☆いい女☆で行こう!

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破壊と創造

壊と創造は表裏一体のものだし、何なら表裏一体というよりは、「破壊が創造だ」「破壊を創造というのだ」と言ってもよい。
玄米を取り出すためには籾殻を破壊せねばならないし、白米を取り出すためには糠を破壊せねばならない。
それはただちに、籾殻の破壊が玄米の出現に他ならないし、糠の破壊が白米の出現に他ならないということでもある。
われわれは、われわれの身を破壊しなくてはならないが、それはわれわれの身を破壊して人間を取り出すということで、われわれの身の破壊はただちに人間の出現に他ならないということだ。

つまり、破壊というのは表面的に行われる、表面的なものを破壊し、内部的なものをより濃密にする。
表面的なもので塞がれていると、内部的なものが交流しないのは明らかなので、表面的なものは破壊する、破壊された表面は後に補われればよい/それは外科医が開腹の後に閉腹をすることに大差ない。
「蓋」は、ふだんは「容器」の一部となって内部を隠匿している、だから「蓋」を引っ張りだして「外」と交わらせる、それによって容器は破壊(開封)され内部的なものがやりとりされる。
われわれは実は、内部的なものを操作することはできない、操作できるのは表面的な「身」だけだ、だが「身」の破壊はただちに内部的人間の出現である、これがやりとりされる。

破壊と創造、そのとき破壊されるのは「妄想」の一点である。

われわれは妄想を持っているし、妄想はいけないという妄想も持っている、これらをこねくりまわしていてもいつまでたっても真実には至らない、だからそれらは「破壊」される、われわれは破壊しかできないが/同時に内部が出現する。
われわれは内部的なものに力をこめることなどできない、財布のチャックを開けるときと同じで、われわれは力を込めて財布のチャックを開けることができるのみであり、そのときのカネに力は込められない/われわれは自己の内なる声に力をこめることなどできないのでするべきではなく、われわれができるのは力強く身の蓋を「外」と交わらせることだけだ、それがただちに内部の出現、「開く」すなわち「創造」となる。

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