☆いい女☆で行こう!

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光はまず邪魔を照らす(賢)

れわれにとって、「ジャマになる」「ジャマをする」という感覚はわかりやすい。
このことを利用して、「光はまず邪魔を照らす」と捉えると、わかりやすくなる、「邪魔」というのはそのまま「よこしまな魔物」だ。
本当に光あるものに出会ったとき、われわれの健全な精神は真っ先に、「邪魔をしてはならない」と感じる、またそのことは、自分の内にあっさり「邪魔」が棲んでいるということを認めているわけでもあるのだ。
首を突っ込めば邪魔をしてしまう、口を挟めば邪魔をしてしまう、意見なんか言えばさらに邪魔になる、このときふと、人はまったく別のことを見つけることがある、たとえば「あ、片付けは全部わたしがやっておきます!」というようなことだ、人はそういう手続きで目覚めていく。

本当に光あるものに出会ったとき、健全なわれわれは、「とにかく邪魔だけはしない」ということをとっさに選択する、そしてその裏側で、「邪魔にならず、かつわたしでもできること」を探す。
そこで見つかる、「邪魔にならず、かつわたしでもできること」は、たいていカルマ的な何かにつながっており、その当人が進むべき第一歩がそこにつながっている。
本来の手続きで言うと、女性が「この人に抱かれていい」と直覚するときも、この形式が多い/男性が本当に光ある行為や振る舞いを示しているとき、それを見た女性がとっさに「彼の邪魔だけはしたくない」と感じ、「それでも、何かわたしにもできることはないかしら……」と探すとき、「もし万が一、彼がわたしをそういうことに求めることがあったら、わたしは躊躇なく応じよう、わたしなんかでよかったら」と見つける。
それが若い男性と若い女性なら、そうしてセックスになることもあり、熟年化してゆけば「食事ぐらいはわたしが作ってあげたい」となったり、「汚れ物はわたしが洗濯してあげたい」となったりする/われわれの中にはあっさり「邪魔」がおり、でしゃばると常にわれわれは「邪魔しかできない」のだが、本当に光に出会うと、ついにわれわれはその邪魔を封印することを選ぶ、そして人間として自分にできることだけを選択する。

光は、あなたの中に光がないことを教える(賢)。

本当の光に出会うと、十中八九、自分の内には本当の光がないことを知るのだ、そのことはあまりに納得がゆくため、人は少し笑う、少し笑って踏ん切りをつけ、しょっぱい自分を(邪魔にならないように)尽くそうと見つける、そのときは光の下で、しょっぱい自分のみじめな全力が、どう笑われようとも「本懐です」と感じられてすっきりしているものだ。
「邪魔にならず、かつわたしでもできること」に、徹底を尽くそうと思う、そのとき人は「自分のできること」を真に拡大したいと望む、そのほとんど「罪滅ぼし」のような感覚で、人は学門に手を伸ばすのだ、自分自身について「このアホにはホンマに何もできんか」「いや、クソほど勉強したらできることあるやろ」と命じる心地で。

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