☆いい女☆で行こう!

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撤廃された「○尊△卑」

、たとえば「男尊女卑」などというと、いかにも冗談に見えるし、さすがにこの冗談を真に受ける人はもういないだろう。
しかし一方で、「じゃあ何が尊で何が卑なの?」と問われると、どう答えていいのか、それもすでにわからなくなっている。
男尊女卑が消えたのではなくて、「○尊△卑」という一切が消えたのだ、何が尊ばれるでもなく、何が卑しまれることでもなくなった/それは一見、憲法的な平等と「みんな自分の勝手にしていい」という権利の実践に見えなくもなかった。
けれども、「命」においては? 命においては、何かしらの「○尊△卑」が見えているかもしれない/この常識と命が背反する中、われわれは常識において○に唾を吐き、△に微笑みかけることを日常的にし、そのせいで命のレベルでおびえきっているという状態にある。

何かしら、○尊△卑というのはあるのだ、常識的にはないが命としてはある。
常識的には、この資本主義の中、お金を出す側が「尊」で、お金をもらう側が「卑」ということになっている、このことは徹底的に訓練されているので多くの場合で成立している。
つまり、何が尊で何が卑か識らないが、カネさえ払えばいかなる尊の人も卑に扱うことができ、またいかなる卑の人も尊の人として認められる、という状況を社会的に作り出している、それが「命」を根こそぎおびえさせているのだ。
カネやその他の利益供与を受ける以外には、頭を下げられないという生きものに、本当になってしまった、そのことに命がおびえきっている、それはまるで、「踏み絵」を足ふきマットにして神棚にカネを祀る日々を何十年も続けてきたというような怯えだ/今この社会はわざとそのようにデザインされているほどにさえ見える。

膨大なカネにはいくらでもひれ伏すが、膨大な「何か」にはタメ口になった。

もちろんカネが悪いわけじゃない、カネだって宗教的には弁財天のものだろう、しかし今、一億円の札束を踏んだら「バチがあたるぞ」という宗教状態になり、それ以上に鮮明に考えられることは何もなくなった。
「○尊△卑」という一切が消え去ったことで、あなたはいついかなるときも卑しくなることはなくなり、目の前の誰も尊いという可能性はなくなった、だからそれ以外の振る舞いは生じようがないのだが/「命」がその常識に反しておびえている、「命」がしつこく「間違っているのです」と言い続けている。

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