☆いい女☆で行こう!

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証(あかし)3
れながら、なかなかいいことを言ったような気がするが……
「苦痛」には、根性で耐えられるが、根性では「難しさ」には耐えられないのだ、根性は根本的にケンカする能力だから。
「難しさ」に耐えるのは「愛」だ、たとえば料理を愛している人は、それを愛しているからこそ、本当の料理にある学門の難しさに耐えてゆける。
よって、この世界を愛している人は、必ずどこかで学門性を帯びて生き始めると言える/そして根性派の人から見れば理解しかねることとして、世界愛派の人は「難しい」ということに「うっひょー」とよろこぶところがあるはずだ、証(あかし)がやがて身に現れてくるというのは、たいていそういうタイプだ。

「学門」と「理屈」の異なるところ。
われわれが、「理屈」の機能で考えるかぎり、この世界には「光」なんてものは存在しない。
ただ、ごく一部の知性だけが、理屈だけでは説明できない「光」の存在を見抜いており、なんとかそれを突き止めようと、「理屈」を超えて「学門」に到達しようとする。
彼は理屈を超えてある何かの「光」を知っていて、それが故にこの世界を愛している、ただその真相を突き止めてそこに我が身を至らしめんと考えると、とてつもなく「難しい」、この難しさに「うっひょー」となって、やめられない努力を続けている人は、わけのわからない発見をしてゆき、その結果、「いつのまにこうなった?」と、何かの証を身に現していく。

「身に現れる」のだ、ステキじゃないか。

これをステキと思えないようでは、世界を愛していない度MAXなので、悔い改めるように、「身に現れる」という仕組みがワー気に入らんと憎んで、根性トレーニングで代替しようというのは、悪いことではないが、どうしたって種類が違う(種類はどうにもならん)。
まあ、それが「ステキ」だったとしても、いざリアルな「難しさ」に直面させられると、「うーん、これ腕力でなんとかならんかな、ウオオオ!」ってなるものだけどね、それはとにかく種類が違う、難しさに深入りすることは、ステキなことだと僕は思うが。
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