☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
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闇に食われていく人へ、ささやかな救急箱
が闇に食われていくところをまざまざ見るのはイヤなものだ。
それはまるで、人の抗えぬ死病が人を食い尽くしていくのを、無力に眺めているしかない医者の慚愧のごとくだ。
彼はいつものように笑おうとし、しかし目の奥がすでに暗黒に吸い込まれている。
彼は救済を求める、努力もする、そして彼は救済を得て努力をし、目覚めて翌朝の鏡に見つけるのは――より進行して食い尽くされている自分の顔、死病のように進んでいる闇の実相なのだ。

闇からの恢復や、闇の予防は、きっと可能で、しかも実は単純に可能だ。
しかし、その本来は単純に可能なことが、実際にはきわめて困難で不可能じみる、なぜなら闇に食われているところの人は、すでに闇にあやつられるからだ、闇は闇を拡大するほうへ官能を与えて人を引きずりこむ。
この、闇に浸されていく肉体の中で、流されていかないよう唯一抵抗できる「杭」があるとしたら、それはいつもいう「学門・文化・芸術」だ、もしこれが消えなければ人はそこにしがみつき、ついに闇に対抗しきることができる。
だが闇は肉体のうちに闇を流しこみ、人のキモチと心境を暴騰させ渦をつくる、この渦に呑まれることに闇は官能を与える、それでよいのかもしれない、けれども翌朝の鏡は昨夜よりも強烈になったグールをそこに映し出すだろう。

菜の花畠に入り日薄れ/「朧月夜」を唄え。

この場合、メロディは学門であり、唄は文化であり、詩文は芸術だ、これが文部省唱歌であることにあまり意味はなくて、ただ獣でない「人」と「天地自然」の歌というのは一般に思われているより大きな効果がある、こんなもんタダなんだから好きに歌ったらいい、JASRACも文句は言わない。
人間なんてか弱いもので、「朧月夜」が入る前に先に「妖怪ウォッチ(第一体操)」が入ってしまうと、壊れちゃうのだ/闇に食われていく死病に対抗するささやかな方法に古くからの唄がある、夏がくれば思い出す、秋の夕日に照る山紅葉……


***

菜の花畠(ばたけ)に 入り日薄れ
見わたす山の端(は) 霞(かすみ)ふかし
春風そよふく 空を見れば
夕月(ゆうづき)かかりて におい淡(あわ)し


里わの火影(ほかげ)も 森の色も
田中の小路(こみち)を たどる人も
蛙(かわず)のなくねも かねの音も
さながら霞(かす)める 朧(おぼろ)月夜

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