☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
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あなたが普遍性と集団性と個人性を手に入れること

は、普遍的体験。
文化は、集団的体験。
芸術は、個人的体験。
最近、「学門・文化・芸術」という言い方をするので、それについて予備的な話をしておこうと思った。

学門たとえば運動方程式f=maは、異文化もヘッタクレもない、宇宙人にだって通じるもので、普遍的なものだ、誰も「われわれ」とか個人的に運動方程式を信じているわけではない(普遍的に見つけられるカミサマと言っていい)。
文化たとえば「こんにちは」は、宇宙人には通じないし、かといって一人の自室で「αβγω!!」とあいさつするものでもない、よって「こんにちは」は「われわれ」という集団的なものだ、それは普遍的なものではないし個人的なものでもない(集団的に見つけられるカミサマと言っていい)。
芸術たとえば僕が夏の雲間に見えざる極光を見たとして、それは他の誰にわかるものでもない、あくまで個人的なものだ(個人的に見つけられるカミサマと言っていい)。
われわれの胴体には「こころ(文化の機能)」があり、胴体の上部には「理知(学門の機能)」があり、胴体の下部には「インスピレーション(芸術の機能)」がある/しょせんそれらを、血肉を通わせて営めるグッドマンになろうという話しか、僕はしていない。

学門・文化・芸術を捨てるということは、普遍性と、集団性と、個人性を失うということだ。

あなたに集団性がないなら、あなたは文化体験を持っていないのだし、あなたに普遍性がないのなら、あなたは学門体験を持っていないのだ、あなたに個人性がないのならあなたは芸術体験を持っていないわけで、そんな何もかもを捨ててどーする。
あなたの肉には何が宿っている? 「f=ma」が宿っている学者はカッコイイし、「こんにちは」が宿っている老舗のバーサンもカッコイイ、また「雲間の極光」が宿っている芸術家もカッコイイだろう、肉にそれらが宿っていないのに、筋力だけブンブン振り回したってカッコよくはならねーよ(なお気まぐれに色づけしてみたが、われながらヘタクソである、見づらいことこの上ない)。

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