☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
<< 人類が繰り返す、「ひとつになりたい」ということ | TOP | 「本当にあった」ということ…… >>
愛していることしか一言一句発さない

は区役所などにいくと、夢遊病者のようになってしまい、手続きをしたりする際には、本当に半分痴呆みたいになってしまう、気合いを入れれば切り替えもできるのだが/今はたいてい、友人に付き添いを頼んでいる、それは傍から見ていても「かわいそうすぎるから」だそうだ。
なぜそんな痴呆状態になるかというと、僕は習慣的に、愛していることしか一言一句発さないし、一言一句書かないからだ/役所の手続きで書かされる書面には、僕が愛していることは何も記されないので、僕は本当に「わ、わからん」となる(頭が悪いわけじゃないぞ、昔は総合商社の営業だったんだ)。
僕はたとえば、「写真を撮るときは被写体に光源が近いほうがライティングは柔らかく入る」というようなことを知っている、けれどもそういったことはふだんまったく話さないし、ブルガリのプールオムは1996年(95年だっけ?)から発売されているというようなことも、知ってはいるがまったく話さない、僕は自分がただ知っているというだけのことを、愛してもいないに発するということを一言たりともしない。
もしあなたが、自分のやり方について、長足の進歩をいきなりブチかましてやるぜという気概をお持ちなら、このことをおすすめするし、ぜひそうしたらいい、「愛していないことは一言たりとも発さない」、もしそのようにできたら、しょーもないレベルのことはすべて一発で片付くだろう。

前段階というか、予備的に、区別だけは持っていてもよいかもしれない、「愛していることを話している人と、愛してもいないことを話している人がいる」ということ/まあそんなこと言い出すと、万事が急に厳しくはなってしまうが。
たとえば「相撲協会で、またトラブルが起こったそうですねえ」というとき、「はあ、そうらしいですね」という感じだが、そうした世間話を愛して話しているのか、それとも、何も愛していないが単に頭に情報が入っているというだけで発言しているのかは、大きな違いなのだ、正直なところ後者は僕にとって意味がわからん。
「職業柄、洗剤で手が荒れちゃうんですよ〜」と話されたとして、「そりゃまあ、そうでしょうね」とは思うが、僕からすると、こういう人は「会話」「話す」ということを、土台から勘違いしているように思う、「よ〜」と語尾に演出を足されたところで、なんだそりゃということにしかならない、愛してもいないただの情報をいきなり発話して何をどうするつもりなのだ。
僕はたとえば、「大阪方面から神戸方面へ、JRでなく阪急電車でいくと、阪急電車は割と山手側を走るんだよ」ということを話す、僕はそれを愛しているから話す/そこで「へえ、そうなんですね!」みたいな反応をされると、なんなんだコイツは死にたいのか、と思ってしまう(言い過ぎた)、僕の話なんか愛だけ受けてりゃ伝わるように出来ているのに、なぜわざわざ愛を廃棄してゴミ情報だけ拾い上げていくのか、これはもうライフワークを手裏剣投げにしてカバンを全部ボストンバッグにされるぐらいの刑罰を受けたほうがいい。

「そろそろ寒ブリの季節ですな!」と、寒ブリを愛していないなら話すなよ。

だってそりゃそうだろ、寒ブリの季節ぐらい誰だって見当がつくだろうし、ググればすぐ出てくるだろうし、情報番組や新聞の端っこから小耳に挟んだりするかもしれないけれど、その情報があるからっていちいち話してどうする、そんなこと言い出したら、僕はなんだ、黒雲母の話とかエチゼンクラゲの話とか墾田永年私財法の話とかモッズヘアーの話とか、デタラメに放り込みゃいいのか、そんなわけないだろ。
少なくとも、この「区別」はシンプルで有益だ、愛していないことを顔面たっぷりにして話したところで、その会話は永遠に「意味がわからん」ままだろう、まあ実際にやろうとすると意外に難しいのはわかるが/どこかでインチキをやめる努力を始めるしかない、しくじったってせいぜいライフワークが手裏剣投げになってカバンが全部ボストンバッグになるだけだ、少々つらいが耐えられないってレベルでもないだろう。

できるオンナだね | comments(0) |
コメント
コメントする










| /PAGES |