☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
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時間は「素材」である

ラダラしないためには「尺」が有効だ。
おそらく人間は、切り取られた「時間」という感覚に直結して引き出されてくる特別な能力を持っている。
もし人間が永遠に生きるのだとしたら人間はひどく無能化するだろう。
むろん、人間の存在(イグジスタンス)は永遠だし、芸術というのはその「永遠」をやるのだが、それはたとえば四分間なら四分間のうちに、その「永遠」をやるということだ、「永遠」の上映時間が四分間ですということになる、永遠の四分間をやるのだ。

「時間」というのは本当に不思議だ、何しろ「四分間」というのは勝手に終わる、僕が何をしなくてもだ。
たとえば「ボレロ」という、ほとんど繰り返しのような音楽があり、十五分ぐらいで演奏されるのだが、「ボレロ」を演奏する指揮者はきっとその「十五分」をやりに行く、という感覚で指揮台に立つはずだ。
「時間」というのは、「素材」なのだと思う、1kgの粘土で作れるものは1000kgの粘土で作れるものと違う、また料理でも一人前の素材と十人前の素材は量が違うし、1mのキャンバスと10mのキャンバスでは描かれるものが違う。
永遠の四分間というとき、第一にその「四分」が素材なのだ、われわれが電子書籍に違和感を覚えるのは、手に取ったときの本の重みという「素材の量」がわからないからだ、実はわれわれは「それが何分であり」「何人前であるか」ということを先に合意して授受のやりとりをしている、時間芸術ではその分量合意が「時間」になるのだ。

分量合意が、授受の絆を作る。

こんな話、まったく僕にしか役に立たんと思うが、まあいいじゃないか、誰だって授業時間には授業を受けるし、勤務時間には仕事をする。
おそらく必要なことは、たとえば仕事をする場合なら、「勤務時間」という時間そのものを実現することなのだ、誰だって何だって「○○時間」という時間を実現することはよいことに決まっている。

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