☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
<< 「指導者はレーニン」というナゾの話の続き3 | TOP | 「指導者はレーニン」というナゾの話の続き4(ラスト) >>
−20歳するとつじつまが合う

とえば25歳の女性が仮装してハロウィンに参加する。
もともとハロウィンに仮装して現れるのは子供たちだったはずだが/このことは、だいたい年齢を−20歳するとつじつまが合う。
25歳[5歳]だからハロウィンで仮装、30歳[10歳]だから「わたし塾に行きたい」、32歳[12歳]だから「ちゃんと男の人と付き合いたい」、35歳[15歳]だから「わたし身体を鍛えたい」、40歳[20歳]だから「政治のこともわかっていないといけない」と思うようになる。
現代人は−20歳するとつじつまが合う、これはどういうことかというと、<<年齢が分配されている>>のだ、現代人には「生身(なまみ)人格」と「オンライン人格」があって、オンライン人格が20歳に育っているぶん、生身人格は年齢を停止しているのだ。

人は、人との「やりとり」に経験を積み、その経験滋養によって成長し、大人になっていく、目に見えない次元でそういうことが起こっている。
現代においては、人との「やりとり」は大半がオンライン化しているので、その経験滋養はオンライン人格に吸われていく/そうしてオンライン人格が分配を受けただけなので、「現代人は幼稚」ということではない、オンライン人格と生身人格を足せばちゃんと年齢相応になっている、生身人格の現れだけを見ると幼稚に見えるだけだ。
単純に、勉強してきた二十代後半の人間が、オンラインでグループチャットをすれば、とても闊達にそれをするだろう、しかし生身でそれをさせると、生身の「顔」や「声」や「目つき」「体つき」がヘンなので、グループチャットは続かない/−20歳の生身なので、当たり前なのだ、ちょうど小学生たちぐらいの生身だと見直せばつじつまが合ってくる。
今、たとえば28歳[8歳]の女性に紙ヒコーキの作り方を教えてあげると、公園で飛ばして「わーいわーい」となるのが割と普通ではないだろうか、むしろそれが無理のない「ぴったり」に見える/僕は大人のハロウィン仮装を否定しているのではなく、むしろ派手な祭りはどんどんやってゴミは渋谷にポイ捨てしろと思っているが、逆に大人のハロウィン仮装がなぜか「ぴったり」に見えるということを、無視はできないと認めているのだった。

古い体質の上場企業でも、すでに歓送迎会の飲み会は廃止されている。

むろん、歓送迎会といって「生身」を寄せ集め、「生身」に酒を飲ませるというのが、発育のレベルとして不能だからだ、歓送迎会は公式に、役員を含めた一同から特別なメールが送られてくるというようなオンライン形式に変化せねばならない/今のところ生身を本来の年齢水準に戻すという発想は理想的だがメドが立たない。
今、相撲協会の問題でも、上は下をぶん殴ってもいいかの議論がなされ、それについては「タフでないと」という意見もあるようだが、僕はその意見がよくよくわかりながらも、「たぶんすでにそういう状況にない」と思っている、相撲部屋であっても生身の年齢は−20歳として考えねばならないのだ/われわれは<<−20歳のキッズ化>>を土台にして生身の問題を考えねばならない、そうでないと本当に「かわいそう」という実態がある、「大人のやりとりはオンラインでする」というのが今のところは合理的な判断だと覚えておかなくてはならない、誰も本当にコドモというわけではない。

正しく見ないとな | comments(0) |
コメント
コメントする










| /PAGES |