☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
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暗く分厚い天井の下で
阪出張の三日目だが、三日目にしてすでに、体調を崩しそうなほど「退屈」を極めている。
ここまで退屈になると、急に、ソーシャルゲームに課金する人や、パチンコに通う人、マンガ本を次々に手に取る人、の気持ちがわかるようになる。
あまりにヒマなのだ、そして、周囲には何のムードもなく、理解もなく、何をしても無駄という予感がひしめいている、この中でいわゆる一般的な「趣味」が求められるのだと思う。
環境に一種のムードがあって、このムードは、むしろ「すばらしいものはあってはならない」ということを強く命じている、理由はよくわからないが、「すばらしいもの」を否定しようとするムードに満ちているのだ。

「すばらしいものがない」ということが、むしろこのムードの住民にとっては、光でさえあるかのようだ。
「すばらしいもの」は当然、人をおびやかす力を持つから、それが憎らしいのだろう、よって「すばらしいものだけは禁忌」とするような逆転した合意のムードが環境にある。
そういえば確かに、一部の演歌等も、集団的に「すばらしいもの」を排除するように歌っているところがある、何かよくわからないが「つらい涙に濡れる義務」だけがあり、それに背反する「すばらしいもの」は村八分にするムードがどこまでもあるのだ。
別に誰かが根暗とか、悪意があるというわけでもない感じなのだが、その実「暗く分厚い天井」があって、その下で生きることだけを義務付けられているような感触がある、これもやはり、ひとつの「おびえ」の形態なのだろうか。

「すばらしくないものしか認められない」という世界がある。

きっと多くの人は、ソーシャルゲームに課金することや、パチンコで継続的に散財することや、マンガ本で部屋を埋め尽くしていくことを、自分で「すばらしい」とは思っていないのだろう、だがそれが「すばらしくない」からこそ、唯一認めてもらえるという状態があるのだ。
まるでありもしない罪を背負って全員が自粛か謹慎をしているようなムードだ、だが確かにこのムードの中で人々は対立もしないし闘争もしない、謹慎的平和と呼んでいいならそういう平和の力学が確かにある。
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