☆いい女☆で行こう!

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命(めい)に仕え事を為す者は聖に至りおびえを償却する
は「悪」を経れば大人になるが、「邪」を経ると「おびえ」を持つようになってしまう。
いわゆる善人タイプは、「おびえ」ている人がおおい、そうして「おびえ」ているということは、聖でなく邪にむしばまれているということだ。
「善」は「悪」に拮抗できるが、「善」で「邪」に拮抗はできないので気をつけて/そりゃ「邪」に拮抗しようと思ったら「聖」しかない。
まあ「おびえ」ゼロで生きていけるもんでもないと思うが、笑えないほど「おびえ」にむしばまれているのはダメだ、いざとなったら「おびえ」を覆すほどの「聖」が湧きだしてくるようでないといけない、そうでないと「危険」だ。

たとえば、災害地にボランティアラーたちが入るとして、彼らが災害地で「まずお宮さんにお参りしよう」という発想はするまい、けれどもその発想は誰かが持っているべきだと思う。
だが人間などしょせん、この世界にお世話になってしか生きられないのだから、神社に「お邪魔します」「われわれに命(めい)をお授けくださいますよう」のあいさつぐらいあっておかしくはないのだ、ボランティアラーたちが「お世話をしにいく、フフン」という発想でいると、知らぬ間に邪が入り込んでいるだろう。
人々が善に浮かれるところには、往々にして邪が棲みつく、善人たちが植樹イベントをしたからといって、「地球にやさしく」なんてことにはならない、単に植物がないとわれわれが死ぬので植樹しているだけだ、植樹のたましいは「頼むから育ってくれ〜お願いします!!」であるはずだ。
朝起きて、学校に行ったり部活をしたり、仕事に行ったりトレーニングをしたりしているが、われわれが頑張っていることは単に「善」であってはならない、なんとかして「聖」に至らなければ、われわれは「おびえ」から離れることができない。

「業務」は神聖にはならないだろうが、「仕える」ということは神聖になりうる。

たとえばお医者さんが「業務」をこなすのでは神聖にならないだろうが、医の道に「仕える事」を為すならそれは神聖たりうるだろう/「それが医師の使命ですから」と。
命(めい)に仕え事を為す者は聖に至りおびえを償却する、業に駆られ務めのみこなす者は邪に入りおびえに蝕まれる。
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