☆いい女☆で行こう!

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ポン介

れわれは、わかることはわかるのだが、わからないことはわからないのだ、これをどうしよう?
「わからないこと」は、ピンとこないこと、実らないことなので、いうなれば荒れ地に葡萄の種をまくようなことだと言える、それは実りっこないものだし、まったく迷惑なゴミのようにしか感じられないものだ。
強烈な雑草の種であれば、荒れ地にもよく茂るかもしれない、じゃあそれをまけば荒れ地はにぎやかになるけれども、それで荒れ地を豊かにして差し上げているのかどうかはあやしい、雑草で土はますます痩せていくのかもしれない。
少なくとも言えることは、荒れ地から雑草を抜こうとしたら、「やめろよ、さびしくなるじゃないか」と咎められるのは明らかだということだ/それは正当な言い分なのでよくわかるのだが、かといって葡萄の種をまいてもしょうがないし、雑草を追加する気にもなれないので、つまり荒れ地に対しては「することがない」に行き着くのだった、多くの人はそう実感していると思う。

僕には人に偉そうに説教をする立場もないし、能力もないし資格もない、また義理もないので、わかることはせいぜい「迷惑」をなるべくやらないことぐらいだ。
荒れ地とそうでないものを、勝手に感じ取るとして、その両者はただ「棲み分け」と捉えるしかないだろう、棲み分けが正しく為されていれば互いに迷惑はかけあわずに済む。
何か方法を考えないとな……僕はもともと女にモテるたちではないのでその点だけは気が楽だ。
僕は九折ポン介と言うのだが/日本の女性には、もっと熱烈に日本の男性を謗(そし)ってもらわねば困る、そうでないとやりにくいのだ、これは割と冗談ではなくマジな話、僕の利益のための話。

われわれは「平等に尊い」のだろうか、それとも「平等にアホ」なのだろうか。

もし平等に「尊い」のだったら、わからない話があった場合、わからない話の側が「アホ」なのだろう、尊き者にアホの話なんかわからないだろう。
もし平等に「アホ」なのだったら、わからない話があった場合、わからない話の側が「尊い」のだろう、アホな者に尊い話なんかわからないだから/少なくとも僕自身は後者だ。

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