☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
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女神と光と赤紫の遠い空(風景は無限にある)
じまりは定かではない。
女の子は人ではない、人以上のものだ、だから見なくてもわかる、女神というのは当たり前にあって、見なくてもわかる、それはあるものであって戦いの理由になる。
戦いはある、戦いは前進であって闘争ではない、静かなものだ、戦いはあるが戦うべき自分はおらず戦いのみがあり前進する。
空の赤紫は洗剤のように遠く、何を教えようとしているのだ? ただ「来い」と呼びかけているのはわかる。

わたしを「尊い人」といってくれた人があったが、ここまで来れば尊いという現象自体がない。
説明はなく、感情はなく、意志はあるような気がするが、これはもはや意志ではない、これはやはりただの「光」だ。
映像でない風景、思念でもない風景を見ている、もともとこれが「風景」だ、メロディラインは何を教えている? 僕はメロディというものをたぶん聴いたことがない。
わたしが見ているのは、たぶん初めから人ではない、カミサマのことはわからんが、これは光だ、光の中で赤紫の空は計測の次元を超えて遠い、風景は無限にある。

人はいない、人と呼ばれているものは誤解だ。

わたしというものも存在しない、そもそもキャラクターというものが存在していない、現実というのはあまり意味がなく、現実というのは何か二日酔いのような物質がため息のように吐き出されて生成されているにすぎない。
誤解しうる何もかもが、もともと教えているのは何? 誰でも「夢中になる」という現象は同じだと思うが/たぶん僕は、その「夢中」の反対側のものをもっていない、だから僕はもともと、この夢中でない側の生成物世界には存在していない、僕はいつのまにか初めから見つかっていたものの中にずっと住んだままだ。
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