☆いい女☆で行こう!

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われわれの肉には、霊が蓄積的に宿る3
要なことなので、勝手にまとめていく、むろんこれらは一般的には狂人のタワゴトである、そのように片付けていい。
一番リアルなところは、最優先のこととして、「この人の身体(肉)に触れたい」「抱きつきたい」「この人の聲(こえ)を聞いていたい」と感じられる誰かに出会うことだ、その場合別にそれがセックスである必要はない。
何しろ、肉に霊が蓄積的に宿るのであるから、その肉に触れることは、蓄積されてきた霊にあやかれるということであり、そりゃそんなもん誰だって触れたいだろう。
お相撲さんやプロレスラーが花道を通るとき、観衆が一斉にそれに触れたがるのはそれが理由だ、神聖な場で霊を宿してきた蓄積的肉体に触れたいのだ(ゲンがいい、とも感じる)、それは単に筋肉をモリモリにしたボディビルダーに触ってみたくなる現象とは性質が違う、ボディビルダーのそれは好奇心や異物への「怖い物見たさ」であって、霊的な神聖さに触れたいという衝動ではない。

人は、触れたい人、聲を聞きたい人に出会うのが重要だし、ゆくゆくは自分が、その触れたい人、聲を聞きたい人になっていくことが重要だ。
それはまあ当たり前のことではあるのだが、人はときどき(しょっちゅう)、この本質的なことから目を伏せたがる、そりゃあまりにも本質的すぎて自分が追い詰められるからだ、自分が人から「触れたくない」「聲を聞きたくない」なんて霊的に思われているなんて考えたくもないのだから。
ここでもちろん、若い女性が死体モテを起こして「そそる」と扱われ、それによって男どもがその女に触れたがる……というのは現象が違う、そんなものは単にヤケクソの霊的荒廃の衝動でしかない(そんな暗愚な獣現象をいちいち考慮に入れたくなーい、というのがホンネだ)。
「霊的な未熟者は霊的な成熟者の身体に触れたい」、それが当然と言えるが、このときは必ず但し書きがつく、「ただし人の身体に触れてよいのは、あくまで精神を獲得済みであり、その上で霊的に未熟という者に限られる」、精神そのものを獲得していない者は未熟者ではなく不適格者なので人の身体に触れてはならない/こんな仕組みがわれわれの真相に起こっている、面白いもんだね。

自分の肉に入れたいもの、それと出会うことがあなたの進む先だ。

自分の知識に入れたいものとか、自分の知り合いに入れたいものとか、そんなものは無意味だ、肉が疎になると人は獣になってゆくばかり、ここで重要なことは、頭を下げてでも自分の触れたい肉に触れていくことに躊躇しない勇気を持つことだ。
誰でも、そのとき漠然と好きなものがあり、マイブームがあったり、世の中の流行もあったりする、それらは数ヶ月できれいさっぱり消え去っていく、なぜ消えていくかというと肉の内に霊としては宿らないからだ、その空虚を渡り鳥していくことは、ひどい慰めのうちにいつの間にか取り返しのつかない獣化を引き起こしてしまうだろう。
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