☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
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塗り重ねた濃密さの先にしか実物は出現せず、またその実物は必ず人を満足させるだけ芳しい
とえば「スカイダイビングに挑戦」というような挑戦が、人に何かをもたらすことはまずない。
なぜかというと、一回こっきりの「通過」にしかならないからだ、挑戦というのは何度も塗り重ねないと実りにならない。
たとえば漆塗り(うるしぬり)で言うと、サンドペーパーを当てて下地漆を塗って、またペーパーをかけて、また漆を塗って……という、表面には見えない塗り重ねをするものだ、これをせずに表面の漆だけを塗りつけても、「何か黒くなってんな、何コレ」にしかならない。
濃密な実物、濃密な実りは、塗り重ねから生じるものだ、下地や下書きを「できたー」といっていちいちバンザイしていたら、それは何の実物にもならない、下書きを論評していたらいつまで経ってもまともな絵画は出現していこないだろう。

思いつきをideaと呼ぶものじゃない、ideaとは、長期にわたる塗り重ねのような、階層構造の組み立てと実行を言うのだ。
どんなことでも、半年でモノになるというようなものはひとつもない、もしモノになることがあったとしたら、それはまったく別の機会に「下地」か積んであったということだ/「下地」が積んであったということは、少なくともその人は、過去の時間をボサーッとは生きていなかった。
濃密な「実物」が生じるためには、えげつない速さで進んだとしても二年、驚異の速度で四年、最適のペースでも十年掛かると思う、それをいちいち二ヶ月ぐらいで飽きていたら、それは何かをやったことにそもそもなっていない。
最速で二年かかるとして、それも、二年間ずっと取り憑かれていなければダメだ、何が下地になるかはわかったものではないが、とにかく何かの世界にずっと浸りきっている必要がある、「こんなこと続けていたら、この先どうなってしまうんだ」という不安や恐怖さえ感じる中、過ぎ去った数年の後、ようやく確かな実物がひとつ残っている。

時間を全部足さないと勝てない。

切り取って目立つように陳列された「努力」なんて、観察していてもダメなのだ、そりゃその当人をしばらくのあいだ感慨深くさせるだけで、その当人を実物の何かにはしてくれない。
「みんなが見ていないところで、こいつ何年間も、ひとりで塗り重ねてきやがったのか」という奴だけが、あとになって「実物」を手にしている、塗り重ねた濃密さの先にしか実物は出現せず、またその実物は必ず人を満足させるだけ芳しいということは、誰にだって報されてよいことだと思う、この世に満足できることは「ある」のだ、その出現方法が報されていないだけで。
 
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