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「指導者はレーニン」というナゾの話の続き

日、「あなたの指導者はレーニンなのだ」という、わけのわからん記事を書いた、そして「のちのち効いてくるから〜」と妙なことを言い添えたりもした。
あの話、あれだけではさすがに意味不明すぎるので、もう少し話しておこうと思った/まず当たり前だが、われわれが普通に暮らしているぶんには、「貴様はレーニンを指導者と仰いでいるな!」みたいなことは出現するわけがないのだ、そういう表面的なことの話ではない。
あなたが生きていく道中、もし何かシリアスなシーンに出くわすことがあって、そこで「自分を根本的に変えよう」としたとき……その「レーニン指導下の国民」という相が出てくることがある、それはそれでマジの話だ、ということだ。
たとえば学校の○○先生は、すごく温厚でやさしい、善人だというとき、その○○先生は「麻布のロックバーでいきなりジョークのぶちかましから人間関係に入ってテキーラを呷ってカッコいい、パンチのある声をしているぜ」という人にはならない、もしそこまで「根本的に変える」ということを試みたとき、内部にある「指導者レーニン」がそれを妨げているということが本当に出てくる。

一般的に、その人の「個性」とか「性格」とか、固定的に思われているもの、これを「根本的に変えなくては」というとき、そのことをさせない強力なお札として、「指導者レーニン」が内部に効いているということが出てくる。
どういうことかというと、自分を根本的に変えるということは、「こんなことではダメだ!!」という自分への断定を必要とするのだが、この断定の背後にはレーニンがアンチテーゼに効いていて、「人はもともと平等」「格差はない」と語りかけてくるのだ、だから自分を「ダメだ」と断定できない。
内部の指導者レーニンが言うのは、「貧しい者は、不当に不遇なのであって、自分が悪いわけじゃない、だから救済されるべき、絶対に!」「貧しい者が自分を否定する必要なんかあるわけない!」ということなのだ、このお札が効いているので、人は自分を変えようとしても、まず「こんな貧しい生き方をしていてどうする!」という自己否定ができない(やろうとしても完成しない)。
だから、いわゆる「キモい」人や、ダサい人、頭の悪い人、仕事のできない人、学門が苦手な人、文化性のない人、下品な人、嫉妬や執着がやめられない人や、声や表情の暗い人、あるいは人のこころがわからない人は、いったんそうなってしまうと、もう「絶対に変えてやる!」ということができなくなるのだ、どうしてもどこかで「こんなに貧しい自分は、それだけ人に庇われ、救済されるべき。でないと不平等すぎる」「そもそもわたしが悪いんじゃないんだもん!」と転倒してしまう。

内部にある「レーニン札」によって、貧しい人は、むしろすさまじい不平を抱えることになり、内心で「ムシャクシャ」している。

どういうことかというと、生きることが貧しい人は、レーニン札の効果によって、「不平等! 不平等!」と感じ続けるということなのだ、レーニン札が主張する絶対にあるべき「救済」とやらは、いつまで経ってもやってこない、「もしこのまま低賃金で働かされて結婚もできなかったらマジ日本死ねだわ、そのときは何人か殺してわたしも自殺しようかな」と空想するようになってしまう。
A君が楽々クリアできるテストに、B君がさんざん苦労するということがあったとして、「お前もA君を見習ってがんばれ」とでも言われて努力されられるようなものなら、猛烈に「ムシャクシャ」するのだ、なぜこんな不平等を押しつけられねばならないのかと思える、このとき人は「不穏」の気配を放つ/なぜなら不平等を押しつけられた弱者は、団結して支配者を「皆殺し」にしていいと、学説上で流血許可を定義されているからだ、もともとはこの「支配者を皆殺しにする」までを含めて共産党の設立は宣言されている。

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