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情熱はどこから湧いてくるか3(ガマンと耽溺願望の構造)
「ガマン」もクソだし、「ぶちまけ」もクソだ。
そもそも、何かを「ガマン」しているから、「ぶっちゃけさあ」が出てくるのだろう、そんなものは何も偉くない。
「我慢(ガマン)」という漢字をよく見ろ、「我」の「慢」だ、「巨大な我慢」ということがいかにヤバいかがわかるじゃないか。
「ガマンしている」という状態は、自分を押さえているのではなく、実は自分を膨らましているのだ、だからそれはやがて来る破裂(ぶちまけ)への準備にしかならない。

「ガマンしないなら、ぶちまけるしかないじゃん」というデタラメ短絡な発想を、どうか捨ててくれ。
ガマンは自分への執着だし、ぶちまけも自分への執着なんだ、ここを往復していたらキリがないし救いがない。
あなたは、他人の苦悩について、自分がガマンするということはないだろう、「ガマン」というのはあくまで自分のことしか「ガマン」できないはずだ、ここにヒントがある。
自分を突きはなせ、自分が「自分」というくびきを超えられたら、もうガマンの必要もぶちまけの必要もなくなる、他人の耽溺が気色悪いことにしか見えないように、自分の耽溺も気色悪いことでしかなくなる。

カミサマの降りてこない苦行をしてりゃ、そりゃただの我慢大会になる。

これまでに、「自分のためにがんばりなさい」とか言われてこなかったか? これが「ガマン」の温床になる、「自分のために」なんて念頭に置いてりゃ、我・慢が増大するに決まっている。
ガマンしてきた者が、やがて耽溺を得たとしても、そんなもの救われるわけがない、情熱というのはこのクソ構造にいよいよ見切りをつけようとする理性のはたらきのことだ。
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