☆いい女☆で行こう!

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とりいそぎ実用的な、人間への道[3] 「行動をやめさせる!」
なたがテストで百点を獲ったとき、あなたの行為はあくまで「問題に解答した」だけだ、満点を「獲得した」ということはあなたの「行為」ではない、<<獲得のことはなるべく忘れるほうがいい>>。
あなたはメラウルワーによって、「○○したい」という衝動に駆られる、一般にそれはモチベーションと呼ばれているが/このときあなたは「獲得」に向かっていて「行為」には向かっていない。
認識する、認識を見上げる、そして行為すること、かつ<<認識していないことは行為しない>>こと、認識していないことの行為に及ぶことを基本的に禁じること(なぜならそれは本当の「行為」ではないから)。
テストで百点を「獲得したい」と駆られると、人はテスト勉強という「行動」を起こす、けれどもこれは認識から生じた行為ではない、獲得に向かうわかりやすいモチベーションは人間の道ではなく、やがて人間らしさを損なっていくものだ。

お互いに認識を披露し合うこと、そして、一般論とは真逆になるが、<<行動につなげないこと>>、行動につながってしまうのはそこにメラウルワーが発生しているからだ、人は駆り立てられると行動に移したくなる(そして三日坊主で消沈する)。
メラウルワーに駆り立てられて、行動に「飛び出す」こと、それはまるでヒロイックな青春正義であるかのふうに捉えられているが、完全に誤解なので修正すること。
「行動しちゃダメ」、それでいて「認識」を見上げて、「認識」が静音化し、確実化するまで見上げ続けること、行動はしない、行動などしなくても、本当に「認識」が得られたらそのとき「行為」はすでに生命を得ている。
あなたが二十代の女性だったとする、「二十代だね」ということに、まずあなたはメラウルワーを起こすから、あなたは自分の内を放棄し、「二十代」という認識を外側において見上げる、<<あなたがどう思うかではなく、「二十代」という認識がどう思うか>>、あなたがワーワー言うのではなく、「認識」そのものが発している声がある、その声を聴いたとき「行為」は勝手に生命を得る。

友人同士、行動をやめさせる! そして認識を披露しあい、互いの「行為」に生命を与えあう。

「行動をやめさせる!」というのは、現代のリア充インフルエンサーの発想とは正反対になるだろう、見上げる「認識」の世界を充実させ、互いの「行為」に生命を与えあう/そのときすでに、互いの「話す」「聴く」「考える」といったことが行為の生命を得ている。
自分の内なるものとやらで、「行為」に生命を与えることは不可能だ、見上げる認識の豊かな世界が成立したとき、「認識」だけが「行為」に生命を与えてくれるのがわかるだろう/生命を吹き込まれた「行為」は三日坊主にならず、その人の生涯をつらぬいて続く「行為」となる。
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