☆いい女☆で行こう!

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パーティ報告73

「滅却」と「封印」は違う。
人は邪(よこしま)なこころを持つ。
とんでもないスケベごころや、プライド、嫉妬心、憎悪や不満、傲慢や反発など、下卑たこころをいくらでも持つ。
人はその邪(よこしま)なこころを、ふだんは封印している、我慢しているし抑圧している、それで一般的な「いい人」になるのだが/それは邪なこころを埋めてあるだけであって、邪なこころが「ある」か「ない」かといえば、バリバリに「ある」のだ、われわれはそれをなぜか「いい人」と呼ばされている。

「滅却と封印は違うだろ」と僕は言った。
「え、じゃあ、いくら封印していても、それは実際『ある』ってことで、けっきょく表に出てくるということですか」と問われ、「そう」と僕は答えた。
「今ここで、お前らが全員下着姿になっても、おれは変わらないし、おれが小説を書いているとき、アイドルグループの全員が裸でやってきても、おれは変わらん、それは我慢とか抑圧とかじゃなくて滅却ってことだろ」と僕は話した。
「それって、めっちゃ難しいっていうか、こうして実際にできる人がいるのは可能性としてわかるけど、自分でやれって言われたら絶対無理」と誰かが話した、僕は「うん、むつかしすぎて無理だ、と引き受けて生きていくのも正当な一手だと思う」と答えた。

「滅却」にはメソッドがある。

誰よりも僕が一番、これまでのスケベ「行為」は多くしてきたと思うが、必ずしも「行為」は「スケベごころ」を必要とはしていない/「行為」に必要なのは「識」だけだからだ、そして僕はスケベ行為は好きだがスケベごころは好きではない、スケベごころは正直キモチワルイ。
滅却するということは、無気力になるということではないし、関心がないフリをするということでもない、滅却するということは、「識」と「行為」に純化するということ/逆に滅却されていないということはただ「駆り立てられている」ということであって、実はそこには何の行為も発生していないのだった。

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