☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
<< われわれの肉には、霊が蓄積的に宿る3 | TOP | 世俗の信仰と「万物の大勝利者」2 >>
世俗の信仰と「万物の大勝利者」
ルストイはその著書の中で「世俗の信仰」を警告、ないしは攻撃している。
つまり、世の中には、信仰を持たない無神論者が多いのではなく、まったく別のものを信仰すること、つまり「人の世」を信仰する人が多いのだ、実際のところは。
もちろん「人の世」がすばらしいのは当たり前であって、「人の世」がまともに機能してくれていないと、暴力が横行しても警察が来てくれないし、誰かが大けがをしても救急車が駆けつけてくれない。
だが、本来の意味での信仰とは、これら「人の世」をカミサマのごとくあがめるということではなくて、すべてのすったもんだを透かして「カミサマの世」が見えるかどうかなのだ、「人の世」か「カミサマの世」か/からっきしの無信仰者というのはごく少なくて、けっきょくは「人の世」を信じる者と「カミサマの世」を信じる者の二派に分かれている。

さてここで、困ったことがあるのだ、それはよく見るとこういうこと/「人の世」を信じる派は、「人の世に善をもたらすものがカミサマである」とあがめているので、よくよく見ると、人の世がカミサマを「創っている」ことになる。
カミサマが人の世を創った、という見方ではなく、人の世がカミサマを創った、それでよしと見ている、それが正しいのかどうかは誰も知らないが、「人の世」視点で善をもたらすものが「カミサマ」だよ、と強く信じ切っている人はいくらでもいよう。
こういう人は、たとえば宗教施設に対し、無関心というよりは攻撃的になる、「だってさ、教会の建物だって労働者が働いて建築しているんだよ?」「その建物の中で偉そうに説教を垂れるだけの人のことを、僕は信じられないなあ」と。
このことから何が発生したか? 「人の世」に尽くして、なお私利私欲のなかった人間には、名誉ある勲章を授与するべきだ……として、つまりかつての「共産主義」に発達していった、共産主義は宗教ではないが、明らかな信仰の対象ではあるのだ。

ふつう、「人の世」を最上位とする信仰からは、生涯脱却できない。

それがつまり「世俗の信仰」なのだが、このことは破壊不可能だし、破壊するべきでさえないにせよ、せめて有利に生きたい人は「知っておく」だけしておけばいい/何であれ世俗の信仰は「人の世」をあがめるのを第一としており、そこで言われる「カミサマ」というのも、「人の世」をあがめるのに仮想で持ち出されているにすぎない。
「人の世」が最上位であり、それに尽くした者や、「人の世」での善のあらわれについては、「カミサマ」を認めてやってもいいと、そこにカミサマの創出と承認を行う、これはカミサマをも吾が創る思想なので、僕はこれを「万物の大勝利者」と呼んでいる、「万物の大勝利者」はまったく誇張でもなければジョークでもない。
正しく見ないとな | comments(0) |
コメント
コメントする










| /PAGES |