☆いい女☆で行こう!

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現実は神経にくる
学や禅の本などにはよく「宇宙」と書いてあって、正しく見られたらそれを観ずることになって「見神の事実」を得たりすると書かれている。
それはよくわかるのだが、それはいわば「宇宙とわたし」「この世界とわたし」ということの直接体験であって、しかしどう考えてもそこから「わたし」を取っ払ってしまったほうが上位なんじゃねということがあって/そう考えたら僕にはもともと「わたし」なんてあったためしがなく、女神があったり戦いがあったりして初めから光だったのだが、でもそこまで行ってしまうともう「僕」が話すということも成立しなくなるので、困るのだった。
こんな話、フツーに書いてあったら統合失調症のヤベー奴の話でしかないが、例によって僕はしれーっと現実感覚を残したままなので、逆にもうこいつはつまらん奴なんじゃないかという気が我ながらしてきた。
ふつう、胸にグッと来るとか、そういうことを好んでおいかけるもんじゃないのかね、それがオメー、身体もすでになければ「わたし」もすでにないで、女神とか戦いとか「わたしはないのでわたしの意志ではなく光」とかそんなこと言われてもよ、ブログ記事としては本来完全に再提出ボンバーではあるがまあこんなわけのわからんことを書いてあるのもヨソにはないだろうということで、あえて記事にすることにした。

大雑把に分類すると次のような感じだ、低いほうから高いほうへ、本当はもっと細かいだろうがもう細かいことはせんぞ。
[低]神経にくる→胸にくる→わたし&世界にくる→光&神々(小規模)にくる→たぶん「大いなる神」にくる(と予想)→(この先は不明)[高]
言い換えてみればこうだ、別にマンガでも映画でも小説でもいいのだが、わかりやすく。
[低]「絵」的なマンガ→「声」的なマンガ→「世界」的な映画→「神」的な話(神話)→わからん、すんません→さらにわからん、ムリっす[高]

現実は神経にくるが、それで合っている。

いわゆる「現実を見ろよ」というときの「現実世界」は、確かにそういうものとして存在しているのであって、それで間違っていない、ただしそのようにしか存在していない/人が「現実を見ろよ」と言われたとき、どのようにしても「神経にくる」しかない、どれだけ現実世界で有利な人も豊かな人も同じだ、それはそういう層のことを「現実」と呼んでいるのだから当たり前だ(だからそこにフォーカスを当ててもあまりトクをしないということがけっこう多い)。
まあ次こそはまともな記事を書くぞとこころに決めつつ、とりあえず朝メシでも食ってきます。
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