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群れ充(モコるというやり方)

「リア充」という言い方が、馬鹿げた言い方と苦笑されながら、依然それが上位の様相であるという威を保っている。
そして一般的に「リア充」の定義というと、投稿されるデジタル写真によって証される「群れ」の像が必要十分条件を示している、というように見える。
さかのぼって二十年以上前、人々は「個の確立」ということを、感覚的に知って追求していたように思うが/当時はよく「"自分"がない人キライ」という言い方で異性がクリティカルに評価されることが多かった。
ここで合理的に言うならば、時代は「個の確立」から「群れの模糊」に移り変わったと言える(「模糊」は「確立」の反対)、そのことの是非を論じるのは誰かにまかせるとして、「群れの模糊」という思想は単純知的に現代のわれわれに知られねばならない。

われわれはおそらく、「どういう自分になるか」ということを、考えさせてもらえるフェーズにはないし、そういったことを考えられる機能をどこかの時点で失ってきている。
現在、「どういう群れにモコる(模糊る)か」ということでしか、自分の行き先を考えられないだろう、人間の思考機能は文化や風潮の中で大きく制限されているものだ。
実際、十以上年下の人間と話すと、そのことを如実に感じる、すべての思考はただちに「群れ」のほうへシフトしていくのだ、「自分」という確立個に焦点を当て続けることがほぼできない。
「個の確立」のアンチテーゼのように勃興した、この「群れの模糊」という思想が、この先に何を顕してくるのか、まだ誰もわからないので、そこは静観するしかないが、ただ言えるのは「モコる」というやり方が現在は便利にはたらくということだけだ。

モコる技術には可能性がある。

現代、アイドルではなくて「アイドルグループ」が重要であるように、また「パーティ」ではなく「パーティピーポー」が重要であるように、「群れ」という現象への模糊性そのものが重視されている/われわれは「模糊」そのものになれるだろうか?
かつて「個の確立」ということにガイダンスが必要だったように、「群れの模糊」にもそれなりのガイダンスが必要なように思える/「群れの模糊」ということが哀しさを帯びるようでは、どこかが不徹底だと思うのだ。

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