☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
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何もかもが許される時空の底に、吾らの肉はこすれあう

思議だ。
どんなものでも、作品は作品だ。
やはりノンフィクションの中には答えはなく、破綻しかないのだ。
きっと作品の中には、本当には「何もない」のだ、あるのは人の想像力だ、しかもそれは読む側の想像力であって、創る側は関係ないのだ、思い切ってそう「創る側は関係ない」のだ。

作品作品というけれど、おそらく僕は「作品」についての感受性がきわめて薄い。
読み手として極めてわがままなのだ、夏目漱石を一ミリも偉いと思っていない。
もし僕が作品について誰かと話すことがあったら、作中世界の誰かと話すだろう、ノンフィクションの誰かと話すことはしない。
きっと作品の中には、本当は「何もない」のだ、すさまじい静寂が僕を待っている/虚実皮膜というけれど、皮膜どころか? フィクションの本質はとてつもなく奥深く、その一番奥深くで確かにこの現実とつながっている。

虚実皮膜は、何もかもが許される時空の底に。

何もかもが許される時空の底に、吾らの肉はこすれあう、吾らはあらゆる嘘を許してほしかったのだ、子供のように無限の夜と無限の青空とを許して与えてほしかったのだ。
無限の清流、無色透明の陽の光、無限の彩度を誇る野山に、無限の夜街が無限の国籍を誇ることを、肉の身に許して与えてほしかった、吾らはそれを探索しつづけるので、作品の中には何もない、何かがある必要がそもそもない。

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