☆いい女☆で行こう!

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「敬(うやま)う」というレアな機能2

「敬い」がすべてを決する、「敬い」のあるなしが最後にすべてを決定してしまう。
このことを教えられずに、わけのわからない破綻に人が追いやられるさまを、僕はこれ以上目撃したくない。
感謝しろ、と言われ、よろこべ、と言われ、がんばれ、とも言われ、しかし「敬え」とは言われないで、われわれは生かされている。
人が生きている、誰もが生きているのだが、そのことを「大切に思え」と言われるだけで、「敬え」とは言われない、これはわれわれはとんでもないミステイクを犯しているのではないだろうか。

雨が降っていたとする、それを「よろこべ」というのもヘンだ。
かといって、雨の写真をインスタグラムに投稿するのもわざとらしいし、「自然の恵みよ」「大地がうるおう」などとネイチャリズムを決め込んでみるのもいかがわしいものだ。
高野喜久雄という数学者の詩にこうある、――降りしきれ雨よ、降りしきれ。
――すべて立ちすくむものの上に、また横たわるものの上に
/高野喜久雄は、円周率の解法に実績を残すほどの数学者だったから、きっとわれわれなどよりはるかに頭が良かっただろう。

僕は雨をよろこばない、よろこぶことが解法だとは思えない。

雨がすべて立ちすくむものの上に降りしきるのだと言えば、まさにそのとおりだと信じられるので、それ以上のことはない、それ以上のことを僕がどうできるとも思わない。
「雨」が「すべて立ちすくむものの上に降りしきる」として、それより高度な解法を僕は見つけられる気がしない、いつでも降る静かな昼の雨を見るたび、高野喜久雄の解法が合っていると見えるので、僕はそう敬い続けるしかないようなのだ。

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