☆いい女☆で行こう!

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「人のことがわからんからキャラに入る」

の早いクリスマスツリーが各所に出始めた。
それを見てふと思い出した、数年前のクリスマス、僕はいろんな人にサプライズで何かプレゼントしていたような……そのために原付で走り回ったりしていた。
その結果、何が得られるかというと、もう説明はしていられないのだが、サプライズプレゼント→僕が嫌われる→僕が殴られる→僕が謝罪する、という道筋で進んでいく、「なんでやねん」という話なのだがこうなのだ、説明は長くなるので端折るしかない。
それ以来僕はどうしているかというと、僕の元々の本性のすべてと、素敵なことのすべてを諦めた、なぜかというとそういったものは、ことごとくが何かのドッカーンオルガスムスの材料に供されるからだ、さらに僕が呆然としていると僕が嫌われ、僕が殴られ、かつ向こうが被害者になる(僕は謝罪)という進みゆきになる、何を言っているのかわからんと思うが、本当にそうなるのでこれはもうやめたのだった、僕の本性とステキなことの一切はすでに過去で遮断されている。

遮断されているからといって、僕の内で消えてなくなったわけじゃない、僕は天才である上に科学者であるので、そういうところはキッチリしている/本性と本当にステキなことの一切は、使わなくなっただけで、別に僕の内から消え去ったりはしていない、僕は悪党なのでそこまで付き合いはよくない。
「人のことがわからんからキャラに入る」のだと、言われねばならない、これもまた説明をナシにぶっ込むだけだが、人は自分以外の人のことがわからない場合、そこに何かがドッカーンと「あった」のだと、キャラを自作して捏造するようになる。
なぜキャラを作ってドッカーンとすると、何かが「あった」ことになるんだ、意味不明だと言われるかもしれないが、それは僕から見ても意味不明なのであって、しかし実態がそのように呈示されるのだからしょうがない、僕がサプライズでプレゼントした場合、そこで僕のことが「わからん」人は、キャラを作ってドッカーンとなった、そのことはなぜか次第に僕への攻撃に転向していく。
「キャラ」という言い方はすでに一般化していてわかりやすいと思うが、このことを逆方向から照らしてみればいい、「キャラ」が作られてその効用が発揮されているとき、必ずその背後に「人のことがわからんから」というメカニズムが動機としてはたらいているはずだ。

「キャラ」はすべて、「わからないこと」を目の前にしたとき生成される。

頭のイイ人にはわかってもらえると思うが、ここに示されている原理は堂々たる「大発見」だ、すさまじい&超絶の大発見と言ってもいい、<<キャラは必ず、わからないことを目の前にしたときに生じる>>、そして目の前のものがわかるようになるまで、そのキャラは永遠に続けられるしかない。
僕が元々の本性を発揮し、素敵なことをぶち込めばぶち込むほど、それは目の前に「わからないこと」が示されることになり、人々の「キャラ」を強烈化することになる、そして人に向けてキャラを振る舞うというようなカルマ(業)の増大に自分が耐えきれなくなり、対象を破壊なり消去なりする方向に自己がはたらき始めるのだ/だから本当の愛や哀しさ、やさしさなんてものはないほうがいい、それらはますます「わからないもの」として人々のキャラを強烈化してしまうだけだ、それで僕自身、それらの一切は過去に遮断している。

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