☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
<< われわれの肉には、霊が蓄積的に宿る | TOP | われわれの肉には、霊が蓄積的に宿る3 >>
われわれの肉には、霊が蓄積的に宿る2

たわけのわからん話ではあるけれどもね。
でも、「テメーは肉が霊的に弱いからダメだ、使えん」と言われれば、何かそっちのほうがホントのことを言い当てているような……という気がしてくる、そういうケースが少なからずあるだろう。
たとえば、どうしようもないポンコツ新入社員が入ってきて、ボーッとしてフニャフニャでアホで使えないという場合、もう「肉そのものが霊的に弱すぎて使えん」と言ってしまうより、表現のしようがない、ということがあるはずだ、その実物を目の前にすると。
われわれは何のために遊び、何のために食い、何のために旅に出、何のために笑い、何のために学ぶか、それらはすべて「肉を霊的に強くするため」だ、そう表現してみれば、インチキリア充ばかりをやっていても「肉が霊的に弱くなるだけでは……」ということが自然に了解されてくるはずだ。

実際、どうだろうね、誰だって頭の中には記憶があり、それなりの価値観や、美学みたいなものも入っている。
けれども現代において、「頭」でなく「肉」に何が入っているか、「肉」にこれまでどれだけのものを蓄積してきたかと言われると、うーん……ということは少なからずあると思う。
ボーカロイドの楽曲でいくらフンフンと乗り気になっても、それが肉に霊を宿すことはありえない、何しろ発信する側が肉を持っていないのだから/肉が霊的に弱い人は、むしろ霊的に虚無のコンテンツを愛好する傾向にある(なぜなら自分がおびやかされないから)。
筋肉モリモリにして、腕力と筋力だけに自信を膨張させてだね、インフルエンサー(っていうの? 知らん)にエーキョーを受けて、ディベートに達者になって、ヴェジタリアン気味を自慢し、衣装と化粧を凝らしてライティングの妙でイイ角度の写真を撮ってもだね、そういうのは肉とか霊とかには支えられていなくて、むしろ肉と霊を否定する側のやり方だろう/自分が半裸でジェームスブラウンのステージに並んだときの絶望感をありありと想像すれば、けっきょくは肉と霊の蓄積しか頼りにならないということがイヤでもわかる。

肉が霊的に弱っていくと、聲(こえ)と握手に自信がなくなる。

だから自分から「おう!」「こんにちは!」とは言えなくなり、自分から握手を差し出せなくなる/自分から握手を差し出すなんて、年単位でやっていない人や、生まれてこの方やったことがない人だっているだろう。
ちなみに現代では、肉から霊を破棄した、「死体モテ」や「死体ウケ」という流行現象があるが、この流行で利益を得てはならない、こんな流行に利益を得ると自分の肉がその後とんでもないことになっていくぞ、おっかねえなあ。

正しく見ないとな | comments(0) |
コメント
コメントする










| /PAGES |