☆いい女☆で行こう!

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摂取せよ!2

日「摂取せよ!」という記事を書いたが、これのウケがいいようだ、誰でも心当たりがあるようで、今最も有益なところを突いているのかもしれない。
ついでに、光モノとして、ショーペンハウアーとガンジーを足しておいた/前にも述べたように、属性が「光」であることは、レベルの高低にあまり関係が無く、ただ何であれ希少で貴重だということだけがある。
その希少な「光」の属性のものを、とにもかくにも「摂取」すること、そこで「光とは何か」なんてウダウダ考えても意味が無い、単に摂取量だけがモノを言うぞ、という考え方、これは確かに今有効な考え方だ。
もし、本当は根こそぎ単純な仕組みで、「光の摂取量が足りないと獣になりま〜す」というだけだったら、どうしようね……と、割とそういったことは冗談でなくあるような気が、しないでもないのだった。

世の中に、立派な人やハイレベルな人はいるのだが、それとは異なり、「光」の属性の人はそもそも、あまりその「立派」とか「ハイレベル」とかの印象を覚えさせない。
ここで重要なことは、自分が「がんばろう」と思うのではなく、目の前の人に「幸福であってほしい」と感じることだ、なぜか「光」の属性の人に対しては、自分がどうこうと思わず、その人自身に幸せであってほしいと願ってしまうのだった。
昔話に「笠地蔵」というのがあるが、あれがちょうどわかりやすい、お地蔵さまを見て少女は「自分も雪に降られてもがんばろう」と思ったのではなく、お地蔵さまが冷えないようにと胸を痛めて笠を差し掛けた、そのとき別にお地蔵さまは「立派」でもなければ「ハイレベル」でもなかったはずだ。
僕などは、スキャットマンクロザースなどを見ていると、もし手元に瓶詰めのプリンでもあったならば、そのプリンを彼につい差し出したくなるような衝動があるのだが……つまり「光」の属性の人は、ハイレベルとか向上心とかいうことに関係がなく、「この人は守られなくてはならない」という直観だけが走る。

「光」を見たとき、自分が助かりたいと思うのではなく、自分が光を助けたいと思う。

なんだこのインチキ宗教みたいな話は……まあしかし、実際にそういう事象があるのだからしょうがない、たぶん「光明」といって、自分が助かるために光を追いかけるのは違うのだ、それは芥川龍之介「蜘蛛の糸」のように、とんでもないドリフエンドが待っていよう。
なぜか「光」の属性のものを見ると、真剣さや誠実さのこころが起こるより以前に、何か無性に笑いたくなってしまう、そのときの笑いには、「もうこれでいいじゃないか」という絶対的解決の気配が含まれているのだ、だからこそ笑いたくなるんだろう。

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