこの「さびしさ」は実はあなたの味方なのだ。

「好き」があれば「刺激」は要らないし、「刺激」があれば「好き」は要らない。

何もかもスイッチをオフにして、ひどい「さびしさ」の中を数分間耐えてみる、そして部屋の明かりや窓の外の景色を見てみるのだ、するとそこにやがて「好き」という静かなこころが立ち上がってくる。
単純な話、人は刺激を受けているとき、「好き」を含めた「こころ」の機能を失うのだ、だからこそ人はデタラメな暴力やセックスができてしまう/これから先、「刺激」と「こころ」を感覚的に区別できる人は、すごく有利だ。
 
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