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情熱はどこから湧いてくるか2(ガマンと耽溺願望の構造)

はりこの話が、現代に「当たっている」と感じる。
鉄則だ、「情熱とは、弱さを焼き払うこと」だ、これはもう曲げなくていい。
情熱の湧いてこない人は、「ガマンとヒステリック耽溺を往復」しているのじゃないか? ここは正直に考えてみてくれ。
生活上でする「ガマン」を、「善」「大人」「自制心」「いい子」と思っているのじゃないか? だとしたらそれは単純に間違いだ、大急ぎで訂正してくれ。

「情熱を、ほれ、やってみろ」と言われたらどうする、どう感じる。
たちまち、何かを「ガマン」するか、もしくはそのガマンが切れて、「ヒステリック耽溺」に転落したくなるのじゃないか、だとしたら根本構造が間違っている。
わかりやすく言っておこう、ガマンが偉いわけではまったくなくて、ガマンを乗り越えてガマン以上の何かに到達した人が偉いのだ、「耽溺に興味はないし、何かをガマンした覚えもないな」という人が偉い。
われわれは、ガマンにストレスをためて、耽溺にドーパミンをプシャーするというような、愚かなばかりの生きものではないのだ、そんなことは元々わかりきっていることだろう。

必要なのは「自制」ではなく「克己」だ。

「とてもつらかったけれどガマンしました」と自負するのは、とってもよくない、それは「不満を溜めこんだだけ」だ、その焼き払われていない不満はやがて耽溺にぶちまけられることを待ち望んでいる。
「克己」というのは、「初めはつらいとか言ってたけど、いつの間にかすっかり忘れたね、ハッハッハ」と笑っている状態だ、そして情熱というのは、そのただならぬ克己に向かおうとする人間のあらわれのことだ。

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