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「我慢」を絶対の禁止とする

「我慢」という語は誤用されている。
「我慢」とはもともと仏教用語でアートマ・マーナと言われる煩悩の一つで/「我慢」というのはその字義のまま、「我、という傲慢さ」のことを指している、これは煩悩のありがちなやつで、七つの傲(おご)りのひとつと数えられている。
じゃあ、母親が子供に向かって「我慢しなさい!」ときつく言うことの、とんでもなさがわかるだろうか。
本来は「辛抱しなさい」「忍耐です」と言われねばならないのだけれど、当人が「我慢」しかしてきたことがないので、辛抱とか忍耐とかは言葉として言われない、本人が定義体験を得てきていない言葉は使えないものだ。

現代における「我慢」とは、ずばり本質的に以下の意味になるし、そのままの役割を果たす、このことは断言していい。
「我慢しなさい」とはつまり、「内心で舌打ちしてメラメラしなさい」という意味だ、そういう意味にしかならないし、そういう呼びかけとしてしか機能しない。
内心で舌打ちして、メラメラする、それでしょうがないから表面上は「わっかりましたぁ」と言う、それが現代で言うところの「我慢」だ、このことが人間の内心にグールと呼ぶべき邪鬼を育てていく、アートマ・マーナの鬼が内部に育っていく。
金輪際、「我慢する」および「我慢しなさい」という用い方を国語として禁止せよ、まして母御さんは自分の子をグールと呼ぶべき邪鬼の子に育てたいのか、「我慢の子」に育てるというのは洒落じゃなくそういうことだぞ。

「我慢する」ということは、つまり「精神性のなさ」を育てる。

もともと人は、我慢(アートマ・マーナ)ということの愚かしさを脱するために、辛抱や忍耐も含めたことの中から、ある種の精神性に到達して生きていくものだ、勉強も仕事も「我慢」でするものではなく、精神性に到達して営まれるべきもの。
精神性のない舌打ちメラメラ我慢が内部に育っていく、それは精神性がないのだから「グール」と呼ばれるにふさわしい/どれだけ不本意であっても、「我慢」という語を使っていると必ずそういうふうになる、それが言葉の力なのだからしょうがない、「我慢」は徹底的に否定されなくてはならない。

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