☆いい女☆で行こう!

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悪はいいけど邪はダメ

は、生きているうち平均で何回、偽りの笑顔でだまされるのだろう(リアルに学門として気になる)。
人は、邪(よこしま)を為す能力を持っている、人間がときに聖を為す能力を帯びるように、同等に人は邪な力も持っているものだ。
邪な力は、たいてい「偽り」の形成を本領とする、ここでポイントなのは、「邪」な力は単に「悪」を為すというわけではないというところだ。
あなた自身もそうだし、またあなたが付き合っていく人についてもそう、ぼちぼち悪い人と付き合うのはいいが、邪な人と付き合ってはいけない、あなた自身も、悪になるのは構わないが、邪になってはいけない。

たまには根こそぎ聞いてくれな、あなたは、「悪いことなんかいくらやってもいい」のだ、それは、「善いことなんかいくらやっても無駄」というのと同等に成り立っている。
それよりは、「邪なことはやってはいけない」、それもやはり、「聖なることをわずかでもしたらいい」というのと同等に成り立っている。
「善人」と「聖人」だと、どちらか格上か、直観的にわかるだろ、本当に見上げるべきは「聖人」のほう、そりゃ当たり前であって、善人とか善悪とかに注目しているのは単純に見失っているだけだ。
たとえば金持ちのおじさんと麻雀するとき、イカサマでサクッと巻き上げればいいんだよ、「悪いやっちゃな〜」ということになるが、「そうか? さっさと終わらせてみんなの食事代に充てたほうが合理的じゃん」ということになる、邪でなく悪というのはそうして合理的なものだ。

悪は合理的、邪は感情的。

だから悪が問題なのじゃなく、不潔にニヤニヤしているのが問題なのだ、そっちは邪だから/人はときに、特に理由なく人を「偽る」ということをする、ただ「偽る」という暗い愉しみに取り憑かれて、それこそが典型的な邪だ。
たとえば万引きが問題なのじゃなくて(語弊がある)、つけまつげとカップラーメンは万引きするのに、タゴールの詩集は万引きしないところが問題なんだ/表面上にどれだけ人の好さそうな笑顔があっても、タゴールの詩集を万引きする見込みのない奴はダメだ、万引きよりその笑顔のほうがコエーよ。

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